深夜残業見舞い-2-
Novel by Miyuri Akihara






「なんですか?」
「だったら、お前が代わりに読めばいい」
「……は?」
 政宗が妙に嬉しそうに言い出した提案は、あまりにも突拍子が無く、小十郎にはまったく飲み込めなかった。
「こちらにお持ちする前に、小十郎は一読しておりますが」
「違う、そうじゃねえ。お前が声に出して読み上げろって言ってんだ。それを俺はこの耳で聞くからよ」
 Nice ideaだと、政宗は自分の案に満足げのようだ。
 思いがけない成り行きに小十郎は戸惑う。
 できるだけ早く政宗を寝かせるべきだとは思うが、この事案に関しては今夜中に結論を用意しておくべきであることも事実だった。政宗の体調を大事とするのが一番ではあるが、珍しく政務に熱中している政宗がおとなしく就寝してくれるとも思えない。彼が一度言い出したら聞かない性格であることは、誰よりもよく知っている。
 この集中力が毎日きちんと持続してくれれば、そもそもこんな深夜まで執務室に籠もらなくても済むのだが……と、小十郎は声に出さずに零した。
 奥州を統べる国主としての責務を投げ出すような真似はしないものの、どうにもムラっ気があるのが、この主君の困ったところだった。
 集中している時と、そうでない時との落差が激しすぎるのだ。興味が無い時には机に向かわせるのですら一苦労なのに、いざ仕事にのめり込むと昼夜を忘れて没頭してしまう。
 高価な蝋燭を惜しげもなく使って室内を照らせば、確かに夜でも仕事はできるが、小十郎は賛成しかねた。日の出と共に起き、日の入りと共に眠る生活こそが自然だと思うからだ。
 もちろん、これが戦ともなれば夜討ち朝駆けも躊躇わないが、今は城で施政に力を入れる時期だ。英気を養うためにも規則正しい生活は欠かせない。
 無茶をする体質は健康に宜しくないと小十郎が注意しているのに、当の本人はまるでお構いなしだった。
 小十郎は深くて長い呼吸をしてから、重たい口を開いた。
「報告書を読み上げたら、すぐにご寝所に移っていただきますよ?」
「All right」
「では、報告書を取って参りますので」
 小十郎は断りを入れてから政宗の頭を持ち上げると、己の膝から慎重に降ろした。文机の前にあった座布団を手繰り寄せると、二つ折りにして政宗の頭の下に宛がう。
 小十郎はその場から一度立ち上がって、ほったらかしにされていた報告書を拾い上げると、室内の奥にいる政宗を振り返った。
 すると、寝たままの姿勢で政宗の右手だけが挙がり、チョイチョイ、と立てた人差し指を内側に向けて動かしている。
「さっさと戻って来い」
 催促されながら奥へと戻った小十郎が、政宗の傍近くに正座すると、ムッとしたような声が政宗から投げ付けられた。
「お前、主に座布団で寝かせる気か」
 言うが早いか、政宗は仰向けのまま器用に身体を捩って小十郎の膝に乗り上がった。頭を載せた膝をぺちぺちと片手で叩きながら、クスクスと笑う。
「ったく、ガッチガチの膝してやがるなぁ」
「……座布団の方がましなのではございませんか」
「No problem.俺は枕は固めが好みだ」
 再び小十郎の膝枕を手に入れて上機嫌に微笑む政宗を見て、小十郎は少しの呆れと同時に、こそばゆいような甘い痺れを持て余す。
「OK、小十郎。始めろ」
 準備万端だと言う政宗の声に、はたと我に返った小十郎は、そそくさと報告書の表紙をめくった。
 筆文字でびっしりと書き込まれた書面の内容は、当然ながら面白いものではない。これは伊達領に関する重要な資料だ。おろそかにも、ないがしろにも出来ない。自然と小十郎の表情は引き締まり、先程まで心中に浮かんでいた淡い想いも奥深くへとしまい込まれる。
 小十郎は背筋を伸ばし、厳粛に文面を読み上げ始めた。
「おい。んな、でかい声を出さなくても聞こえる」
 気負ったためか声が大きくなっていたらしく、政宗から文句が付いた。
「……は、申し訳ございません」
 政宗へと視線を落として、小十郎は詫びる。
 政宗はこのままうたた寝でもしそうなほどの穏やかな表情で、眼を閉じて朗読の続きを待っている。寝ながら執務をこなすなど本来ならば言語道断だが、今夜ばかりは致し方ない。それでも実に奇妙な有様である。
 小十郎は気を取り直して、再び書面へと向き直った。主に伝える言葉を、一言一句、間違えてはならないと、慎重に読み進めていく。
 しばらくの間、室内には小十郎が報告書を読み上げる声だけが流れた。
 三枚目を読み終え、紙をめくっている時だった。
「なあ」
 それまでずっと黙って耳を傾けていた政宗が、不意に口を開いた。
「何でしょうか?」
「お前の声を聞いてると、眠くなる」
「それは……そのようにおっしゃられても困りますが……」
 小十郎は返答に窮する。
 自分の声など今まで気にしたこともなかったが、まさか眠気を誘うような声色だったとは思いも寄らなかった。
 とは言え、謡曲や語りを生業にしているわけでもなく、地声を変えるような芸当などできるわけがない。
「お気に召さないようでしたら、他の者に代読させましょうか?」
 すると、途端に政宗は唇を尖らせた。
「バカ言え! お前の声じゃなきゃ、こんなタリィ内容聞いてられっか」
「はあ……?」
「いい声だって言ってんだ」
「…………」
 政務に関わる重要な報告書の内容を、かったるいと片付ける政宗の不遜さを諌めるべきところであるが、その後に続けられた言葉の衝撃に、小十郎はすっかり毒気を抜かれていた。
 どうやら自分の声が褒められているようなのだが、喜んで良いのか解らない。小十郎は複雑な気持ちで政宗を見下ろした。
 すると政宗は、閉ざしていた瞼を持ち上げ、僅かに覗いた左の瞳で小十郎をチロリと見返した。
「いいから続けろよ、小十郎」
 その口ぶりは少し粗雑で、どこか、焦れったいような、照れているような様子が垣間見えた。政宗はそれきりまた瞳を閉じてしまった。
 そんな政宗の言動をどう受け止めるべきか考えあぐねるが、小十郎は報告書を持ち直すと、書面に視線を向けた。
 それからは、再び、小十郎の朗読だけが淡々と室内を満たした。
 やがて、最後の一行まで読み終えると、小十郎はほっと大きく息を漏らして報告書を閉じた。
 相変わらず膝の上にあたたかな重みをもたらしている主君を窺うと、閉じられた瞼の縁を飾る長い睫毛は揺れる気配すらない。
「……これは」
 いつの間にか政宗は本当に眠ってしまったらしい。
 さすがに小十郎は呆気にとられてしまった。
 やはり己の声は眠りを誘発するものだったのか。そう言えば傅役時代も、寝物語を聞かせるとそれまで愚図っていた梵天丸様がすぐに寝入ってしまわれた、と過去の記憶まで持ち出してしまう。
 その真偽のほどはともかく、いつまでも政宗をこの体勢で寝かせておくわけにはいかない。今日は朝から深夜まで丸一日、執務室に籠もって山積みの書状と取っ組み合いを続けていたのだ。横になったことで疲れがどっと出たのだろう。
 結局、報告書の内容をどこまで聞いてもらえていたのかは疑問だが、明日の朝議の前に改めて本人に読み直してもらえば済む話である。
 小十郎は報告書を傍らに置き、政宗の身体に振動が加わらないように慎重に支えながら正座していた自身の足を解いた。そして、政宗の身体を抱き抱えて立ち上がる。
 室内を照らす蝋燭に目をやると、芯がだいぶ短くなっていた。それだけ時間が経っていたのだろう。小十郎は政宗を抱き上げたまま、明かりを吹き消して部屋を出る。
 城主の私室には、この時間であれば既に寝具の支度が調えられてあるはずだった。
 小十郎が政宗を運んで来ると、寝所に控えていた小姓は驚いたが、余計な物音を立てて政宗を起こしたくない小十郎が目配せすると、心得たように退出して行った。
 寝所に延べられている床に、そっと政宗の身体を横たえさせる。小十郎の両腕から重みが離れると、安堵したような、名残惜しいような気持ちが残った。
 政宗の寝顔を確認して、自分も下がろうと思った矢先のことだった。
 ぱちり、と音がしそうな明瞭な仕草で、政宗が眼を開けたのだ。
「ま……っ!?」
「ご苦労だったな、小十郎」
 唖然とする小十郎を見上げてくる政宗は、悪戯が成功して得意げな子供そのものの表情をしていた。
「狸寝入りとは卑怯な……まさかずっと起きていらしたんですか?」
「そうさ、仕事は最後までやり遂げろって誰かさんが常日頃うるせぇからな。ちゃあんと全部聞いてやったぜ」
 堂々と政宗は言ってのける。小十郎は全身の力が抜けていく思いがした。政宗を夜具の上に降ろした後で良かったとつくづく思う。抱えているときだったら危うく落としかねないくらいの脱力ぶりだ。
「だったら御自分の足で歩いてください……」
「何言ってんだ、役得だったじゃねえか」
 まるで見透かすように政宗が笑う。
「今日の仕事はこれで仕舞いだ。だが……お楽しみはこれからだろう?」
 含みを持たせた言葉が紡がれる唇の動作に目が釘付けになる。
 艶然とした笑みに、魂ごと引き込まれそうになる。
 小十郎は直感的に政宗から離れようとしたが、先回りした政宗の両腕が巻き付いており、後退を許さない。
「何をおっしゃるんですか。今宵はもうお疲れでしょう。それに、お加減は……」
「目薬が効いたみてぇだな」
 にっかりと笑う。笑みに合わせて細められた瞳は、涙も治まっており、いつもの強気な光が蘇っていた。しばらく休ませたことが良かったようだ。
 そして、ひとたび回復すると、平素より以上に元気になってしまうのが、政宗のたちの悪いところだった。
「知ってるか、小十郎? 寝所で聞くお前の声は……もっとイイ」
 これは明らかな誘いだ。
 小十郎はくらりと目眩がしそうだった。
 ありとあらゆる戒めの言葉が脳裏に浮かぶが、しかし、それらの中のたった一言ですら口に出す前に消え失せてしまう。
 おそらく政宗は、自身が考えている以上に魅惑的に挑発していることを理解していないだろう。強烈な色香を無自覚に撒き散らす政宗に、小十郎はどうにも意趣返しをしてやりたくなった。
 結局のところ、まんまと誘惑にはまっているのだ。
 小十郎はそれまで理性で保っていた距離を越えて、政宗に顔をぐっと近寄せる。
「さて……」
 艶やかな唇には敢えて触れず、小十郎は彼の耳元へと唇を落とした。
「閨でいつも啼いていらっしゃるのは、どちらでございましたかな」
「……っ」
 耳朶を愛撫するように唇を押しあててから囁くと、政宗の身体が敏感に跳ねた。
 途端に赤くなって睨み付けてきても、可愛らしいだけで何の反撃にもならない。強気にちょっかいを出してくるくせに、受け止める反応はいつまで経っても初心で、小十郎は自分の方こそがいつまでも翻弄されている感が拭えない。
「…………小十郎……」
 ねだる政宗にかき抱かれるのに応じて、小十郎も強く抱き締め返した。
「この声も、この身も、心も、何もかも政宗様のものですよ」
 貴方が望んでくれるなら、すべてを捧げたい。
 溢れだす愛しさのままに、小十郎は政宗に深く口づけた。










End



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