| 砂糖菓子 Novel by Miyuri Akihara |
「まあ、小十郎様! いつもお野菜をありがとうございます」 奥州伊達軍の居城、米沢城内の奥向きにある勝手口に小十郎が現われると、厨房を預かる女中たちが一斉に小十郎の周りに集まった。 彼女たちのお目当ては二つ。一つは、畑で収穫されたばかりの新鮮な野菜。もう一つは、それらの野菜を丹精込めて栽培した小十郎本人だった。むしろ後者の方に熱い眼差しを送っている者も多い。 奥州の暴れ竜の右目と呼ばれ恐れられる男、片倉小十郎。伊達軍の軍師として緻密な戦略に手腕を発揮するだけでなく、剣の腕前は達人と称され、戦場では鬼のような戦ぶりを見せる。 そんな彼の趣味は畑仕事だった。その熱意は趣味の範疇を超え、いっそそちらが本業なのではないかと思わせるほどだ。戦が無く、城内に控えている時でも業務に多忙の身だが、暇さえあれば畑を見回っている。 逞しく精悍な容貌は、農作業の軽装で土にまみれていても変わることはない。要するに、若い女中たちがこぞって夢中になるほどの男前だった。 「小十郎、今日も精が出ますね」 「姉上」 小十郎の異父姉である喜多が、厨房の土間に降りてきた。彼女は小十郎と同様に伊達家に仕え、この城の奥向きの家事一切を取り仕切っている。 喜多は、小十郎が運んできた籠の中から、野菜を一つ二つ取り出して感嘆の声を上げた。 「どれも良い出来だこと。それに今日は、菜の花も摘んできてくれたのね。おひたしにしたら政宗様がお喜びになるわ」 「ええ」 主の名前を出されて、小十郎は柔らかく微笑んだ。 小十郎や喜多をはじめ、この城に居るすべての者たちの上に立つ人物こそ、小十郎が生涯の主君として心に誓った、伊達政宗その人である。 小十郎が畑で作った野菜や野山で採ってきた山菜を、政宗はいつも美味しそうに食べる。小十郎にとって、それが畑仕事にかける情熱の原動力になっている。 小十郎は野菜の籠を喜多に渡すと、井戸で手足に付いた泥を落とした。頭に巻いていた手拭いを取り、冷たい水で顔を洗うとさっぱりと人心地がして、ふうっと大きな息を吐いた。 時間も忘れて農作業に没頭していたせいか、ふと気付くと小腹が減っている。 小十郎は厨房の板の間に上がると、壁側に作り付けられている戸棚に向かった。慣れた手つきで、戸棚の一番上にある引き手に手を掛ける。 「……?」 戸を開けて、小十郎は眉を潜めた。 戸棚の最上段は、ちょうど小十郎の目線の位置にあり、女中たちには高すぎて手が届かない。ここには普段しまわれているものは無く、もっぱら小十郎がちょっとした保管庫代わりに使っていた。 何を保管しているのかと言えば、当然、厨房という場所柄、食べ物の類だ。 小十郎は戸棚を見つめたまま、内心でひっそりと唸った。 (牡丹餅が―――無い) 良い小豆が手に入ったからと、今朝方、牡丹餅(ぼた餅)を作ったのは喜多である。 出来たての餅は家中の者に振る舞われたのだが、小十郎は畑仕事を済ませてからと戸棚にとっておいたのだ。 しかし、作業を終えて戻ってきた今、棚の中を隈無く確認しても牡丹餅どころか何も無い。もぬけの殻だった。 これは一体どういうことか。 別に、棚に鍵が掛かっているわけでもなければ、ここが小十郎の専用であることを通達しているわけでもない。しかし、こんな目立たない場所にわざわざしまってあるものを、偶然に誰かが見つけて持って行くとは思えなかった。 小十郎はさきほど野菜を渡したばかりの喜多を呼び止めた。 「姉上、この戸棚の中の……いえ、ここに誰か来ましたか?」 隠しておいた牡丹餅が無いなどと、さすがに言い出しにくかった小十郎は、姉に尋ねる内容を変えた。 唐突な問いに喜多は首を傾げながらも、そうねえ、と呟いた。 「お勝手は人の出入りが多くて、誰が来てもいちいち気にしていないけれど……ああ、そういえば、さきほど」 「……やっぱり」 最後まで聞かないうちに、小十郎はくるりと踵を返した。 「小十郎? どうしたのです?」 喜多が声を掛けるが、小十郎は振り返らなかった。 小十郎が向かう先は、もう決まっていた。 厨房からはだいぶ離れたところにある一室の前で、小十郎は歩みを止めた。 「政宗様」 廊下で正座をすると、障子の向こう側に向かって一礼する。 すると、聞き慣れたいつもの声が返ってきた。 「よう、どうした小十郎、入れよ」 政宗の許しを受けて、小十郎は部屋の障子を開けた。 室内には、書見台を置いて読書をしている政宗の姿があった。今日は差し迫った政務が無いためか、普段着の政宗自身ものんびり寛いでいるように見える。 いつもと変わった様子の無い主人の姿を見て、小十郎が安堵しかけたその直後、小十郎は書見台の傍らに置かれた小皿の存在に気付いた。 一点に視線が釘付けになったまま、小十郎は政宗に問い掛けた。 「政宗様……その皿は」 「ん? ああ、これか、もう空だから下げてくれ」 手元の本に視線を落としたまま、なにげなく政宗が言い放つ。 小十郎は唖然として、空いた皿と政宗を交互に見つめた。 「もしかして……食べたのですか……?」 すると、ようやく政宗が本から顔を上げた。 「喜多の牡丹餅は久々だったが、美味かったぜ」 けろりと応える政宗に、小十郎は呆気にとられた。 そして、みるみるうちに己の眉間の皺が深く刻まれていくのを感じた。 「……政宗様……」 主の名前を呼ぶことで、一呼吸を置いたつもりだった。 しかし、どうにも気持ちは収まらず、小十郎はあからさまに諫言する口調で政宗を窘めた。 「この城の主ともあろうお方が、つまみ食いなど何とはしたないことを!」 「俺が何食ったって俺の勝手だろう」 「みずから厨房に忍び込んで、黙って持ち出すのが問題なのです」 このご時世、いくら城中とは言え、むやみに物を口にするのは、あらゆる意味で無防備過ぎる。万が一のことがあってからでは遅いのだ。普段、政宗の食事に関しては、乳母の喜多が細心の注意を払っているが、その苦労を当の本人がぶち壊してしまってはどうしようもない。 しかし、政宗は不服そうに小十郎に反論してきた。 「人をコソ泥みたいに言うんじゃねーよ。戸棚を開けたらたまたま入ってたんだ。女中たちは誰も知らねえみたいだし、ご自由にどうぞって思うだろ普通。そんなに食われるのが嫌なら、名前でも書いておけって言うんだよ」 まるで子供の言い分だ。 がっくりと肩を落とし、頭を抱えたくなるような思いに小十郎は駆られた。 (まったく、このお方は……) 一体どこから、説教してやれば良いのか。 考えあぐねてしまい、思わず小十郎は無言になった。 しかし政宗は、小十郎を黙らせたことに満足したのか、ニヤリと唇の端を引き上げた。 「ああ、ひょっとして、これは小十郎の分だったのか? Sorry、そりゃあ気付かなかったぜ」 謝罪の言葉など口先ばかりで、まったく悪びれている様子はない。 むしろ勝ち誇ったような政宗の笑みに、小十郎は心の底から脱力したくなった。 (……解っていてやったな) 推測は、確信と言っても良かった。 長く争いの続いていた奥州を一つに束ね、独眼竜の異名を諸国に轟かせるような立場になったにも関わらず、政宗は時折、いや度々のように、とんでもない悪戯をしでかす。しかも、その標的が長年もっとも傍近くに仕えている小十郎となると、仕掛ける悪戯には遠慮も抜け目もないばかりか、内容の馬鹿馬鹿しさが三倍増しになる。つまり、まるっきり子供時代のレベルに逆行するのだった。 どこでどう間違って、こんなやんちゃに成長してしまったのかと思うと頭が痛いが、そんな政宗を育てたのは傅役である自分自身なのだからどうしようもない。しかし、今からでも教育は遅くないはずだ、と小十郎は改めて自分の務めを思い直すのだった。 「その行儀の悪い口を何とかしなければなりませんね」 そう宣言すると同時に、小十郎は、ゆらりと立ち上がった。そして、静かな足取りで政宗へと近付く。急に間合いを詰められて、政宗がぎょっとしたように身構えた。 「小十郎、まさかマジで怒ってるとか言うなよ……?」 隻眼を大きく見開いて小十郎を見上げてくる政宗に、小十郎は不自然なほどにっこりと微笑んだ。 「ご存じですか政宗様、食べ物の恨みは怖ろしいのですよ」 丁寧な言葉遣いは崩さないが、有無を言わせぬ迫力を滲み出す。 小十郎は政宗のすぐ目の前で膝を付いた。 ただならぬ気配を察した政宗が逃げ腰になるのを許さず、小十郎は政宗の肩に手を回した。 そのまま、ぐいっと身体を抱き寄せると、すぐさま唇を重ねた。 「……、……」 まさに、問答無用で口を塞いだ格好だ。 不意打ちされたも同然だった政宗は、一瞬のあいだ全身を硬直させていたが、慌てて抵抗を試みる。しかし、小十郎の腕は強く、がっちりと政宗を閉じ込めている。身じろぎすら出来ない状態に、政宗は更に焦ったようだ。僅かに唇が離れそうになった瞬間に、抗議の声を上げようとした。 「……はな、っ!」 しかし、それは隙を誘い出す小十郎の罠だった。 開かれた唇の隙間を狙って小十郎が再び食らい付き、あっという間に歯列を割って、舌を滑り込ませた。 「……っ……ふぁ……」 舌を絡め取って吸い上げる。 すると政宗が肩を少し揺らしたが、しかし今度は抗う素振りはなかった。小十郎があやすように舌を絡ませているうちに、緊張した身体は徐々に緩んできて、いくらも経たないうちに小十郎に体重を預けるようになった。 あたたかく潤んだ口腔を、小十郎は余すところなく舌で辿った。まるでじっくりと味わうかのように唇を離さない。 「…………ン、……ぅ……」 ろくに余裕を与えられないために、思うように息が継げず、政宗が喉の奥で苦しげな声を漏らす。その音色すらも自らに取り込むように、小十郎は尚も政宗の口内を貪った。混ざり合い、どちらのものか判らなくなった唾液が溢れて、政宗の唇の端からこぼれ落ちていく。 「んっ……」 長かった口づけが、ようやく解かれる。 いつしか閉じられていた政宗の一つの眼が、ゆっくりと見開かれた。とろりと蕩けたように焦点を彷徨わせる姿は、再びキスしたくなる衝動を十分に誘う色香があった。 抱き締めたまま、小十郎は政宗の耳元に唇を寄せた。 「政宗様」 「っ、耳やめ……っ」 直接、小十郎の声で名前を吹き込まれた政宗が、ビクリと身を震わせた。彼は耳に触れられるのが弱いのだ。 小十郎は尚も耳朶に唇を添えたまま、言葉を続けた。 「どうして嘘をおつきになる」 「う、嘘って……」 「本当は、食べてなどいないでしょう?」 「なっ…んで、わかるんだよ…っ」 政宗が強がると、小十郎はきっぱりと言い切った。 「牡丹餅の味がしません」 「……っ!?」 その途端、政宗に思いきり突き飛ばされた。 六本の刀を持つことができる両腕で、手加減無しに腕力を発揮されると、さすがに小十郎も身を剥がさざるを得ない。 緩んだ腕の隙間から素早く抜け出ると、政宗は立ち上がって小十郎を睨み下ろした。 「てっめえなあ…っ、人の口ン中、味見してんじゃねーよっ!」 叫ぶ政宗の顔は、これ以上ないほど真っ赤に茹で上がっていた。 「だいたい、Kissの最中に何考えてやがんだ! 俺よりも牡丹餅が大事か!?」 政宗は口づけに完全に我を忘れて溺れきっていたというのに、小十郎にはよそ事を考える余裕があったことが悔しいらしい。仁王立ちになり、地団駄を踏みそうな勢いで激怒している。 しかし政宗の癇癪など慣れきっている小十郎は、この程度のことでは動じることもない。さて、どうやってこの場を治めようかと考え始めた矢先、ふと、視界の端に思いがけないものが映った。 「これは」 小十郎がそれに手を伸ばすと、政宗はハッとしたように表情を変えた。 「Shit…! バレちまった」 政宗が舌打ちする。 さきほどまで政宗が座っていた場所の後ろに、小さな皿がひっそりと置かれていた。まるで政宗の背後に隠されていたようなその皿には、まるまるとした牡丹餅が一つ載せられている。 小十郎は皿を取り上げた。牡丹餅は喜多が作ったもので間違いないが、この皿には見覚えがなかった。もともと小十郎が使っていた皿は、部屋を訪れたときには既に空っぽになって目の前に放置されていた。わざわざ皿を入れ替えて隠すなど、政宗の意図がわからない。 「どうしてこのようなことを」 「うるせえ。ちょっとしたJokeだ」 政宗は、ふて腐れた表情でそっぽを向いた。 「小十郎をたばかって楽しんでおられるにしても、あまりにもくだらない……」 すると、政宗は急に眼差しをきつく絞って小十郎を睨み付けた。 「お前が悪い」 いきなり責任転嫁されて小十郎は首を捻った。 「なぜ小十郎が」 「せっかく政務も片付いて、しかもこんなに良い天気なのに、お前ときたら畑に行ったきり帰って来ねえ」 「はい?」 急ぎの仕事もなく、晴天だからこそ土いじりには絶好の機会だったのだ。ところが政宗はそんな小十郎の行動に立腹している。正直言って、小十郎にはまったく理解できなかった。 「お前がそのコワモテに似合わず甘いものが好きだってのは知ってるからな。こうして仕掛けておけば、こっちに飛んで来ると思ったんだよ」 「…………」 頬に刀傷のあるこの顔が、強面かどうかはともかく。 つまり、空いた時間に政宗の元には訪れず、畑仕事に夢中になっていたのが気に入らない、ということらしい。 あまりの理由に、小十郎は絶句してしまった。 その沈黙に居たたまれなくなったのか、政宗は噛み付きそうな勢いで毒づいた。 「なんだよっ、どうせ呆れてるんだろうっ」 「……そのとおりですが」 これが呆れずにいられようか。 しかし小十郎が肯定すれば、案の定、政宗は頬を膨らませる。 「俺が退屈してると思わなかったのかよ」 「そんなに退屈なら、畑を手伝っていただいてもよろしかったのですが」 そう言い返しつつも、小十郎は政宗に手伝いなど期待していない。政宗は決して農作業が嫌いというわけではないが、なにしろ飽き性で、地道な畑の手入れに向いていない。しかも、どうせすぐに小十郎にちょっかいを出し始めるのだから、むしろ居ない方が小十郎の作業ははかどる。 やれやれと溜息を吐くと、小十郎は気持ちを切り替えた。 小十郎がゆっくりと立ち上がると、政宗がビクリと反応したが、構わずに部屋を横切った。 「その牡丹餅はどうぞお召し上がりください。小十郎は茶を淹れて参ります」 「ちょっと待てよ、小十郎」 慌てたような政宗の声に呼び止められて、小十郎は出入り口の障子にかけた手を止めた。 政宗は両手で皿を持って、小十郎を見上げてくる。 「これ、本当はお前が食べたかったんだろ。大事にしまったあったんだ」 焦ったように取り成そうとする様子に、小十郎は政宗の真意に気付く。 食べてしまったかのように見せかけておいて、実は保管してあったのは、最初から小十郎に返すつもりだったのだろう。 政宗は、小十郎の好物をちゃんと知っているのだ。 小十郎は穏やかに笑いかけた。 「いいんですよ。政宗様も、牡丹餅はお好きでしょう」 「でも」 政宗はばつの悪そうな口調で言い淀んだ。 落ち着かなさげに牡丹餅と小十郎の顔を交互に見比べた後、ぱっと閃いたように口を開いた。 「それじゃあ、半分こしようぜ?」 我ながら良い案だと思ったらしい。 瞳を輝かせて上目遣いで小十郎を窺ってくる政宗の様子に、小十郎は目を瞠った。 さんざん我が侭を振りかざしていたかと思えば、急にしおらしくなる。 くるくると変わる表情は、小十郎を惹き付けてやまない。 やり方はともかく、小十郎のことを全身で想っているのだと、言動の端々から手に取るように伝わってくるのがいじらしい。 小十郎は、柄にもなく甘いものが好きだ。 しかし、その最たるものは、目の前にいるこの年若い主君に違いない。 触れれば、どんな砂糖菓子よりも甘いのだ。 この極上の甘さに虜になっている。そんな自覚が小十郎にはあった。 「政宗様の思し召し、小十郎は有り難き幸せにございます」 小十郎は、溢れそうになる愛おしさを胸いっぱいに抱えながら、深く一礼した。 「な、なんだよ、改まって、おおげさな奴だな」 政宗は小十郎の態度に驚いたようだ。いや、どちらかと言うと照れているらしい。もごもごと口の中で呟いている。 (―――可愛らしい) そう思って、つい、じっと凝視していると、政宗に睨まれた。 「いいから、早く茶を淹れて来いよ」 「はい」 小十郎はもう一度微笑んでから、二人分の茶を用意すべく、部屋を後にした。 END |
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