彼は、見舞いに来てくれた学生さんたちに、自分のことを、 ”真理の大海を前にして、砂浜で貝殻を見つけ、無心に戯れる小さな幼児”に たとえました。 それは、いろんな発見をしてきたにもかかわらず、自分がやってきたことは、 真理の大海はこんなにも深く大きく果てしなく続いているのに、 砂浜で小さな貝殻を見つけたぐらいに過ぎないとい意味でした。 でも、彼が本当に言いたかったこと・・・。それは、大海を前にして無心に戯れる 幼児のそのけがれのない魂こそ、真理の大海に挑むことのできる唯一の安全な船なのだと ということではなかったでしょうか。私には、エピソード1に出てくる少年アナキンと、 ニュートンがいった”砂浜で戯れる小さな子供”とが、妙にダブります。
辺境の惑星で、がらくたを集めて、ロボットなどを作っている彼は、砂浜で小さな貝を 見つけて遊ぶ子供と似ています。彼は、ジェダイに見いだされて、今、宇宙の大海へと 漕ぎ出しました。映画はここで終わるのですが、アナキンはこれから先、どのように 宇宙の大海に挑んでいくのでしょう?。ジェダイが自分の後を継ぐ者として、彼を 元老院の前に連れて出ます。でも、元老院たちは、彼がジェダイになることのに 反対します。>彼は育ちすぎていると・・・・・。ジェダイになるための一番の条件は 小さな幼児がもつ、けがれなさなのでしょうか?。でも、アナキンはもうりっぱな少年に 成長してしまっています。それでもジェダイは彼を推します。そして、それがジェダイの 遺言になるのです。それで、元老院もしぶしぶ認めてしまいます。
元老院は、たった一人の身内である母親と離れていかなければならなかった、その小さな
少年に、こういいます。「母と離れて、寂しいか?。寂しさは悲しさを
うみ、悲しさは憎しみをうみ、憎しみは苦しみをうむ」と・・・・・。
まるで、これからのアナキンの未来を暗示するかのような言葉ですね。
人間の業というものは、どんなに時代が流れようと、決してなくなるものではない
のでしょうか。至福と絶望、愛と憎しみ、生と死、瞬間と永遠、醜さと気高さ、そういった
両極端の間を絶えず振り子運動のように動揺し、振り子運動の無限軌道を示し
続ける。まるで、変転極まりない大宇宙の象徴のように・・・・・
その中にあって、けがれのない魂はまるで奇蹟の星のよう・・・・