愛しい日-2-
Masamune's Birthday

Novel by Miyuri Akihara






 しかし彼は長年、癇癪持ちで気難しい子供の世話を焼いてきた男だ。政宗の突飛な我が侭に振り回されることなど慣れきっている。すぐに小十郎は気を取り直したらしく、改まって政宗に身体ごと向き直った。
「一体どうなさったんですか。今日で一つお年を重ねられたのでしょう? もう少し落ち着きというものを持ってはいかがですか」
「…………」
「それに、本当にお休みになるのでしたら、きちんと布団の中にお入りください。着替えもせず、布団も掛けずでは、しっかりと睡眠がとれないばかりかお風邪をお召しになりかねません」
 まるでぐずる子供を寝かしつける親御のような言い草だが、その表現もあながち外れてはいない。
 理詰めの説得に効果がないと見ると、小十郎は大きな背を屈めるようにして、政宗の身の上にぐっと近付いた。
「政宗様」
 小十郎は、宥めるような優しい声音を政宗の耳元近くで囁きかけると、政宗の頭をそっと撫でた。
 それまで無視を決め込んでいた政宗は、思わずぴくりと身を震わせてしまう。
「政宗様」
 小さな反応が拒絶ではないことを見抜くと、小十郎はもう一度、ゆっくりと名を呼びながら政宗に触れる。後ろ髪を梳いて、頑なに張っている肩を柔らかく揉んだ後、小十郎を拒否しているはずの背中へと手を滑らせる。それはまるで、警戒心の強い主に対して少しずつ許しを請い、一歩ずつ間合いを狭めているかのような所作だった。
 実際、駄々をこねていた政宗が、こうして小十郎にあやされて懐柔された例は多い。ただしそれは、母親の愛情に飢えていた幼少期の話である。
 政宗はもう、人の手の温もりに安心感だけを覚える年頃は過ぎてしまった。
 背骨を辿っていた手が腰近くにまで降りてきたとき、政宗の身体が大きく揺れた。
「んっ……!」
 それと同時に、政宗の口から常ならぬ声が飛び出してしまった。
「政宗様?」
 過敏な反応に、小十郎以上に驚いているのは当の政宗本人だった。
「それ以上、触るんじゃねえ!」
 政宗は、さきほどの音色をかき消すように叫んだ。そして、身を固くしてぎゅっと眼を閉じる。そうでもしなければ堪えがたい衝動が、政宗の全身をじわじわと浸食していた。この感覚には覚えがあるが、今それを認めるわけにはいかなかった。
 一体どれが引き金になったのか、それとも今までのやり取りの全部がここに帰結する運命だったのか、とにかく政宗の身体はいつの間にか熱を帯びていた。
 無論、この事実を小十郎に悟られたくはないのだが、そう思うと余計に感覚が鋭敏になる始末だった。
「…………」
 政宗は息を詰めて、そろりと両膝を刷り上げるようにして身じろいだ。
 次の瞬間、思いがけない程の力で小十郎に肩を掴まれる。
「政宗様、こちらを向いてくださいませんか」
「やめろバカ、NO!」
 顔色を変えた政宗は抵抗を試みたが、小十郎の腕力の前ではまったくの無駄だった。政宗は小十郎と向かい合うように身体を返された。
「見るなっ」
 小十郎の視線が躊躇いもなく政宗の下腹部に落ちているのを見て、政宗は居たたまれない思いに駆られた。脱ぎかけの着衣が乱れているとは言っても、肌が露わになっているわけではない。小袖と袴はまだ何とか身に付いているし、身の内の熱もまだ、外見にあからさまな影響が窺えるほどではないはずだ。
 しかし、小十郎には完全にばれている。
 その一点が政宗にとっては致命的だった。
「これはまた……いつの間に」
「知らねぇよ!」
 政宗は精一杯の悪態をついた。
「勝手にこうなったんだよ、いいや、お前のせいだ」
「小十郎のですか?」
「他に誰がいるってんだ!」
 政宗は足を蹴るようにばたつかせたが、残念なことに小十郎には当たらなかった。両腕を持ち上げて顔を隠すと、唸り声のような舌打ちをした。
「SHIT! 今夜は俺が誘ってやるって思ってたのに!」
「……はい?」
 眉根を寄せた小十郎が、疑問の色を浮かべる。
「お前を落としてやるつもりだったのに、俺の方が、その、先にやばくなってて……こんなのCoolじゃねえ」
「……そんなことを企んでいたんですか……」
 小十郎が呆然と呟いた。
 政宗らしいと言えば、実に政宗らしい魂胆である。
 実は最初から政宗は二人っきりになる時間に備えて、大好きなパーティーでもあまり羽目を外さないでおいたのだ。いつもなら小十郎が見かねて止めるまで酒杯を離そうとしないのに、ほんのり酔う程度で留めておいたのには理由があった。
 だからこそ、いよいよ二人で寝所に入ったときには、舞い上がり気味なほどに機嫌が良かったのだ。
 しかし、何事も思う通りにはいかないのが世の中の常である。
「もう構うな、帰れ」
 政宗は両腕で己の顔を隠したまま、さらに身体を捻って横向きになり小十郎の視線から逃げた。
 描いたシナリオと違う展開に、拗ねてふて寝をしようとする政宗に、小十郎はやれやれと息を吐いた。
「ですが、このまま小十郎を帰してしまったら、こちらはどうなさるおつもりです?」
 こちら、と言うついでに、小十郎の手が政宗の腰骨の上をするりと撫でた。それだけのことでも、熱の火種を抱える政宗には充分な刺激になってしまう。
「やっ! さ…わんなッ」
「お一人で慰めるとでも? 今宵は政宗様のお祝いの日だと言うのに、それではあまりに侘びしいでしょう」
「ぅるさい……っ」
 政宗は首を横に振った。そうこうしているうちにも、じりじりと身体の焦りが迫ってくる。時間が経つごとに、鎮まるどころか、どんどん熱が増している。一度火が付いてしまったら、元に戻す術が無いのだ。若いのだから仕方がないとは言え、政宗は自身の抑制の効かなさを呪った。
 いつまでもこんな中途半端な状態ではいたくないが、小十郎が部屋から出て行ってくれないのでは、自分で処理することも出来やしない。
 明らかに意地の張りどころを間違えているのだが、政宗には既に冷静に考える理性も残り少なくなってきていた。
 そのとき、小十郎が一つ呼吸を置いてから、政宗に呼びかけた。
「……政宗様、もう降参しませんか?」
「なんだと……っ」
 反射的に政宗は顔を上げて振り返り、小十郎を睨み付けた。
 降参、敗北、投降、それらの文字は、生まれながらの武将である政宗にとって何があろうとも絶対に受け入れてはならない言葉なのである。
「俺は認めねえぞ!」
 もはや何を拒んでいるのかも不明だが、政宗は虚勢を張って噛み付いた。
 すると小十郎は、あっさりと言葉を変えた。
「それでは、小十郎だけでも降参させていただきたいのですが」
「…………は?」
 政宗は思わずポカンと口を開けたまま、小十郎の顔を見上げた。
「もう十二分に過ぎるほど誘っていただきましたので、これ以上は小十郎があまりにも不利になります」
「なに……言ってんだ……だいたい、俺はまだ誘ってなんかいないだろ」
「そうですか?」
 小十郎はおもむろに政宗の手を取った。恭しい所作で丁寧に政宗の手の甲を引き寄せると、そっと口づけた。驚きのあまり、政宗は身動きすら忘れてしまった。
「掌から身ぐるみ絡め取られてしまうかと思いましたよ」
 唇を離した小十郎の瞳はまっすぐに政宗を見つめて、思わせぶりに微笑む。
「あ、あれは……なんとなくって言うか、別に、そんなつもりじゃ……」
 しどろもどろに政宗が言い訳をする。
 政宗は、逞しくて男らしい小十郎の容姿に強い憧れを持っているが、とりわけ力強い手が好きだった。だから眼の前にあったそれを見て、つい手に取って触ってしまったのだ。それは愛しいものを愛でる自然な気持ちから行動しただけで、誘う手管として利用したわけではない。
 たかだか、手を握っただけだ。
 けれど、あの接触があったからこそ、その後に小十郎の存在を意識した途端に身体の熱まで一気に呼び覚まされてしまったのも確かだった。とは言えそれも、政宗にとっては予想外の結果でしかなかった。
「ちょっと触っただけじゃねえか……」
 詰るような政宗の呟きは、自分自身に向けたものだった。
 些細なきっかけから、どうしてこんなに簡単に昂ぶってしまうのか、一連の己の醜態に耳まで真っ赤に染まってしまう。
 小十郎は、言葉もなくして俯いてしまった政宗をしばらく見下ろしていたが、やがて政宗の身を抱き寄せた。
 正面からしっかりと抱き締められ、苦しくはないが、ドキドキする。それでなくても今は感覚が過敏になっている。政宗はあやうく眼を回しかけた。
「小十郎……!」
「ですから政宗様には敵わないのです。これ以上、煽らないでください」
 そう告げると、小十郎は政宗の唇を塞いだ。
「……っ……ん…………」
 柔らかく重なり合った互いの唇は、すぐに深く絡み合い、激しく求めるものへと変わっていった。
 蕩けるようなキスを交わしているうちに、それまで政宗の中で張り詰めていた自尊心や自制心といったものが、たちまち霧散してしまう。
 どちらが誘って、どちらが先に落ちたのかなんて、もうどうでもいい。
 政宗は両手を小十郎の背中に回すと、少し顔を傾けて小十郎の舌を口腔深くまで迎え入れる。
「…………は……ぁ…………」
 長いあいだ互いの舌を貪り合ってから、それでもまだ名残惜しげに唇が一度離れる。
 知らぬ間に政宗の口の端からは、唾液が零れて細い糸を落としていた。それを小十郎の舌が追って拭い取る。顎の下の無防備な部分にまで小十郎の唇が触れ、政宗は小さく身じろいだ。
「ん……」
 既に息が上がっている政宗は、乱れた呼吸を繰り返しながら、ぼんやりと小十郎の動きを視界の端で追っていた。
「政宗様……」
 やがて小十郎は政宗の正面に戻ってくると、眼と眼を合わせるようにして強く見つめてきた。
「お誕生日おめでとうございます」
 改まって告げられた言葉に、政宗は一つきりの眼を瞠る。
「あ、ああ……どうしたんだよ、急にまた」
 この男からの祝辞ならば、先程の宴の席でも何度も贈られている。
 小十郎は政宗の頬に片手を添えた。
「二人だけの場で言いたかったのですよ。それに……何度でも言わせてください。これまでの十八回分と、十九回目の今日の分です」
 触れられた掌の下で、政宗の頬がじんとした熱を持つ。それを恥ずかしいと思う余裕もなく、政宗はただ小十郎を見つめ返すことしかできなかった。
「十九年前の今日、政宗様がお生まれになってくださったからこそ、今この時があるのです。すべての始まりの日に、感謝をせねばなりません」
 小十郎は真摯に政宗に語りかけてくる。
 一方の政宗は、そんな小十郎の態度に意表を突かれていた。
 小十郎は誕生日というものにあまり興味がないのだろう、と政宗は思っていたからだ。興味の有無以前の問題として、そんな異国の習慣など、彼は今まで知らなかったのだから無理もない。政宗がBirthday Partyを開くと言い出したときも、つまりいつもの宴会ですねと苦笑いしていた。
 けれど小十郎は、政宗が思う以上に、生まれた日の意味を真剣に受け止めてくれていたのだ。
 それを今初めて言葉にして伝えられた政宗は、驚きと嬉しさとがいっぺんに胸に押し寄せてきて、対処の方法も見つからない。
「…………小十郎」
 政宗は、ようやくの思いで小十郎の名を呼んだ。
 頬を包んでいた手を取って握り返しながら、もう片方の手でしがみつくように小十郎へと身体を押し付ける。
 小十郎の首に顔を埋めるようにして、政宗は言った。
「お前がいなければ、自分の誕生日が嬉しいなんて思わなかった」
 それは、政宗の正直な気持ちだった。
 ただの南蛮好きの好奇心からだけではないのだと、小十郎に言いたかった。
 母親に顧みられずに孤独だった時期を経て、小十郎に出会った。彼のような強い男になりたくて、早く大人になりたかった幼い自分を思い出す。小十郎がいなければ、成長して年を重ねることが喜びだとは思えなかっただろう。いや、毎日の日々を過ごすことですら、小十郎が傍にいるからこそ充実しているのだ。
 誕生日という節目は、それを気付かせてくれたに過ぎない。
 政宗は小十郎の瞳を覗き込んだ。
「なあ、来年のBirthdayも祝ってくれるか?」
 途端に小十郎が小さく吹き出す。
「もう来年の話ですか。本当にせっかちな方ですね」
「だって」
 思わず子供じみた口調になってしまうのを止められない。
 小十郎が自分のことを大切に想ってくれていることは十分に解っているのに、それでも尚、求めてしまうのは、自分が貪欲過ぎるのだろうか。
「来年も、再来年も、これから先ずっと一生、お約束しますよ」
 小十郎はそう言うと、まるで約束の証のように政宗の唇に自らのそれを重ねた。
 やわらかく触れるだけのキスに物足りなさを覚えて、政宗がもっとと口走りかけた瞬間、政宗を抱いていた小十郎の腕が動いた。
「ですが……」
 丁寧だが揺らぎのない力強さで、政宗は褥の上に押し倒される。視界が回って、覆い被さってくる小十郎を下から見上げるような格好になった。
「まずは今宵を、存分にお祝いさせていただきたく」
 小十郎の眼差しが政宗を射貫く。男の瞳の色に、優しいだけではない、欲する者の情熱を感じて政宗の心音が跳ね上がった。
 しばらく燻っていた身体の熱が、焚き付けられたかのように再び急速に高まっていく。
「…………ん、小十郎……」
 早く、と続けようした言葉は、小十郎との口づけの間に溶けて消えた。








End



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