駅の改札の向こうにその長身の姿を見つけ、ほたるは一瞬足を止めて大きく手を振った。 気づいたせつなも、2本の傘を持っているのと反対側の手を軽く振り返してきた。
素早く改札を通り抜けて駆け寄ったほたるに、せつなは片方の傘を手渡す。 「だから朝行くときに『傘持った?』って聞いたじゃない」 諭すというよりはそらご覧なさい、というような半分苦笑を吹くんだ口調で、せつなが言う。 「だってぇ、学校に傘置いてあると思ってたんだもん」 ちょっとふくれるようなそぶりをして、ほたるは答える。 この季節はどこに行くにもカバンに折りたたみ傘を入れておいた方がいいわよと返しながら、せつなはほたるのより一回り大きい自分の傘を開いた。
通い慣れた道であっても、そして止む気配の見えない雨であっても、普段一人で帰る道をせつなと一緒に行くのは何となく心弾むものがあった。 道すがら主に喋るのはほたるの方で、さりげなく自分に歩調を合わせてくれるせつなに学校であったとりとめのないことを話し、せつなは大抵は静かな微笑みと相づちをもって答え、時折は短く言葉を返した。
信号待ちをしている間も、雨は強く降り続いている。 早く青にならないかなぁと軽く苛立ちを覚えるほたるの鼻先を、ふと何かの香りがかすめた。 辺りをキョロキョロ見回すほたるを何事かと見やったせつなは、すぐに気付いて後ろを振り返り指さした。 「ほら、あれよ。クチナシの花」 ほたるも振り向いて見やった先には住宅の生け垣があり、そこに植えられていたのは艶やかな白い花びらをした大きな花をいくつも咲かせた、これもまたつやつやとした緑の葉を持つ木だった。 その花の持つ芳香は気品良いけれどもとても強く、だが春の沈丁花や秋の金木犀のような甘やかな香りというよりは、むしろ梅雨の鬱陶しさの中でその香りだけは穏やかだけれどもどこか凛とした爽やかさをも持ち合わせている。 そんな風にほたるには感じられ、同時にその香りが何故かどことなく印象強く心に残った。 「うちの庭にもあるわよ、クチナシ」 「え、あったっけ?」いわれて、ほたるは首をかしげる。 まだ小さいからわかりにくいかもね、とせつなが答えた時に信号が青に変わり、二人はまた家路へ向けて歩きだした。
家に帰り、ほたるは自室のある二階に上がり、せつなは夕飯の支度を始めた。 しばらくしてご飯よという声を聞いてほたるは階下へ降りようとし、ふと足を止めた。 先ほどのあの柔らかな香りが、家の中に満ちている。 一階に下りると、玄関にある作りつけの靴箱の上に帰ってきたときにはなかった花瓶が置かれ、そこに一輪の白い花が挿してある。 先ほど見たものよりは幾分小振りだが、まだ少し雨に濡れているなめらかな花びらは同じように白く、そして馥郁とした香りを穏やかに家中に放っている。 「さっき取ってきたの。結構綺麗に咲いてるでしょ?」 気付いたせつなの声が、ダイニングの方から聞こえる。 云われた瞬間ほたるは、ふとさっき感じかけたことを思い出した。 花を咲かせないと普段はその存在に気付きにくいが、その内に強いものを秘めた気品ある香りは、どことなくせつなを――あるいはプルートを、思わせる。 だからなんとなく惹かれるのかなとそっとほたるは考えながら、食事とせつなの待つ部屋へと掛け込んでいった。
(終)
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