行方−茨城県

 1911(明治44)年7月8日から、小杉未醒(放菴)は茨城県の玉造町(現在は、行方市玉造)の「稲荷屋旅館」に逗留し、翌9日に、霞ヶ浦の岸を散策して、文展(文部省美術展覧会)へ出品する作品の構想を得た。この作品が《水郷》であり、8月3日から制作を始め、8月25日に完成した。(『正則洋画講義』応用美術講話「水郷」の日記より)

 《水郷》は、第5回文展において最高賞である二等賞を受賞し、小杉未醒の名を一躍、高めることになる。

霞ヶ浦(行方市玉造沖)

霞ヶ浦(行方市玉造沖)

 現在、霞ヶ浦は護岸工事がなされ、当時を偲ぶことはできない。

1911年に小杉未醒が逗留した「稲荷屋旅館」(建替え後)

1911年に小杉未醒が逗留した「稲荷屋旅館」(建替え後)

 稲荷屋旅館(六代目の現・主人)の女将に尋ねたところ、小杉未醒が逗留していたことについては伝えられていないと云う。ただ、「大正の初め頃、美術学校生が泊まって絵を描いていったとは聞いている」とおっしゃっていた。女将に「水郷」日記のコピーを差し上げたところ、涙を浮かべて非常に喜んでおられた。

調査:2007年3月9日[小杉放菴研究舎]