ネパール エベレスト街道 トレッキング(3,859m)推敲中 |
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世界の最高峰の山
【エベレスト】(8848.86m)
別の名を「サガルマータ」・「チョモランマ」
世界最高のヒマラヤの山々を背景に、ラマ仏教、ヒンズー教文化がが織り成す
風景と人々。 チベット、ブータンなどとは、今も尚、徒歩でヒマラヤの嶺を(
峠)を越えて交流が行われていると言う。 トレッキングの途中でもチベットか
ら2日がかりで歩いてきたと言う老人と出くわした。
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日 時 |
場 所 |
到着 時刻 |
出発 時刻 |
備 考 |
2004/11/03(日) |
東京羽田空港 |
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7:35 |
全日空 NH141 |
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関西国際空港 |
8:50 |
12:30 |
ロイヤルネパール航空 RA412 |
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上海浦東空港 |
13:50 |
14:55 |
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ネパール・カトマンズ国際空港 |
18:15 |
19:00 |
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カトマンズ ホテル・ヴァイシャり |
19:20 |
: |
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2004/11/04(月) |
ホテル |
: |
6:00 |
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カトマンズ国際空港 |
7:00 |
7:15 |
SK701 |
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ルクラ(2,850m) |
:00 |
:00 |
トレッキング開始 |
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チョプルン(2,660m) |
:00 |
:00
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クスムコーラ沢・タドコシ(2,580m) |
11:10 |
:00 |
セイヌロッジ・昼食 |
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ガート(2,500m) |
13:00 |
:00 |
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パクディン(2,640m) |
14:26 |
:00 |
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2004/11/05(火) |
カラパタールロッジ |
: |
7:45 |
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トクトク |
8:50 |
: |
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ベンガールの橋 |
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チュモア |
: |
: |
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モンジョ |
: |
: |
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ジョルサレ |
10:45 |
12:00 |
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ドード・コシ川大橋 |
13:00 |
13:25 |
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トップダラ |
10:10 |
: |
尾根に出る |
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14:25 |
15:05 |
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ナムチェバザール |
15:25 |
: |
標高3,400m |
2004/11/06(水) |
『サクラ・ロッジ』 |
: |
7:45 |
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シャンボチェ空港 |
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3,700m |
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エヴェレスト・ビュー・ホテル |
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クムジュン東分岐 |
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クムジュン村 |
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シャンボチェ空港 |
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ナムチェバザール |
: |
: |
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2004/11/07(木) |
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: |
7:45 |
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トップダラ |
8:00 |
8:25 |
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ジョルサレ |
9:20 |
9:26 |
ウオーターフォールビュー・ロッジ |
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モンジョ |
12:15 |
: |
カラパタール・ロッジ |
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チュモア |
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: |
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ベンカールの橋 |
: |
: |
2.600m |
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トクトク |
: |
: |
セーノ・ロッジ |
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パクディン |
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サドコシ・ヴィレッジ |
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ガート |
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チョプルン |
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ルクラ |
: |
: |
ホリデー・ロッジ |
2004/11/08(金) |
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: |
6:30 |
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ルクラ空港 |
: |
7:20 |
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カトマンズ空港 |
7:55 |
9:30 |
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ホテル・ヴァイシャり |
10:00 |
: |
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2004/11/09(土) |
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: |
9:00 |
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パシュパティナート |
: |
: |
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ボーダナート |
: |
: |
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スワヤンブナート |
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世界遺産・王宮 |
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: |
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さよならパーティー |
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: |
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ホテル・ヴァイシャり |
: |
: |
仮眠 |
2004/11/10(日) |
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: |
: |
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ネパール国際空港 |
: |
4:30 |
RA411 |
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上海浦東空港 |
: |
: |
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大阪関西国際空港 |
15:50 |
17:20 |
NH146 |
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東京羽田空港 |
18:25 |
: |
食事 |
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其々・家路 |
: |
: |
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※サーバーの容量の関係で写真データの表示を調整中。 |

タルチョの向こうに聳えるコンデ・リ山群ヌプラ
撮影場所:チョプルン
撮影日時:2002/11/04
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エヴェレスト街道を行く、ジョルサレの吊橋
撮影場所:
ジョルサレ
撮影日時:2002/11/05
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たまらなく美しいタムセルク
撮影場所:クムジュンからシャンボチェへの途中 撮影日時:2002/11/05
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美しい姿に見とれるアマ・ダブラム 撮影場所:
クムジュン アマダブラム・ロッジ
撮影日時:2000/02/13
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ルクラ空港 撮影場所:ルクラ 撮影日時:2004/11/08
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【エベレスト街道・トレッキング:行程】 【日 程】2002年11月3日(日)~10日(日) |
11月 3日(日) 東京羽田空港→関西国際空港→上海浦東空港→カトマンズ・トリブヴァン国際空港→ヴァイシャリH
11月 4日(月) カトマンズ → ルクラ → チョプルン → パクディン
11月 5日(火) パクディン → トクトク → チュモア → モンジョ → ジョルサレ → トップダラ → ナムチェ・バザール
11月 6日(水) ナムチェ・バザール → シャンボチェ空港 → エベレストヴューH → クムジュン東分岐 → クムジュン村
→シャンボチェ空港→クムジュン東分岐→ナムチェ・バザール
11月 7日(木) ナムチェ・バザール→トップダラ→ジョルサレ→モンジョ→チュモア→ベンカールの橋→トクトク
→ パクディン → ガート → チョプルン → ルクラ = ホリデイロッジ泊
11月 8日(金) ロッジ(6:30)→ ルクラ空港 → カトマンズ → ホテル
午後:タメル地区
11月 9日(土) カトマンズ市内見学=スワヤンブナート → パシュパティナート → ボーダナート
市内自由見学=アサン → ハヌマン・ドカ → タメル
11月10日(日) カトマンズ→空港→上海浦東空港→関西国際空港→東京羽田空港→帰宅
【メンバー】
CL T/M 監督:R/A 記録:C/I、S/O、会計:H/S、渉外/医薬品:T/K、C/O、写真:T/M
* ツアー・ガイド:C/K(FITS)
* 現地ガイド:Dawa Nuru Sherpa、Sona Sherpa、Dawa Temba Sherpa 他ポーター。
【コメント】
エベレストを登る!せめて眺めるだけでも!?・・・・・は長年の夢だった。チベット、ブータン、ネパール(世界高峰が並ぶ地域、エベレスト、
ラマ教、・・・・尽きない興味を感じるこの地域)に一度は訪ねてみたいと想っていた。
今までは本、映画、ニュース、等でしかふれる事が出来なかったから。
山の会の創立十周年記念事業として企画され、2001年に計画されたが、自分は現役最終年しっかり区切りを付けて終わりたいものと
不参加を選択した。
ところが2001/09/11アメリカにおける同時多発テロ事件が発生し、政情不安により一部の人達が延期と言う形でチャンスが回ってきま
した。いよいよ準備段階になって今度はマオイスト(ネパール共産党=毛沢東主義派)の騒動のニュースに躊躇するメンバーも出てきた
が少々の障碍は乗り越えて・・・・・と連帯感を強め実行へ。
ネパール駐日大使館に事情を問い合わせたり、外務省のアナウンスを注視したりいろいろやった、また、入国時カメラ機材の持ち込み
制限があるとか、持って行く物の準備に迷って、カメラは一台しかもって行かなかったが、結局はそんなチェックはなかった様だ。残念。
しかし、ネパールのトリブヴァン国際空港では小銃を携えた兵士の警戒風景や持ち込み荷物の検査も通常以上の厳しさに満ちていた。
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参考:トレッキング中によく見かける風景に、ボン教からチベット仏教に祈りや願いを自然の中の風に託したタルチョがあります。 チベット民族はこのタルチョを、家の屋根の上、寺院の屋根の上、山頂や峠、橋や水辺などに、魔除けと祈りの旗として掲げます。
タルチョの色は5色。青、白、赤、緑、黄色です。
■は天や空・ ■は風・ ■は火・■は水・■は地や土を表現している。
タルチョには想像上の動物が描かれています。
■青龍 春 東 ■白虎 夏 西 ■朱雀 秋 南 ■玄武 冬 北 ■麒麟 中央 |
2002年11月03日(日) |
11月3日(日) いよいよ出発の日がきた。 始発の電車で、池袋で全員8名合流、品川経由羽田へ。
早朝の出発にもかかわらず、皆元気だ。羽田ではFITSのIさんの見送りと今回お世話になるアテンダントのKさんの紹介を受ける。
皆いやがうえにもこれからの旅に期待と興奮が高まる。
7時35分搭乗、8時50分発全日空NH141便で関西空港へ、新雪を頂いた富士山が美しい。
乗り継ぐロイヤルネパール航空RA412便は12時30分発、空港内を見学したり、免税店を物色したり、でも気分は既にネパールへ。
定刻に出発した機は東シナ海を経て上海浦東空港へ向かう、昼食を摂って暫くで真新しい上海空港に、長い回廊を歩いて案内された待合
室は何も無い休憩室、免税店を期待していた人達はがっかり、まだ整備の途上なのか?再び機内へ、
旅は道ずれ、機内では隣り合わせの人と話が出来るのも楽しみのうち、左側、窓際の女性はネパール人(少女)、幸いな事に「日本語」、
「英語」が話せる、日本の事、ネパールの事、カトマンズの見所・・・、と日本滞在、旅行等々の感想・・、日本にはお姉さんの出産の手伝いで
来ていたとの事だった。
話がはずむ内に機は夕焼けに染まるヒマラヤ山脈を越えかかっていた、山脈を越えると既に夜(闇)の世界、暫くすると下界に明かりがポツ
ポツと見え出し、間もなく高度を下た機はトリブヴァン国際空港に着陸。入国手続、再び手持ちの荷物にレントゲン検査とは驚き、マオイスト
騒動の余波か、途上国(失礼)にありがちな混乱か?無事カトマンズに降り立ち、現地旅行会社のマイクロバスでホテルへ。
ホテルでは折からの”ティハ‐ル(光)の祭”とかで 電飾がされていた、ウエルカム・ミーティングと両替を終えて各部屋へ、当てられた部屋が
工事中だったり・・・・、いろいろ有って就寝は十二時を越えてしまった。
※エベレストをはじめヒマラヤの山々は初めて見る驚きと興奮とその美しさに、度々似た光景が出てきますが
呆れないでご覧いただければと思います。 |
2002年11月04日(月) |
【エベレスト街道・トレッキング:行程初日】
11月 4日 カトマンズ→ルクラ→チョプルン→パクディン
五時起床、朝食弁当を貰って、再び空港へ(国内線ロビー)、
天候に左右されやすい為”世界一危険な空港”言われているルクラ空港は朝夕の無風の時間帯がベストと早目の便を目指して、朝靄の 中
目覚めるカトマンズ市街、王宮の前を通って、7時発ルクラ行きスカイライン・エア701便、行きは左側の窓がグーと聞 いていた、先頭に並
んでいたら後から“座席確保“コール、機内に入って座席を確保していると、イギリス人の親子からも 座席のリクエスト、 仲間用をとるか家族
に譲るか複雑な気持ち・・・。
快晴のカトマンズ市街を眺めながら、プロップジェット双発機は順調に飛行、やがて白銀に輝く、初めて眺めるヒマラヤ の嶺々が見えてき
ました、想わず歓声が湧く、コックピットからパイロットが教えてくれた、ク‐ンブ・ヒマラヤ、朝日に輝くエベ レストを・・・、
初めて眺めるエベレストの姿に感動する事しきり、カメラの操作も忙しい、コックピット越しの撮影も許された 。
山間の谷間の上空を縫うように飛ぶ機はやがてルクラ空港へ、尾根筋の中腹に作られた滑走路は谷から山に向かっ て登り勾配、正面の
石垣の手前で90度右折して空港ターミナルへ。 (パイロットならずも低汗を握るような瞬間を味わう!?
この空港でも早朝から軍の警備が物々しい、機銃を携えた兵士の姿がやたら目につく、空港近くのホリデーロッジで休憩後、
これから 世話になるシェルパ、コック、ポーターと合流して、いよいよトレッキングの開始、いざ出発の記念撮影。(標高2850m)
土産物店、ロッジの並ぶ町並みを通って案内板のある分かれ道を左にとって集落の出口のチョルテン(チベット仏教の 仏塔)をくぐりながら
、マニ車をまわして旅の無事を祈り、チョプルン(2660m)を目指して下っていく、ポツッポツと点在 するロッジの白い壁、ブルーの窓枠、
それに飾られた植木の花がとても印象的で美しい風景をなしている。
ドード・コシ川 の左岸沿いに北上、(嘗て、かのヒラリーもマロリーもその他大勢の登山者も登っていった道を・・・)美しく、雄大な峰がどんど
ん目の前に、コンデ・リ(5885m)、カタン(6353m)ク‐ンビラ(5761m)、クスムカングル(6369m)雪の有る山、 無い山、感嘆相次ぐ楽
しい歩行。
狭い山道をゾッキョ(牛とヤクのハーフ)とすれ違いながら進む、クスムカングルに発す るクスムコーラ川の出合いタドコシはセーヌロッジで 昼食、晴れ渡る屋外からロッジ内に入ると矢張り体が冷えてくる(2 580m)、温かいレモンティーがとても美味しい、高度順応には水分補給
が欠かせないそうだ、空気が乾燥しているせい かどんどん補給しないと・・。 歩きとゾッキョが唯一の交通・運送手段、ゆっくりとした時の流
れ、何時の日か忘れてきてし まったものがあるように、穏やかなディリ‐・ロッジのママ、大概は主人は女性)のもてなし、人々の表情がとて
も穏やかで 親しみ深い。
ガートを通過してパグディン到着(14時26分)今日の行程は此処まで。(2640m)今夜の宿舎はカラパタール・ロッジ その前から
コンデ・リの岩肌が太陽に照らされて見える。
谷間にあるロッジは気温がぐんぐん下がってきてじっとしていると寒い。川沿いに建てられたロッジの入り口は2階、1 階の部屋を借りるこ
とになって荷物の整理と寝る準備。2階で夕食今日の同宿はスイス、フランス、オランダのグループ でスイスのグループはカラパタールから
の帰りで余裕、 オランダのグループは親子三人、既に頭が涼しくなりかけた兄 弟と父親、この様に家族でこれるなんて素晴らしい。
夕食の後近所の子供達が”ティハ‐ルの祭り”の踊りを披露しに来てくれた、意欲的にリードする少女、はにかみながらそれに続く子供達、
ラジカセにあわせてダンス最後は我々も一緒になって踊った、お礼にプレゼント他の国の人達も夫々チップをはずんだのは言うまでも無い。
軽快なリズム、その曲が「レッサン・フィリリー」と言うことは後になって知ることになる。 楽しい踊りに見とれてしまって 写真を撮る事を忘れ
てしまった、後から残念に想う。
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2002年11月05日(火) |
【エベレスト街道・トレッキング:行程二日目】
11月 5日(火)
パクディン→トクトク→チュモア→モンジョ→ジョルサレ→トップダラ→ナムチェ・バザール
六時起床、顔を洗う水が冷たい。
「日本語の話し声が懐かしい」と話し掛けてこられたMさん、ヒマラヤ越えのツルの渡り観測で長期滞在されているそう で、その合間を縫って
ナムチェバザールまでトレッキングとか、六十?歳、静岡市出身、最年少のエベレスト・サミッタ‐と一緒と か。
パクディンを過ぎるとすぐに吊橋を渡ってドードコシの右岸へ、1時間あまり歩いてトクトク(2675m)で休憩、再び吊橋 を渡って左岸へ、
ベンガールの吊橋は最長、スイスの援助で掛けられたそうです、それまでは木や蔓で作られた橋を危な っかしく渡った記録映画のシーンが
思い出される。チュモア(2720m)、タムセルクとカンテガ(6685m)に源を発する キャシャル・コーラを渡りモンジョ(2815m)、再びドード
コシを渡ってジョルサレへ(2805m)十時四十五分~十二時昼 食(シェルパ・ロッジ)サガルマータ国立公園入り口を通過してタムセルク
が良く見えるウォーターフォール・ビレッジで休 憩、滝から流れる涼しい風、マンシーレ=皇帝ダリア(ベンマプール)の花が真っ青な空に
良く似合って綺麗に咲いていた。
ロッジの建 物はカラフルなパラソルその向こうに白銀に輝くタムセルク、お茶をしながら飽きない眺めだ。
ここから少し河原を歩いて二俣に合 流する右インジャ・ローコーラを渡る高い吊橋に向かって登る、ドードコシ大橋(2855m)ゾッキョも凄い
形相で渡ってくる 、文字通り踏(糞)張る上り下りの階段、一歩一歩足下を確認しながら”その目”を見ると哀れにも感じる。
これからナムチェバ ザールまで590mの登り、標高も高くなり休憩の間隔も短くなってきた、(3015m)、(3150m)
トップダラの尾根に出 る曲がり角でエベレストが見えた。
林の木々の間にナムチェバザールの建物が見えてきた(3350m)ナムチェバザール入り口の ロッジのテラスで休憩、ディリーと子供達、
女性達はディリ‐と化粧のお話、男性は子供とビニール袋の凧を作って暫しの 童心に・・・。
下の広場で開かれているバザールを眺めながら中心部にある今夜の宿”サクラ・ロッジ”へ(3450m)此処に2泊の予定。
当てられた部屋は4階だ、登るだけで息が弾む。
夕食までの時間を活用し、高度順応を兼ねて、街中へ街中の広場で も子供達がティハ‐ルの踊りを・・・・、それを見学したり、お土産をあさ
ったり、両替をしたり、ある店でマニ車と鈴(ベル) を求めて値段交渉、結構楽しいやり取り、気合が入りすぎるとこっちは酸欠に弱くて負け
そう。夜部屋の窓を開けてナム チェバザールの夜景を長時間露光で撮影結構寒くて手が凍えそうだった。
夕食を終える頃またティハ‐ルの訪問客、今夜はターメからだと言う、少し年長の少女たち(高校生?)少しはにかみながらの踊り は・・、
でも皆も混じって、酸欠も忘れて踊りの輪に・・・。「レッサン・フィリリー」の曲が流れて夜は更けていった。
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2002年11月06日(水) |
【エベレスト街道・トレッキング:行程三日目】
11月 6日(水)
ナムチェ・バザール→シャンボチェ空港→エベレストビュー・H→クムジュン東分岐→クムジュン村 →シャンボチェ空港→クムジュン東分岐
→ナムチェ・バザール
少し酸欠か?朝起きる時、違和感がチョット、洗面用の湯と目覚ましのお茶を用意してくれたのを飲んで元気に 出発、いよいよ今日は展望
台に登って念願の山々とご対面、白銀のヒマラヤ襞をまとったアマダブラム、それから 谷の奥の方に名に聞くローチェ、その向こうにヒマラヤ
の盟主エベレストが三角錐の形で鎮座している姿が今目の 前にある、とても素晴らしい雄大な眺め。
それから更に350mくらい直登ぎみに登ってシャンボチェ空港の東端を通りパノラマホテルの脇を通ってエベレ スト・ビューHへ、もうこ
こまで来ると360度高峰の眺め、結構高度(3850m)に来ているはずだが皆元気、意気 揚揚として歩いている、谷に面したアプローチを左
に曲がりこむと広い草原状の向こうに松林が見えてきた、松林 のあるところがエベレスト・ビューHだから、此処で写真撮っていっても良いと
KさんのOK、ダワ・ヌルが一緒に残 ってくれて暫し撮影、日差しは強いが停まっていると結構温度は低く冷えてくる。
緩やかな芝生状の道を進んで 石段を左に回りこむとホテルの玄関へ、ロビーを通過してテラスへ、絶景!(先着の皆も興奮状態・・・・・・・)
石畳 のテラスに白いテーブルとベンチがあって、他の客達も含めて、この素晴らしい眺めを。
お茶もそこそこに記念撮 影に忙しい。 一人一人記念のポーズで、グループで・・・・・。アマダブラム、タムセルク、カンテガ、ローチェ、エべ
レスト、タウチェ、・・・・・が正面に、あっちがタンボチェ、その先がパンボチェ、振り返ればホテルロビーの大きな窓にも同じ風 景が映って、も
う本当に堪らない光景を満喫。
(後で気がついたが、此処でコーヒーだけで水分補給を怠ったのが 数時間後に効いて来た)、
何時まで眺めても限りが無い光景と分かれクムジュンに向かう、ホテルの玄関先に小さ な鯉のぼりがはためいていた。林の中の小道を下っ
てサンナサ経由石垣に囲まれた(畑?ヤクの放牧?)が続く 平坦な道を通ってクムジュンへ、中心部近くのアマダブラム・ロッジで昼食休憩
、先の油断が祟ってか昼食のラ ーメンが喉を通らなかった、レモンティーを貰って意識して水分補給・・・。
ロッジの裏庭に出てみると、またまた素晴らしい眺め、両側から下りて来る稜線の間、今通ってきた道の向こう に「アマダブラム」がとても
美しい姿だ。背景に全員でポーズ。 水分を補給してずいぶん気分も良くなってきたやはり水分補給 をずぼらしてはいけない。
アマダブラム・ロッジを後にして、真っ白いチョルテンの前を通って、クムジュンの学校へ、いろいろな国の援助で 建てられたと言う校舎が
並んでいる、学校はティハールの関係で休み、留守番の先生に持参のプレゼントを託し、 皆で記念撮影。 ナムチェの子供たちはこの学校ま
で毎日30分の道のりを通うそうだ。(因みに我々の行程は2時 間弱)。
外は快晴で日差しは強いが、空気は冷たい、日陰側は冷える。学校を後にして、シャンボチェに向かっ て緩やかな登り、途中、一人の老人
に追い抜かれた、Kさんがいい風景だから写真を撮らせてもらったら?と、ダ ワ・ヌルが通訳してくれて、話がまとまり、雲間に聳えるタムセル
クを背景にポーズ、チベットから歩いて2日、雪の 峠を越えてきたとか、とても信じられない行動力、ナムチェバザールに行くのだとか、自分は
急いでいるんで・・・ 、とそこで足止め料(チップ)20ルピーを渡して、ニッコリ合掌、でも良い写真が撮れて、相手も喜んで結果OK。
峠状の地点で休憩、ここからのタムセルクもとても素晴らしい、でもじっとしていると冷えてくる。ナムチェ側の下 りに差し掛かると石垣で囲ん
だ土地がいくつか、国営のヤクの牧場だそうだ。
今朝登りに通った、シャンボチェ空港の東端とは反対の西端を通ってナムチェの見えるところまでくると、ストー バにタルチョがひるがえって
いる、聞くとこれはダワ・ヌルのお祖父さんのお墓だそうで、通りすがりにお参りしてき た。どうもかなりの実力者だったように感じる。
ナムチェへの入り口の巨大なマニ石を見て、町には入らず、右下 に眺めながら迂回して、朝割愛した、国立資料館・博物館へ、ここにはチ
ベット族の古い民具・生活用品が展示さ れており昔の生活スタイルがしのばれる。
一方は歴代のエベレスト・サミッターにまつわる写真、資料が展示されており、幾つか見覚えのある写真があっ て興味深かった、何故か、結
婚式に参列した若いダワ・ヌルの姿も。外へ出てみると雲の量が増えて、コンデ・リ の夕景は見られたが、ついにエべレストの夕照は見る事
ができなかった。 サクラ・ロッジに戻り、4階の部屋に戻 ると、暗がりの中から誰かが呼んでいる、昨日から誰かが隣の部屋にいる気配は感
じていたが、ラマ僧が二人、 どうも彼らの部屋に話しに来 ないかと言う事らしい、一人の方が片言の英語が話せるらしい、小豆色の僧衣で片
方の肩腕は裸同然の姿に、「 寒くないですか?」、問いに「寒くない」、かなり年配に見えるが、そう言えば以前来日したダライラマも同じ姿だっ
た。僧具を見せてもらった、日本の玩具にあるデンデン太鼓の原型だろうか?回して鳴らしながらお経を唱えるそ うだ、「何でできている?」、
質問に、「頭の周囲を指でなぞって・・・」どうも頭蓋を二つ反対につないだものに皮を 張って太鼓にしているようだ。お土産に買った「マニ車」
の品定めをしてもらった、是は良い土産だと言っていた。 二人のうちどちらか話しが途絶えると、窓の外に向かって経文を唱えている姿が印
象的だった。 小一時間も話していただろうか。四階には大きな仏間があって、僧侶はここに常駐している様子、その家の格式 的な物か、仏
間の壁画はダワ・ヌルが3ヶ月かけて描いたそうだ。 食堂に戻ると、ストーブのそばに髭の伸びた青年が一人いて本を読んでいた、さては新
顔のポーターかなとそれとなく観察、いや、日本語の本を読んでいる、話しかけてみると、大宮の出身で米沢の住人、山形の遠征隊に参 加し
た後、一人で残りゴウキョ周辺を回って来たそうな。
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2002年11月07日(木) |
【エベレスト街道・トレッキング:行程】四日目
11月 7日(木)
ナムチェ・バザール→トップダラ→ジョルサレ→モンジョ→チュモア→ベンカールの橋→トクトク →パクディン→ガート→チョプルン→ルクラ
=ホリデイロッジ泊
いよいよ下山の日だ、素晴らしい眺めを胸に詰め込んで、素晴らしい白銀の峰々を朝な夕なに眺めることがで きた満足感をお土産に。
食堂には朝早くから、帰りの仕事にあぶれた老人ポーターが仕事をねだりに来て、年老 いた身の生活の厳しさを垣間見る様で、Kさんがさ
りげなくチップを渡して・・・、Kさんも気を使って大変だな。
ロッジの前に皆そろって、ディリーとお手伝いの少女と一緒に記念撮影、ディリーから帰りの無事を祈ってスカー フを各々の首に巻いて貰
い、いよいよお別れ、ありがとうございました、大変お世話になりました。
通り道で昨日の土 産物屋のディリーにも挨拶を忘れず、ナムチェバザールのはずれでは野生の孔雀が二羽餌をついばんで遊んでいた。
トップダラの曲がり角からもエベレストは雲の中に隠れてしまっていた。
登り時話しかけられたMさんに出会った 、我々同様下りで、最年少エベレスト・サミッターの少年とも一緒だった、登頂時は十五歳、現在は
既に十六歳に なっていると。ここでも彼と皆が記念撮影。気さくな少年で、テンバ・ティェリン・シェルパとサインをもらった。 (最年少登頂記録も今年の五月十五歳の少女の成功で更に更新されたそうです。)
ジョルサレ、モンジョ、チュモア、ベンガールの橋、トクトク、パグディンと既に見慣れた風景の下り道を快調に下 る、途中、昨日訪問したクム
ジュンンの学校の先生二人が休みを終えて登ってきたのに出会って暫く立ち話(勿論 、ダワ・ヌル~Kさんの通訳経由で)最近、クムジュンの
学校にもPCを7台導入した、また、クムジュンまで指導に 来て欲しいとか・・・、それから、Kさんが始めてネパールに来たときのガイドにも遭
遇、十数年ぶりとか、お互い懐 かしの記念撮影・・・、この街道の物流の機動力はゾッキョと人間、それを端的に表している風景に出会った、
二人 のポーターがそれぞれ身の丈より大きな合板を担いで石段の上で休憩していた。
ガートだかチョプルンだったか、かの田部井(淳子)さんの支援で作られた林檎の畑、現地人と結婚して住み着いた老 日本婦人の家、子供
づれながら酔っ払って休憩しているおばちゃん・・・・いろいろな風景を見ながら下ってきたで もこの街道は今の風景のままでずーっと居て欲し
いなと感じるのはあまりにも勝手だろうか。
帰りは頑張って一気にルクラのホリデー・ロッジ着、ここのオーナーはアナンさんと言ってかつて多くの日本人隊 をガイドしてエベレストにむかっ
たそうで、
日本語もかなり話せた、埼玉から来たと言ったら、「川越に行ったことが ります」と返ってきた加藤保夫さんと登ったことが縁で行ったそうだ。
サインをもらったり、ダワ・ヌル得意の絵をそれぞれTシャツに描いてもらったり、お礼に皆で合唱したり、・・・楽し い夜のひと時を。
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2002年11月08日(金) |
【エベレスト街道・トレッキング:行程】 五日目
ロッジ(6:30)→ルクラ空港→カトマンズ→ホテル 午後:タメル地区
朝一番機に乗るため6時半から空港に待機、既に多くの人たちが集まってきている、天候の良いときに乗らない と何時になるかわからな
いこちらでは常識の様だ、厳しい荷物チェックも団体だと意外と簡単、それでも一人一人 のボディチェックはそれなりに、待ち時間の人間観察
も楽しい、CDのミュージックに浸るトレッカー、全身でリズム を取りながら闊歩するトレッカー。機銃を抱えて空港内を巡回する兵士・・・・。
断崖をアホウドリが滑空するように 飛び立つ小型機、 我々は結局2番機でルクラを後にした、帰りは予定通り右側の座席で離れていく銀嶺、
蛇行す る川、頂上まで続く段々畑を眺めながら、カトマンズへ、
ホテルに戻って一週間の疲れをシャワーに流して昼食、 昨日までガブガブお茶を飲んでいたがそれも必要なくなって久しぶりのくつろいだ昼
食にも誰もビールを欲しがら ない、環境変化に変調をきたすのも無理はない、甘いアマーいデザートにもびっくり。
体内も環境変化にびっくりか ?異常に働いている感じで落ち着かない。
ネパール航空機のメンテナンス手配の関係で帰りの便が10日早朝 に遅れることがわかった、Kさんには日本国内の乗り継ぎ 便の手配、
各自の留守宅への遅延案内等々大変煩わせることになったが、
もっとカトマンズを見学できることにな ってラッキー。午後は自由行動、ホテル周辺の近場を皆でブラリ、お土産アサリ、値段交渉もみんな強
くなって・・・ 。ある店で殆ど交渉がまとまり掛けたとたん、何故か皆買う意欲を無くしてしまったとき、店内は何か異様な雰囲 気だった。
矢張りそれぞれ疲れが出てきたのか、最後の日の市内観光に控えて早めの就寝。
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2002年11月09日(土) |
【エベレスト街道・トレッキング:行程】 六日目
カトマンズ市内見学=スワヤンブナート→パシュパティナート→ボーダナート 市内自由見学=アサン→ハヌマン・ドカ→タメル
いよいよ帰りの日、快晴窓辺に映るカトマンズの日の出が美しい。 現地ツアー社の社長が来られたり、Kさんの妹さんの友達だと言うR
さんで観光飛行機のパイロットとか、いろい ろ事業プラン・・・・を、とそんな話をしながらゆっくりと朝食を、残念ながら自分はモーニング・ティー
で我慢、胃腸 の働きすぎを抑えるには絶食に限る。
マイクロバスに乗り込み、日本語の流暢なガイドのおじさん?の説明を聞きながら、街中を通って、観光の名所 へ、
まず最初は「パシュパティナート」ネパール最大のヒンドゥー寺院だそうだ、よく写真とか本でみるインドの聖地 、ベナレスの沐浴場を小さくし
たような感じもする、川沿いの階段、配置される火葬台(ガート)、その下の川で沐浴 する人々、おりしも一体の葬送の準備が進められる風景
が対岸にあった、白い布で包まれ木組みの担架に乗せ られ、多くの花に飾られて・・、橋を挟んで利用者の身分を分けているそうだ、まさしく
上流は・・・。 門前には、花売り、香料、鮮やかな色の粉? が売られる出店が並び、姦しい呼び込みも。門前を後にして,
次は 「ボーダナート」へ今度はネパール最大の仏塔(ストゥーバ)が建つチベット仏教の巡礼地だそうだ。観光案内パ ンフレットには必ずあ
る風景、白いお椀を伏せた様な上にかの“目“が描かれた建物に、上の尖塔から幾筋物張 られたタルチョ(赤=火、青=空、黄=地、緑=水
、白=風を表現)の布地に経文が印刷されている)が真っ青な 空にはためく、巡礼と思しき人々、僧侶、そして観光客。
中国がチベットを武力併合した後、チベット文化がこの様 に場所を替えて人々を惹きつけて止まないそうだ。
基壇部分にはマニ車が沢山仕組まれていてそれを回しながら右回りに巡回、若い少年僧が、当に向かってひた すら読経、礼拝する僧侶の
姿・・・、基壇の上に上ってみると、周辺の、幾つかの僧院の屋根越しに真っ白なヒマラ ヤの峰が望まれる、その向こうにはチベット仏教の故
郷、ラサが在るのだろうか、先日クムジュンで出会った老人はあんな高みの峠を越えて来たんだろうかと想いを馳せる。
境内周辺の土産物店を物色して、
次の「スワヤンブ ナート」へ、カトマンズの市外を通り抜けて反対側西方の緑に囲まれた高い丘の上に建ち、ネパール最古の仏 教寺院。
ここからはカトマンズを見下ろすことができる。
バスから降り坂道を、我々がホコリ除けるためマスクをして登っていくと、通りすがりに欧米人?が「ノープロブ レム、クリーン」と話しかけて
きた、我々は少し神経質になっているのかな? 建物の姿は先のボーダナートに似て いるが“目” の上の尖塔は五輪状の物が何層もあって
尖がり帽子の様に高い、矢張り、タルチョが幾筋かはため いている、正面に巨大な「金剛杵」が安置され、本尊は「大日如来像」が安置されて
いるそうだ。
境内には蝋燭、灯明の油の煙が立ちこめ独特の匂い、雰囲気が漂う中、大勢の参拝客が詣でている、真言密 教の寺院だった。
伝説ではその昔、カトマンズ盆地が湖だったころから丘の上に建てられていたそうです。
市内観光を終わり、ホテルに戻ると来週からアンナプルナ方面に行くと言っていたダワ・ヌルが、時間が空いたからと午 後街中を案内してく
れると言う(是も帰りの飛行機が遅れた為に出来た時間の活用に、Kさんの気配りで)
今度は 歩いて街中へ、まず腹ごしらえから、昼は久しぶりに日本食を食べに、「レストラン 日本の味 ふる里」
タメル・チョーク(四辻)、タヒティ・チョーク、 アサン・チョーク、ここでは香辛料が沢山そろえて売られており、白、黒の胡椒をお土産に買った、
インドラチョーク両側に は生活用品雑貨を所狭しと積み上げた店が並び買い物客で一杯、金物、真鍮の器などが目立つ、
さながらカ トマンズのアメ横と言った所か、興味深々にぶらぶらとこんな所を経て
【世界遺産】旧王宮のあるダルバール広場へ寺院、博 物館、寺院の有る一帯は入場料がいる、
いかにも年代を感じさせる建物が並び、軒下で行者(サドゥー)と思しき 人が瞑想したり、話し込んだり、通りすがりの人に声をかけたりしている前を
通って庭の奥のほうに進むと、細か な木彫りで飾られて中庭を四方から囲む形で建てられた「クマリの館」と言うのがあって中庭に入って暫くすると
二階の窓から「女神クマリの化身」と言われる濃い化粧に着飾った少女が一瞬顔を出した、
すかさず写真を撮ろう としたが制止させられて残念、
それにしてもなんとも不思議な人生を歩まされる人もいるもんだ、今の日本では信じられないな、そんな感慨を抱いて門を出ました。
祭りの日には生贄にされる牛の血で真っ赤に染まると言う広場を通り、旧王宮をあとに。
観光では体験できない通り、カトマンズの人々が日常使う裏通りの喫茶店?で飲みなれたレモンティーで休憩、
嘗てダワ・ヌルが通ったと言う学校があった、ナムチェの様な遠くからこの様な学校に通わせるシェルパ族の教育に対 する姿勢が覗える。
タヒチ・チョークの近くの、スィガー・ストゥーバの門前の紅茶店で、それぞれにお土産の茶葉を物色、皆沢山買 い込んだ様子、
ここからは皆、見馴れた通りを三々五々ホテルへ。
いよいよさよならパーティー、ホテルでの予定だったが、マイクロバスででかけた、名前は忘れたが真白い建物 に入って、日本人が良く使
うところか、殆どの客が日本人、食事とショーを楽しむ、 これからトレッキングに向かう グループ、我々のように終えたグループが、先ずは2
階でネパール料理の食事、そして、強い地酒(ロキシー)とそ れを使ったショウ、カワラケのお猪口に高いところに上げたピュータから注ぐ妙
技、明かりを消して手につけたロキ シーをライターの火を近づけるとほのかに青い炎が燃える、酒度の高い事を・・。
3階に上って、今度は他のグループとも一緒にロキシーをチビリちびりやりながら、民族舞踊の観賞、2,3人ず つ交代で衣装を変えながら、昔の生活を表現しているのか・・・・、それにしても街中では見かけない美人ぞろい、 中央アジアの、シルクロード地方の容貌と雰囲気の・・。
ロキシーが美味しかったのでボーイに買って帰れるかと聞いたら、門外不出とか、例のガイドに裏交渉を頼んで みると、ミネラルウォータ
ーならOKとか、交渉成立ペットボトルに1リットルで1000ルピー(少し高めでもチップを込めて)、しめしめ是ですべて 手持ちのルピーを消費したこ
とになり、いよいよネパールともお別れ、ホテルに戻り、翌1時まで仮眠。
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2002年11月10日(日) |
【エベレスト街道・トレッキング:行程】 最終日
カトマンズ→空港→上海浦東空港→関西国際空港→東京羽田空港→帰宅
帰国便は、午前4時30発、真夜中の空港に向かい手続き待ちも、全てのカウンターはまだ閉まっており、少し動いて話してみるとのってきた
、向こうも時間を持て余しているようで、ツーリスト・セキュリティーのリーダーとか、国王 のバッジを付けたベレーの自慢から、ネパールの感想
やら・・・・、他愛無い話ではあるが是も旅の楽しみの一つ。
四時も近づくとカウンターも開き、免税店も開いてきたが決して品揃えは豊富ではなく、見るだけ。
厳しい携行手 荷物のチェックを終え、整備を終えた機まで歩いて搭乗、未明のカトマンズ国際空港を後にした。
空港で待ってい るときから少し周囲の人達とは印象が異なる人がいてなんとなく気にしていたら、機内席が同列の彼は窓側、自 分は間にネ
パール人を挟んで通路側、上海でネパール人が降りて行ったのでその後話が出来た、彼も我々のグ ループに関心を持っていたようで、船橋
の人だった、ゴム草履をはいて、髭を生やして、ネパール風の服装も・・・ 板について・・・、アンナプルナ方面に一ヶ月近く一人で回ってきたそ
うで、いろいろ印象を話してくれた、自分より 年配に見えるが生業はどんなことをされている方だろうとか想像しながら、お土産に買ってきた、
ポーターが頭か ら掛ける荷物用の帯とか、蔓性のスツールとか、・・・見せてもらいながらトレッキングの楽しみの事など話しなが ら、こんな風
に気軽に出かけている人もいるんだ。
窓から外を眺めては今どこら辺を飛んでいるなとか、東シナ海上空から九州、瀬戸内海上空の思い当たる地 形を探しつつ、関空へ、
羽田への便では是非夕日に染まる富士山の姿を写真にとりたいと話していた、空港では 別れてしまったが考えることは似ているな、自分もそ
の為にフイルムを数枚残していた
、関西空港では乗り継ぎの客で大変混雑しかも荷物の積替え他いろいろ事情が重なり出発の時間も遅れ飛び立ったときは夕闇に向 かっていた。
機内では帰国してほっとしたのか羽田に着陸態勢に入ったころKさんに起こされるまですっかり寝込 んでしまった。
長年夢に抱いてきた世界の最高峰エベレストを心いくまで眺められ、アマダブラム、ローチェ、カン テガ、クスムカングル、タムセルク、クーンビラ、コ
ンデ・リ、パッチャルモその他、沢山の初めての山々、ジャイア ント・ヒマラヤを眺めることができ、多くの人々に出会い、ネパール、チベットなど異国
の文化に触れて、とても楽し い八日間の旅は終わりました。
次は、アンナプルナ方面に石楠花の季節に行ってみたいな、チベットのラサ周辺 も一度は、カイラス山を眺めに行くのも悪くない、ナムチェを越え
てカラパタールまで行ってみたい、夢は広がるば かりだ。
同行のメンバーの皆さん、とても素晴らしいチームワークで素晴らしいかった、常に気配りを忘れないで 世話してくれたKさん、現地のスタッフの皆
さんありがとうございました。
「行った!見た!感激!」感動!感謝!」
*その後、撮影してきた写真を整理し(おおよそ900枚・フイルム)、また、現地で聞いた音楽を街中で見つけ、CD‐Rに編集したりて、
とても素晴らしい思い出のアルバムになりました。
※山の会々誌「山道第38号」に掲載したものをWebPage作成に当たり一部再編集したものを掲載。
最後までご覧いただきありがとうございます。 |
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