08-09-06 小学校低学年2-2 (体育・運動会)

逆にそんな低学年時にだけ生じた「面倒な雑音」といえば
ガキんちょ特有の「単刀直入な残酷さ」だろうか。

「どうして速く走れないの??」(俺も知りてえよ…)
「どうしてそんなに痩せてるの?」(と、半袖からのぞく二の腕を握ってきたり…)
「なんで穴ぼこ空いてるの?」(とプール時、漏斗胸の変形箇所を触ってきたり…)etc(笑)

こちらが説明や対応に飽きるほど「しつこい」輩や、一線を越え調子こいてくるタワケも中には居た。そんな奴らを除けば、ほとんどの場合「単純な興味本位」で、仲間うちとしての「壁」の無い会話の一種だったように思う。

ただ中学年から高学年に向け、体育のメニューがドンドンきつく・辛くなってくるにつれ、それを免除される自分に対し「お前は楽出来ていいよな…(-_-)」「ほんとにお前出来ないのかよ?…」的な、冷ややかな視線を感じるようにもなってくる。

面と向っての「どうして?攻撃」もヘコむが、間接的なアピールを醸し出されるようになってくると、ちょっとした相手の態度も気に病むようになっていった。

一方で、男子の体力が女子を圧倒し始めるようになると、女子に対し(女子の視線にというべきか)、それまで感じていなかったコンプレックスを抱くようにもなってくる。運動神経の良い男子がモテ始めるころだ。

見栄っ張りでエエ格好しいの男子にとって、この感情が結構厄介なのだ。

前述した「ズルしてるんじゃないの?」的な疑念の目は、普段の集団行動においても向けられることはあった。教室掃除の机運びや、廊下の雑巾がけなどだ。

そこいらの記憶は、またいつか振り返ってみる。

「疑念の目」に対する感情は難しく、心の中で「いや、全力でやっている!」と胸を張りつつも、少しだけ「まだちょっと頑張りが足りないのか?…」と自分でも不安になったりする訳で。
辛いメニューをこなし、フーフー言ってるクラスメイトへの「うしろめたさ」も相まって。。。

大人になった今でこそ完全に開き直る事が出来ているが、ハンデを持っている本人自体が「病気」というものの概念が分かるようで、分かっていない年齢である場合、周りの大人のフォローが大事だと思う。

中学年になり、体育は体育専任の男性教諭が担当になったのだけど、
その教諭から、例の「冷ややかな視線」を受けたように感じたとき、(今思えば、私をどう扱ってよいか分からぬ、とまどいの表情だったのかもしれぬ)

何とも言えぬ孤立感を覚えたことを、書きながら思い出したのだ。

(いつかまた、つづく)