051203 漏斗胸手術2


痛かった、辛かった的話は置いといて
入院中のお話。

診療科は胸部全般の外科だったので、心臓・血管・肺および胸郭変形、多種多様な病気を背負う、老若男女の患者さんがいた。私は小児科の診察も受けるという理由で、ほぼ2ヶ月近くは滞在?していたので、患者さん、ドクター、ナース、たくさんの人と交流させてもらった。

一応さらっと手術のことも。

「切腹」ならぬ「切胸」で、横じゃなくて縦切り(開きの魚状態)
術後1日はICU、その後病室に戻った。抜糸後に傷跡はしばしケロイドになったが、歳とともに目立たなくなった。

病棟は6人部屋で、僕以外は20代のお兄さんばかりで(私10歳)、漏斗胸の方、心臓弁膜症の方がおられた(途中でどんどんメンバーは変わったけど)。完全看護のため、ICUから戻った夜も、母は後ろ髪引かれつつ帰宅したが、同室のお兄さんが夜中でも尿瓶をとってくれたり、看護婦さんを呼んで痛み止めをくれたり、本当に優しくしてくれた。先に退院された方で、外来のついでにお土産を持ってお見舞いに来てくれた人も居た。

子供というのは今思うと、つくづく特権の持ち主だと思う

患者さんたちも思い出す…。

いつも明るくみんなを笑わせているけど、実は大動脈瘤の手術を控えている隣部屋のおばさん。医者の御曹司で特別個室に入っているけど、何だか寂しそうなお兄さん。我々の部屋に必ず遊びに来て「プー」っと「おなら」をしては「あっ、失敬」と悪びれず済まし顔でいるオジさん。病棟の「ぬし」で、残飯処理場所やトイレの使い方など何でも教えてくれるマルファン症候群のおじさん。ゆっくり廊下を歩くだけで苦しそうにゼーゼーしているのに、すれ違う時、頭を撫でてくれる背の高〜いお兄さん。

特権を利用して、たくさんの病室に出入りしていた(いや自分でもよく憶えていると思う)

胸部の術後暫くは誰でも胸腔に血膿が溜まるらしい。よって溜まらなくなるまでの間、両脇腹に2本づつチューブを刺し、そこから繋がった小さな水筒の様なモノ(ドレーン)に排出させる。移動時はドレーンに繋がってるヒモを肩からかけ、ドレーンをぶら下げて歩く(まさに小さい水筒2つを左右の肩にかけている状態=注:ただし水筒は透明で外から血膿が丸見え…(^▽^;))

子供だけの大部屋が1つあり、たまたま私を含め「水筒ぶら下げ状態」の子が2人いたのだけど、よく3人で病院中を探検して廻った(水筒ぶら下げ姿で)

院内は探検しつくし、こっそり朝食のパンの食べ残しを抱え、病棟の外へ。医大校舎の中庭噴水池にいる錦鯉のエサやりに遠征!。

我々の姿をみた外の世界の人々は、みな、固まっていた。(゚0゚;ハッ