坂井−福井県

 小杉放庵(放菴)は、1930(昭和5)年9月13日に東京を出発し、半月ほど滋賀県内を巡ったのち、一旦、名古屋まで戻り、さらにそこから、米原を経由して北陸に向かった。

東尋坊

東尋坊

 10月7日、小杉放庵は、金沢から三国(現在の坂井市)へ入り、そのまま、(警察?)署長の案内で東尋坊に向かっている。

……一里ほどにて東尋坊 熔
岩の安山岩の竪にさけたる柱杖七十余尺
下御池に入りて其の倍ある由 東尋坊と云
ふ悪僧 馬ながら飛びこむ 其日は今に到
るまで大荒れ 別に唐陣防の称あり 唐
船来攻とも云ふ 海女をモグラす 三人にて二円
あはび二つほどさゞえ一籠ほど 銭を投
げよと云ふ 大てい拾ひ来る 二円の定額は
海女組合の収入 投銭はひとり/\ 白布
きて出没する形おもしろし……
(中略)……かへりて東尋坊の茶屋にて一盃のむ 前刻の
さゞえあはび出づ 落日の壮観よろし 三
国へかへる……

小杉放菴の『日記』(昭和5年10月7日の項)より

東尋坊

東尋坊

 東尋坊で海女からアワビとサザエを手に入れ、雄島へ渡って大湊神社に参拝したあと、東尋坊に戻り、茶屋で落日を眺めながら、アワビとサザエで一盃のんだという。

調査:2007年7月1日[小杉放菴研究舎]