「突然の訃報:バレンタイン」之巻

 それは突然の訃報だった。誤報との噂もあったがどうやら事実であるらしかった。スズカの尊敬する師匠であるツインターボが突然息を引き取ったのである。

 1年半前まで上山の舞台で現役で活躍していた師匠が、昨年の夏北海道で馬鹿逃げの極意を授かった師匠が、突然亡くなってしまった。久しぶりにスズカは泣いた。師匠がいなかったら香港での活躍も天皇賞での大歓声もなかった筈だ。1年前は無縁だった女性ファンからのバレンタインデーのプレゼントのニンジンが大量に送られてきても悲しみは消えるものではない。

 しかし、お笑い芸人たるものひとたび舞台にあがらば私生活の悲しみをあらわにすべからず。それが一流の芸人というものだ。スズカは府中劇場で行われるバレンタインSという舞台で主演することになっていた。しかも共演者は香港で競演した日本のトップジョッキー武豊。彼は香港遠征の際スズカの芸風に惚れ込み、再びコンビを組むことになったのである。

 今度の舞台であるバレンタインSはこの半年間スズカがあがってきた舞台に比べればそれほど大した舞台ではない。だからこそ主役の座を与えられたのだが。師匠への追悼の意味もこめて、ここではツインターボ師匠伝授の馬鹿逃げを披露するしかないだろう。

 ♪ 男はいつだ〜って 突っ走るだけさ〜 ♪

 エレファントカシマシの「明日へ向かって走れ」を口ずさみながら今日も逃げる。ついてくる者はいない。きっと天国から師匠が見守ってくれるだろう。それに答えるためにも逃げるのみだ。そしてツインターボ師匠が乗り移ったようなみごとな逃げ。突き放すこと10馬身。最後の直線では例によって後続との間が詰まってくるが、結局前に出る者はいなかった。このメンバーで主役がつとまるのはスズカしかいない。最後の最後までスポットライトを浴びて、4馬身の差をつけてゴールを駆け抜けた。

 天国から師匠が見守ってくれた甲斐があり、舞台は成功だった。しかし、ツインターボ師匠はもうこの世にはいない。まだまだ自分の芸は師匠には及ばないと思っている。しかし、もう教えを乞うことはできないと思うと、舞台でこらえていた涙が楽屋で一斉に溢れてくる。これはきっと天が「もう人のまねをするのではなく、汝自身で芸を開拓していくべきだ」ということを示唆してくれたのだろう。そう思いスズカは新たな芸に磨きをかける決心をしたのであった。


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