Share
  1. 競馬のお時間 >
  2. そこに馬がいるからだ >
  3. 白面の貴公子

2008年度優駿エッセイ賞落選作品 白面の貴公子

09/9/28

 この作品は雑誌『優駿』で毎年行っている「優駿エッセイ賞」に2008年度に応募したものです。2004年に応募した時は初の応募ながら1次選考を通過しましたが、今回は見事に(3年連続)1次選考で落選しました。入選作の著作権はJRAに帰属することになっていますが、本作品は入選はしていないので著作権は私にあると判断し、この場を借りて公開します。昨年に続き今年も優駿10月号の時点で1次選考落ちを確認できたので4年前より1ヶ月早く公開できます(苦笑)。私の一口出資馬のある馬について書いたものです。2年前にこのテーマで書こうと考えたのですが、昨年一昨年はもっと他に書きたいテーマがあったので、3年越しに書いてみました。

白面の貴公子

 私は一般庶民である。一般庶民にとって競走馬の馬主になるのは、儚い夢であるものの、かなり敷居が高い。しかし、馬の代金を口数で割った額を出資する一口馬主であれば一般庶民がどうにか捻出できる資金で馬主気分を味わうことができる。その一口馬主クラブに申し込んでみたのだが、最初に出資した馬は中央では入着せず怪我で引退。それよりも残念だったのが、持ち馬がなかなかデビューしないということ。デビューしたのが3歳の6月。ダービーが終わった後であった。その次に出資した馬も3歳の7月にデビューして1戦して惨敗して引退。出資した馬がなかなかデビューしないのだ。できれば早いうちから楽しめる馬、そういう馬に出資してみたい。
 そこで仕上がりの早いことでおなじみの山内厩舎へ入厩予定の馬に出資することとした。私が会員であるシルクホースクラブには、その世代で山内厩舎に入厩予定の馬が2頭いた。1頭はシルクプリマドンナの弟のコジーン産駒(後のシルクコジーン)。GT馬の仔だけに値が張る。もう1頭は母バックトゥイーストのイシノサンデー産駒。父のイシノサンデーは山内厩舎に所属していた皐月賞馬。兄にはスプリングSの勝ち馬で種牡馬にもなったアズマイーストがいる。優良厩舎に入厩予定の割には値段が手ごろで血統的にも悪くない。という訳で安い方の山内厩舎の馬に出資することに決めた。これが後に「白面の貴公子」と呼ばれる彼との出会いのきっかけであった。
 その山内厩舎のシルクの馬であるが、シルクのパンフレットの写真を見ると、顔面の白斑の付き方が独特である。どのような独特さか?それは左右が思いっきり非対称であるということだ。右から見れば普通の流星。しかし、左から見れば、その白斑は目をも覆っており、顔全体が白く見えるのである。葦毛や白毛では無い。れっきとした鹿毛馬である。この左半分が真っ白なフェイスが、後に「白面の貴公子」と呼ばれることになった所以である。
 その山内厩舎の馬の名前は何か?出資申し込みをして抽選をくぐり抜け、出資決定した時点ではまだ無かった。その後公募により馬名が決まった。顔だけではなく名前も個性的だ。その白面の馬に名付けられた馬名は「シルクボンバイエ」。ボンバイエとはスワヒリ語で「やっつけろ」という意味であるのだが、アントニオ猪木の入場曲でお馴染みの「猪木、ボンバイエ!猪木、ボンバイエ」から取った名前だということは明白である。顔が個性的な上に名前も個性的であるということが、この馬を一般のファンにまで強く印象付けた一員であろう。出資者としては何とも複雑な気分であるが・・・。
 そのシルクボンバイエ君のデビュー戦は2003年1月18日の小倉競馬場の新馬戦。デビューが早いと思って出資したのだが、結局は年明けデビュー。それでもそれまで出資した馬よりはデビューは早い。デビュー前から調教で古馬に先着するなど話題となっていた。
 そのシルクボンバイエが小倉でデビューする当日、私は小倉へ遠征することにした。シルクボンバイエは前週の調教で古馬に先着したということもあり、週刊競馬ブックの記者の「今週の狙い馬」のコーナーでは、何人もの記者が注目していた。他に狙い馬として挙げられている新馬はおらず、ボンバイエの1番人気は必至だった。「これはいけるかも。小倉まで見にいこう。」ということで遠征を決心した。それから実はこの時点で既に私はJRAの競馬場では小倉以外の9場には既に行ったことがあり、小倉に行けばJRA全10場踏破であるという事も私を小倉遠征にいざなった理由の一つだった。
 日が出る前に自宅を出て空路東京から福岡に向かい、小倉競馬場に到着。入場券を買い、門をくぐり競馬場内へ足を踏み入れる。JRA全10場制覇の記念すべき瞬間。その瞬間全身にあふれんばかりの感動と感慨がみなぎり、脳裏には初めて競馬場にいった時のことや万単位の大勝負が外れてその場にぶっ倒れたこと万馬券を当てたこと有馬記念の前日の競馬場前に徹夜で並んだことなど競馬人生における悲喜こもごもの思い出が走馬灯のように駈け巡る・・・といった暇は無く、すでにボンバイエのデビュー戦第4レースのパドックが始まっていたので慌ててパドックへと向かった。我がシルクボンバイエもパドックを回っている。左右非対称の大きな流星が特徴的な馬だが、その顔には家紋入りの山内厩舎のピンクのメンコが付けられているので顔までわからない。パドックにはシルクボンバイエの横断幕が貼り出されていた。出資者だろうか、それとも猪木ファンだろうか?
 そしてまもなく本場馬入場が始まった。入場の音楽は猪木のテーマではなくて、普通の平場の入場曲だった(当時は新馬戦専用入場曲は無かった)。最近では特別戦でレース名等にちなんだ音楽が使われることがあるが、さすがに出走する特定の馬にちなんだ曲は無理なのだろう。
 シルクボンバイエの単勝は珍名馬ファンや猪木ファンが馬名入りの馬券を買おうとして必要以上に人気になりそうなのでボンバイエを頭にした馬単馬券を買った。ちなみにシルクボンバイエは堂々の1番人気で単勝2倍。 ゲートが開いてレースがスタート。ボンバイエは3番手ぐらいに付ける。3コーナーで下がっていったので一瞬ヒヤリとしたが、4コーナーで大外に持ち出し、追い込んでくる。最後はルメール騎手騎乗のスターイレブンとの一騎打ち。叩き合いの末4分の3馬身差でシルクボンバイエの勝利。デビュー戦1番人気での勝利。私にとって出資馬がデビュー戦で勝利するのは初めてだし、1番人気での勝利も初めてである。
 そしてボンバイエ君の2走目。京都で行なわれる梅花賞だった。芝2400mのレースだ。頭数が少なく相手も手頃だったので絶好の勝機だったので、京都まで遠征に行った。競馬場では一緒に居た友人が電話で何やら話している。京都のパドックでは異変が起きたらしい。急いでパドックまで向かった。その異変とは、何とシルクボンバイエは山内厩舎の馬にもかかわらず、厩舎では必ずつけるシンボルマークのピンクのメンコを付けていなかったのである。山内と言えば家紋入りメンコだが、この日のボンバイエはメンコ無しの素顔で登場である。顔の白斑がかなり目立つ馬であり、栗毛なのに白い顔は一部の人の間では有名である。しかも片方だけ目に白斑がかぶっているし。やっぱり、顔が売りの馬なのでファンの間から厩舎に「メンコは付けないでくれ」と要望が殺到したのだろうか?
 というわけで梅花賞にはシルクボンバイエが「素顔のまま」で登場。レースの方は後方から3番手に付けたが、最後のコーナーで外に出して上がってくる。そして難なく抜け出して初戦よりも強い勝ち方で勝利。
 そして表彰式。特別レースなのでウイナーズサークルでは勝利騎手インタビューが行われた。「この馬の魅力はどんなところですか?」という問いに対して、騎乗した村本騎手は「フェイスですかネ」と応えていた。粋な答えである。出資者としては顔だけではなく実力も売りにして欲しいのだが(笑)。
 2戦2勝でいよいよクラシックへ。3戦目は重賞の毎日杯。シルクボンバイエは堂々2番人気。重賞制覇のチャンス。これは見に行くしかないだろうということで阪神競馬場へ遠征。例によってメンコを着けずに登場。レース前は期待に満ち溢れていたが、結果はビリから2着。期待していたのに残念だ。
 春のクラシックには出走できなくても、秋には菊花賞が残っている。1000万条件の鳴滝特別で勝ってくれれば菊花賞には出走できたのだが、3着に敗退。結局抽選対象になったが、菊花賞には出走できず。
 3勝目はこの年のJCの日までお預けとなった。その日は雨の降る日だった。ボンバイエはオリエンタルSに出走することになっていたのだが、鞍上はこの年JRAに移籍したアンカツこと安藤勝己に乗り替り。勝機である。雨が降り泥だらけの馬場で激しく追い込み、1番人気タイキアルファをクビ差征しての勝利。その特徴である大きな流星が泥で汚れていた。しかし、これも激戦の証である。
 この時点で彼は条件馬だったが、人気のある馬で「白面の貴公子」という異名も付けられていた。インターネットでは「シルクボンバイエを有馬記念に出走させよう」とファン投票を持ちかける人も出没した。結局有馬記念には選出も出走もしなかったのだが。
 その後2戦して休養。復帰戦は翌年6月の函館競馬場。メインレース五稜郭特別。夏のローカル開催とはいえメインレース。今では休刊となっている「ホースニュース馬」では、新聞の一面の見出しを彼の名が飾っていた。どの予想家もグリグリの◎を打っていた。確勝級だ。私は単勝5万円の大勝負。・・・しかし、期待に反して7着に敗退。その後は函館で2連勝を飾り、翌年初頭に行なわれたシルクホースクラブのパーティーの1年間を振り返るコーナーでは「7月はシルクボンバイエの月でした」と紹介されたのだが、私が馬券で大勝負をした時に来て欲しかった・・・。
 その後は休養に入り、翌年復帰するが復帰後は精彩を欠く内容。アンカツが乗ってもダメ。引退レースとなった但馬Sでは山内厩舎のピンクのメンコを着けてきた。もうこれで引退なのか。最終戦は「白面の貴公子」ではなく、「山内厩舎の馬」で終わらせたかった。そういう厩舎サイドのメッセージなのかも知れない。
 引退後は栗東の乗馬苑で余生を送ることになったそうだ。そのフェイスが売りだけに乗馬でも人気はあるのだろうな。誘導馬になって欲しかったのだが、その望みはかなわないままである。


「そこに馬がいるからだ」へもどる
「競馬のお時間」へもどる