06-01-07 気持ちや行動の線引き 今まで他人から相談される事はあっても、他人に悩みを打ち明けたり、病気の事を話す事はありませんでした。元々人に弱みを見せたくない性格だったこともあります。でも良く考えると 「打ち明けられた相手が負担に思うのではないか」 という気兼ねもあったような気がします。相手が親身な人であってくれれば、くれるほど。 一方で 「説明しても理解されないだろう」 という感情もありました。これは、あきらめというより 「人間同じ立場になってみなければ、きっと分からないものだろう」 という、妙な物分かりの良さであり、ある意味「決め付け」に近いものでした。 軽量ダンベルで自分なりに腕を鍛え続けても、筋肉が太くなるのは一瞬で、その後かえって硬く縮むだけ。主治医には「鍛えようと思ってはダメ、でも動かさなければダメ」と言われました。自分の身体は自分が一番分かるというけれど、その「サジ加減」は結構難しい。 筋トレに関わらず行動についても、どこまでが「価値ある無理」で、どこからが「無茶」になるのか?。今となっては「無理が出来る余裕があること自体、恵まれているな」と気付き、意地や葛藤は消えましたが、その頃は 「考えても解決しないことは、一切考えない」 という、開き直った思考に傾きがちでした。 高校生になってから、10年近く定期通院もさぼりました。
というこだわりだけで、(筋疾患を抱えている身としては)ちょっぴり無茶もしました。 こうして書くと、まるで優等生の「非行自慢」みたいですけどね。。。(笑) ただ「ミオパチーっ子」の親にとっては、観ていられなかったのでしょう。 自分としてはきっと、自分の身体の限界を、他人に線引きされるのがイヤだったのでしょう(たとえ自分を一番理解してくれていると分かっている、親と言えども…)。 でも今振り返ると、自分の気持ちを殺さず、やりたい事をやりきってよかったと。 でも人の可能性は、本人、家族、お医者さんたちの これからも無理せず(難しいですが)、いま出来ることを楽しみながら、 |