051110 幼児期 (すぐ肺炎)
※2007.3.21追記・改訂
風邪をこじらせ、気管支炎や肺炎になることも多かった。
こじらせるといっても、特別な無理をしたわけでもなく
ちょっと「しつこめ」の風邪が長引いただけで簡単に
といった感じだった。
肺炎となれば即入院。「いまだったら耐えられるかな?」
って思うくらいな40度の高熱も。
度々のことだったので、記憶にも鮮明に残っている。
だいぶ良くなったと思っても、レントゲンの影が完全に消えるまでは、退院させてくれない。
実際少しでも影が残っていると、ちょっと院内をウロウロしたり、夕方になったりしただけで、7度そこそこの微熱が出たりも
入院が長引いたときは、学級会などで
「nori君にお手紙を書きましょう!」
なんて流れにもなるみたいで
クラスのみんなから、お見舞いの手紙なんかを頂いたこともあった。
いまでも思い出すと笑える、手紙のフレーズが。
(記憶に残っているぐらいだから、自分でも印象深かったのだろうと)
フレーズ1
『nori君お元気ですか、僕は元気です』
元気だったら、入院してませ〜ん!(^o^)/
フレーズ2
『ぼくは、はやく走れます。nori君はどうして走れないのですか?』
お見舞いついでの質問は受け付けません〜!(^o^)/
お子ちゃまの「悪気無き純粋さ」炸裂。。。(^0^*
ところであの頃の「黄色→透明」の点滴はビンで出来ていた。
(最近はビニール製の点滴ばかりだなあと思って、って関係ないか…)
それと結構当時は、ブドウ糖の注射なんか打ってくれたけど
最近、風邪で注射を打ってもらった記憶ナシ。
そういえば「自家中毒(風に伴う強烈な嘔吐と下痢)」
ともよく診断された。
最近はあまり使われぬ病名(呼称)だろうか?。
「周期性嘔吐症」「アセトン血性嘔吐症」などとも呼ばれているみたいだ。
ただでさえ食が細いところ、自家中毒になると何も受け付けなった私。
好物だったイチゴや食べやすいゼリー・缶ミカンを買ってきてもらったり
栄養になるオジヤやスープをイヤイヤながらも食べさせられたなーと。
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