このように、病気のことを語れるようになったのは、つい最近だと思う。
小学生から通い始めた病院(ミオパチーの外来)は高校生で行かなくなった。

通学で精一杯だったことも理由だが

「どうせ治らない病気なんだから」

というあきらめとも開き直りともつかぬ感情があったのだと思う。

実際、20代半ばまで病気自体に背を向けていた。
もちろん、常に意識せざるを得ないんだけど、それについての思考を完全に止めていた。

今考えると現実逃避をしていたのかも知れないし、そうできた事は、ありがたかったとも思える。

20代半ば頃から、身体の変化を感じ始め、自ら通院を再開した。それにより新たな事もわかった。動揺もしたが、これを機に「冷静に病気を知ってみよう」と考えた。

本やインターネットの文献(医者向け・学生向け・患者向け)をランダムに収集し、読み比べ、分からないなりに理解してみた。「必死に」というよりは、久々に「楽しんで」勉強していた感じだった。実際、客観的に興味深く思えることばかりだった。

「あえて知ろうとする」事で、厳しい現実を突きつけられる場合もあるかも知れない。ただ少なくとも知ることで、自分の可能性が狭まることはないだろう。必要と思うところだけ、信じればよいと思う。お医者さんにも分からないことは、まだまだあるんじゃないだろうか。

他人から病気について問われた時、最低限の説明が出来れば、誤解を受ける事も減るしね。

病気を知ろうとした事で私が得た一番の成果は、ネット検索を通じて、同じ病気を抱える「ミオパチー戦士」達のサイトと出会えたことだ。

それぞれの立場で、皆、奮戦している事を知り、勇気づけられたし、闘志も湧いた。

このブログはその出会いがなかったら、存在しなかった。