ひたちなか−茨城県

 1907(明治40)年8月26日、肺炎カタルを患っていた国木田独歩は小杉未醒(放菴)に対し、療養のため、未醒の友人であった杉田雨人(恭助)の別荘を借用したいと、交渉を依頼する。

杉田雨人の別荘跡

杉田雨人の別荘跡

 9月3日、独歩は未醒に付き添われて水戸駅に到着し、出迎えた雨人の自宅に誘われて休憩した後、那珂川を舟で下り、湊町(那珂湊)は牛久保の別荘に入った。

国木田独歩の記念碑

国木田独歩の記念碑

挙げて永劫の海に落ちゆ
く世々代々の人生の流の
一支流が僕の前に横たわ
っているのである
        独歩

独歩ここに療養す

案内板

案内板

国木田独歩静養の地

 明治四十年九月三日から十一月四日まで、国木田独歩
は病気療養のために、那珂湊牛久保の杉田雨人の別荘を
訪れた。
 独歩はこの別荘を「青一盧」と名付け静養につとめ、
病状の小康を得ている。静養中には、島崎藤村、小杉放
庵、田山花袋ら多くの文壇関係者が独歩を見舞いにこの
地を訪れている。
 独歩はこの静養中のことや牛久保付近の様子などを、
小説「渚」の中に描写し、明治四十年十二月の文芸倶楽
部に発表している。

※1994(平成6)11月1日、那珂湊市と勝田市が合併し、ひたちなか市が誕生した。

杉田雨人の別荘の門の跡か?

杉田雨人の別荘の門の跡か?

 2007(平成19)年3月9日、調査のために当地を訪れたところ、80歳を過ぎた女性から話しを伺うことができた。
 「私が10歳の頃まで別荘に丸窓の着いた茶室があった。祖母が独歩の世話をしていた」とのことであった。

調査:2007年3月9日[小杉放菴研究舎]