障害レース改革 何が変わったか

(00/5/9)

 1999年の障害レースの見直しで障害レースが改革された。障害レースについて Part2で書いたが「ジャンプレース」という愛称もついた。どのように変わったかというと、

  1. グレード制導入
  2. 400万条件の廃止&オープンレースの増加&400万条件の廃止
  3. 直線への置き障害の設置
  4. 場内放送でのカメラのアングル
  5. 障害専用ファンファーレ
  6. 国際招待レースの創設
ということがあげられる。もちろん厩舎の障害馬用の馬房の優遇等、一般のファンには見えにくい部分の改革も行われているのだが、今回はこれらの「目に見える改革」について順を追って見ていこう。
1.グレード制導入
 まず、障害レースにグレードがついた。いままでも重賞というものが存在したが、それにグレードがつくことによってレースの格がはっきりしたような気がする。平地でグレード制が導入されているのだから障害でもグレードがあるのが当然であるので、遅すぎたという感じもしないでもないが、やらないよりはずっといいのでよしとしよう。

2.400万条件の廃止&オープンレースの増加
 これについては賛否両論なのかもしれない。まず、メリット。障害オープン馬の数が増えるので少頭数になりがちだったオープンレースに馬が集まるようになったということ。また、400万条件廃止に伴ってオープンレースが増えたことで重賞を狙う馬達の足慣らしのステップレースが増えたのは喜ばしいことである。以前ならオープンレースがあまり行われていなかったので、そういう馬達が出走できるレースは限られていたわけだし。

 デメリットは1勝でもしてしまえばオープン馬になってしまうということである。障害未勝利を勝ちあがる馬の中には本当に強い馬もいるが、フロックで勝ってしまう馬もいる。フロックとまではいわないまでも、たまたま出走したレースがレベルの低い馬ばかりで勝ってしまったという馬もいる。そういう馬たちがオープン馬の称号の下に強い馬と戦わなければならないというのはなんとも。また、クラスが2段階よりも3段階のほうが馬の層が厚くなると思う。

3.直線への置き障害の設置
 「迫力のある飛越シーンをファンの目の前で」ということで導入されたのが最後の直線での置き障害である。阪神等の重賞ではスタンド前の直線を逆回りでスタートなので、スタート直後にも置き障害を飛んだりする。

 観戦に来ているファンに近いところで飛越が行われることもいいことだが、それよりも最後の直線にまで障害があるので平地の脚だけで決まってしまう可能性が減ったというのもいいことである。ただ、実質的な直線が短くなり先行有利になったということは否定できないが。

4.場内放送でのカメラのアングル
 これは完全なるファンサービスである。レースの内容とは直接関係ない。障害を飛ぶシーンになると通常道中をいくときに遠くから撮っているカメラが、障害の近くに設置された特設カメラの映像に切り替わる。このカメラがないとたいていのファンは飛越シーンを遠くから眺めているだけなので、特設カメラによって障害競走の魅力である飛越がアップで見れるのが非常にすばらしい。

 ちなみにこれは98年から行われています。

5.障害専用ファンファーレ
 ファンファーレも変わった。一般用とG1用の2種。G1用は中山競馬場で年に2回使用されるだけである。ここ数年、G1となるとファンファーレにあわせて手拍子をしたりするような観戦マナーを守れない人が競馬場に出没するようになったが、このJ・G1ファンファーレは手拍子が難しい曲であるのが非常にいい。平地のG1も手拍子ができないような曲に変えればいいのにね。

 ただし、年に2回のJ・G1以外はすべて同じファンファーレである。東も西も、重賞も未勝利もである。平地のように場所やレースの格によってバリエーションがあればいいのだが。もともと競走数が少ない障害レースなのでしょうがない気もするが。1種類しかないほうが覚えやすく、その曲を聴くと「あっ、障害が始まったな。」という風に気が付くようになったし。

6.国際招待レースの創設
 中山グランドジャンプが2000年から国際招待レースとなった。障害は平地以上にコース適性が重要なレースである。いくら海外で実績があっても、日本の障害で走ったことがない馬が活躍できるとは限らないだろう。しかも、日本と欧州やその他の国では障害のレベル(高さとか)だけではなく、レースのペースも全然違うので騎手も馬も戸惑うかもしれない。

 と思っていたら日本初の障害国際レースで日本馬ゴーカイが勝ったものの2着はフランスのボカボカという馬だった。しかし、このボカボカという馬はヨーロッパ勢の中ではもっとも評価の低い馬であるので、外国での実績がそのまま日本で通用するというわけではないのだろう。これを書いている時点ではまだ1回しか行われていないので、今後を見守っていこう。

 いろいろと改革点を見てみたが、最後の「国際招待レース」というものがクセモノ。JRAの負担で海外から馬を呼んだが、馬券はあまり売れていない。その日の最終レースのほうが売れているぐらいである。やはり、わけのわからない外国馬が多いので予想が難しく、結果として馬券は売れない。ひょっとしたら、JRAは「これだけやったのに馬券は売れなかった」という理由で再び障害廃止の方向に走りかねない。そのための布石なのかもしれない。そもそも招待レースなんて招待されたから海外からやってきただけで、勝とうと思って仕上げてくるとは限らないわけだし。輸送費がかからないんだし。同じく国際招待レースであるJCも馬券的には面白くないが、JCの場合はそれなりには馬券は売れる。JCの場合はお祭りのような雰囲気があるからね。もちろん、中山グランドジャンプの場合もそれを見にきた客が、その日の他のレースの馬券も買うので、売上に全く貢献していないわけではないのだが。

 それと不可解なのは暮れの中山大障害の日程。1999年までは有馬記念の前の週の土曜日に行われていた。しかし、2000年は有馬記念の前日である。さらにスプリント路線の改革でスプリンターズSの日程が変わったので、JCと有馬の週の間は実質的なG1は無いということになる(あまり盛りあがらない3歳G1ならあるが)。せっかくだから、あいた旧スプリンターズSのところにやればちょうどバランスがとれていいと思うのだが。どうせ有馬記念の週なんてファンの目は有馬記念に集中するだろうから、その前の週の中休みの週あたりにやれば大障害だけではなくJRAの競馬そのものの売上も上がると思うが、いかがなもんだろうか。


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