岐阜−岐阜県

 1931(昭和6)年8月11日、小杉放庵(放菴)は、『美濃と飛騨の旅』(著:田中純/画:小杉放庵/発行:日本風景協会)の口絵を描くための取材旅行の合間に、岐阜県庁や岐阜市立岐阜商業学校(現在の岐阜県立岐阜商業高等学校)を訪れて、その夜には、屋形船で長良川の鵜飼を楽しんだ。県庁では県知事を訪問し、岐阜商業学校においては、硬式テニスのコーチをしたとされる。

十一日
午前県庁に行 午后商業校にてテニスコーチ 夜鵜飼を
見る 見物と云はんよりは神事なり コスチウムおもしろし
皆宮内省の判任官 世襲の業 鵜飼を見する料
に市より一万五百円 金華山の松の木かゝりの
料にする 切り方だい 酔帰

小杉放菴の『日記』(昭和6年8月11日の項)より

長良川の右岸より金華山(岐阜城)を望む

長良川の右岸より金華山(岐阜城)を望む

調査:2008年11月30日[小杉放菴研究舎]