改革という名の破壊

聖域なき構造改革=剥き出しの市場原理主義=社会的コストの弱者への転嫁
改革(民営化・市場解放による小さな政府)→国の責任の放棄→市場原理による弱肉強食という野生の社会
改革の結果起きていること
格差拡大:パート労働者やワーキングプアの増加、賃金低下と大企業の大増収、都市集中と限界過疎地の増加
所得の移転:国民の預金利子の国による略奪、国によるアメリカ国債の買い支え、国内消費の減少
祖国の破壊:環境破壊、農業漁業破壊、食料不安、教育破壊、医療崩壊、社会不安
破壊からの再生には改革の何倍もの負担が必要
短絡的な再生への道=戦争→戦争ができる国にするために焦る安倍政権
真の改革・財政再建→軍備の放棄・軍事費の削除(自衛隊→災害救助隊)→教育・社会保障の充実、環境保護と自然の回復
これを矛盾と云います!
「財政健全化のために歳出全般にわたる徹底した見直しをする」と云いながら…
防衛庁を省に昇格させ、整備新幹線も高速道路もつくる、特別会計の抜本的改革はしない!
企業には減税をして、庶民には減税を廃止し、消費税をあげる!
消費税は法人税減税による税収不足の肩代わりにされている。
法人税減税分を消費税で補填していて、さらなる法人税減税は当然大幅な消費税アップとなる。
[アメリカが驚き喜ぶ郵政民営化!日本政府に規制改革要望書を提出] 米国通商代表部 2004年10月14日、ワシントンDC
郵政民営化の次は「教育と医療」と米国が迫る、はたして日本は安心して暮らせる人間の国になれるのか?
『悪夢のサイクル ネオリベラリズム』 内橋克人著 2006年10月 初版発行/文芸春秋
[「社会の崩壊」と新政権への期待] 関東学院大学法学部教授 丸山重威 月刊保団連 2009年11月号
[「レフェリーなき競争」不正監視、法整備は後手] 検証「構造改革」(5)第1部・官から民へ 朝日新聞2006年7月6日
[「村上代表逮捕」暴走の根は規制緩和]「もうけ主義」に理念なし 佐高 信 中国新聞2006年6月7日
[アメリカが驚き喜ぶ郵政民営化!日本政府に規制改革要望書を提出] 米国通商代表部 2004年10月14日、ワシントンDC
[規制緩和で幸せになれるか―ニュージーランドの経験に学ぶ](岩波ブックレット458,1998年)より抜粋
[郵政法案を今国会で成立させよ] 日本経済新聞 社説 2005年7月29日(規制緩和大合唱の旗ふり役をした例)
[すり替えられた規制緩和] 内橋克人「規制緩和 何をもたらすか」(岩波ブックレット1998年)
[<道路改革>何のための民営化か] 朝日新聞社説 2003年12月23日
[「財産税」で見えてきた改革] 桂小米朝の新私的国際学 産経新聞 2003年6月15日
[<下水道整備>第2の高速道でいいのか] 朝日新聞「私の視点」 2003年1月20日
[竹中流改革「カジノ資本主義でいいのか」] 作家 高杉 良 朝日新聞「私の視点」2002年3月1日
[構造改革「豊かさを分かち合う方策も」] 京都大学教授 橘木 俊詔 朝日新聞2001年7月21日

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「社会の崩壊」と新政権への期待
関東学院大学法学部教授 丸山重威
月刊保団連 2009年11月号

■ 「日本は医療保障で国民皆保険を実現するなど、社会保障制度を充実させてきた。しかし、その社会保障が、新自由主義の風潮の中で、どんどん削られていると聞いている。私たちは、日本に学んで社会保障制度を創ってきた。その日本が制度を改悪すれば、私たちの運動にも悪い影響が出る。日本の運動には頑張ってほしい」一。

■2007年1月、ナイロビの「世界社会フォーラム」のパネルディスカッションの席上、インドからの参加者がこう発言した。「世界は日本を見詰めている」一。あまり気づかない日本の社会保障制度の国際的な重要性を改めて認識させられた。

■ 自公政権による「新自由主義改革」は、「改革はやめない」と単純な言葉で叫び、人々の思考を停止させてしまった小泉政権をその頂点に、「市場原理」と「競争」をあらゆる分野に導入し、日本の社会を壊してしまった。「社会保障」にもその思想が持ち込まれた。

■ 本来、医療や教育はもちろん、さまざまな弱者支援の政策に、「市場」とか「利潤追求」という考え方を導入するなどということは、あってはならないことである。しかし、お構いなしだった。

■ 政府は毎年の社会保障予算を2200億円削減する政策を進め、削減額は2002年〜2009年度までに8兆円にのぼった。この間、診療報酬を引き下げ、介護報酬を引き下げて負担を現場に押しつけた。その一方で、医療や雇用保険、介護保険、障害者などの自己負担を増やし、生活保護では老齢加算、母子加算などを廃止してきた。つまり、「受益者負担」の思想による「弱者」からの収奪だ。

■ 理由は「財政」だという。だが、不要不急の公共事業や、思いやり予算をはじめとする防衛費を少し削れば、どうにでもなる金額だ。それだけではない。所得税制のフラット化や、正社員を非正規に置き換えたり、成果主義賃金の導入など企業のリストラで「格差」が拡大した。人々の心は荒んで、自殺者は11年続けて年間3万人を超え、異常な犯罪も続いている。「社会」が壊れてきているのだ。

■総選挙の結果は、そんな状況に国民が悲鳴を上げたことを示している。「何とか変えなければ…」という思いが、民主党を大勝させ、鳩山内閣を成立させた。新政権は早速、生活保護の母子加算復活、障害者自立支援法の廃止、後期高齢者医療制度の廃止、社会保険病院と厚生年金病院の存続などを打ち出している。■いったんつくった社会制度や決定を改めるには、思わぬ時間がかかる。新政権の政策を、憲法25条の「健康で文化的な生活」を保障し、壊れかかった社会を建て直す「社会保障の再建」につなげなければならない。じっくり見極め、発言していくことが大切だ。■とにかく「総選挙という民意で行われた政権交代」だ。国民には、「劇場政治」を観客席で観るのではなく、本当の意味での「参加」が求められている。その最大のポイントは「社会保障」である。

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[「レフェリーなき競争」不正監視、法整備は後手]
検証「構造改革」(5) 第1部・官から民へ 朝日新聞 2006年7月6日

昨秋、鹿児島県の経済界や住民に衝撃が走った。新規航空合杜のスカイマークエアラインズ(SKY)が「採算が取れない」として突然、羽田-鹿児島など3路線の撤退を発表したからだ。路線誘致のために地元企業30社以上が6億円をSKYに出資し、東京と鹿児島を結ぶ足として期待されてきた。地元企業は「いきなり休止とは馬鹿にしている」と憤る。

いきなり撤退

SKYは不採算路線の撤退と同時に、国内では客数の多い羽田-新千歳便を新設した。路線の新設・廃止の規制は90年代後半に撤廃された。98年に新規参入したSKYはまずは地方路線などで参入し、規制緩和を利用して採算のとれる路線だけに集中させた。それでも国交省に、なすすべはなかった。地元と航空合杜の双方の言い分を聞き、裁定する制度がなかったからだ。危機感を抱いた国交省は昨年12月、羽田発着の地方路線の変更を認めない規定を急ぎ作った。

規制緩和は競争を促して市場を拡大し、消費者に便利さや低価格をもたらす利点がある。ただ、不正の防止や、行き過ぎた効率追求の弊害をなくすには、市場まかせだけでは済まない。適切なルールと、それをチェックする「レフェリー」が必要だ。実際はレフェリー不在の場面が目につく。6月21日未明、愛知県小牧市の東名高速で乗客33人を乗せた夜行バスが前を走るトレーラーに追突、21人が軽傷を負った。このバス会社(三重県四日市市)は昨年、貸し切りバス方式で東京-大阪路線に参入。旅行社インターネットで乗客を募集し、この路線を4300円の格安料金で運行していた。01年に同社の営業所が死亡事故を起こし、近畿運輸局から「乗務員への安全運転の指導・監督が不適切」と指摘されたが、改善報告書を提出しただけで、その後営業を拡大していた。

バス事故倍増

貸し切りバス事業の新規参入は00年に条件が厳しい「免許制」から原則自由に参入できる「許可制」になった。この結果、事業者数は04年までに800社以上増えて約3700社に、バス台数は8千台増の約4万5千台になり、格安料金で長距離運行する業者が現れた。このころから事故も増えた。警察庁によると、貸し切りバスに多く使われるマイクロバスの事故は、規制緩和前の99年の268件から05年には2倍以上の550件に。原因には運転手の長時間勤務や整備ミスなどがあるとみられる。ある自動車メーカーによると、03年ごろからバス脱輪事故の問い合わせが急増したが、原因はタイヤ交換で取りかえるべきボルトをそのまま使い続けたといった初歩的ミスが多いという。

事業者を監視する体制は十分だったのか。国交省の現在の監査人員ですべての営業所に監査に入るとすると、トラックで15年、バスで9年、タクシーで5年かかる計算だ。このため、各地のトラックの業者団体に「身内同士」のチェックを委託しているほどだ。自動車ジャーナリストの三本和彦氏は「公共性が高いバスやタクシーは競争させれば質が良くなるほど単純ではない。規制緩和と同時に十分な安全対策やチェック体制の整備が必要なのに、行政は何もしていない」と批判する。

米は人手5倍

今年、ライブドアの粉飾決算や村上ファンドによるインサイダー取引疑惑などが検察当局の調べで相次いで発覚した。本来なら、金融取引のレフェリー役である金融庁や証券取引等監視委員会が先頭に立って反則者に笛を吹かなければならなかったが、対応が後手に回ったと批判された。市場や民間の活力を重視する政策をとってきた米国では、金融自由化を進める一方、米証券取引委員会(SEC)が日本の金融庁の5倍以上の約3870人体制で金融取引の不正監視や法整備をしている。日本では規制緩和は「カネのかからない経済対策」と受け止められることが多かった。だが、規制緩和を適切に進めようとするなら"コストもかかるし、人事もかかる。そのことを肝に銘じる必要がある。(堀内京子、平野春木)

主な規制緩和と出来事
    規制緩和策                    規制緩和後の出来事
航空:新規参入に伴い新規航空会社の羽田発着枠を優遇(97年)→スカイマークが地方路線をやめ主要幹線に集中、整備士不足も発覚
鉄道:車両や線路などの細かい基準をやめ鉄道会社の裁量拡大(01年)→JR宝塚線(福知山線)脱線事故(05年4月)      
タクシー・トラック:新規参入自由化や台数規制廃止(90年代からトラック、02年タクシー)→運転手の長時間労働や低賃金、事故増加
バス:路線の新設・廃止を自由化(02年)→過疎地の不採算路線の撤退相次ぐ
小売り:大型店の出店規制の緩和(90年代)撤廃(00年)→郊外の大型店増加で中心市街地が空洞化
住宅:建築確認を民間に開放(99年)→耐震偽装事件で民間確認検査機関が偽装を見過ごし
金融:日本版ビッグバン(金融制度改革)で多様な金融商品の販売が可能に(90年代後半)→ハイリスクの金融商品の被害多発

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[「村上代表逮捕」暴走の根は規制緩和]「もうけ主義」に理念なし
経済評論家 佐高 信(さたか・まこと):1945年山形県主まれ。近著に「小泉よ日本を潰す気か!」。
中国新聞 2006年6月7日

村上ファンド前代表村上世彰容疑者の逮捕の報に接して思うのは、彼というエリートのこっけいなまでの独り善がりとその愚かさである。この点では彼は民主党の偽メール問題で国会議員をやめた永田寿康氏と酷似している。二人とも自信に満ち、自らを疑うことがない。これまでの人生において強烈な挫折体験がなかったのだろう。永田氏は旧大蔵官僚であり、村上容疑者は旧通産官僚だった。五日の記者会見で村上客疑者はプロ中のプロなのに」ミスをおかしたといった意味のことを言ったが、永田氏の問題でも私たちが知らされたのは「プロ中のプロ」のひ弱さと無責任さだった。村上容疑者は究極の自己中(心主義者)であるが故に、それを自覚できないのである。

村上容疑者が通産官僚時代の1989年に書いたといわれる幻の政界近未来小説「滅びゆく日本」をコピーで読まされたことがある。「週刊朝日」からのコメント依頼で読んだのだが、上司の説得で出版を断念したこの小説の、自己顕示欲の強さに辞易(へきえき)した。主人公の名前は"上村彰"で「小柄で丹精な顔立ちをしており、その眼光は鋭い」「どぎつい大阪弁でしゃべるが、結構インテリ」「大学時代から株を手がけて数百万の金を手にした」といった設定からも明らかに自身をモデルにしている。その"上村彰"が官房長官となって成立した革新連立政権の首相は、土井たか子氏を思わせる「社会革新党の党首、吉川鉄子」なのだが、この党首が簡単に理念を捨てて転向するのである。

これだけを見ても、村上容疑者が理念などどうでもいいと考えていることがわかるだろう。いや、理念とか理想というものが彼にはわからないのである。会見で「むちゃくちゃもうけた」と言った村上容疑者には、「もうける」こと以外の目標はない。そして、彼にそれを許したのは、小泉純一郎首相と竹中平蔵総務相の限度なき「改革」だった。「規制緩和」が村上容疑者の「むちゃくちゃ」を可能にした。村上ファンドに資金を提供した強力スポンサーがオリックス会長の宮内義彦氏であることは知られているが、宮内氏はまた、小泉首相の進める「規制緩和」の旗振り役だった。

耐震偽装の問題にしても、審査機関まで民営化したことの咎(とが)めが出てきたのであり、村上容疑者やライブドア前社長の堀江貴文被告が踊った証券市場についても、2001年に東京証券取引所を株式会社にしてしまったことと無関係に、こうした不祥事が発生したわけではあるまい。やはり民営化されれば、公平や公正より利益が上になる。そして昨年2月、竹中チームの伊藤達也金融相(当時)は、堀江被告がニッポン放送株を時間外取引で大量取得したことをセーフと言ったのである。そして株価は急騰し、村上ファンドは保有するニッポン放送株の売却で巨額の利益を得たとされる。両者の暴走にお墨付きを与えたわけだが、大臣の責任はどうなるのか。いずれにせよ、小泉政権の全盛期から、これらを問題にしていれば、村上容疑者は増長できなかったと私は思う。

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郵政民営化の次は「教育と医療」と米国が迫る、はたして日本は安心して暮らせる人間の国になれるのか?
*アメリカが驚き喜ぶ郵政民営化!
日本政府に規制改革要望書を提出* 米国通商代表部 2004年10月14日、ワシントンDC
在日米国大使館のホームページ→政策関連文書→過去の文書→規制改革)
国民の安心と安全を放棄する拙速な規制緩和!ニュージーランドの失敗

米国通商代表部のジョゼット・シーラン・シャイナー次席代表は本日、日本政府に対して、最近の日本経済の成長復活と米国企業への市場開放を維持するための幅広い提言を提出した。…ここ数年間にもたらした大きな成果…携帯通話料金の引き下げ、革新的な医薬品における消費者の選択の拡大など…「開かれた競争市場は、わが国と日本との貿易関係にとって大変重要であり、規制改革はそのカギとなる。…」「…われわれは、小泉首相が10月12日に国会での演説で『構造改革なしには日本の再生と発展はあり得ない』と述べたことを、とりわけ歓迎している」…「日米規制改革および競争政策イニシアティブ」(規制改革イニシアティブ)の下で、本日、日本政府に提出された提言は、情報技術、電気通信、医療機器および医薬品、エネルギー、そして競争政策などの主要分野を取り上げている。…その中でも、*小泉首相は日本の郵政事業を民営化する大胆な計画を実行しようとしているが、これは銀行、保険、および速配便の各分野における公正な競争に重要な影響を及ぼすものである。「日本郵政公社の民営化は、市場志向であるべきであり、また市場の参加者全員に公正な競争の場を提供する透明な方法で実行されるべきである」とシャイナー次席代表は述べた。また米国は、(小泉首相の野心的な経済改革案の促進に中心的な役割を果たしてきた)規制改革・民間開放推進会議の努力を称賛するとともに、日本が地域の成長を刺激するため全国各地に規制緩和特区を設置する作業を前進させていることを称賛している。さらに、64ページに及ぶこの文書には、以下の各分野における主要な提言が含まれている。…(*米国の日本政府に対する要望書は毎年提出される)
<ドクターちゃびんの解説>資料:(1)「郵政民営化はアメリカの国益」【ライブドア・ニュース 2005年06月02日】民主党の鳩山由紀夫元代表は2日、ライブドア・ニュースの取材に対し、「郵政民営化は米国の国益のため。民営化することによって、外資系の企業が乗っ取りをかけようとすれば、できなくもない。日本売りは絶対やってはいけない」と語った。鳩山元代表は、日米間で毎年相互に要望する『規制改革イニシアティブ』の中で、郵政公社の優遇面の全面的な撤廃と、保険・銀行・宅配便市場での自由競争の確保が述べられていることなどを根拠に挙げ、「要望書は日本の改革と見せながら、現実は米国が自分たちの国益のためにやりたいことのリスト。民営化は日本の国益にかなうといいながら、米国(の郵政事業)は国営のままで、これは明らかに米国の国益のためにやれと迫っている。その証拠に米国系企業にとってもかなうものだと書いてある」と指摘。さらに「民営化された瞬間にハゲタカファンドみたいに入ってきて、やっつけられたらひとたまりもない」と強調し、郵貯、簡保についても「米国の論理で使われるお金になってしまってはたいへん心配。日本売りは絶対やってはいけない」と述べた。(2)「党との亀裂残して閣議決定された郵政民営化法案」(「FAXでこんにちは! 衆議院議員 森岡正宏」の2005年4月号に掲載)(1) 公社職員27万人は公務員ですが、給与は税金から1円たりとも払われておらず、三事業一体の公社から払われている(2)民営化されると郵貯と簡保はなくなり、一般の金融機関や生保会社と同じ立場に置かれ商品も同じとなる(3)民営化の背後には郵貯230兆円、簡保120兆円の市場開放を狙う米国の金融、保険業界の強い要望を受けた米国政府の働きかけがある。しかし、米国の郵政事業は国営であり、世界中で郵政民営化して成功している国はないということです。(3)日本国政府への米国政府要望書の中に、現在、竹中さんを筆頭に必死に郵政民営化準備室でやっていることが絵に描いたように書いてあるということですつまり、竹中さんが出した郵政民営化の基本方針も、その後の言動もすべて米国政府の手のひらで踊らされていただけだということなのでしょうか!?確か基本方針の素案は竹中さんと麻生さんが2004年8月30日夜に会談した結果を受けて作成されたと報じられましたが、現在の竹中さんのやり方を見ているとほとんど竹中さんの独擅場で作成された可能性が高いと考えられます。そして、その原案は米国政府から竹中さんにもたらされたということになります。竹中さんは以前から「売国奴」と言われ続けており、ネットで「竹中 and 売国奴」と検索すると相当数のHPが表示されますが、もし、これが本当の話であれば、「売国奴」と言われても仕方がないでしょう!!

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[規制緩和で幸せになれるか―ニュージーランドの経験に学ぶ]
(岩波ブックレット458,1998年)より抜粋
内橋克人,ジェーン・ケルシー,大脇雅子,中野麻美:1997.9 シンポジウム

[規制緩和 何をもたらすか] 大成功といわれるニュージーランドの行政改革の実体

@関連文献「草の根から見たニュージーランドの行政改革」
河内洋祐 1997年

…改革は決して日本で伝えられているように国民的支持の下にあるわけではない。むしろ橋本首相が1997年4月にニュージーランドを訪問して改革を「成功」させた秘密は何かと尋ねたところ、ボルジャー首相は「国民にとって何が何だかわからないうちに急速に改革を押し進めたことです」と答えたことに象徴されるように、改革が非民主主義的に行われたところに特徴がある。ちなみに、改革を開始した労働党も行政改革についての公約は一切せずに選挙に臨み、多数党になったところで突然改革を開始したのであった。

…以上概観したように、一連の改革によって、国民は何も利益を受けていないといってもよいと思われる。税金などが下がったことがあったとしても、私的な保険料の増加などを負担せねばならなくなった。これは形を変えた税金に等しい。それだけでなく負担は低所得層により重くかかるようになった。貧富の差はアメリカ並みに拡大した。また、経済担当者の等式には入っていないように見える社会的コストは、堪え難いほどに増大している。社会は不安定度を増し、おおらかだった国民性は今や拝金主義に毒されつつあるように見える。かつては世界のトップレベルにあった科学研究も、後継者は育たず、今までに築きあげた財産を食い潰してやっと息をついている。…

これが大成功といわれるニュージーランドの行政改革の実体である。

<ドクターちゃびんの解説2005年8月>自民党のお偉いさんたちが拝金主義のシンボルと非難した堀江貴文氏を選挙のために利用するに至っては、我が儘や利己主義というより国民をバカにしているとしか言いようがない。なにが何でも郵政民営化を実現しようという政策にたいして、拙速な規制緩和で大失敗したニュージーランドの轍を踏むなという警鐘を広く国民に鳴らさなければいけない。

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[郵政法案を今国会で成立させよ]
日本経済新聞 社説 2005年7月29日

<ドクターちゃびんの解説>内橋克人氏の[すり替えられた規制緩和]にも述べられているように規制緩和の大合唱の旗ふり役をしたのが中央の大新聞などのマスコミです。その典型的な例だと思います。朝日新聞の社説も同じような内容でした。

郵政民営化法案は参院での可決・成立が危ぶまれている。自民党議員のうち十八人が反対すれば否決となるが、どのくらいが反対に回るか読めない情勢だ。否決となれば衆院解散・総選挙が予想され、郵政法案は雲散霧消するだろう。この法案にはいくつか問題があり本来は抜本的な手直しが必要と私たちは考える。しかし小泉純一郎首相が在任するこの機を逃せば、民営化は長期にわたり政治課題にならない可能性が大きい。その社会的、経済的なコストは計り知れない。

機を逃せばコスト甚大

ここは法案を成立させて、民営化を進める中でまともな形に改善するのが現実的な選択ではないか。良識の府、参院に日本経済の将来を見据えた正しい判断を強く期待する。郵政法案が成立しない場合のコストを考えてみよう。まず郵貯・簡保には政府の保証が今後もつく。だから貯金者や契約者には良いかもしれないが、郵貯・簡保を通じ多額の資金が吸い上げられ、その大半が国債や地方債の購入に回される構図は変わらない。国債には財政赤字の穴埋めに使われるものと財政投融資の財源になるもの(財投債)がある。

つまり今の郵貯・簡保が存続する限り、国の一般会計や財政投融資に使える資金は潤沢であり、政治家や官僚、財投機関関係者はそれを当てにする。結果として危機的な状況にある財政の健全化は遅れ、政府系金融機関などの財投機関の改革も先送りとなる。特に、政府系金融機関の改革論議は郵政民営化法の成立を受けて始める予定だ。郵政法案が否決されれば、こちらもほぼ雲散霧消するに違いない。かくして郵政改革の大きな狙いである「官から民への資金の流れの変換」は実現しない。また、郵便局が法人税を払っていないことなど、年間数千億円ともいわれる「見えざる国民負担」も続く。先細りが予想される郵便事業の経営効率化や、利用者へのサービス改善も遠い先の話になる。

さらに、小泉構造改革の本丸とされた郵政民営化が頓挫すれば、仮に現政権が続くとしても求心力を失い、医療制度改革や規制改革、国と地方の税財政改革(三位一体改革)なども失速するか、または官僚主導の、民意を反映しないものになろう。構造改革が後退することの歴史的な損失を私たちは強く憂慮する。政府・与党の郵政民営化法案は完全とはとても言い難いものの、郵貯・簡保を一応、別組織にする点や、職員の身分を非公務員に変える点は前進といえる。有識者による民営化委員会が三年ごとに民営化を見直すのも救いである。したがって二〇〇七年四月に民営化すれば、それなりの効果は見込める。その後、実態をみながら手直しするのは現実的なやり方だろう。

「官から民への資金の流れの変換」という目的に照らして、民営化開始後に考えるべき点は、郵貯と保険の金融二社への政府の関与を早くなくすことである。現法案によれば、政府系機関となる持ち株会社が金融二社の株式を民営化開始から十年間保有し、その後も持ち続けられる。これでは、集めた資金をどう運用するかも含め、金融二社の経営に対する政府の関与がずっと続く可能性がある。それは資金の流れを変えるという改革の目的にそぐわない。それでも、新会社の経営が順調にいくなら、まだ良い方である。政府の関与が強すぎるために、経営がうまくいくのかどうか分からない面があることが第二の問題だ。

民営化後に手直しを

例えば、金融二社は民営化開始から最低十年間は窓口ネットワーク会社との間で業務委託の契約を結ばなければならない。郵政職員の雇用や郵便局網を維持するという政治的要請によるものだ。過疎地の郵便局を維持する目的の地域・社会貢献基金からどの程度の支援を得られるかにもよるが、金融二社は、委託契約によって業務展開の足を縛られ、収益を圧迫されるかもしれない。また、政府の影響下にある持ち株会社が郵便、金融事業を含め一体経営する体制では、郵便事業の収益が悪化した場合に、政府の意向により金融事業の収益で実質的に郵便事業を支援することにもなろう。その時は、金融二社がしゃにむに新事業に乗り出すなどして他の民間企業を圧迫する事態も予想される。

こうした問題を避けるため、持ち株会社は金融二社の株を完全に処分すべきだし、その時期も民営化から十年後の一七年より早いほうがよい。現法案でも一七年より早く処分できるとも読める。それを含め民営化後に手直しする余地はある。必要なら再改革の法案も検討すべきだ。参院では法案再修正論もあるが、改革の内容をさらに後退させるような修正を念頭に置いており賛成できない。現法案を可決し、郵政改革の端緒を早く開くよう望みたい。

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[すり替えられた規制緩和](内橋克人)
[ニュージーランドで何が行われたか](ジェーン・ケルシー)

→「規制緩和 何をもたらすか」
内橋克人,ジェーン・ケルシー,大脇雅子,中野麻美:
(岩波ブックレット458,1998年)

【目次】
はじめに(中野麻美)
すり替えられた規制緩和(内橋克人)
ニュージーランドで何が行われたか(ジェーン・ケルシー)
ディスカッション ルールを決めるのは私たち(司会 井上礼子)
おわりに(中野麻美)

はじめに(中野麻美)

 ・・・この小冊子は・・・九七年九月のシンポジウム「規制緩和で幸せになれるか―ニュージーランドの経験に学ぶ」の内容をまとめたものである.ニュージーランドから世界に警告を発し続けているオークランド大学教授ジェーン・ケルシーさんと,日本で一貫して規制緩和に対抗して論陣を張り続けてきた内橋克人さんをメインゲストに,広い視野から問題の本質に迫る論議がなされた.これを未来に希望をつなぐ理性と力にしたいと思う.・・・

すり替えられた規制緩和(内橋克人)

 ・・・規制緩和をやらなければ日本は世界に遅れていく、国際競争力が弱くなってしまう、景気は回復しない、新しい産業フロンティアも開けない、そういう雰囲気がどんどん作られております。

 恋愛は美しき誤解によって成立し、結婚は真実を見る目によって破壊されるといいますが、日本におきましては規制緩和に関しましても、美しき誤解によって、一世を風靡しやがて地獄を見ることによって初めて人々はその本質を知ることになるのではないでしょうか。・・・

 ところが、官から民へ、という権力の再配分の向かう先は、民は民でも市民ではなく巨大な民間企業に権限を移そうという方向であり、それがあっという間に進んでしまいました。国家権力の再配分先には市民はいうまでもなく、中小零細企業も、中小零細な商店も入っておりません。

 つまり規制緩和によってダメージを受ける当事者がすべて排除されたまま政策プログラムは進んでいるのです。その本質を一言で申しますと、いま進みつつある規制緩和とは経団連傘下にある巨大なる企業にとっての企業行動完全自由化要求運動にほかならないというべきです。経団連とは、いうまでもなく、五五年体制下の自民党支配を政治献金などによって支えた財界の組織です。私はこの現実を「すり替えられた規制緩和」と呼んでおります。

 四〇年間、日本経済を見てまいりました私には、長らく経団連が主張してきたことが今、規制緩和の名の下に、一挙に、あれもこれも実現されようとしていることが、とてもよく分かります。権力の多くが、官から民へと移る代わりに、官から業へ移っているというのが偽らざる実態です。・・・

 現代日本社会を覆っている行政、官僚に対する反感と反発、批判、これを追い風としているということです。要するに日本の行政組織と官僚が悪いんだ、これを征伐しなければならないという。こうした一般社会の雰囲気を追い風として、いつの間にか規制緩和は社会的正義となった。・・・

 それとともに、行政独裁に代わって、アッという間に市場競争原理至上主義が登場し、今度は「自己責任原則」というスローガンが掲げられるようになりました。この二つは、むろん裏腹の関係です。いま進みつつある規制緩和のもとで、庶民に強要される「自己責任」とはどういうものか。

 たとえていえば、従来ですと、自宅が強盗にやられたと致しますと、悪いのは強盗だと誰もが考えた。ところがそのうち今度は、いや、鍵を掛け忘れたお前も悪い、ということになり始めた。お前も悪いといっている間はまだよかったのですが、今ではさらに、鍵を掛け忘れたおまえが悪い、と被害者の方が責められる社会が来ようとしています。・・・

 いうまでもなく、真の意味での、規制緩和は進めなけれなりません。あまりにも過剰に行政官僚の手に集中した権限、すなわち規制というものを取り払つて、権限を市民の手に移していかなけれなりません。そのための規制緩和は、必要です。しかし、残念ながら、その規制緩和があっという間にすり替えられて、政、官、業の内輪の、権力の仲間回しの規制緩和が進んでいると指摘したいのが私の二番目の主張です。・・・

 やはりNHKの番組で、私はある規制緩和論者と討論致しましたけれども、その時、彼が持ち出してきたデータは、多くがこの生産性。国際的に見て、日本の流通業界の生産性がいかに低いか、というものでした。私は、では、あなたのおっしゃる生産性の数値の中に、何が入っていて、何が入っていないでしょうか、と反論したわけです。

 たとえば、地域の商店街は、過去、どのような形で地域社会とつながってきたでしょうか。たとえば祭りをやる、お御輿を担ぐ、これなど生産性の数値からすれば、マイナスばかりです。私が今住んでおります地域におきましては、いまだ御用聞きがあります。電話によって、御用聞きをする、あるいは奥さんが午前中、住宅街のお得意さんを歩いて、その日の注文をとってきます。そして、魚の半身一枚、夕刻に届けて来る。

 私は別にその事だけが大事だといっているのではありません。そのような地域社会をケアする、という営みは、生産性という数字の中のどこにカウントするのか。地域杜会に貢献すればするほど生産性などという数値はマイナスになってしまう。地域の商店街の果たしてきた社会的役割について、そのような経済学者はどう考えているのか、それを問うているのです。以上のような現実は、経済学者のいう生産性という数字のどこに入ってくるのでしょうか。・・・

 それは、ケインズ理論を基礎とするニューエコノミックスに対立して、ミルトン・フリードマン米シカゴ大学教授らによって唱導されつつ登場し、たちまち全米の学会を席巻するに至る学派ですが、何よりも、自由な価格機能の復活、市場機能の絶対視、通貨供給量の重視、そしていわゆる「小さな政府」を最善のものとする理論において、他の学派とは決定的に違っていること、などに特徴をみることができるでしょう。

 一言でいえば、何事も市場に委ねさえすればうまくいく、市場機能の働きによって最適の資源配分が達成される、というもので、雇用・労働もまたその例外ではありません。・・・

 市民社会的規制も含むあらゆる規制の撤廃、つまり「例外なき規制緩和」という言葉こそ、以上に述べてきたような事情の集約的表現であったことがよく理解できるのではないでしょうか。

 こうして「市民主義」に対峙できる「市場主義」が時代の思潮として、日本経済の主流をなすような財界人の世界に、激しく台頭することになりました。「市場主義」こそ、以上に述べてきたような、すべての条件に適合していたからにほかなりません。それはまことに力強い大衆説得力をも兼ね備えた学説であり、反官僚、自由、開放、自立の代名詞として押し立てるのにもっとも好都合の思潮でもあったからです。

 加えてバブル崩壊後の、深刻な不況からの脱出を願う中小零細な企業家たち、また一般サラリーマンの人々への説得性においても抜群の力を発揮する思潮でした。当初、規制緩和が見事な「万能論」として登場してきたのはこういう歴史的背景によっていたということができます。この戦列にただちにマスコミが馳せ参じたことは繰り返すまでもありません。規制緩和はマスコミにとってもまたお誂え向きのスローガンでした。やがて運動は「改革」のキャッチフレーズのもとに集約化され、高揚し、結集されていくのですが、いまにして振り返ってみれば「改革」の真意とは何であったのか。

 医療改革ひとつ、改革という名の国民負担の増大にほかならなかったことが、もはや見事に証明されている、といえるのではないでしょうか。

ニュージーランドで何が行われたか(ジェーン・ケルシー)

 外国の方々にお話しするときに、ニュージーランドの経験から得たもっととも重要な教訓としてお教えしたいことがあります。それは、規制緩和のなるべく早い段階で、開かれた、活発な、しかも十分な情報に基づいた議論の場を持たねばならないということです。ニュージーランドではそれがありませんでした。・・・

 聞くところによると、現在日本では規制緩和への大きな力が働いていて、多くの人々は規制緩和を良いことだと信じているようです。とくに、官僚があまりに力を持ち過ぎていると大方の人々は考えています。しかし、大切なことは規制緩和とは官僚から市民に権力を移すことではないということを理解することです。それは、社会のエリート層の集団内での権力の移動であり、個人や市民のコントロールの及ばない経済エリートと世界市場の手に権力を与えることを意味しているのです。規制緩和は市民の力を強めるのではなく、資本と市場を強化するのです。これこそがニュージーランドの経験でした。・・・

 経済は危機状態にあり、だからこそ変革が必要なのだというのが彼らの主張です。経済は危機だと聞かされるたびに、より多くの人々が本当にそうなのだと信じるようになりました。これは単にニュージーランドだけの現象ではありません。規制緩和に取り組む政治家や官僚を結集した国際的な研究が行われていて、政策実行のための共通の筋書きがあるのです。それによれば、議論をリードする中心的な政治家、官僚、民間人を持つことが非常に重要だとされています。また、ある種の危機感を創出し、人々に他に方法がないと信じさせることが大切だともいっています。さらに、いったん規制緩和のプロセスを開始したら、できるだけ急速に、できるだけ多くの政策分野で事を実行しろと述べています。国民が先週の変化について考えている間に、来週の変化を準備せよというわけです。そうなれば国民はいつも状況対応で、決して議論をリードすることはないというのです。・・・

 ニュージーランドの革命のリーダーたちは今、世界を回って、彼らがいかにして変革を実行したかを各国政府に説き、同じ道を歩むように説いて回っています。彼らはよくいいます。「国民は、何が彼らのためになるかがわからない。だから、事前に事を知らせてはいけない。規制緩和の価値は、それを実行しなければ理解できないのだ」と。このような姿勢がわが国における民主主義の危機を招きました。ところが、あまりに多くの権力が民間部門に移されたため、私たちが勢力を盛り返し、民主主義的政権を作ったとしても、私たちの生活に影響を与える多くの分野で政府は力を行使できないのです。・・・

 貧困という言葉は、ニュージーランドでは一九八四年以前には使われませんでした。何年にもわたる規制緩和の結果、貧困状態で暮らすと見られるニュージーランド人の数は、一九八九年から一九九二年にかけて三五%増加しています。つまり、これらの人々が基本的生活水準に達していないのです。手許にある一九九三年の最新の統計では、六世帯の内一世帯が貧困状態にありますが、子どもの場合は三人に一人が貧困状態で暮らしています。ニュージーランドの若者の自殺率が、OECD諸国のなかで最高なのは驚くにあたいしません。・・・

 こういうわけで、ニュージーランドの規制緩和は成功だったという人に対しては、誰のための成功なのかと問いかけます。規制緩和は、私たちの社会を危機に陥れました。多くの人々と家族の生活を破壊し、約束していたはずの経済繁栄はどこにもありません。彼らは長期的な幸福のためには、短期的な痛みは仕方ないといいました。私たちは散々痛めつけられましたが、幸福がやってくるとは思えません。

 こうした経験を日本で回避することは可能です。しかし、そのためには実状をしっかりと知り、大胆に発言し、そのためのリスクを恐れない心構えを持たねばなりません。そして影響力と力を持った人々が、女性や、少数者や、力を持たない人々といっしょに声をあげる決意が必要なのです。孤立の中で闘っても勝利を得ることはできません。連帯してのみ、勝つことができるのです。そして、なるべく早い段階から闘いに立ち上がることが大切です。ニュージーランドでは、一三年の革命的変化の後で、元に戻ることは不可能です。また私たちの多くはそれを望んでもいません。旧来の官僚制と、福祉国家と、経済体制には多くの問題がありました。私たちに今必要なのは、まったく異なった、私たち自身の世界に向かって、いかに前進するかということです。

 みなさんには、私たちのような状況になる前に、違う道を行くチャンスがあります。そこで一番大切なことは、単に規制緩和に反対するだけの議論ではなく、あなたがた自身のオルタナティブな道、日本の民衆の利益に合致する、よりよい道を提案することです。それに向けてみなさんが建闘されることを祈ります。・・・

ディスカッション ルールを決めるのは私たち(司会 井上礼子)

 内橋・・・こうして「社会的規制」も含む「例外なき規制緩和」がどうしても必要だ、ということになり、世論づくりが強烈に盛り上げられていった、ということです。・・・

 併せて中小零細企業の領域もゲートレス(垣根をはずす)な状態での開放が迫られた。そのためには「調整の思想」(中小企業の事業領域に大企業が資本力にものをいわせて殴り込みをかけたりしない、という考え方)もまた御破算にする必要があった。新たな利益チャンスの源泉を求めて、ということになります。

 第四に、すでに触れてきましたように行政独裁ともいえるこの国の政治の現状に対する市民の強い反発があり、それも強い追い風となった。すでに指摘したところです。

国民の間に高まる、このような空気を追い風として「官僚征伐」の装いも凝らした規制緩和が、急速に社会的正義へ、と昇華されていく。むろんその実態は、官僚製規制緩和が進行しているにすぎなかったのですが・・・。

 ケルシー ・・・この問題で私たちが人々に訴えようとしているのは、規制緩和を止めるのに政党や政府に頼っていてはだめだということです。政治的力を持ち、国の内外に連携を作り出すような新たな道を探らなければなりません。そして規制緩和によって権力を得ているもの、つまり政府ではなくて国際的な資本に対して圧力を加えなければならないということです。・・・

 規制緩和の推進者たちが、構造調整策と規制緩和を経済政策における技術的進歩と考えているのに対し、人間的価値を取り戻し、社会の現実とそれに対する責任を問題にしていくことが私たちに課せられた任務です。それは可能だと私は信じているし、その確信を持たなけれれば目的は実現されないのです。・・・

 内橋 いま、進みつつある規制緩和の政策プログラムの背景に市場競争原理至上主義の経済学がある、ということを話してまいりました。その核心をなすものは古典的な「商品交換の自由」であり、いわばその"お化粧直し"が季節はずれの花盛りを呈しているのが現状ではないかと思います。・・・

 このように営々として、真の自由とは何か、真の人間の尊厳を守るための権利とは何か、その確立に向けて人々は努力してきた。これがすなわち自由の歴史であるわけです。

 戦後日本においても、同様の苦労と引き換えに、さまざまな労働に関する基本権を獲ち取り、長い時間をかけて労働に関する基本的な権利が確立されてきました。それがいま、これまで述べてきたような経緯から、見事にご破算になろうとしている。まさにいま進もうとしていることの真の意味がここにある、と思います。

 こう見てきますと、マスコミの責任というものがいかに重いか、よく分かります。このような規制緩和万能論の旗振り役を、もっとも熱心に、かつ積極的に果たしてきたのが巨大ジャーナリズム、なかでも中央の大新聞各紙であったことは明らかだからです。・・・

 ケルシー もう一度、一つのことを強調して、終わりたいと思います。つまり、規制緩和と人権および社会的責任は両立しないということです。政府は今、規制緩和に関連して、人権と社会的正義の分野でみずからの果たす役割はないといっています。自由市場がすべてを提供するのであり、その中では個人が自分の生活に責任を持つのだというのです。

 しかし、振り返って見れば、一九世紀の自由市場と今世紀の資本主義が、基本的人権と社会正義を実現できなかったからこそ、その責任を各国政府が担うようになったのです。・・・

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[<道路改革>何のための民営化か]
朝日新聞社説 2003年12月23日

借金でつくり、利用料金で返す。この仕組みを続ける限り、将来世代背負いきれないほど借金が積もる。道路公団民営化のねらいは、高速道路建設を別のシステムに変えて、そんな事態を避けることだった。政府と与党が決めた民営化の枠組みで、その目的を達成できるだろうか。とてもそうは思えない。整備計画に盛られた高速道路は、全部つくれることになった。

整備区間の残り約2千キロをつくるのに20兆円以上かけるはずだったのを13.5兆円に削ったのは評価してもいいが、厳しい財政状況のなかで当然の見直しといえる。逆に、こうあっさり削られると、当初の建設費の算定を疑いたくもなる。見過ごせないのは、民営化計画の核心部分に「危うさ」があることだ。新会社は将来の通行料金を担保に、みずから資金を集めて新規路線を建設することになっている。

普通なら、採算が合わないような投資は資金調達が難しい。しかし新会杜は公団の資産・債務を引き継ぐ機構からの委託でつくり、そこに引き渡す仕組みなので、貸す方は安心感がある。資金調達の面からどれだけブレーキがかかるか、心もとない。新会社が新規建設を拒否したときは国交省の社会資本整備審議会でどうするかを判断する、というのも問題だ。道路建設の推進役だったこの審議会に歯止め役を期待できるだろうか。この政府案は、民営化のあり方を審議してきた民営化推進委員会の主張とは、おおきな隔たりがある。その最たるものは、通行料金を借金返済に回すか、新規建設に役立てるか、の相違だった。推進委員会の多数意見はあっさり、退けられてしまった。それだけではない。年間6兆円の道路特定財源を使った「新直轄方式」なるものが採用された。採算がとりわけ悪く、新会社も担えないような高速道路は税金でつくります、ということだろうか。しり抜けもいいところだ。

そもそも、親方日の丸の公団に歯止めをかける枠組みづくりを、その元締めである国交省にまかせるというやり方がおかしかった。そのうえ道路特定財源にもメスをいれられなかったとなれば、官僚と族議員に振り回されるのは当然と言えよう。鳴り物入りで就任した推進委員会のメンバーは、2階に上げられてはしごを外され上た形となった。小泉首相は、石原国交相が最終案を示したところ、「まあ、こんな感じかな」とつぶやいたという。そこには、2年前、道路公団など特殊法人改革を打ち出したときの姿勢はみじんもない。「計画通り全部やったら、どこまで国民、負担が重くなるかわからない」と発言していたのはだれだったのだろうか。

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[「財産税」で見えてきた改革]
桂小米朝の新私的国際学 産経新聞 2003年6月15日

「財産税」「預金封鎖」、こんな言葉が雑誌に載り出した。4月下旬の「週刊ポスト」に始まり、今週は「週刊現代」や「SAPIO」にも登場した。7百兆円とも言われる国の借金を、千4百兆円に達する国民の個人資産から奪取して、チャラにしようという財産税の導入。税率は20%とも30%とも噂されている。来年(2004年春)の紙幣刷新の時期に合わせて実施するとね…。例えば「3月1日をもって、今の紙幣は使えなくなる」と発表し、国民が金融機関に預けたところで、その資産に税金をかける。また、手持ちの旧紙幣を新紙幣に交換するときには手数料という名目で取られてしまう。「実際、そこまではせえへんやろ」と反論する人もいるだろうが、日本には前例がある。昭和21年、GHQ(連合国軍総司令部)の管理下で、ときの政府は新円切り替えと預金封鎖を実行した。当時の財産税の税率は25〜90%。ハイパーインフレを誘発し、国と銀行の借金を帳消しにした。

1985年から1990年に至るバブル経済によってもたらされた今回の"第二の敗戦"。官僚機構を温存したまま国を救うには、この手法しかないのもまた真なり。小泉首相が言う「痛みを伴う改革」の中身が見えてきた。国際金融財閥の手先となって働くエリート官僚たち。「所詮、われわれは彼らの領民である」という意識を持とうではないか。彼らは実にスマートに計画的にコトを運ぶ。昨年8月2日に日本の紙幣刷新を発表して以来、8月5日に住基ネットを稼働させ、銀行には「名寄せ」と和する個入財産管理を推進させ、ATMのメーカーには新札への対応準備を今年の11月までに完了するよう要請している。ユーロやドルに換えて所持してもほとんど意味がない。唯一の庶民の抵抗は、新札発行の予定がない2千円札でタンス貯金をしておくことだ。これとて、不人気を理由に使用停止にされたらおしまいだがね…。(毎週日曜日に掲載)

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[<下水道整備>第2の高速道でいいのか]
朝日新聞「私の視点」 2003年1月20日

道路に次いで2番目に大きな公共事業が下水道である。整備の遅れた社会資本として、下水道建設には巨額の税金が注がれてきた。その結果、早くから事業に着手した東京、大阪などの大都市を除き(軒並み赤字事業といっていい。地方財政の借金のかなりの部分を下水道事業の起債が占めている。大都市にしても、ほとんどが合流式下水道のため、その抜本対策には巨額再投資が必要になる。
最近の下水道建設費は1戸当たり700万円かかることも珍しくない。従って人ロ10万人の市町村の場合、事業年度が数十年にわたり、1千億円を超える事業になるものもある。こうした状況下で漫然と事業を計画すれば、取り返しがつかない事態になる。昨年11月29日付本欄で往々木誠造・青森市長は、下水道整備を「住民が主体的に判断して選択、決定すべきことだ」と述べた。その通りだとは思うが、採用する処理技術を含め地域に応じた整備手法の自主性は全くと言っていいほどないのが現実だ。ほとんどが国、下水道事業団のお仕着せ事業である。地方も国からの補助金をあてにして安易な選択に慣れてしまった。その安易さが起債を増やし、債務返済にあえぐこととなる。
どうすればいいか。個別処理方式の合併浄化槽の分野で、技術の進展が著しい。集中処理方式の下水道はかつて「文化のバロメーター」とさえ言われたが、その歴史的使命を終わらせ、過去の遺物にすらしかねない勢いである。その昔、ヨーロッパで伝染病が猛威を振るい、し尿汚物を出来るだけ遠くに捨てる下水道という技術が発明された。しかし現在は、発生源の近くで良好に汚水を処理することが可能になり、処理水を資源として再利用可能にした。その性能と耐久性は下水道を凌駕する。しかも安価だ。個別処理の合併浄化槽で自治体が責任を持つ面整備手法を採用すれば、国の補助金もあり個人負担は20万円前後だ。市町村の持ち出しは30万円程度であり、起債をしなくて済む。処理性能、耐久性を下水処理場と同等と設定し、建設費と維持管理費用を比較すると、下水道の建設費は1戸当たり700万円に対し、個別処理方式は100万円で約7分の1。維持管理費は約5分の1である。
個別処理方式に対しては様々な批判がある。@処理性能が不安定で良くないA維持管理は民間が行うから信用できないB耐久性がないーおおむね「あんなもの」といった案配である。これらは最近の個別処理技術の進歩を知らない議論であり、過去の浄化槽に対する印象でしかない。処理性能などの問題にきちんと責任を取らせることを前提に、競争原理のもとで民営化すれば、「経済性はともかく」と等閑に付して「下水道の方が優れている」などとは言っていられまい。下水道事業管理者は民営化されても個別処理に十分対抗していくだけの自信があるのだろうか。個別処理も視野に入れよという経済財政諮問会議での意見は、財政問題だけでなく、環境対策上の総合的視点で見ても正しい。下水道事業は第2の高速道路問題になりかねない。道路の次は下水道の民営化でないと誰が言えよう。

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[竹中流改革「カジノ資本主義でいいのか」]
朝日新聞「私の視点」2002年3月1日
作家 高杉 良(たかすぎ りょう)

1年ほど前、私は大阪で関西の財界人を前に、「日本経済はアングロサクソン・リセッションに陥っている」と話しました。今日の不況はアメリカによってもたらされたとの意味合いのほか、歴代為政者のアメリカ一辺倒を、私製の造語で皮肉ったのでした。当時は森内閣でしたが、席上、私は、小渕内閣以来の経済政策ブレーン、竹中平蔵・慶大教授(現・経済財政担当相)を名指しで批判したことを忘れていません。竹中氏は「バブルの清算は2年で終える」と答申したあの小渕内閣の経済戦略会議メンバーですが、そんな短期間に、積もり積もった不良債権を処理するよう銀行を仕向ければ、金詰まりが広がり、倒産は増え、消費もしぼんで、不況が深刻化するばかりだと案じたものです。しかし、竹中氏は、弱い企業を早く市場から退出させたほうがいいと論じ、IT革命が日本を救うと旗を振ったのでした。私には、アメリカでの流行を追っただけの主張に思え、先の会合では竹中氏ら何人かの経済学者、評論家の名を挙げ、「国賊」という、はしたない悪罵も口にしましたが、財界人の反応は冷ややかでした。デフレの現実を前に、人員整理をどう進めるかの方が切実な問題だったのでしょう。

私は、このところずっと証券や銀行を舞台にした小説を書いており、この間、何百人もの官民の関係者に取材してきました。日本経済に猛烈なバブルをもたらすきっかけとなる85年のプラザ合意の裏に何があったのか、邦銀の融資総額に対する自己資本の比率や保有株式の自己資本算定基準を細かに定めるBIS規制がなぜ突然浮上したのか、金融ビッグバンをなぜあれほど急いだのか。ブッシュ大統領の訪日に合わせ、日本国債の格付けを昨年末に続いて、もう2段階引き下げる意向を示した米系格付け会社の狙いは何なのか。解明し切れないことばかりですが、私はそこに、アングロサクソン、つまりアメリカとイギリスの金融界の意思を感じてなりません。日本の株価が下がり続けるなかで、日本の投資家は死屍累々です。しかし、日本売りを戦略とする米系投資会社や外資系証券はこの間もカラ売りにより巨額の利益を上げている。竹中氏は、雑誌「プレジデント」に「竹中平蔵大臣の『構造改革』日記」を連載していますが、最新号に「ハイリスク・ハイリターンの時代が到来した」と書いています。会社なども定年までい続けずに、「リスクを冒す勇気」を持てというのですが、ブローカーならいざしらず、国民に"カジノ"を奨励せんばかりの国務大臣など、いたためしがない。竹中氏が日本マクドナルドの未公開株を譲られたり、国会で地方税納税にからんで追及されたりしたのは、リスクだったのかと半畳*の一つも入れたくなります。

「マーケットに聞け」が竹中経財相の常套句です。しかし、日本のマーケットは、先述のように、株式も債券も、外資のカラ売りなどでいいようにもてあそばれているのが現状です。それでもいいというのであれば、その理由を説明するのが先決で、マーケットが間違っていることを立証しろと反駁するのは言いがかりというものです。いかに巨額でも銀行への公費投入は必要でしょう。しかし、構造改革は時間をかけて進めるべきです。映画「男はつらいよ」のタコ社長は、手形の決済に追われながらも、気を遣うのは常に従業員のことでした。弱肉強食、勝った者の総取り、ハイリスク・ハイリターンの無理強いは日本社会を間違いなく破壊します。

(ドクターちゃびんの解説)*【半畳】昔の芝居で、見物人に賃貸しした小さな四角い畳、又はござ。【半畳を入れる】(歌舞伎で「半畳」を舞台に投げて役者の芸に対する非難を示したことから)やじる。からかう。(新潮現代国語辞典)

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[構造改革「豊かさを分かち合う方策も」]
朝日新聞2001年7月21日
京都大学教授(経済政策) 橘木 俊詔(たちばなき としあき)

わが国の失業率は、不景気なので仕事が見つからないだろうと、求職をあきらあて家にいる入(潜在失業者)を含めれば、10%に近づいている。公表失業率(約5%)より実態はもっと深刻である。潜在失業者は、既婚女性、高齢者、若者が中心で、失業深刻度は、確かにやや低いが、勤労希望は確実なので、社会が仕事を用意したほうがよい。この時期に経済構造改革論議が盛んである。不良債権処理を進める過程で、さらに失業者が増えるといわれる。わが国の改革案を他国と比較した上で、改革が実施されたときの「功罪」を考えてみたい。構造改芭に成功した先進諸国の方策には大別して次の二つがある。第一の代表は、1980年代英米のサッチャー首相とレーガン大統領によるもので、規制緩和、競争促進、社会保障削減などが根幹をなす。いわば民間活力育成策である。第二の代表は、80年代から90年代にかけてのオランダ、デンマーク、スウェーデンなど、政府・経営・労働の三者合意にもとづく「豊かさを分かち合う」方式である。公共部門が様々な分野で積極的な役割を果たし、国民の敗者(倒産や解雇による失業者など)の数を最少にしたわが国は明らかに第一の方策を目指している。米国を模範とする伝統が戦後長い間続いたし、90年代の米経済の絶好調もそれを助長している。さらに、日米の緊密な政治・経済関係から、米国からの有形・無形の圧力も無視できない。第二の方策は、たとえばオランダでは、ワーク・シェアリング(フルタイマーの労働時間と賃金を削減する政策)の導入によって、パートタイマーの雇用拡大を図った。デンマークでは、公共部門が失業者の職業訓練に積極的に取り組んだ。スウェーデンでは、経営不振の銀行を一時国有化して再建に成功した。さらに国民の教育水準を高めるために公費を多く支出した。これらの財源は、高所得者に、より多くの負担を求めた税収が中心である。

第二グループの国は生産性が向上し、失業率の削減にも成功した。これらの国では恵まれた人々(たとえばフルタイム雇用者や高所得者)が、なにがしかの犠牲を容認したのであり、「豊かさを分かち合う」方策となるのである。わが国でも規制緩和、競争促進が必要な分野は数多くある。しかし、効率性のメリットを打ち消して、敗.者の増大や、貧富の格差拡大もありうる。わが国は弱者と敗者を立ち直らせる失業保険制度のようなセーフティー・ネットや社会保障制度は未成熟である。また、貧富の格差が拡大し、.所得税の累進度の緩和や消費税の存在が相まって、再分配効果の弱体化が進んでいる。セーフティー・ネットヘの手だてや税・社会保障制度の見直しが同時にないと、規制緩和、競争促進、財政再建といった改革は、失業問題をより深刻化し、貧富の格差を一層拡大しかねない。もともと、第二グループの国々は、所得分配の平等性は、ひじょうに高かったが、改革によって、英米は所得分配がかなり不平等化した事実は無視できない。ここでの私の主張は、わが国の構造改革は、第二の方策も同時にとりえないかということである。ただ、第二グループは小国なので国民の連帯感が強く円滑に進んだが、大国日本では恵まれた人たちが、「豊かさを分かちえない」と反旗を翻すかもしれない。効率性と公平性をうまくミックスさせる構造改革が、理想と思われる

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