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私を競馬に没入させた2人のライター

 〜寺山修司と須田鷹雄〜

00/2/1



 私が競馬にのめり込むきっかけとなったのは、寺山修司の「競馬への望郷」という本だ。それを読む前からWINS後楽園に出入りし、馬券を買っていたのであるが、その本を読んで競馬に本格的にのめり込むことができた。その本を読むまでは私にとって競馬は単なるギャンブルでしかなかったが、寺山修司の本を読んで競馬のドラマ性みたいなものを感じ取って、ますます競馬にのめり込んでいった。

 競馬は2つの世界でパラレルにドラマが進行していると思う。一つは馬や騎手が主人公の外ラチの向こう側の世界、もう一つは馬券を買ってレースを見る一般庶民が主人公の外ラチのこっち側の世界だ。寺山修司の作品はその2つの世界で行われるドラマを、同じ次元で語っている。舞台はドロドロオヤジ達の巣食う飲み屋だったりするが、競走馬がそこで行われるウエットなドラマの中で語られているのだ。

 また、騎手列伝という外ラチの向こう側だけで行われるドラマもなかなかよかった。柴田政人の若い頃の苦労(アローエクスプレス事件)を寺山作品を読んで知っていたからこそ、当時競馬を始めてから半年ほどしかたっていない私がウイニングチケットのダービーで(馬券を外したにもかかわらず)体が震えるほど感動できたのだろう。

 このように寺山修司で競馬にのめり込んだ私をお笑い派に転向させたのが自称お笑い競馬ライターの須田鷹雄である。彼は競馬の世界にお笑いを持ち込んだ先駆者ではないだろうか。彼の独特の文体は非常に素晴らしい。

 彼の素晴らしさはお笑い調の文体だけではなく、その競馬観にあると思う。彼は競馬だけではなく競輪等の他のギャンブルも心得ていて、海外でもマカオのカジノの大ファンであるなど、ギャンブルというもの全般に造詣が深い。また、いわゆる「穴場の文化」というものもきちんとわきまえていて、意外に本格派なのである。私は須田鷹雄の得意分野であるPOGにはそれほど興味はないが、それでも須田鷹雄のファンなのである。

 彼の95年の著作で「ザ・最強のおもしろ競馬劇場の法則now(あすか書房から「須田鷹王」の名前で出ている)というのがある。タイトルを見てお笑い競馬本だと思って買って、読んでみたら馬券必勝本だった。馬券本といっても須田鷹雄らしいお笑い調の文体だったが(タイトル見てお笑い馬券本だと思って買ってしまった人のために所々にギャグをまぶしておいたみたいなことが前書きに書いてある)。この本の第1章が、「人は何故ギャンブルをするのか」ということに始まり、この本のポリシーみたいなことが書いてある。いわゆるオッズの盲点をついて期待値を上げるというやつだ。ギャンブルとして当たり前のことだが、馬券にはまったドロドロオヤジですら意外に忘れかけているようなことが書いている。当たり前のことを書いてあるようだが、是非読んでみることをおすすめする。2章以降はその考えに基づき「どんな馬券を買えばいいか」がデータを元に分析されていて、95年時点のものなのでちょっとデータが古いかもしれないが、応用は利くはずだ。そもそも、私はそれを読んで馬券で儲けて欲しくて勧めているのではなく、ギャンブルの原点を(比較的読みやすい文章を読んで)再認識させられる代物だからお勧めしているわけだけど。

 このような競馬の本質がわかっている人間の書いているものだからこそ、お笑い競馬本なども楽しく読めるのだと思う。G1のファンファーレの時に手拍子するような人間が競馬をネタにしたお笑いをやっても興ざめしてしまうかもしれないし。

 寺山修司、須田鷹雄に共通していえることは競馬を単なるギャンブルでも単なるスポーツでもなく、「文化」として捉えているところだと思う。競馬ライターといえばギャンブルかスポーツかどっちかに偏った語り口の作家が多いが、彼らは非常にバランスが取れていて、更に”競馬文化=ギャンブル+スポーツ+α””α”部分の書き方もうまい。その”α”の部分を感じ取るということが競馬観を広めるという意味で重要なことではないだろうか。


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