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作曲家、ロクリアン正岡
(Locrian MASAOKA)
のホームページにようこそ

ご意見・ご感想はこちらへ
locrian@saturn.dti.ne.jp



 シュピール室内合奏団による
小編成吹奏楽曲
「美人ミイラ蘇生物語」
第一回目の合同練習でプロの演奏能力
が現代どれほど進化しているか、また
これからのノビシロが如何に大きいか
を強く感じた。12月4日(73歳の
誕生日)に私の同楽団主催の作曲コン
クール最優秀賞授賞さ作品、小編成吹
奏楽曲「美人ミイラ蘇生物語」を演奏
するシュピール室内合奏団のことであ
る。
7年前の八重奏曲をつとして、一年の
ほど前から始まった我がサックス楽曲
の集中的創作が次に求めたものは小編
成室内楽曲であった。どうせ作曲する
なら具体的な文化寄与をしたいものだ
とネットで調べたらすぐに出て来たの
が第三回作曲コンクールあったという
次第。
ピアノを含んだ八重奏で5分、となる
とどうしても大きな物語というか、深
く大きく広いメッセージを音楽に託し
たくなる。
というより、私はメッセージを背負う
ことなくしては小品すら書けない作曲
家なのだ。
私は楽器のことをロクに知らない。
その分、メッセージと音楽イメージを
媒介する楽譜作りに集中的に腐心でき
る。だからこの年齢でも作曲進化が続
いている、いや加速している。思えば
近代以降の日本の西洋クラシック音楽
の演奏能力がかくも進歩したのも、楽
譜を元に”現象としての音楽”作りに励
んで来たからであろう。
演奏家、作曲家の役割分担が徹底する
中、それぞれの持分の力量が増せば増
すほど、双方とも相手のことが分かり
にくくなった、とは穿ちすぎた見方で
あろうか。
強調したいのは、それを補うのが楽曲
説明。演奏説明であり、合同練習であ
るということ。だから生きた作曲者が
演奏者に付き添う意味はあるのである。
そのプロセスを経て、本番ではどれほ
どのメッセージ開花がなされるか?
もちろん、開花の場は集まった聴き手
一人ひとりの脳裏である。いきなり耳
に入ってくる耳新しい音の数々や音の
並びにもかかわらず、もし「美人ミイ
ラ蘇生物語⇔美人ミイラ臨終物語」に
託されたところの、”この世の裏側”か
らのメッセージが感じられたとしたら、
第一に褒められるべきはお一人お一人
の鑑賞能力と言うものであろう。なぜ
ならそれは人間の聴覚、心、魂、意識
の総体の質の高さを示したことになる
のだから。
*コンサートの日時、場所については
infoページにあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
特報

コンサートのお知らせ
来る(2018年)11月30日(金)
新宿のオペラシティリサイタルホール
でのアンデパンダン展で元気のよい若
者3人が「バイク少年3人組みライブ」
(←「クセナキスのザスについての共
感と批判」)の精一杯の演奏を披露す
る予定。詳しくはinfoページをご覧く
ださい。
なお、同じく日本現代音楽協会主催の
「現代の音楽と対位法」(2019年
3月1日(金))にも出品します。
乞うご期待!



ギャラリー

イメージ01

ロクリアン正岡作品集・T

日本経済新聞の今週の一押しにも選ばれたCD.。ロクリアン旋法をじかに掴むのにはこれが最適。

イメージ02

ロクリアン正岡作品集・U

乙女三題というかわいらしいピアノ曲からローター・ツァクロゼック指揮の超複雑な弦楽六重奏曲まで満載。

イメージ03

ロクリアン正岡作品集・V

アニメーションにも使えそうな幻想性に富んだ曲が満載。異次元の寒冷な空気があなたをリフレッシュ!

イメージ04

ロクリアン正岡作品集・W

ここには、現代音楽の未来への突破口が10個ある。LMの潜在的作曲能力を調べるのに最高の一枚。

イメージ04

ロクリアン正岡作品集・X

ピアノや木管楽器がLMのあらぬ面を暴いた、珍品集。

イメージ04

シンフォニックドキュメンタリー「あぁ!湾岸戦争」

電波妨害/情報戦争/毒ガスの夢/バグダッド大空襲/砂漠の嵐/環境汚染(とその後)
























































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2018年
 謹賀新年
以下、新年のご挨拶に代えて

1)私がロクリアン正岡と名乗り始めたのは1998年、今からちょうど20年前のこと。当時、この脳のロクリアン化が進みつつあり次のようなことを考えておりました。「人間の脳というものは宇宙の高密度で高性能の部位であり、宇宙に遍満するその叡智を受信することがそれ本来の使命ではないか。それなのに人間は普通それを自分だけの所有物として自分の人生のためにこき使おうとしているがそれでよいのだろうか。私は、できるだけ脳の宇宙性が求めるままに任せたい。」などと考えておりました。(このことは1986年の日本現代音楽協会主催秋の音楽展で弦楽六重奏曲「マックス・エルンストへのオマージュ」改訂版のためのプログラムノートに明記してある)。さらにその後、宇宙は何もないところからポッと出てきたのでも“自生”し続けているのでもなく、「存在そのもの」とでもいうべき力に与っているという思いが私の中に台頭して来たのです。

2)ところが、このことが哲学者ならいざ知らず、なかなか人には理解されません。科学的思考や人間誰しも持つ自身の知覚信仰や、はたまた既存の神概念までもが存在忘却に寄与しているらしいのです。
(以下、言葉使いが変わりますがお許しください)
人類は、身体の内にも身近な外界にも現象を覚え、遠くには星の光などを感じ取りながらすべて自己中心的な時空という枠の中に入れ込み、中身を増やしながら枠を拡張して来たのだろう。現在想定されているダークマターやダークエネルギーにしたところで同じ孔(あな)の狢(むじな)であろう。このような心的傾向は実は太古の昔からあったのではないか(敢えて極論すると、肉食動物の獲物を狙う時にも)。感覚を頼りに対象世界を開くという欲求や機能なしに科学も技術もありえない。ここでは、その精度や論理の芽生えや発展進化には言及する必要がない。私は、動物も持つ対象化の行動に始まり対象世界を開きまくり、挙句の果てには「対象世界だけが実在だ」という現代人のますます過激化した思い込みを指摘したいのだ。宇宙もそうであれば脳も対象物扱いで、脳科学がもてはやされるのも道理である。

 3)従ってこの先、“脳”ではなく“意識”を問題にしよう。
私は若い時「意識解剖学」という言葉を編み出していろいろ考えていたものだが今思うに-
“意識”は対象化を志向しもするが、その逆方向にも向かう。意識は自由に振舞おうとするが、じっと立ち止まって自分自身のあり方や成り立ちを感じ取ろうともする。芸術が科学ほど単純でない所以がここにある。科学は無*は扱わないが、芸術は無を扱う、というよりも無に依拠しようとする。科学は無にものの欠如しか認めないが、芸術的創造は無の生産力に習おうとする(この際、それが父か母か、種か卵かを問うのは性急というものだろう)。

4)演奏家はよく「音楽は瞬間芸術である」などというが、それは音楽の現象面しか見ておらず、そこに音楽の実質を置こうとしているからだ。いかにも情報時代から超情報時代への趨勢にある現在にありがちなあざとい意見だと思う。これでは音楽の実体は取り損ねられたままであり存在忘却は進むばかりである。それは進行癌であり“意識の自殺行為!”の気配を私など覚えるがいかがだろうか。

依然ある女性舞踊家の大御所は「踊りの振る舞いは瞬間的にどんどん消えて行く。だからいいんだよ、助かるもの」と本音を堂々と語っていたが、今度のアンデパンダン展一つ取っても作曲家たちの多くがせっかく初演された曲なのにどうしてネット上に音楽動画を掲げないのか、私にはよく理解できない。が、おそらく現代の、とりわけ若い作曲家たちは演奏家と同じような音楽観に染まりつつあるのだろう。

5)それでも演奏者はプロ、アマ、卵を問わず、やりがいを失うことはない。なぜならテキストというルール集が与えられ、その通りを繰り返すことでどんどん上達できるからである。感覚と運動神経に優れていればなおさらだ。体操を始めスポーツ競技の進歩は目覚しいものがあるが、音楽も同じこと。現象としての音楽のレベル向上は見てて愉快にさせられるほどのものがある。形容詞を使えば、年々「輝かしくなっている」というところではないか。だったら美しくていいじゃないか、となりそうだが・・・。輝いているものは何か?それは嘘の輝きにすぎないのでは?輝く表皮の裏はおぞましい空洞なのではないか?「輝き活動」は人間の本来性に照らせば、実は大の“気晴らし”に過ぎないのではないか?

6)このような心の隙はなにも音楽家だけのものではないだろう。「AI(人工知能)に音楽は何か分かる時が来るのではないか?いままでにないような新しく素敵な曲を作ってくれるのではないか?」という甘い期待の念は膨らみつつあるようだ。実際、AI経由でも現象としては音楽らしいものが生産されるようになって行くだろう。だが、土台かつ所詮、AIは宇宙的叡智への感受性はなく、存在そのものに直接与ることはできないだろう。AIに意識や魂があるように見えるのは、人の意識や魂が自らを投影するからである。その点、AIはヌイグルミと変わるところがない。こんな世間の風潮のなか、ルール作りの大役そのものである作曲はどうなってしまうのだろう。のっけからAIに頼る、あるいは気がついたら脳にAIが組み込まれていた、という作曲家が出て来たとしてもおかしくない趨勢にあるのだろう。

 7)いずれにせよ、音楽家も生身の人間であり、プロであるならなおさら音楽の文化的現状を肯定的に受け止めなければやって行けるものではない。
はじめは批判精神旺盛だった優秀な音楽学生も、世間に出てしばらくすれば批判精神は括弧に入れ、さらに時がたてばよそよそしい心のごみと化して廃棄するのみ、というケースが多いのではないだろうか。 それでもバッハの偉大さのもと、できそこないの作品群に批判的攻撃を加えるなんてことはありそうな話では在る。

8)本当に、これからの作曲はどうなってしまうのだろうか?今は演奏家の時代だとか言ったって、既存の楽曲にしがみつき乗りまくり磨きまくるだけではクラシック音楽文化は疲弊し衰退する時が必ずやって来よう。 これはクラシック音楽文化だけの問題にはとどまり得ない。クラシック音楽には人間に「存在想起」させる役目が在るのだから長い目で見れば人心に与える影響は頗る大きいのだ。しかるに既存の楽曲では人々の耳の慣れや麻痺もあり、演奏家がどんなに工夫を凝らしてもたいした効果は期待できないだろう。

 果たしてこの課題に答える楽曲の補給は可能であろうか?
若い作曲家の中でこの話に奮い立つ人は果たして?

 9)実は新年の挨拶であるはずが、このように本質的なことを長々とまくし立てて来られたのは、ある他者との接触の影響無きにしも非ずなのかもしれない。その人のことはネットで調べられるがブログ「作曲と思索の愉しみ」

 http://wood248.blog.fc2.com/blog-entry-236.html

の主である森さちや、こと森幸也氏という科学史家である。なにしろ音楽への食らいつきが尋常でないのである。「プロの音楽家でも音楽学者でもない人が」と思われるかもしれないが、そこが情報時代の良いところなのかもしれない。また、科学と取り組む歴史家である、ということも大きいのかもしれない。
「全体感なくして芸術音楽の解読は無理」というのが私の持論だが、この人は“意識の山”のどのぐらいの高さに位置しているのだろうか。

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さて、ここまでただただ観念まかせに大きなことを語ってきた私ですが、現実はと言うと自然界や人間界の諸相が犇めき合いもつれ合い、そこに分けの分からない夥しい空虚が介在しているこの時空にあって、明日をもしれない矮小な人間存在(実存)である身の上なのです。

 皆様におかれましても、この一年が真に有意義なものとなりますよう、心よりお祈り申し上げます。

 平成最後の元旦に ロクリアン・スタジオにて 作曲家ロクリアン正岡拝

なお、別の切り口からもこの問題に切り込んでおります。
ヤフーやグーグルで
「日本現代音楽協会 アンデパンダン展参加レポート」
と打つと出てまいります。



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*以下、動画をユーチューブに、楽譜はホームページにアップしてあります。

・於:1999年11月2日、市谷 ルーテルセンター
二重奏曲「メランコリア」
―アルトフルートとヴァイオリンによる
https://www.youtube.com/edit?o=U&video_id=99U1k5CH8ZY


・於:1981年 西ドイツ、メンヒェングラードバッハ
弦楽六重奏曲(指揮つき)「マックス・エルンストへのオマージュ」
https://www.youtube.com/edit?o=U&video_id=cagKEQcFrks

・於:2000年10月9日、府中の森芸術劇場ウィーンホール
ピアノパッサカリア「壊教」
―バッハのパッサカリアの場合
を若きピアニスト有森直樹氏の優れた演奏でお楽しみください。
https://www.youtube.com/edit?o=U&video_id=16s8vct1LiQ

なお、論評も出されています。
 http://wood248.blog.fc2.com/blog-entry-236.html

・11月29日、新宿の東京オペラシティリサイタルホールでの現音アンデパンダン展出品曲:音楽昇華術・T「ある夫婦の物語」―クラリネット〈夫役〉とヴァイオリン〈妻役〉による-2017

https://www.youtube.com/edit?o=U&video_id=eTCWWPVRWmE
 
*最近ちょくちょく楽譜を掲載しておりますが、展覧会
「怖い絵」
が余りに良かったので
変曲
「怖い”アヴェ・マリア”」の動画とともに楽譜も掲載いたしました。
心が求めた時に試奏して見てください!

https://www.youtube.com/edit?o=U&video_id=jC5nuTHKoOw


1)critique(批評)のページに書きました。
 一回目は
「物理学者:一丸節夫氏を巡る数名による議論」で、多岐に渡りますが、意識の高い人には楽しんで頂けるのではないかと、力を尽くしました。2017.10.6
力強いコメントを得て、話は医療という私たちの生活現場へと広がっています。

2)
infoのページにこれからのコンサートのご案内を
書き込みました。2017.10.06



特報!
わが最新作「聴能力全開のための六重奏曲」の楽譜をSCOREのページにアップしました。


特報!

今回、わが弦楽四重奏曲、第2番、第3の楽譜を掲載し、またSQ3の生演奏をユーチューブ(いずれはニコニコの音楽カテゴリーにも)に投稿することにした。 いずれも後世へ向けて演奏されることを望むが、とりわけSQ3は幾何の難問に対する模範解答を思わせるようなカチッとした出来で、ゴッホの言う芸術的典型に達しているもののように思えるがいかがだろうか?
また、この錚々たるメンバーの演奏にはやはり見るべきものがあった、と今回再認識させられた次第です。音が立っているのです。
以下は、そのSQ3「異形・日本・かぐや姫」!現代曲としては長い方ですが、一瞬の緩みもない音楽のことゆえ、最後まで通してお楽しみください!
2017.6.16
実演!ロクリアン正岡SQ3「異形・日本・かぐや姫」

弦楽四重奏曲第2番「あの世から愛されし”喜怒哀楽”」


特報;ロクリアン正岡、今までで一番の力強い楽曲「聴能力全開のための六重奏曲」をユーチューブに投稿しました。PC音源ですがあなたご自慢の聴覚を煽る力は他に負けてるものではない、と存じます。お楽しみください。2017.4.2


特報;ついに始まった!
 ロクリアンCMソングシリーズ-

本日3月3日ひな祭りの日だからこそでもありますが、その第一弾に相応しく不動産業のためのCMをまずはユーチューブ投稿いたしました。
題して「ロクリアンハウスCMソング」です。
こんな”腹”の商売人いる分けない!と御反応の
あなたも、せめて「こんな商売人いたらなあ」ぐらいの妄想はもてるように成ったらいかが?
楽譜もここのSCOREページにあります。
歌うだけで気分がよくなる易しいメロディです。
さあ。どうぞ! 2017年3月3日
桃の節句

特報;
以下にある通り、2月8日深夜未明に楽譜をHPに、動画をユーチューブにアップいたしました。なお、楽譜は歌詞の読めないところがあり、近日中に直します。
演奏家の方々-Sp.薬師寺典子、Tn.金沢青児、Pf.大須賀かおりの皆さん-の「楽しむ」姿勢に乾杯!
組曲「死生共存」の公演の成功について謹んでご報告いたします。

21日の現代の音楽展(日本現代音楽協会主催)のアンデパンダン展の第一夜においでいただいたお客様に心より御礼申し上げます(来場者数171、ちなみに第二夜は200名余)。演奏は期待通りの出来で数日中には動画をネット(まずはユーチューブ)に掲げます。
また、ゲンオンのウェブサイトにも他の出品者のものに、感想、意見等々のレポートが今月末頃には掲載されます。

以下は、コンサート直後に頂いたある作曲家からのメール全文です。

長い間、音楽会から感動が失われて久しい。しかし、昨日の兄の曲は違った。あれほどの音のエネルギーの自立的な推移と必然性が、人の心を否応無く感動へと運んでしまう曲は、極めて稀だ。兄の曲が良いという言い方は、照れくさくてできなかったので、「名演だった」と兄に告げてひとり帰ったが、目が覚めて、あらためて感心するとともに、兄の置かれた、いや、兄ばかりか私達日本の作曲家たちの置かれた状況を、考えざるをえない。まず、日本語という言語の非音楽性。日本語は響きが下にあるために、西洋流のベルカントには絶対になじまず、能、演歌など、響きを下に落として地声を旋律にする。5つの母音のうち、鳴り易いのはA,O,U,E,Iの順で、A,O以外は殆ど響かない。この点で、「死無」は最悪であった。しかし2人の演奏家は、よくそれに耐えて、オペラのクライマックスのような圧倒的な音楽的頂点を導いた。それから、歌詞は、ほとんど聞こえないのも、毎度のことだ。これも兄のせいではなく、文化全体の問題だ。私と妻にとって、日本語の聞こえるうたが、長年の課題であった。この点につては、私たちはほぼ解決したと思う。兄の今度の曲で一番の問題は、曲の構造的崇高さに比べて、歌詞の今日的な軽さと、卑近さのアンバランスだと思う。しかしこれは、兄の気持ちが分かるだけに、今日の日本の音楽的状況の悪さを、呪うだけだ。とにかく、めげずに作曲するのみと,我が身に言い聞かせながら、兄に御目出度うを言おう。2日朝。
  以上、2017.2.5ロクリアン正岡編集



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新年2017ご挨拶

 さあ、人間たちに“宇宙自身”としての自覚を促しうる音楽の潜在能力の開発を始めよう!

1)ちょうど、一人の作曲家の作曲史はか細いしその生産楽曲も微々たるものであるように、過去の大作曲家を中心とした作曲史もか細いしその生産楽曲も微々たるものである。

昨2016年、私は作曲活動を始めて以来、質量ともに一番の生産物を物にした。

その過程で分ったことは、音楽の潜在的能力の大きさであり生産可能領域の広さであった。

私が気づいた限りですらこうなのである。

自分の作曲能力に拘るな!音楽の持つ潜在能力を解放せよ!

こういっても漠とした印象のそしりは免れまい。だが、音楽の働き、役目、機能、作用、といったことを、現在、既に人類が立ち行くことが難しくなりつつある状況で一体何が求められているのか、ということとセットで考えて行くと、いよいよ音楽の潜在能力の出番だな、ということが生々しく感じられてくるのである。

それは、音楽を受容する側の能力を引き出す力の強い音楽が求められている、ということである。

 音楽史上には、発信型、いってみれば「声」タイプの楽曲ばかりではなく、そういう聴覚的機能を大切にする楽曲も多く現れはした。だが、土台かつ所詮、作品を物した能力が主役であり続けた。これはやはり聖書の創世記の「この世を作った神」に倣う意思が働き続けて来たからだし、「神」忘れの現代においても、人間主体に長いこと擦り込まれたこのような意思に逆らうことは難しいということなのであろう。対象なら否定しやすいが、自分の事となると否定するどころか気づくことさえおぼつかない。

 2)正月用の新年の挨拶なので、余り長く記すことはしたくない。途中を飛ばして続けると−

日本人あたりなら、創世記に準拠する意思など、もともとないままだ。明治以来、日本人作曲家たちは西洋音楽や西洋作曲技法を持続的に熱心に学び「西洋音楽語」の“読み書き聴き話す”ことに習熟して来た。創世記に準拠する意思など持たぬままに。今は、「だからダメなんだ」ではなく「だから凄いことが出来るんだ」ということを分って頂きたい。要するにこの日本人の弱点を強みと読み替えるのだ。

倫理的なことを比喩で言わせていただくなら、患者の為のお薬は、作り手側の個性や能力を顕示するものではない。もしそんな薬が作られ与えられるとしたら病人は本能的に違和感や恐怖を感じ飲まないだろう。これからの音楽には、このお薬、あるいは料理(食事)のようなものが強く求められるだろう。まだ、そのような音楽はほとんど現れていない(いわゆるヒーリング音楽など薄弱この上ないものだ)。したがって、人間の受容能力(咀嚼消化吸収)を最大限に引出し、自己治癒能力にアピールできるような楽曲が求められている。そのとき、音楽は鑑賞者にとって、自分自身を味わいつつ鏡に映し、鏡に映しては味わうものと化すだろう。個々の人間が、人類全体が、いったいどっちの方に進んで行って良いのか、何をやったらいいのか、正直分らなくなっている時期に突入しているのだからこそ、このような音楽の働きに頼らねばならないのである。音楽は自己認識を促してくれる。

3)「音楽を聴く」、それは非常に“怠け”の要素の勝った有り様なのである。もちろん、「音楽をする=演奏する」方(ほう)以上に。それは摂食や睡眠に非常に近い。鑑賞者は、音楽と合体することにより自分自身を縮小して行き、自分の中の宇宙性を解発するのだ。その時、普段の自分自身では到底気が付かないことに気づき、教えられることになる。宇宙的、更には宇宙の根拠からの叡智に触れるからである。

すでに、私の楽曲の鑑賞者のうち、もっとも良質な方々はそのような体験をされている模様なのである。その場合、その楽曲は単に触媒に過ぎない。彼らが宇宙の一分子として潜在的に持っている大事なものが目覚めつつあるのである。

 4)人類が、自己発展する科学技術をエンジンとする現代文明に引きずり回されつつ混迷に瀕し先行きが見えなくなっているのは、人間一人一人の、はたまた人類としての自己認識があまりに低いレベルにとどまっているからである。

人間はまずは火を発見した。そしていくつかの画期的な発見や発明により人工力を発展させ過ぎ、今、自らの自然性とのバランスを壊すに至っている。

これは地球温暖化など外的自然破壊よりももっと切実な問題に違いない。騒がれている外的自然破壊からして内的人工力の異常な高まりが元凶だからだ。

音楽は人工性と自然性の中間物だが、それでもあらゆる芸術の中では最も人間の自然性を触発できるものの一つであろう。

宇宙的な、更には人間を含んだ“宇宙の根拠からの叡智”の導入は、音楽鑑賞側の無尽蔵の受容能力の高まり一つに掛かっていると言っても過言ではあるまい。

2017年を新音楽誕生元年としたい、いや、しなければならぬ。人類が立ち行くために!

   2017年(平成29年)元旦

・・・・・・・・・ 
お知らせ    

(2016年)12月30日に1998年にロクリアン正岡を名乗るために作曲したその後のロクリアン正岡の礎となっているロクリアン交響曲「”7”の神通力」-(室内orフル)オーケストラによる の楽譜と説明をSCOREのページに一挙掲載、それと同時にユーチューブ並びにニコニコ動画にも音源アップいたしました。パソコン音源と大変相性の良い楽曲化と存じますが、ライブ演奏では更にその上を行く演奏を期待いたしております。
 これからも、作曲の合間を見ては旧作の掲載に努めてまいります。どうぞよろしく!

 
特報 

新作、ロクリアン・ラヴェル作「痴漢撃退“シ”のボレロ―歌:初音ミク」を520日にユーチューブとニコニコ動画にアップいたしました。なんと51日「ボレロ」が使用フリーとなったばかりですが、M・ラヴェル氏の御気持は如何に?

今回、「ボレロ」も弄りまくって思ったのですが、「これを、かの作曲御三家の“バモベ”ことバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンが聴いたら真っ青顔になるだろう?」、というのも音楽の本源的特性に徹底的に準拠しているからです。

 

以下は某氏へのメールです。

1)ボーカロイド(初音ミクなど)をもじって”ボーレロイド”

そう呼びたくなるほどのボレロです。

  今度弄りまくって思ったのだが、あれは、楽曲版の初音ミクですな。初音ミクは歌手

版のボレロというわけ。

シェーンベルクらの新ウィーん楽派などどこ吹く風、華美なデザイン風でありなが

ら、その構造には、存在への素晴らしい洞察が働いております。

主題はABの二段に分かれますが、

伴奏は淡々と一度と五度にいるまんまです。

 

Aはメロディも”白い音(LMのいう)”ばかりですが、A7小節以降、二度と五度に

変わりもしない、というところが物凄い!

和声を知っているわれわれは、すぐに保続低音を連想しますが、あの求心力、や集約

力、統一力とは、全然違うもの。

私には、まるで、「この世もあの世もいっしょよ』とぬけぬけとラベルが言っている

ように感じますがいかが?

                            ―メール文はここまで

 

とにかく、ドイツ人から絶対出て来ない、実にフランス人的な発想であり音楽であると言えないでしょうか?

 

すでにユーチューブの説明文やフェイスブックでも縷々述べたところであるが、ここではニコニコ動画のものを引用しましょう。ポイントは「空性力」*にあるのですが。

 

満員電車で女性が朗々とボレロを歌い「シッシシシ!」と無声音をまき散らすと痴漢らしいのがすごすごとその場を去ってゆく−そんな平和的光景を夢見ての本作だ。発端は「勇気ある女子高生考案のバッジが車内の痴漢抑止の効力発揮」(48日の朝日新聞夕刊トップ)の記事。ならば、音楽も負けてはいられない。ボカロキャラのミク、楽曲「ボレロ」、筆者のロクリアン脳が一致団結すればとんでもない”空性力”*を発揮できるはずなのである。余りにもあっけらかんとした明るい雰囲気に「痴漢に相応しくない!」と戸惑う方々もおられよう。だが車内での慎重で陰湿な痴漢は日本独特なもの。この音楽は太陽のような乾燥力で満員電車の痴漢生息環境を消滅させるかも?M・ラヴェルの痴漢の真反対のような眼差しが頼もしい。

 

*空性力?

これは私LMの造語でしょう(さっきまで「空力」としていたのですが、これは別の意味がありますので変えました)。

空っぽと言えば、ただただ空虚でムナシイダケと感じがち思われがちですが、決してそうばかりではありません。

真空の筒があるとして、その蓋を開けたとたん大変化が生じるではありませんか。

こう言ってよいかどうかですが、満員電車内の男が抗しがたい女子高生の吸引力?も一緒に出来る話かもしれませんね。

 

そんなわけで、あるいは逆説的かもしれないけれど、

「痴漢撃退」に永遠の効果を持ったものとしてモーリス・ラベル氏の「ボレロ」を用いたことは正解、ほとんど唯一と言って良いぐらいの正解ではなかったでしょうか?

      2016年(平成28年)521日朝 



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謹賀2016
年(平成28年)

 新年は現音のアンデパンダン展が2017年の2(3)になるとのことで主にネット上での展開になると思います。

 ただし、「精神の上半身」あるいは「意識の中心」が!!あの世にある!!ロクリアン正岡の特性―これは他者からも良くも悪くも言われていることです―を今まで以上に発揮すべく、この世への突込みをさらに強化し皆様の脳にビリビリ(美理美理*)と迫る楽曲を配信することを誓います。

 こんなことが出来るメディアは何をおいても音楽であり、また人の業としては作曲であります。

ただ、音楽の場合、体験側はどうしても美(*)的快感のみで終始しがちです。真(*)的快感をも体験して頂くためにはLM音楽を裏打ちしているところの概念を表に出す必要がありますね。それについてはこのHPや現音のウェブサイトにも掲載されておりますが、今後も随時書き加えて行く所存です。なお、最近は我がロクリアン的天然脳の活動の場をフェイスブックにも広げおります。「ロクリアンスタイルの喜怒哀楽」を生でお楽しみになりたい方はこちらの方も覗いてみて下さい。

それではこの一年、皆様ご一緒にこの世に留まりつつ参りましょう


お知らせ(2015.12.25)
念仏楽曲「時を貫く“南無阿弥陀仏”」―声とアンサンブルによる、を他2作とともにユーチューブへ動画アップしました(12月04日古希の誕生日に)。
Linkのページからどうぞ、

また
「念仏楽曲の発表を経て得られた今まででのロクリアン正岡最高の音楽存在論1600文字」
をPhilosophyのページトップに掲げました。

”ロクリアン哲学” 創建!
哲学は動詞だ!
真の「哲学する」を世に問う、
パルメニデス以来の挑戦
「八木哲学の生体解 から>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>
ロクリアン哲学へ」
こちらへ

2015年7月 29日
元少年Aよ、よく聞け!八木雄二氏もお聴きください!ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の原典である旧約聖書(特に、その『創世記』)
から大バッハ、そして

「絶歌」


の論理に至るまで、
哲学の敵、「存在の謎を問い続けること」への敵である「割り切り」「決め付け」を批判する。 −音楽的生命の立場から人類の皆様へ」について公開しました
2014年12月 29日
「score」ページ作成しましたPDFにて公開中!ご自由にお使いください。
2014年11月 15日
ヴィオラ独奏曲「思念三態」
    ―“オノレ!サイコパス鬼女

動画アップロードしました
2014年11月 8日
講演会開催
弦楽五重奏曲(SQ+CB)
「残忍性の為の独房、霊性の為の要塞」動画アップロードしました
2014年7月12日
講演会終了
不可知の何様とクラシック音楽の臓物
動画アップロードしたばかりの正岡泰千代時代のカンバス・ミュージックのはInformationのページに
            
特 報!


直近の私の作曲を支える思想の開陳
↑ここをクリック
私は弦楽五重奏曲「残忍性の為の独房/霊性の為の要塞」の作曲においてベートーヴェン以来の
音楽“純粋創造”を果たした!
−母なる音楽家:フルトヴェングラーとの思考対決
日本現代音楽協会公式サイトへはこちら


ヨクナレ・シ・ナナリアン
(Cf.成れ、馴れ、鳴れ、生れ、慣れ、為れ、熟れ。七人
ーロクリアン天然脳による


譜面(クリックで拡大されます)
タンポッポフワーリ ロクリア和声
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