仙北−秋田県
小杉放菴は、平福百穂や山中蘭径といった秋田出身の画家や文人たちとの交流が深く、自身でも角館や田沢湖をよく訪れている。また、その周辺には、いくつかの放菴の歌碑も遺されることになった。
この歌碑は、もともと駅のホームの上にあり、全国的にも非常に珍しい存在であった。しかし、秋田新幹線の開業にともなうホーム拡張のため、駅前の現在地に移されることになり、また、当初のものは石が激しく劣化していたので、同時に、新しいものに造り変えられた。
大威徳の
山にひとすち
よこた
はる
あさ雲のあり
かくたてを
去る
昭和二十九春
放菴
小杉放庵歌碑
画人小杉放庵(一八八一〜
一九六四)は、洋画から日本
画、さらに文人画的な作風で
知られる一方、歌人としても
名高い。しばしば角館町を訪
れ、佐藤順一国手宅に寄り、
この地方を詠んだ。
この一首は、駅正面の大威徳
山を詠んだもので、昭和二十
九年、威山会により角館駅構
内に建立されたものを、秋田
新幹線開業を記念し、新たに
刻し、この地に移設された。
大威徳の山にひとすぢ
よこたはる あさ雲のあり
かくたてを去る
上掲の3点は、1995(平成7)年に撮影した写真。こののち、1997(平成9)年の秋田新幹線開業に伴う角館駅の拡張工事により、構内のホーム上から駅前に新設移転された。写真からは、非常に珍しかったホーム上の歌碑の様子が理解される。
撮影:1995年5月7日[小杉放菴記念日光美術館(準備班)]
小杉放菴が初めて田沢湖を訪れたのは、1929(昭和4)年5月31日。それまで滞在していた横手から大曲を経て、生保内線(現在の田沢湖線)で生保内駅(現在の田沢湖駅)に至り、自動車で湖に向かった。
そして、このときに詠んだ歌が地元の人に好評で、田沢湖畔の潟尻に歌碑が建立されることになる。1934(昭和9)年10月17日、本人も迎えて歌碑の除幕式が行なわれた。
みづうみの 夕べの水の 落つるなり
家七つある 潟しりのむら
昭和四年夏 放菴
小杉放庵歌碑
小杉放庵(本名國太郎、画家、歌人)は、
明治十四年栃木県日光に生れる。大正十一年、
森田恒友らと春陽会を創立。
昭和四年八月、橋本関雪や山中蘭径らと田
沢湖を訪れ潟尻に遊んだ。往事の潟尻は田沢
湖から流れる潟尻川の清流を中心にひらけ、
漁業、製炭などを生業としておだやかな生活
が営まれていた。
この頃の潟尻川は広い河口をゆっくりと流
れ、潟尻橋のあたりから激しい急流となって
檜木内川にそそいでいたのである。
みつうみの夕の水の落つるなり
家七つある潟しりのむら
昭和四年夏 放 庵
平成元年十月
西 木 村
※2005(平成17)9月20日、仙北郡の角館町、田沢湖町、西木村が合併して、仙北市が誕生した。
調査:2007年6月25日[小杉放菴研究舎]