08-09-06 小学校低学年2-1 (体育・運動会)

自分にとっては「体育の授業」が、よほど「ストレスを感じるもの」として深層心理に記憶されてしまったようで。

30後半になった今でも時折、

時間割を眺め、教科書をカバンにつめながら
「あ〜、明日は体育あるのか〜…  」と重苦しい気持ちになる。。。

という夢を見、目が覚めては

「あー、もう学生じゃなかったわ…」と我にかえる、

なんてことがある。

「そんなにイヤだったかなぁ?…」と、自分でも驚く。

とはいえ、トラウマになるような強烈な出来事があった訳じゃなく、
漠然と「暗い影」のようなものが漂っていたとでも言ったらいいか。

実際、小学校低学年くらいまでの体育は、多少の苦手意識だけで済んでいたように思う。

とりあえず、形だけでも出来る所まで参加し、難易度が上がった場面で、見学させてもらうようにしていた。

鉄棒などは、先生の介助つきで前回りが数回出来たので、自分はそれでokにしてもらうとか。一方で逆上がりは1回も出来なかった。登り棒は1cmも登れず。

二の腕や大胸筋を使うものは、特にダメだった。

そのため球技全般が苦手になった。ボールを投げても相手まで届かなかったり、相手から軽く投げ返されても、しっかり受け止められず(瞬時に身体が追い付かないこともあり)、テンポ良いラリーを乱してしまうからだ。

ボールといえば、当時休み時間や放課後に流行っていたドッジボールを思い出す。自分も混ぜてもらったりしていたが、役目は逃げまくる専門。敵チームの子が自分にはボールをぶつけないよう気遣ってくれるのだ。いよいよ「味方チーム私だけ」になった時、初めて申し訳程度に軽くボールを「ポコン」とぶつけてくれて(もちろんそのボールを自分がキャッチし、すばやく敵を撃破できれば話は別なのだが)「はいアウト!」という感じ。

いま思うと、クラスメイトも私も、お互い遠慮がちに「役目」を演じあっていたというか

クラスメイトの
『ぜんぜん構わないから、一緒にあそぼうよ!〔←心の声〕』
的な好意に対し
『気使わせて悪いねー。じゃあせっかくだから…〔←やはり心の声〕』
的な謝意を込めて参加させてもらっていたような。

なので、数ゲーム参加させてもらったら

「あとは俺、見てるよ!」(あとは若いモン同士で楽しみな!〔←再び心の声〕)

と自ら宣言して、みんなの白熱した闘いをそばで見ていた。

みんなが楽しそうにワーキャーやっているのをそばで見ているのが、結構嫌いじゃなかったし、長い時間見ていても普通に飽きなかった。

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私に対するクラスメイトの配慮として覚えているのが、大運動会のクラス対抗リレー。学級会(ホームルーム?)で走者の順番を決めることになり「私をどこに持っていくか?」が議題に。

担任がお膳立てしてくれたのか、生徒たちの自発的な提案だったのかは覚えていないが、結論として、私が人の半分の距離を走り、クラス1の駿足「M君」が代わりに1.5人分走ってくれるという話に。戦略としては、駿足「M君」が私を抜かしていった人々に追いつき、その後も彼の実力をもって、高順位をキープしたままゴールしてもらおう!、

というもの。

我がクラスの結果は……まったく覚えていない。。。

自分的には、与えられた役目をこなすことで、半ば意識が完結していたようにも思う。
他のクラスの生徒や観客の親たちの目を意識しつつも、とにかく全力を出しきったようには記憶している。

運動会ついでに言うと、入場行進や集団体操や玉入れ、フォークダンスなどは参加。
リレーは前述した特別扱いで参加。徒競走は自分のせいで「渋滞」が起きぬ様、最終走者にしてもらい、最後の最後
に、観衆の拍手を受けながら、悠然とゴール。何とも長い時間に感じた。。。

振り返ってみると、(当時の?)低学年の児童は実に素直で、担任を慕い、それなりに恐れていた。
殆どの教科をクラス担任がもっていたゆえか?、教諭の目は届き、影響力は絶大だった。
結果、ハンディを持っていた私も、大人たちの影響力?に守られたおかげで、淡々と過ごすことができたんだと思う

(つづく)