08-08-30  小学校低学年1 (早引き・欠席が茶飯事)

小さい頃からのエピソードや想いについては、沢山の患者さんが有意義な発信をされているし、自分の体験は「もう
別にいいな。」と思うようになっていました。

たまたま春頃に同病のお子さんをお持ちのお母様からメールをいただき、とりあえず、参考になる・ならないは別として、一時例として、もう少し書き足していこうか、と思い直すようになりました。

先日の検査入院は絶好の機会だったので、記憶を辿りながら、ノートに下書きを始めたものの、数年前に思い返していた頃と比べ、「どうだったっけな?」と悩むようになってきました。。。

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担任は小学1年・2年を通じて、年配の女先生でした。
当時すでに40代半ばを過ぎておられたような?。
ノートのことを「お帳面」と呼んでいらしたのは、先生だけでした。
当然教諭としてもベテランだったわけで、のんきな自分以上に、母にとっては頼もしい存在だったのではないでしょ
うか。

聞き分けの無い子には「コラっ!!、○○!、ちゃんとしないか!!」と一喝する様な、生徒たちに恐れられる先生でもあり、「nori君は身体が弱いから、みんなで支えてあげる様に!」という無言のオーラを、その存在感をもって醸し出してくれていたように思います。

小学校に上がった当初の管理人は、まだ直ぐに風邪をひいては、「発熱」「自家中毒症」「気管支炎・肺炎」のセットメニューがしょっちょうでした。授業中に具合が悪くなり保健室直行というパターンも、よく有りました。

しばらく保健室のベッドで休み、自分的には「午後から教室へ戻らなきゃ」と考えている矢先、いつのまにか母が迎えに来てびっくりという事も。

どうも先生の目に私の顔が「ヤバイ顔」に映ったときは、こっそり自宅に連絡されていたようで。とまどう自分に笑顔で「今日んトコは帰んな」と飲み過ぎた客をきづかう、イカしたBARのマスターのようなセリフをはくのでした。

普段は自分に対しても、厳しい(怖い)先生でしたが、一度保健室に向かう階段で(余程そのとき自分がフラフラに見えたのか)「nori、おんぶしてあげるから、先生におぶさんな」と言われたことがありました。「えっ!?(・o・)」って感じで、もじもじしていると「なんだお前さん、照れくさいのかい?、いいからおぶさんな」と促され、仕方なく先生の背の上に。私を背負い、先生が階段を降り始めると、ちょうど階段踊り場の小窓から、チャリンコで学校へとひた走ってくるオカンの姿が見えて。。。

ただでさえ誰かにおんぶされてるトコ見られやしないかとヒヤヒヤしている私に、すかさず先生が、「ほら、ちょうどお母さんが居らした!、お母さん〜って手を振ってごらん、ほらお母さ〜んって(^o^)丿」と、からかってくる…。

『んなことできるかぁ!』と心ん中で叫びつつ、「いや、いいです(ヘラヘラ)」とあいそ笑いを力無い声で返した…。。。

…そんな記憶が、ふあっ〜っといま、甦ってきました。

それにしても、全体の記憶がボヤケて来ている割には、おかしな場面を覚えています。

そうそう、早引きや欠席した日には、夕方クラスメイトが給食で出たパンを自宅に届けてくれていました。

(つづく)