十和田−青森県

 1922(大正11)年8月、小杉未醒(放菴)は大町桂月に誘われて蔦温泉に逗留した。

現在の蔦温泉

現在の蔦温泉

「日本の十和田湖」瞰湖台より、右側が御倉山

「日本の十和田湖」瞰湖台より、右側が御倉山

 蔦温泉に滞在中、未醒は十和田湖の周辺を精力的に巡り、舟を出して湖上から御倉山の絶壁「千丈幕」を見物したときには、その景観の見事さに驚いている。

十和田湖から紅葉の「千丈幕」を望む

十和田湖から紅葉の「千丈幕」を望む

「見越しの松」

「見越しの松」

「六方石」

「六方石」

「兜島」「えびす島」「大黒島」

「兜島」「えびす島」「大黒島」

『日本の十和田湖と青森の山水』

『日本の十和田湖と青森の山水』

 小杉未醒は、その後も数回に渡って十和田湖を訪れ、紀行文『日本の十和田湖と青森の山水』を著している。

現在の蔦沼

現在の蔦沼

 林を抜けると、小さい平地になつてその向ふに、方二三町の静かな沼が、山に囲まれて横はつて居る、枯木の根ばかりが倒れかゝつて、自然の桟橋をなす處に、一艘の小舟が繋いであつた、小舟に乗つて出る、漣も立たず、なだらかな黒木山の影を、そのまゝに倒映して、青黒く澄んで居た處へ、小舟の揺れに水輪が立ち、山影揺れる、動くものは水ばかり、折ふし棹の舷にあたる音が岸の林にこだまするさへ静けさをます、……

小杉放庵「蔦沼の金魚」
『日本の十和田湖と青森の山水』より

十和田湖へ抜ける奥入瀬渓谷の銚子大滝

十和田湖へ抜ける奥入瀬渓谷の銚子大滝

 蔦温泉を朝の日影の高からぬ程に下つて、焼山に取つて返し、それより三里半、我等は此の渓谷を十和田湖を望んで上る。路は川の左を右を、或は少し川を離れて、林の下に通つて居る、林の木は、澤くるみ、朴、橡、驚くべきは桂の多いことであつた。……

小杉放庵「奥入瀬溪」
『日本の十和田湖と青森の山水』より

錦秋の銚子大滝

錦秋の銚子大滝

 1922(大正11)年、初めて蔦温泉に逗留した小杉未醒は、宿の主人と大町桂月から薬師堂に祀る薬師仏の制作を請われた。未醒は、その年の内に中国に渡り、雲岡石窟の石仏を調査・研究する。

……此の薬師堂は、堂あつて本尊なし、本尊を描いて行つて呉れと、宿の主に頼まれた時、フト思ひついて、小さな青銅仏を作つて見たい心になつて、遂約束してしまふた、帰つたら油土をひねつて見やうと、楽しみにして居る。

小杉放庵「蔦沼の金魚」
『日本の十和田湖と青森の山水』より

小杉未醒の作による《薬師瑠璃光如来》(レプリカ)

小杉未醒の作による《薬師瑠璃光如来》(レプリカ)

 そして、1924(大正13)年10月25日に、完成した仏像が奉納され、開眼式が行なわれたのであった。仏像の光背に記された由来に拠ると、全部で10体ほど鋳造され、最も出来の良いものが奉納されたという。厨子は、未醒の親友で、彫刻家である吉田白嶺がタモ材で造った。

現在の薬師堂

現在の薬師堂

 その後、火災によって薬師仏は薬師堂とともに焼失してしまい、現在は、小杉未醒(放菴)の長男である(故)小杉一雄氏が作らせたレプリカが祀られている。

三代目の余材庵

三代目の余材庵

 初代の薬師堂を建立した際に、余った材料で建てたため、「余材庵」と号された住居。しかし、大町桂月は、ここに住まずして亡くなってしまった。

楢の大木と「大町桂月の墓」

楢の大木と「大町桂月の墓」

 1925(大正14)年6月10日、大町桂月は蔦温泉で死去した。享年57。墓は蔦温泉の近くにある。

大町桂月の銅像(蔦温泉)

大町桂月の銅像(蔦温泉)

調査:2006年6月25日[小杉放菴研究舎]
   2007年10月27日[小杉放菴研究舎]