英語の長文問題をようやく最後まで解き終わり、ほたるはため息をふぅ、と吐いてシャーペンを置いた。
傍らの目覚まし時計を見やり、最初に決めていた制限時間よりも少々オーバーしていたことに気づく。
座ったままでうんと思い切り背伸びをした。ぎ、と椅子がかすかに軋む。
天井を見上げたままの姿勢で、しばし静止。じきに頭に血の降りる軽い目眩を覚えて、ほたるは小さく弾みをつけて上体を元に戻した。
まだ松も明けぬうちではあったが、高校入試まであと一ヶ月、今が最後の追い込みの時期である。
いわゆる塾や予備校の類には、ほたるは通っていない。正月早々冬期講習に通いつめる同級生達を尻目に、だがその分自分で勉強のペースを決めそれを守るべく、余計に気を引き締めていないといけなかった。
普段の学業の成績からいけば志望校はまず大丈夫だろう。…試験の日に風邪とかひいてなければな、という先日の面談での担任の言葉を反芻していた。
確かに、以前ほどではなくなったとはいえ、今でも時折急に熱を出して寝込むことがある。けどそんなことわざわざ言わなくていいのに、と余計な不安を掻き立てる担任に少々腹が立ったりもした。
少し休憩しようと思ってつけたラジオからは、深夜放送のパーソナリティのしゃべり声が聞こえてきている。そのやけに陽気な笑い声が思いのほか大きく響き、ほたるはあわててボリュームを落とした。
同居人の3人はまだ寝てはいないはずだが、言葉にはせずとも普段の生活のいろんなところで皆が自分にさりげなく気を遣ってくれているのをわかっていただけに、これ以上余計な迷惑は掛けたくなかった。
そのまま聞くとも無くラジオを聞いていたのだが、ヒーターを少し暖かくしすぎたか、それとも問題が解けて気が緩んだのか、ほたるは不意にかすかな眠気を覚えた。
これではいけないと椅子から立ちあがり、窓へ向かった。
静まり返った夜気の中に窓を開け放ち、外に上体を乗り出す。
途端に風が無形の氷刃となって顔に吹き付け、ほたるの目をいっぺんに覚まさせた。
月は夕方のうちに沈んでいたがその分一層星たちは輝きを増しているかに思えたし、眼下にはまだ家の灯がぽつぽつと残っていた。
この冬は東京にしては珍しく既に幾度か雪が降っていたが、2階の自室から見上げる今夜の空は、真冬らしく雲ひとつ無く澄み渡っていた。
音も無く舞い落ちる雪を見るのは決して嫌いではないが、もし試験の日に降られたら大変だなとほたるは考え、そしてどうしても入試の事となると悪い方向に頭が行ってしまいがちな今の自分に、少々憂鬱な気分になった。
けれど頭上で清かに瞬く星座たちは、ほたるのそんな物思いなど知るよしも無い。
ほたるは半身を乗り出すようにして、いつしか寒さにも慣れつつ、そのままぼんやりと空を見上げていた。
ふと気がつくと、部屋の中でラジオの時報が午前零時を告げているのが聞こえてきた。
身を切るような寒さの、真夜中の清冽な空気の中で、ほたるは1月6日、誕生日を迎えたのだった。
時期が時期なので、今年は友達を呼んでの大きな誕生パーティは出来そうも無い。
・・・けれども。
パーティは私の時にまとめてやればいいわよ、二人分だから盛大にやれるわね・・・とみちるがいう。
もちろん合格祝いも兼ねてな、とはるかもウインクしてみせる。
そして、せつながきっとまた、おいしいケーキを焼いて祝ってくれるだろう。
寂しい事などありはしない。ただ楽しみがちょっと先に伸びただけのこと。
今はただ、自分のすべきことを着実にこなしていけばいいのだ。結果はそのあとから、きっとついてくる。
直接言葉にはしなくてもちゃんと信じてくれている人がいることが、何よりも自分の力になるのだから。
今日はもう少しだけがんばってみようかと、ほたるは部屋に引っ込んで窓を閉め、コーヒーを淹れに階下へ下りていった。