GW放浪記2001


 3年連続京都で天皇賞観戦。その他笠松・伊勢方面。考えてみれば放浪記を書くのは1年ぶり。

[ショートカット]
TOP
4/28(プロローグ)
4/29 京都競馬場(天皇賞)
4/30 笠松→志摩半島
5/1 伊勢→名古屋




放浪記
ホームページ
4/28(プロローグ)
 今年も昨年に引き続き、夜行バスで淀までいくことにした。昨年その存在を知った八王子初京都行きのバスは淀遠征には便利である。八王子が私の住んでいる府中からは都心へ出るより近い場所にある上、京都では京阪三条駅前で降車することができる。京阪三条からは淀まで一本でいける。京阪の駅の無いJR京都駅から京都競馬場にいくより遥かに便が良い。しかも、6時半ごろに淀につくので、座席を確保するためにはちょうどよい時間なのだ。(でもGIじゃなかったら人もそんなには多くなく、開門時間も早くないので早く着きすぎることになるのか。)

 というわけで、東京競馬場で青葉賞を観戦後、旅の支度をして八王子へと向かい、バスに乗りこむ。帰りの切符の手配とかはしていない。行き当たりばったりの旅である。

 ちなみにこの日PATで買った京都の最終レースで180倍の馬券を当てた(100円しか買っていなかったが)。この日のトータルの収支は1万円にも満たなかった、京都までの片道交通費は稼いだので「明日は帰りの交通費を稼ぐぞ!!」と心をおどらせこの旅は始まった。

4/29
 さて、三条でバスをおりて京阪線に乗り淀へと向かう。淀駅から競馬場に向かう途中で「競馬VOW!」の取材のためにデジカメで写真撮影(笑)。淀駅から京都競馬場に向かう途中にVOWのネタになりそうな店があるのだ。詳しくは「競馬VOW!」のここらへんを見ていただきたい。

 競馬場の門に付いたのは7時前。GIデーなので開門時間は早く、7時半の開門である。開門と共に競馬場に入場し、座席を確保。座席を確保したら、第1レースは9時50分なので、それまでに場内をぶらぶらしたしして暇つぶし。同時開催の福島のレースもPATで買っておく。例によって(?)PATインストール済みのノートPCを持参しているのだ。

 さて、この日は神戸在住の友人T氏と待ち合わせていたのであるが、第一レースの始まる前にT氏の登場である。そうこうしているうちに1レースが始まった。午前中は遊びで100円〜300円ぐらいを賭けての競馬観戦である。

 我々はゴール前100m地点の馬券売場へ向かう通路の上あたりに陣取っていたのだが、第2レースが終わった当たりに、通路から変な奴が出てくるのが見えた。その変な奴というのはピンクの服を着て、ピンクのヒモで長い髪を束ね、短いミニスカートをはいているのだが、脚がちょっと太く、女性にしては背が高い。派手なピンクづくめの格好で、これだけでも目立つのだが、彼女(?)が横を向いたときに顔を見ると、どう見ても男なのである。色が黒いし、顔つきも男だし、うっすらとだがヒゲもあるみたいだし。でも脚にはすね毛が生えてなさそう。永久脱毛しているのか?なんか悪いものを見てしまった様な感じ。(その後の情報によるとこいつは阪神にも出没する名物人間なんだそうだ。)

 その後のレースは2レース連続で枠連8−8で決まる。偶然なのかピンクの魔力なのか。

(注)ここをお読みになっている方の中には競馬を知らない人もいるかもしれないのでちょっと解説。競馬は枠(1つの枠に複数の馬がはいることもある)の番号によって、騎手のかぶる帽子の色が決まっている。そして8枠に割り当てられている色はピンクである。枠連とは1着馬と2着馬の組み合わせを枠番号で当てる馬券であり、枠連8−8とは8枠の馬同士(つまりピンクの帽子同士)で1着2着が決まったということである。

 そうこうしているうちに私の馬券は順調に外れ続ける。昼飯に京都名物柿の葉寿司を食べて気合いを入れるが、それでも当たらず。PATで買った福島の馬券がちょっと当たっただけである。裏開催である東京競馬場のメインレースであるスイートピーSの場外発売では気が付いたら「ピンクパピヨン」とかいう馬の馬券を買ってるし。(馬券を買ってから馬名に「ピンク」の文字が含まれていることに気づいた。)

 さて、天皇賞の前に雨が降ってきた。天皇賞の馬券は、オペラオーが勝つだろうからオペラオーから流したが、相手がエアシャカールとマックロウにした。雨で馬場がしぶるとオペラオーはますます有利である。他に渋った馬場が得意なのはメイショウドトウがいるが、距離が持たないと思い買わなかった。

 さて、ファンファーレも鳴り響き、第123回天皇賞のスタートである。1年半ぶりに復帰のセイウンスカイが逃げるが、タガジョウノーブル(福永祐一騎乗)の馬もせりかけ、この2頭が馬群の遥か前で壮絶な鼻の奪い合いをしている。1週目に前を通りすぎたときにセイウンスカイが前にいたので「福永〜、頑張れ!」と叫んでしまった。そしたらタガジョウノーブルのほうが前にいく。

 だが、セイウンスカイは向正面では下がっていった。レース中に軽い故障を発生したらしい。結局オペラオーとドトウで決まってしまった。3着はナリタトップロード。私の馬券は外れ。バテたセイウンスカイが他の馬がすべてゴールし終わってから、私の目の前を通り過ぎて行く。大分離されたが完走はしたようだ。思わずセイウンスカイの完走に対して拍手を送ってしまった。

 そして最終レース。最後の直線でT氏が必至で「福永〜!!」と叫んでいる。そして4万馬券を当てた。おととし天皇賞を見に京都に来たときも某夫婦が19万馬券を当てた。私がくると、私がくるのに合わせて競馬場にきた関西人が恩恵にあずかるのか?

 競馬終了後は淀駅へ向かう人でごった返していたオケラ街道を通って京阪線に乗る。見事に4万馬券を手にしたT氏のおごりでしゃぶしゃぶをたべに四条へ。うまかった。しゃぶしゃぶ屋で話していると、T氏にも私と同じく貧乏旅行の趣味があることが判明。「そのことを2年前に話してくれたら、北海道に行ったときに誘ったのに。」と私。彼はこの3月までは府中に住んでいて、4月から神戸の実家に戻ったのだ。とりあえず夏休みに北海道にいこうということになった。ぜひ実現したいものである。

 さて、今後の旅の予定はどうしようかと考えたが、京都駅で東京までの切符が4日有効ということを確認後買って、とりあえず岐阜へ向かい途中下車。この日は岐阜に泊まることにする。宿泊費6500円。次の日はオグリキャップ記念が行われる笠松競馬場にいくのである。

 岐阜へ行く列車の中でT氏から携帯へメールが。T氏が4万馬券を当てたレースの名前は「山特別」だったそうである。恐るべしピンク。

4/30
 岐阜で目覚め、駅前で朝飯を軽くすませ新岐阜から名鉄に乗り笠松へと向かう。笠松には10分ぐらいで着いた。

 笠松駅のコインロッカーに荷物をあずけ、売店で競馬新聞を購入し、いざ出陣。新聞を持ったおっさんについていったら5分もしないうちに競馬場についた。

 第1レースが始まる前だったので、適当に競馬場内をぶらぶらする。入り口の近くには笠松競馬出身の歴史的名馬オグリキャップの石像があった。ジャンクフード屋はそれなりにあるが、地方競馬の割にはそれほど安くない。中央競馬の競馬場よりちょっと安い程度だ。それから笠松競馬場は馬場の中に畑があることが特徴である。土地の有効利用といったところか。

 それから笠松競馬場の内馬場といえば、パドックも内馬場にある。観客席から移動しなくてもパドックが見れるので便利といえば便利だ。でも、この競馬場にはターフビジョン(観客席から見ることのできる大きなモニター)がないのでレースは必ずしも見やすいとは言い難いのだが。パドックで騎乗合図がかかると、いったん馬場に出てきてパドックに再び入り、それから本馬場入場となるのが、内馬場にパドックのある笠松らしい光景である。  さてさて、この競馬場で馬券を買うが、ほとんど当たらない。アラブのレースが2つあったが、アラブのレースだけは両方とも当てることができた。堅い馬券だったが。アラブの場合頭数が少なくいつも同じ様なメンバーで行っているため、実力差がはっきりしていて実力通りに決まってしまうことが多いだろうから堅めにかったのだが、当たったのはそれだけ。

 午前中はガラガラの状態だったが、笠松一のビッグレースの日ということもあって午後にはそれなりに混んできた。競馬場内で友人K氏と合流。いや、K氏と合流したのは1レースが始まる前だったかも。

 そうこうしているうちにオグリキャップ記念。ファストフレンドからミツアキサイレンスへの馬連単1点勝負。がちがちの一番人気だが、これでしょうがないだろう。笠松は1400mとか1600mのレースばかりなのだが、オグリキャップ記念だけは2500mという長丁場。競馬場を2周するレースである。そういえば前日も競馬場を2周する天皇賞というレースを見てるんだよな。

 しかし、結果はというとハカタビッグワン(安藤光彰騎乗)が勝ってしまう。2着がミツアキサイレンス。ファストフレンドは3着。ミツアキサイレンスと安藤光彰の「ミツアキ丼」でも買うかと冗談で話していたらたら、本当に光彰とミツアキで決まってしまう。馬連複で40倍を超える高配当。馬単は万馬券。たぶん買うとしても馬連複だったと思うが。

 ちなみに地元の競馬新聞では「馬単1050円の高配当」とかいうことが書いていた。馬連ならともかく馬単がこれなら安すぎと思うのだが。笠松のレースなんて所詮このぐらい堅いのか。それにしてはメインレースだけは堅くなかったぞ。

オグリキャップ像
<< 笠松競馬場の光景 >>

  オグリキャップ像

    馬場内のパドックから本馬場に出てきた様子
パドック

 競馬終了後は笠松から名古屋へ。名古屋でメシを食い、それからK氏の実家へと向かう。K氏の実家は志摩半島の先の方の鳥羽(JRの終着地)よりもさらに奥(近鉄線は走っている)にある。実は鳥羽までは行ったことがあるのだが、それより(名古屋から見て)奥の方へは行ったことがない。学生時代青春18切符を使いあちこち旅行にいってたことがあったが、18切符だとJRしか乗れない。だからJRの終点である鳥羽が私にとっては「最果ての地」だったわけだ。そして今回は電車でそれよりも奥にいくことになるのだ。最果てといえば武豊線の武豊駅(知多半島の先の方で名古屋から1本でいける)。JRのローカル線の終着駅という話をしていたらその駅を思い出してしまった。いったことがないので是非行ってみたい。鉄道マニア(乗りつぶし派)よりも競馬マニアに受けそうな駅名だ(といっても武豊ぐらいの騎手だと別にマニアじゃなくても知ってるのだが)。駅で写真を撮って「競馬VOW」のネタとして使うためにも是非一度訪れてみたいものである。

 この日はそのK氏の実家に泊まる。

5/1

鳥羽港  折角志摩半島の先のほうまでいったのに、そこではただ泊まっただけで、海を見るわけでもなく、電車に乗り込む。結局私は鳥羽で降りた(K氏とはここでお別れ)。適当に駅前をぶらぶらしたり、港を行く船の写真を撮ったりしているうちに昼飯時(というか鳥羽に付いた時点で11時を回っていたのだが)。実は鳥羽で降りたのは海産物の宝庫でメシがうまそうだったからである。というわけで鳥羽の食堂でお食事。「じゃこ丼」を食べる。やはり東京で食べる物よりも旨い。ちなみに右の写真は鳥羽港で撮った船(おそらく観光船)の写真。

 その後、伊勢に行く。伊勢といえば伊勢神宮。有名な観光地だが、事前にガイドブックなどで下調べをしたわけではなかったので、駅についてから伊勢神宮には「外宮」と「内宮」があることを初めて知る。  まずは駅から近い外宮へ。歩いて5分ぐらい。感想は「ちょっと大きめの神社かな」といった程度だ。折角だから写真でも撮ろうかと思ったら本宮は写真撮影禁止である。

 外宮見学終了後、内宮までは観光バスに乗る。観光バスっぽいバスがやってきた。バスの中では伊勢神宮や、今現在走っている参道の説明が流れる。そして、目的地。

 外宮といっても「おはらい通り」の前でおろされる。この「おはらい通り」は江戸時代から明治初期の町並みでおみやげ物屋などが建ち並んでいた。伊勢名物赤福の本店もここにある。結局買わなかったが。適当にこの情緒あふれる町をぶらぶらする。道は狭いが車は走っていない。江戸時代から続く門前町なのでこんなものか。明治の初め頃にタイムスリップしたような感じだ。

 町をあるいていくといよいよ内宮。内宮は本格的な大神社という感じで、ちゃんと山の上に本宮がある。途中歩いていると、五十鈴川(内宮のそばを流れる川)にバカデカイ鯉が泳いでいた。林の中の参堂を抜けて本宮へ。本宮近くは樹齢1000年はありそうな大木が何本も建っている。本宮の門の中はまたしても写真撮影禁止なので門の外から写真を撮る。なんかこう書いていると写真をとるために来てると勘違いされそうだが、ちゃんと本宮も拝んで来ましたよ。元来た道を引き返し、バスに乗り駅まで行く。今度は普通の路線バスに乗り駅へと向かう。

お払い街道 (左) お払い街道での光景

(右)内宮の本宮
(中は写真撮影禁止なので外から見たところ)
内宮の本宮

 近鉄に乗り名古屋へ。名古屋といえばきし麺だということで駅構内の店できし麺を食べる。そして名古屋といえばきし麺以上に有名か重要なものがある。それはパチンコ。パチンコの本場でパチンコを打とうとパチンコ屋へ。そういえば名古屋は何回か来てる筈だが、パチンコを打つのは初めてだ。結果はぼろ負け(涙)。

 この日はムーンライトながら(旧・大垣夜行)で東京に帰る予定だ。初時刻は23時41分。それまでの間暇なので(実は新幹線を使えば日帰りできる時刻だったが、指定席券を買ってあったのでながらで帰ることにした)街をぶらぶらする。街をぶらついていると昨日泊まったホテルより遙かにやすいカプセルホテルが名古屋にいくつもあることが判明。「競馬場へ行こう」(1998アスペクト)という本には「名古屋駅周辺より岐阜駅周辺のほうが若干宿泊料金が安め」と書いていたので岐阜に泊まったのだが、名古屋にはもっと安い宿があるなんて、騙されたって感じだ。そりゃ、同じチェーンのホテルを岐阜と名古屋で料金を比べてら岐阜のほうが若干安いのかもしれないが、岐阜にはカプセルホテルは見あたらなかったぞ。

 というわけで、ムーンライトながらに乗り東京へ帰る。府中に戻ってから最寄り駅で降りたときにノートPCの入ったバッグを電車の中に置き忘れるというチョンボがあったが。すぐに気づいて駅員に申し出て終着駅で確認してもらったが発見できず。そのバッグは結局次の日に「京王忘れ物センター」で見つかったので、まあどうにか事なきを得たのだが。


もどる
ホームページへ