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「もしもし、お姉ちゃん?ひさしぶり!」
母から電話が入った。
祖父の33回忌を知らせる電話だった。
祖父が亡くなったのはわたしが中学生の時
急の知らせに西宮から京都まで車で駆けつけた。
夜の名神高速、大山崎の長い直線に並ぶテールランプ。。。 そんな光景が浮かんでくる
祖父の趣味は「8ミリ」だった
家族が集まると、決まってシーツをスクリーンにした映写会が始まるの
映写機が回り。。。みんなの姿が映し出され、盛り上がる
狭い部屋に(たぶん6畳ぐらい)大人11人と子供が6人
「あの時はこうだった!」「この後こうなるんだよ!」なんて
キツキツに並びながら見るのが楽しかったなぁ〜
1本のフィルムの上映が終わったら、逆回し映写しながら巻き戻すの
これがまた。。。楽しかったのよ!
捨てた物を拾ったり、泣いてたのが笑い出したり。。。
一番の思い出だよね〜
遺品のフィルムたちはおじ(母の弟)が持っているの
おじの家には。。。わたしの「お宝(秘蔵)映像」が眠っているのですよ(笑)
いとこの結婚式の時にはVTRに焼きなおして上映してたけど。。。
今ならDVDに焼きなおすんだろうね!
祖父をしのぶ会、懐かしい8ミリの映写会があるといいなぁ〜
ハーブ園
久しぶりに「布引ハーブ園」を訪ねてみた。
何年前に行ったかなぁ〜?? 多分10年は経ってると思うんだけど
その頃、職場の仲間たちと「さくら会」と称して旅行やら食べ歩きをしていました。
メンバーは父と同じぐらいの年配の上司が2人と殿、女子はわたしを含めて3人
そのほかにも「時々参加」の男性社員が何人かいて、あちこち遊びに行っていました。
ハーブ園を訪ねた時はメインのメンバー6人が参加しました。
まず、六甲アイランドのホテルの中華料理店で「飲茶バイキング」を楽しみました。
殿は甲殻類アレルギーがあるから中華では食べられるメニューが限られてるの
バイキングの「飲茶」には。。。もう「エビ」やら「エビ」やら「エビ」やら(^_^;)
ワゴンサービスの店員さんに「エビの入ってないのはどれ?」って聞いても
「さぁ〜??」って感じで。。。といあえず「じゃあ『肉焼売』をください」と選びました。
殿は『肉焼売』だから大丈夫だろうと一口でパクリといったのですが。
なんとここにも「エビ」さんが入っていたのですよ〜(ーー;)
まず、口の中がすご〜く痒くなるんだって!で、そのあと体に蕁麻疹が出てくるの
アレルギーがあるのは聞いてたけど、実際に蕁麻疹が出たのをみたのが初めて
「うゎ〜ホントに出るんだぁ〜」「やっぱり痒いの??」なんて聞いたりしちゃった(^_^;)
幸いというか、すぐに気がついたので「エビ」入りを食べたのは1個だけ
ハーブ園に着く頃には症状は治まっていました。
食事の後はホテルの送迎バスで三ノ宮まで行き「異人館」「ハーブ園」と散策
最後は新神戸駅近くのお店で「ケーキバイキング」をいただきました。
最後の店でケーキを食べてる殿の顔が浮かんでこないから。。。
行ったのは有志だけだったのかな?あとで確認してみよ〜っと(^_^;)
上司と女子2人がすごい勢いで食べるのを横目で見ながら
わたしは。。。小さいケーキで美味しそうなものを少しだけ(^_^;)
バイキング(食べ放題?)の元が取れたかどうかは。。。疑問です。
今回はたった一人の訪問でしたが、景色を見ながら「そういえば。。。」って
とても懐かしく、楽しいひとときを過ごせました。
作文
子供の頃「作文」が苦手でした。
あったことをただ並べて、最後に「楽しかったです」なんて・・・
「何が」「どんな風に」楽しかったのかってことは書いてなかった
だから先生から返されるんだよねぇ〜「か・き・な・お・し!」って(^_^;)
今にして思うと納得です。
HPやブログでは、何を発信したいのか、どんな風に伝えたいのか 読む人にどう感じて欲しいのかなどなど、課題がたくさんあって大変!
読む側にも「経験」に基づく「感じ方」や「考え方」があるわけで
それぞれ価値観も違うから・・・みんなに共感してもらうなんてことは
無理なんですよねぇ〜 当たり前のことなんだけどさ(^_^;)
先日、そんな話をしていたら「自分が感じて欲しいという方向に上手に話を
持っていける人っていうのが文章のうまい人だ!」って殿が言うんです。
それはそうなんだろうけど・・・(^_^;) じゃあどうしたらいいのかなぁ?
なんて言いながらも「文章を書く」ことが好きになってきているわたしです
難しいから面白い! どんなことを伝えていこうかと考えるのが楽しい!
さてさて・・・次は何を書こうかな??
いっぱいいっぱい書いて、それで文章が上手になれたらいいなぁ(*^_^*)/
遺影
先日、福岡で「サヨナラ写真は一番の笑顔で」という番組が放映されました。
知人の遺影を撮影したことがきっかけで100人以上の方の写真を撮っている
という素人カメラマン(主婦)のお話でした。
「昨日電話しようと思ったんよ!TV見た?」義母から聞かれました。
その日はちょうどお客様が来ていてTVは見ていなかったのです。
わたしがHPを始めて、写真が趣味になって、いいカメラを買ってもらって・・・
いつの頃からか「いい季節になったら、のぶこさんに遺影を撮ってもらわないと」 と義母が言うようになっていました。
元気なときに、自分の気に入った写真を用意しておくのだとのこと。
日曜日、実家で朝食をとっていた時に番組の再放送を見ることができました。 その女性は義父を介護する生活の息抜きとして庭の写真を撮るようになったとか たまたま撮った知人の笑顔の写真を遺影に使ってもらったのをきっかけに 地域の人たちの写真を撮るようになったそうです。
ゆっくり時間をかけて話をしながら撮影。その人の人柄や笑顔、そして自然な表情 を引き出している写真の数々はとてもステキなものでした。
まだ自分のご主人の写真を撮っていなかったから・・・と撮影している姿に密着
自分の大切な人だから最高の表情を撮りたいという姿に共感を覚えました。
番組を見たあと庭に三脚を持ち出して花や鳥を撮影していました。 横では義父が野菜を揃えるために座って作業をしていました。 「試しにおやじを撮ってみたら」と殿、「いいかもしれない!」とカメラをセット ピントを合わせたところで殿が「こっち向いて!笑って!」と声をかけました。 カシャ!カシャ!カシャ! とても自然ないい笑顔を撮ることができたんです。 本当はこの写真が「今週のお気に入り」だったのですが・・・ 人の笑顔を撮るのっていいなぁ〜楽しいなぁ〜と思ったのでした。
童顔
身体が小さかったわたし、昔から年より若く見られることが多かったです。
小学生の頃は下級生に自分たちより年上のはずがないと言われ
中学生の頃は私服だと必ず子供料金・・・その時は「まあ、いいか!」って
高校生の時にバスで大人料金を払ったらおつりが出てきた時には「??」って さらに高校の卒業式の後、制服で部活の仲間と買い物に行ったら店の人に
「中学の卒業式やったん?」なんて聞かれ、会社に入った時も先輩男性に
「君って中卒??」なんて・・・童顔はいやだなぁ〜ってずっと思っていました。
妹に子供が生まれて預かった時のこと、姪っ子を抱いて駅を歩いていたわたしに おばさんが声をかけてきました。「この子、あなたの子じゃないわよね?」って おばさんにはわたしがすごく若く見えたんでしょうね!
わたしが「姉妹(きょうだい)の子どもです」というと「そうよねぇ!おねえちゃんの 子を預かってるのね!」と納得して去っていきました。「妹の子なんだけど・・・」と は思ったのですが、そんな風に聞いてくるおばさんのことだから「妹の子」なんて 言ったら「あなたおいくつ?」なんて聞いてきそうでしょ? 今思うとあの時正直に言っておばさんがどんな顔をするか見てみたかったなぁ(^_^;) その赤ちゃんが・・・中学校を卒業してしまいました。月日が流れるのは早い!
ゴミのこと
わたしの住んでいる地域では夜中にゴミを回収します。
夜の10時までに所定のゴミ置き場に出せば持って行ってもらえるので
魚好きのわが家はとっても助かっています。
食べ終わった魚の骨は、置いておくとニオイがね・・・
だから「燃えるゴミ」の日に魚料理を食べる事が多いです。
マンションのゴミ置き場は小屋になっていてシャッターが付いています。
なので、カラスや動物に荒らされることもないので掃除も簡単に終わります。
(年に2回ぐらいかな??回ってくるのは)
わが家は二人してお酒が好きです。
美味しい日本酒が好きで・・・一升瓶がたまってきます。
紹興酒も好き!ディスカウントで一升瓶を買ったら店員さんに
「お店されてるんですか?」って(^_^;) 一升瓶で買う人を始めてみたらしい・・
料理に使うつもりで買っても・・・気が付けば飲んでしまっています。
西宮では「瓶」「缶」は袋に入れず、コンテナにガラガラと入れていました。
こちらは「可燃ごみ」「缶・陶器」「瓶・ガラス」それぞれの袋に入れて出します。
一升瓶がゴロゴロ入るわが家の「瓶・ガラス」袋、最近は焼酎の美味しいものを 見つけてきては飲んでいるので、その空き瓶も入っていつも目いっぱいで重い・・・
ビール(発泡酒?)も飲みますが、アルミ缶はリサイクルで出すようにしているので 「缶・陶器」類の袋はなかなかいっぱいになりませんね(^_^;)
リサイクルゴミは「新聞」「雑誌」「ダンボール」「アルミ缶」「古着」などなど
月に2回回収してくれます。雑誌が多いわが家、とっても助かっています。
ただ・・・リサイクルゴミは朝からの回収なので出し忘れることもしばしば
出し忘れなさえければ、わが家はすっきりしてるのに・・・(反省・・・)
さだまさし
「さだまさし」のファンになって・・・20年は経つのでしょうか(^_^;) 初めて「さだまさし」を認識したのは「雨やどり」でした。 おもしろい詩を書く人だなぁぐらいでこの頃はファンではありませんでした。 次は「関白宣言」!車に乗っている時にラジオから聞こえていたのですが 長い歌でいつも中途半端なところまでしか聴けなかった記憶があります。 そのうち妹がファンになり、ファンクラブに入りました。 妹が買ってくるLPを聴くようになって・・・ 気がつけばわたしや叔母、わたしの友達までファンになっていました。
大阪フェスティバルホールは「さだまさし」が大好きなホールだそうです。 行く度に「フェスでのコンサートは今日で○回目です」って ちなみに・・・11月15日のコンサートは185回目だったそうです。 「200回まで歌い続けるぞ!!」と話されていたので わたしも「200回目を聴きに行くぞ!!」と誓ってしまいました。(^_^;) 早ければあと5年ぐらいで達成しそうです。
ツアーで知り合った滋賀県のファンの人は「長崎から」はもちろんのこと (毎年8月6日に稲佐山野外ステージで行なわれるコンサートのこと) ディナーショーまで行かれるんだそうです。すご〜い!! わたしが行くのはフェスティバルホールのコンサートがメインです。 一番の基本は「さだまさし」がフェスティバルホールが大好きだってこと さださんが言う「神様が作ったホール」で歌う「さだまさし」が聴きたいから 毎回大阪まで通ってしまうのです。
結婚記念日
わたしたちの結婚記念日は11月11日です。 3度目の記念日が近づいていますが・・・ わたしは11日から「さだまさし」のコンサートで大阪へ(^_^;) 1年目も「さだまさし」でした。2年目は殿が出張でいませんでした。 なのでまだ一度も二人で「記念日」を祝ったことがありません。
結婚式はたまたまこの日しか空いてなかったのですが 覚えやすくていいじゃない!って(仏滅だったけど・・・) 披露宴を昼食時にしようと逆算したら式は11時からと決まり 2001年11月11日11時からって・・・見事に「1」が並びました。
覚えやすくて忘れてないのに、毎年なにか用事が入るんですよねぇ 年に数回「さだまさし」が大阪でコンサートするのに託けて里帰りをしているわたしに 今のところ殿も(行くなと言っても勝手に行くんだろうなぁ・・・と) あきらめているようです。(^_^;)
地震のこと
1995年1月17日 地震の「ド〜ン」という衝撃に目が覚めました。 目に入ったものは・・・ブンブン回っている蛍光灯 「マジ??」「ウソ!!」 それしか考えることができませんでした。 揺れてる間はひたすら布団の中で固まって小さくなっていました。 (赤ちゃんのポーズみたいに・・・) 揺れが収まって「のぶこ!大丈夫か?」と父の声 返事をしお互いの無事を確認しました。 わが家はちょうど断層の上にあり「震度7」だったとか 団地の12階に住んでいたので地震の揺れに建物の揺れが加わり そうとうひどい揺れだったようです。 陽が昇り、部屋の様子もわかるようになってきました。 寝ていた布団の上にはタンスと勉強机のテントができていました。 どちらが無くても倒れてきた家具で怪我をしていたかもしれませんね! カラーボックスを使った本棚も、みごとに頭を通り越して飛んでいました。
玄関の扉も歪んでなかなか外に出られませんでした。 外に出ても誰も情報を持っていないし(携帯電話も普及してなかったので) 団地には450家族もいるのに公衆電話は2台。しかも長蛇の列 危険だからと家には入れず、待つよりほかに何もできなかったので 何度も電話の列に並んで覚えている番号に片っ端からかけました。 叔母や妹にはすぐ連絡がつき、お互いの無事を確認できましたが それ以降回線が混みあっているのか全くつながらなくなりました。 職場に連絡が取れたのは夕方4時を過ぎていました。
避難所(阪神競馬場の厩舎)には2日間お世話になりました。 父は団地の集会所に留まっていたため、1人での避難所暮らし 厩舎なのでコタツはありましたが、6畳2間に2家族とわたし・・・ 1日目でギブアップ。翌日、荷物をまとめに家に帰りました。 散らばっているものの中から必要なものを探すのに手間取ったため 避難所にもう1泊。翌朝、叔母の家をめざしました。 線路の上に新幹線や国道の高架が落ちていたため
電車が動いている駅までは歩いて1時間以上かかりました。 車窓には見慣れた景色は無く、倒れた建物や潰れた車・・・ 電車の中なのに涙がでて困ってしまいました。 叔母の家に行く前に職場にもたち寄りました。 安否を気遣ってくれた職場の人たちに元気な顔を見せました。 待っている人のほうが不安は大きいんですよね わたしからの連絡があと少しが遅かったら 通行止めになっているにもかかわらず捜索に出るところだったそうです。
わたしの場合は幸い怪我も無く、身を寄せる親戚もありました。 でも、避難所しか行き場所のない人たちの辛さは半端じゃないでしょうね
カッホー馬古屏(まごへい)
福岡県嘉穂郡嘉穂町の物産館「カッホー馬古屏」はわが家の御用達。 ちょうどわが家から実家へ向かう途中にあります。 地元の農家の人たちが収穫した野菜を持ち寄り販売、安くて新鮮です。 「米」「卵」「野菜」「果物」「味噌」「パン」「ハム」「菓子」「惣菜」などのほか 「花」「野菜苗」「工芸品」「北海道標津産の加工品」なんかも売っています。 営業は夕方5時まで、「野菜」を買いに行くのは午前中に限ります。 特に土日には評判を聞いて遠方から買いに来る人たちでいっぱい! 「あっ」という間に売切れてしまいます。
また、「カッホー」のすぐ近くには「石田プリン」の店があります。 元は「さかえ屋」(福岡の菓子チェーン店)で売られていたもの その当時は「石田のぷりん」という名前で売られていたのですが 開発者の石田さんが独立し故郷の嘉穂町に店をかまえたそうです。 今は「さかえ屋」で売られていないため「プリン通」の間では 「幻のプリン」と呼ばれているらしいです。ホント!美味しいですよ! 「プレーン」と「抹茶」の「プリン」(150円)のほか「焼き菓子」や 地元の酒「寒北斗」を使った「ケーキ」(1本700円)なんかも売っています。
ゴーヤー
結婚1年目の夏「毎日ゴーヤーを食べないかんぞ〜!ニガイぞ〜!!」 と殿から言われました。それまで一度も食べたことが無かったわたし どうなることかとビクビクしながら一口食べました。 殿の顔には「どうだニガイだろう!」と書いてあったのですが 予想を裏切りおいしくいただけました。思ったより食べやすかったです。 殿は結婚前の夏、日よけに植えられていた「ゴーヤー」が毎日のように食卓に登場 かなり辛かったようなのです。
今年の夏も毎日食卓に「ゴーヤー」が登場しました。 不思議なものであんなに嫌がっていた殿も「チャンプルー」を見て 「おいしそうやん!」って。毎日食べると慣れるのかなぁ? わたしの嫌いな「納豆」も毎日食べてたらおいしそうに見えるのだろうか? 未だに克服できない課題です。
筑豊弁
福岡に来て、殿が方言で話しているのを聞き「地元の人なんだぁ」と・・・(^_^;) 実家に行くと、あたりまえの話ですが全員が「筑豊弁」です。 生まれてからずっと「関西弁」で育ったわたしにとっては、イントネーションも違うし 単語も違うし、意味が理解できずに「?」が飛び交ったりしています。
ある日実家に行くと、お義母さんは出かけていました。 お義父さんに聞くと「かみつみに出かけた」とのこと。 わたしは「かみつみ」という地名があるんだと思ったのですが どうも違うようなので殿に聞いてみると 「髪つみ=散髪」美容院のことだったのです。
「はわく=掃く」「おしょれる=折れる」「しまえる=終わる」「つまらん=だめ」 「おらぶ=大きな声で叫ぶ」「さっちが=なにがなんでも・どうしても」 など意味が解っても使いきれない単語がいっぱい!! 筑豊弁の特徴としては語尾に「ちゃ」「ちゅ」「ちょ」がよく出てきます。 あとは「と」「ばい」「もん」「くさ」なんてのもついてきます。 達人への道は果てしなく遠いです。
趣味のこと
プロフィールを書いていて感じたことなのですが、結婚前の趣味は「読書」 「映画鑑賞」でした。福岡に来て3年の間に「映画」は2回しか行ってません。 しかも、1回目は貰ったチケットで・・・ 「読書」にしても、時間があるから読めそうなのに一向にはかどりません。 結婚前、通勤時間が長かったわたしの読書時間は電車の中だったのです。 今は・・・昼間は他の事をしてしまうし、寝るときに読むと眠気の方が勝ってしまって 最後まで読めない本が何冊もたまっています。 大きな本屋が天神まで出ないとないっていうのも原因かもしれなしですね! 天神まで往復780円。主婦にとってはばかにならない金額です。(T_T)
花粉症
6年ほど前から「花粉症」になってしまいました。 始めの頃は「花粉症じゃない!」と言い張っていたのですが 年々ひどくなる一方です。特に福岡に来てからがひどくなり 結婚1年目は「杉花粉」の出始めに1日寝込んでしまいました。 昨年からは症状は軽いものの「秋の花粉症」にも悩まされています。 (アレルゲンはなんだろう?ブタクサかなぁ?) 対策も「喉もと過ぎれば・・・」で「甜茶」も「シソの実油」も続かず またまた「花粉」に悩まされてしまうのです。
九州にもスキー場があります。 何度か佐賀県の「天山スキー場」に出かけたことがありますが ココは周りが杉の木だらけで・・・花粉の時期には行くことができないだろうなぁ。 2月、3月といえばシーズン真っ盛りなのに・・・(T_T)
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