| 誘惑の作法 2011.05.03発行 A5/42P/400円/R-18 本文サンプル |
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「おう、Chocolateっていうんだ」 「ちょこれーと?」 「異国じゃ、バレンタインデーっていう行事があってな、チョコレートって菓子を贈る風習があるんだよ」 「異国の菓子ですか」 耳慣れない単語に小十郎が首を傾げている。チョコレートを見つめる視線には若干の戸惑いも窺えた。 菓子と説明されても、食べ物には見えないのだろう。実際、政宗も懇意にしている南蛮商人に勧められて初めて見たときは、泥の塊かと思ったくらいだ。 しかし、異国ではチョコレートは貴族しか口にできない高級品としてもてはやされているらしい。ましてや、我が国で手に入れようと思ってもできるものではない。 それだけに値の張る買い物だったが、政宗が購入を決めたのは、バレンタインという風習について異国の書物で読んだことがあったからだった。 一方の小十郎は、たとえ得体の知れないものでも、主君からの突然の計らいには素直に感激しているようだ。 「斯様な貴重なものを賜るとは、なんと勿体ない」 「商人から買ったのは板きれの形だったから、俺が異国のレシピで団子にしてみた。トリュフって言うらしいぜ」 小十郎の好反応に気を良くして、政宗は得意げに説明してやる。 「政宗様みずからお作りになられたとは……そうとは知らず、昼間は頭ごなしにお諫めしてしまい、申し訳ありませんでした」 「なあなあ、食ってみろよ」 早速とばかりに小十郎に勧める。 「せっかく頂戴したものを、すぐに食べてしまうのは惜しい気がいたします」 主みずからの拝領品として、神棚にでも祭って毎日拝みそうな勢いだった。事実、小十郎は、政宗が戦功の褒美として与えた武具や馬から、走り書きで渡した小文に至るまで、すべて後生大事に扱っている。 「食い物なんだから食わなきゃ意味ねぇだろ。遠慮はいい」 「は、では」 小十郎は懐から懐紙を取り出すと、茶席さながらの丁寧な所作で一粒を摘んだ。 ゆっくりと口元へと運んでいく様子を、政宗は固唾を呑んでじっと凝視してしまう。 まさに一口目を口にするかという手前で、ふと、小十郎は思いついたような顔をしてまったく別の話を持ち出した。 「……そういえば、昔、梵天丸様にも団子を作っていただいたことがございましたな。あの時は泥を捏ねた団子を無邪気に差し出されて、いささか困った記憶がございますが」 「これは泥じゃねえぞ! それにガキのときの話はするなって言ってるだろ」 唐突に過去の思い出話を披露する小十郎に、政宗は頬を赤くしつつ唇を尖らせた。自分の幼少時代を知る男というのは往々にして厄介だ。覚えていて欲しくないことまで延々と記憶されている。 「泥団子が異国の菓子に変わるとは、時の流れを感じますな……」 まだ思い出に浸っているらしい。どこか遠くを見るような眼は、やんちゃだった主君の幼い姿を愛おしんでいるのだろうか。 政宗にとっては、恥ずかしいことこの上なかった。 「いいから食えって」 苛々と顎でしゃくった。 しかし、小十郎は懐紙に置いたチョコレートをしみじみと眺めるばかりで、なかなか食べようとしない。ありがたがっているのは解るが、やけに勿体ぶっているとしか思えない。 なにしろ政宗は気が短い。小十郎が臣下の喜びを噛み締めている時間とやらは、どうにも焦れったく、長々しいものに思えた。 いっそ、口の中に押し込んでやろうか。 もし自分だったら、嬉々としてすぐに飲み込んでいるだろう。一国の領主として警戒心は強い方だが、小十郎から差し出されるものに関して疑ったことはない。 「……」 そこまで考えて、ふと、政宗の脳裏に不穏な直感が過ぎる。 (コイツ、もしかして、勘付いてるんじゃねえのか?) こと政宗のことに関しては、人並みはずれた洞察力と記憶力を発揮する男だ。性格も癖も知り尽くされている。昔から、小十郎には隠し事がうまくいった例がない。 今日だって、黙っていたのに厨房を使っていたことは伝わっていた。 そこで何を調理していたのかも、知られていてもおかしくはない。 充分にありえる話だった。 なまじ自分に後ろめたいことがあるから、疑心暗鬼に駆られるのだということに、政宗は気付いていなかった。 「STOP!」 突然、声を荒げた主君の剣幕に、小十郎が気押される。 「政宗様?」 真っ直ぐに不思議そうな視線を投げかけられると、落ち着かない気分になる。少し逡巡してから、政宗は意を決して切り出した。 *サンプル終わり* Novel by 秋原みゆり |
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