06-01-07 気持ちや行動の線引き

ここ6、7年の心境に至るまでの自分について。

今まで他人から相談される事はあっても、他人に悩みを打ち明けたり、病気の事を話す事はありませんでした。元々人に弱みを見せたくない性格だったこともあります。でも良く考えると

「打ち明けられた相手が負担に思うのではないか」

という気兼ねもあったような気がします。相手が親身な人であってくれれば、くれるほど。

一方で

「説明しても理解されないだろう」

という感情もありました。これは、あきらめというより

「人間同じ立場になってみなければ、きっと分からないものだろう」

という、妙な物分かりの良さであり、ある意味「決め付け」に近いものでした。

軽量ダンベルで自分なりに腕を鍛え続けても、筋肉が太くなるのは一瞬で、その後かえって硬く縮むだけ。主治医には「鍛えようと思ってはダメ、でも動かさなければダメ」と言われました。自分の身体は自分が一番分かるというけれど、その「サジ加減」は結構難しい。

筋トレに関わらず行動についても、どこまでが「価値ある無理」で、どこからが「無茶」になるのか?。今となっては「無理が出来る余裕があること自体、恵まれているな」と気付き、意地や葛藤は消えましたが、その頃は

「考えても解決しないことは、一切考えない」

という、開き直った思考に傾きがちでした。

高校生になってから、10年近く定期通院もさぼりました。


「人並にやりたい」

というこだわりだけで、(筋疾患を抱えている身としては)ちょっぴり無茶もしました。
家族には心配もかけ、散々「いい加減にしろ!」とたしなめられました。

例を挙げれば、お酒、タバコ、連日夜遊び・朝帰り、長距離ドライブ…etc。

こうして書くと、まるで優等生の「非行自慢」みたいですけどね。。。(笑)
別に元気な人なら、ごく当たり前の「青春の1ページ」ですから。

ただ「ミオパチーっ子」の親にとっては、観ていられなかったのでしょう。
母は下戸だし、タバコは両親とも吸わなかったですから、余計に理解は無かったですね(笑)。

口うるさいのは、もっぱら母の方でしたが、一度だけ父に言われた

「自分をもっと大切にしてやれよ。お前がよくても、身体が可愛そうだろ。。。」

という言葉が、なぜか、強く記憶に残っています。

自分としてはきっと、自分の身体の限界を、他人に線引きされるのがイヤだったのでしょう(たとえ自分を一番理解してくれていると分かっている、親と言えども…)。

でも今振り返ると、自分の気持ちを殺さず、やりたい事をやりきってよかったと。
あのときの自分でなければ、出来なかったことでした。

タバコは完全卒業。
お酒だけは、現役です。。。

出来る事は人それぞれだし、それは自分の中でも年齢によって変わってくる。
肩の力抜けた今でも、一喜一憂はしょっちゅうです。

でも人の可能性は、本人、家族、お医者さんたちの
常識や想像を超えたものだったりもしますから。

これからも無理せず(難しいですが)、いま出来ることを楽しみながら、
気が済むまでやっていきたいと思います。