小杉放菴の足跡を辿る旅の記録集成|小杉放菴の西の旅|越前

越前−福井県

越前・今立の風景

越前・今立の風景

 越前・今立(現在の越前市)の紙漉きの名匠であった初代の岩野平三郎は、たいへんな研究を積み重ねた結果、長年にわたって途絶えていた、中国伝来の「麻紙」を復元した。
 そして、この丈夫で柔らかい、岩野平三郎が漉く「麻紙」が登場してから、それまで、絹に描かれることが多かった日本画は、和紙を用いることが主流になったのである。

岩野平三郎の表札

岩野平三郎の表札

 ちょうど、時代が大正から昭和に変わる時期のことであった。岩野平三郎は横山大観、竹内栖鳳、川合玉堂、小杉放菴ら、当時の錚々たる画家たちと交流を深め、自らの和紙を広めていった。また、これらの画家たちは岩野平三郎の和紙を使うことにより、新たな表現の展開を図っていくのである。

 なかでも小杉放菴は、平野平三郎が漉く越前和紙としての「麻紙」にこだわり続けた。放菴のために特別に漉かれた麻紙は「放菴紙」と称され、1930年代後半からの、独自の画風の形成には欠かせないものであった。この時期以降、とくに日本画の制作には、必ずといってよいほど「放菴紙」が用いられている。放菴は岩野から紙が届くたびに、その使用感を詳細に手紙で書き送り、気に入らないときには、送り返して漉き直させたという。

「放菴紙」

「放菴紙」

 「放菴紙」は、まさに岩野平三郎と小杉放菴の二人で作り上げた紙であり、放菴の没後には、その生産を終了し、現在では手に入れることができない幻の紙となっている。

第3代岩野平三郎氏

第3代岩野平三郎氏

 現在の岩野平三郎氏は三代目にあたる。立命館大学を卒業後に紙漉きの修行を始めて、1975(昭和50)年に福井県無形民俗文化財の指定を受け、1979(昭和54)年には、第3代岩野平三郎を襲名した。越前和紙に古来から伝わった紙漉き模様である「打雲」「飛雲」「水玉」の技術を継承し、現在でも、岩野平三郎製紙所で漉かれた紙は平山郁夫をはじめとする多くの画家たちに愛用されている。

紙漉きの情景紙漉きの情景

紙漉きの情景紙漉きの情景

紙漉きの情景紙漉きの情景

紙漉きの情景紙漉きの情景

紙漉きの情景紙漉きの情景

紙漉きの情景紙漉きの情景

紙漉きの情景紙漉きの情景

紙漉きの情景

 越前和紙の歴史は古く、1500年ほど昔、この地に美しい姫が現われて、紙漉きの技術を教えたのが始まりとされる。この姫を「川上御前」と称し、紙祖神として祀ったのが岡太神社で、国常立尊・伊弉諾尊を主祭神とする大瀧神社と同じ境内に社殿がある。

岡太神社と大瀧神社の社号標

岡太神社と大瀧神社の社号標

 社号標には、二つの神社名が併記されている。1940(昭和15)年に、横山大観によって揮毫された。

社号標の裏側

社号標の裏側

 神体山である権現山の山頂付近に建つ奥の院(上宮)と、山麓の里宮(下宮)から成り立ち、奥の院には大瀧神社と岡太神社の本殿が並び建っているが、里宮では一つの社殿に二つの神社を祀るかたちになる。里宮の、その優美な本殿・拝殿は、1984(昭和59)年に国の重要文化財に指定された。

大瀧神社と岡太神社を望む

大瀧神社と岡太神社を望む

 川上御前は全国で唯一の紙の神様で、現在でも今立の紙漉きの家には川上御前の分霊が祀られ、土地の人々から厚い信仰を集めている。なお、川上御前は本来、当時の日本に製紙の技術を伝えた百済の人ではないかとされ、古代の中国で始まり、朝鮮を経て日本に根付くことになった製紙の歴史の一端を示しているといえよう。

大瀧神社と岡太神社の里宮

大瀧神社と岡太神社の里宮

 ところで、1875(明治8)年に、大蔵省紙幣寮に抄紙局が設けられたとき、紙幣用紙を漉く技術指導にあたったのが、今立の人たちであった。その縁もあり、1923(大正12)年には、川上御前が大蔵省印刷局抄紙部に分祀され、以来、川上御前は全国の製紙業の守護神とされることになった。

大瀧神社と岡太神社の里宮の社殿

大瀧神社と岡太神社の里宮の社殿

 小杉放菴も、1930(昭和5)年10月9日に、岩野平三郎の案内で当地を訪れた際には、大瀧神社と岡太神社に詣でており、その日記で、川上御前の分祀についても触れている。

(前略)
  岡本村着 大瀧社の奥の院の山に行く 赤松
  雑木などよろしき処 頂上の端れの大木の三叉
  の間に くま鷹巣を作り居れり 近づけば人を
  蹴る由 知らずに蹴られた人 始め何事か分らざ
  りし程早きものなりと云ふ 巣の上面一坪程
  あらん 去年より作り居る由 大瀧社の清
水二つ 一つはやはらく 一つは荒し 古杉あり チ
ト老枯の調子あり 木ぶりおもしろし 木下にて
酒のみす 昨日来腹工合あしくビールのめず
下りて岩野家にて一浴して 土龍の二階坐
敷にて小集
  越前奉書 局紙 襖がみ 恰んど同量の
  産 明治二年三年 由利公正の計らいひにて此処
  越前の
  にて太政官の金札を刷る 関を設けて人の出
  入を改めしとぞ 四年王子へ移る 工人も移
  る 後 紙の神さまなる川上御前の像
  も分ちて王子に祭りある由

小杉放菴の『日記』(昭和5年10月9日の項)より

重要文化財の社殿の細部

重要文化財の社殿の細部

調査:2007年6月30日[小杉放菴研究舎]