咲かせ初恋

2012.5.4(スパコミ)発行
A5/44P/400円/R-18


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 今日も熱心に馬に乗っていた梵天丸は、ふと、馬場に立って様子を見守っていた小十郎へと声を掛けた。
「小十郎、もっと広いところを走りたい」
 馬を尊重する家風らしく、城内の馬場といえども充分な広さがあったが、梵天丸には既に物足りなくなっていた。
 ごく自然と湧き上がってきた気持ちを何気なく口に乗せただけだったのに、小十郎が目を瞠って見返してくる。
 もしかして、言ってはいけないことを言ってしまったのだろうか。
 にわかに表情を曇らせる梵天丸の戸惑いを、すぐさま小十郎が打ち消した。
「ええ、勿論ですとも」
 思いがけず力強く肯定され、今度は梵天丸のほうが驚いてしまう。小十郎は更に驚くべき提案を重ねた。
「今少し鍛錬なされば、野駆けにお連れすることもできますよ」
「本当か?」
「はい」
 野山を馬と共に駆け巡るなど、わずか一ヶ月ほど前の自分には、夢に見るどころか、思いつきもしなかった。
 馬上から眺める景色は、梵天丸に一段も二段も高い世界を見せてくれる。馬術の鍛錬なら、毎日だって苦ではない。梵天丸は、初めて得る充足感に大きな喜びを感じていた。
 楽しい時間は瞬く間に過ぎ、そろそろ厩に馬を返そうかという頃だった。
 にわかに馬場の向こうにある館の方面がざわつく。
 城に仕える若い兵たちの大声が飛んで来る。
「早馬だ! 早馬が城に着いたぞ!」
「すぐにご家老に報告しろ」
「三日も寝ずに走り詰めだってよ、おい、誰か水を持って来い!」
 矢継ぎ早に飛び交う怒鳴り声の物々しさは、こちらにまで筒抜けの有様だった。伊達軍は勇猛果敢な気風で知られているとおり、普段から彼らの言動は荒々しい。
 馬場は、主に下級武士たちの詰め所にほど近く、城の表の様子が垣間見えた。
 梵天丸は、馬の脚を止めて喧噪の方へと視線を向けながら、ぼそりと呟いた。
「最近、早馬が来るのが増えた」
 城は軍の要塞であると同時に、国の施政の場でもあるから、内外の使者が出入りすることは日常茶飯事だ。しかし、武装した兵が毎日のように駆け込んでくる光景は、穏やかなものとは言えない。
「鍛錬の掛け声はうるさいし、見回りの兵も増えた……みんな、やけにぴりぴりした顔をしている」
「お察しがよろしい」
 小十郎が馬の元へと近付いて来る。梵天丸へと手を伸ばし、馬から降りるよう促してきたが、梵天丸は取り合わなかった。
「戦になるのか」
 梵天丸の問い掛けに、小十郎はあっさりと認めた。
「隠し立てしても仕方がありません」
 梵天丸の胸に、不穏な胸騒ぎがこみ上げてくる。急き立てられるように、別の質問を投げかけた。
「小十郎は、戦に出たことはあるのか?」
「ええ、まあ」
「何度出たんだ? 初陣は勝ったのか?」
「……初陣なんていう立派なものではございませんよ。元服すれば、兵の頭数として駆り出されますから、気付いたときには戦場のど真ん中に放り込まれていただけです」
 何でもないことのような無関心さで小十郎は言うが、初めての戦で激戦地に送られて無事に生還できたのは、単に運が良かっただけではないだろう。
 生まれたときから城で暮らす梵天丸には、戦場の過酷さなど知るべくもない。
 想像もできないような修羅場をくぐり抜けてきた男なのだと知ると、小十郎への見方が少し変わったように思った。
 自分だって家中では若輩のくせに、妙にふてぶてしいと言うか、肝が据わっているのは、そのせいなのか。
 小十郎が傅役としてやって来たのは、昨年の秋の終わりだった。
 雪深い奥州の地では、冬には戦はしない。だから、ついぞ戦のことなど忘れていた。
 小十郎が梵天丸の元にやって来てから、初めての春。長く厳しい冬を乗り越えて、一斉に花々が咲きほころぶ、歓びの季節だ。
 梵天丸にとっては、過去と決別し、新しい人生を歩む門出の時にもなった。
 しかし春は、雪解けと同時に、思いがけないものまで芽吹かせてしまう。因縁とも言うべき近隣の有力者たちとの争いが再燃し、あちこちで戦が起きる時期でもあるのだ。
 戦になったとして、子供である自分に為す術はない。
 だが、小十郎は――― どうするのだろうか。
 今まで一度も考えなかったことに、梵天丸は気付かされた。
 そもそも小十郎と出会って、まだ半年しか経っていない。けれど、この半年間は梵天丸にとって大きな変化をもたらした。何より、病で潰れた右目を切り取るという試練を乗り越えたばかりである。
 その傷跡もまだ癒えていないのに、新たな現実を突き付けられるのか。
 梵天丸は上擦りそうになる声を抑えながら、問い掛けた。
「今度も……戦に行くのか?」
 小十郎は梵天丸の傅役である。梵天丸を養育することが第一の役目なのだから、戦に出掛けてしまっては、責務を放棄することになる。それに、戦になっても伊達軍のすべての兵士が出陣するわけではない。国主が留守にする間、領内や城を守る兵も必要だ。
 小十郎が城に残る可能性はある。
 そんな梵天丸の淡い期待は、小十郎自身の言葉によって打ち砕かれてしまった。
「殿より、此度は本陣に加わるよう、お召しを賜りました」










*サンプル終わり*
Novel by 秋原みゆり


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