揖斐川−岐阜県
小杉放庵(放菴)は、1931(昭和6)年11月1日に日本風景協会が発行した『美濃と飛騨の旅』(著:田中純/画:小杉放庵)という本の口絵を担当し、その序文を書いた。
『美濃と飛騨の旅』
そして、これに先立つ1931(昭和6)年8月8日より、2週間以上に及ぶ岐阜県への取材を敢行している。
東京から夜行列車で出発し、8月9日の朝9時に大垣へ到着。翌10日には大垣から自動車で北へ向かい、両界山横蔵寺と谷汲山華厳寺に詣でた。
(前略)朝自ドウ車 大垣北に
向ふて谷汲 山路せまきを横倉に行く 横倉は行どまりの
盆地 両界山横蔵寺 国宝薬師、十二神将四天深沙大将
深砂尤もよろし 薬師之に亜ぐ かへりて谷汲に詣る 驚く
べき大寺 両方共天台 暮れかゝりて岐阜につく
小杉放菴の『日記』(昭和6年8月10日の項)より
谷汲山華厳寺
『美濃と飛騨の旅』口絵より
小杉放菴たちが最初に訪れた両界山横蔵寺は、 801(延暦20)年に伝教大師・最澄が創建したと伝えられる寺で、国の重要文化財に指定された22体の仏像がまつられており、他にも多くの絵画・書籍を蔵していることから、美濃の正倉院と呼ばれている。
両界山横蔵寺を望む
放菴たちは、当時の阪本住職の案内により、それらを拝観した。現在、仏像は宝物館に安置されているが、当時は、この本堂にまつられていた。
両界山横蔵寺を望む
なかでも、放菴のお気に入りは、深沙大王であったという。
撮影:2008年11月30日[小杉放菴研究舎]
谷汲山華厳寺への参道
現在でも、これら二つの寺は、大きな境内を誇っている。
谷汲山華厳寺の境内図
谷汲山華厳寺の風景と『美濃と飛騨の旅』の口絵
近年の谷汲山華厳寺の風景。小杉放菴の作画では、実際に目にすることができる情景と比較して、かなり俯瞰的な視線に拠った構図を採用している。
撮影:2008年11月30日[小杉放菴研究舎]
調査:1996年3月9日[小杉放菴記念日光美術館(準備班)]