060216 幼稚園

既に「書いたつもり」でいた、幼稚園のこと。

運動障害は明らかだったが、私立幼稚園に入れてもらった。何でも園長が大らかで、母の心配をよそに「お母さん、大丈夫ですよ、段々なれますよ」的な事を言ってくれたらしい。

お寺ではなかったでが、園長の友人が僧侶らしく、仏教色があふれていた。行きと帰りに園内の地蔵に手を合わせるのがしきたり。週一回(だったか?)ホールで座禅(正座で)、花祭りや針供養、芋掘りなどの行事も覚えている。近所まで通園バスが迎えに来たが、私は行きも帰りも、母の自転車に乗せられて通った。バスの昇降ステップが問題だったような気がする。

男の子たちが走り回っている中、砂場で黙々と泥団子を作っていたような。
何でだか砂場が大好きで、水を溜めて「池だ」と喜んだり、飽きるとそこに砂を埋め、落とし穴を作っては、人に踏ませて喜んでいた(暗い子だね〜(・o・)、でも楽しかった ヾ(@~▽~@)ノ)

加減の分からぬ友達に突き飛ばされる事が数回あってから、友達に背後へ廻られる事を、必要以上に怯えていたのを思い出す。目方も軽いし、踏ん張れないし、受身が直ぐとれないしだから、きっと無意識の防御反応だったのかもしれない。当時、意外にも?生傷が絶えなかった。

多少「からまれ」もしたが、気は強い方だったから「ゆり組の痩せ〜!」と馬鹿にされれば、「ばら組の怪物〜!」とやり返していた(何故かそのやり取りだけが印象に残っている)。確かにガタイの大きな相手ではあったが、悔し紛れとはいえ「怪物」は言い過ぎたと思う。

当時、スーパーカーというスポーツカーが流行っていたのだが、たまたま園長の知り合いがスーパーカー「ランボルギーニ・ミウラ」(←すげー、今でも覚えてるわ俺)のオーナーで、その人のご好意で、園児達のために車を園庭へ乗り付けてくれる事になった。

しかし運悪く、恒例の「へビーな風邪」に見舞われ、楽しみにしていた当日は自宅謹慎。

熱にうなされながらも、えらいしょげてた気がする。
多分男の子で当時のブームを知る方なら、この悔しさを分かって頂ける事と思う。

後日、その時撮られた車の写真を頂いた。(やっぱ写真じゃイヤ!(T_T))

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

出られぬ行事も多かったが、キャンプの山登りに参加させてもらった記憶がある。男の先生2人に両腕を抱えられ、女の先生にお尻を押し上げてもらい、吊り人形の如く山道を引っ張り上げられていたシーンだけが記憶に残っている。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

幼稚園のホールは、園が使用しない時間、お稽古事の貸しスペースとなっていた。
そこに通って来るピアノの先生との出会いがきっかけで、小学校中学年まで、ピアノを習う事になる。幼稚園に通えた成果のひとつだ。

行事参加にいたる経緯やその時の私の気持ちなど、忘れていることが殆どなのだが、印象的なシーンだけは不思議と覚えているもので、自分でも驚く。