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一月一日(日)聴き初め
 明けましておめでとうございます。
謹んで皆様のご多幸とご健康をお祈りいたします。
 今年の聴き初めは元日、フリッツ・ブッシュ指揮の《ばらの騎士》。一九四六年メトロポリタン歌劇場のライヴ。この演目は第二次世界大戦中も問題なく上演が続けられていて、出演のイレーヌ・ジェスナー(元帥夫人をロッテ・レーマンから引き継いだ)、エマニュエル・リスト(オックス)、リゼ・スティーヴンス(オクタヴィアン)、エリノア・スティーバー(ゾフィ)は三年ぐらい同じ顔ぶれで歌っているので、とても息が合っている。そして、ドレスデンのよき伝統を受け継ぐブッシュのさりげなく流麗な指揮の見事なこと! この人の出国をヒトラーが惜しんでいたのも納得(出ていったのは何より自分のせいなのだが)。

一月二日(月)巴の烏帽子
 通い初めは今日、昨年に引き続き矢来能楽堂の新春公演。
 まずは「新春の寿ぎ」として、笛方の循環呼吸の名手、一噌幸弘が七本の笛を次々と持ち替えながら五分間の独奏。
 続いてシテ方鈴木啓吾の指導で「四海波」を客席が歌い、その後に作品解説。本日のメイン『巴』は、徳川期前半まで長く廃曲で、吉宗の頃に復活が始まり、幕末近くにようやく現行曲に戻ったそうだ。今では人気曲の一つ。戦国~江戸期の流行り廃りの波はけっこう不思議だ。
 矢来観世当主の観世喜之の米寿の仕舞『養老』があって、十分間休憩。
 そして観世喜正による『巴』。金春流と金剛流で見ているが、観世流はこれが初めて。けっこう違っていて、その差がとても面白かった。前場は他流が巫女なのに観世は里女。そして後場は、金春・金剛流がいかにも凛とした甲冑姿と強さを暗示する立ち姿だったのに、観世流は戦士よりも女性らしさを感じさせる。
 薙刀を手にした戦いの場面も、金春・金剛が派手で豪快な、女豪傑らしいものだったのに対して、とても静的。敗軍の中の一挿話に過ぎぬという、虚しさと哀しさが先に立つ。敵を蹴散らして義仲の許に戻ってきてみれば、主君は見事に自害して、もはやこの世の人ではない。戦って得たのは、愛する男を死なせるための時間だけ。
 遺骸(能だから、舞台にはないけどある。想像上のもの)を見つめる哀しさの表現は、さすが喜正。
 他流といちばん違うのは、ここから。
 木曽へ帰れという義仲の遺命に従い、巴は平装で戦場から逃れるべく、鎧を脱ぐ。金春・金剛は後座の後見のところに行き、正面に背を向けて烏帽子と唐織を外したのに、観世流は目付柱のところで客席を向いて脱ぐ。後見はそこまで出てきて手伝う。
 鎧を脱ぐ、という動作を舞台外ではなく、ドラマの一部として見せる。脱いだ唐織は後見が抱えて切戸口から外に出すが、烏帽子はそこに置いたまま。巴が形見の品と笠を手に、橋懸から木曽に向けて去ったあとも、烏帽子だけが、ぽつんと舞台に残される。
 この烏帽子一つのぽつんが、巴が戦場に残していった戦士としての心と思い、女武者としての人生、それらを何もない能舞台に暗示し、象徴する。
 この暗示と象徴の具現化こそ、まさに能的な瞬間。自分が能を見続ける、その根拠となる瞬間。
 金春・金剛の場合は烏帽子ではなく、いったん手にした笠を取り落として去っていく。それも印象的なのだが、烏帽子が残るほうが、いかにも戦士の無念と義仲への愛執を示す感じがする。そして、笠を手にしたまま去るほうが、いかにもこれから彼女が堪え、しのがねばならない、人生の風雪の辛さが示される。
 『鎌倉殿の13人』は、巴にあれだけの存在感と人生を与えてくれて素晴らしかったが、義仲に加えて義盛までも、彼女にともに死ぬことを許さなかった。最後、鎧姿で戦場を突破し、馬上で発した叫びは、どんな思いを意味していたのだろう。なんてことも連想する。
 いろいろ味わい深い、いい舞台を、年の初めに幸先よく見ることができた。次は四日に喜多流の『翁』と『夢殿』。
 ということで、今年も滑り出した。

一月三日(火)肉と初詣
 この正月は、なぜか肉ばかり食べていた。今日から四ツ谷のプールが再開したので初泳ぎ。するといつになく泳ぐのが楽。やはり運動には野菜より肉を食べていた方がエネルギーになるのか。
 その後、初詣はいつものとおり須賀神社。『君の名は。』の影響もさすがに薄れたか、地元民率が高い感じ。

一月八日(日)日本人作品教化月間
 六日青薔薇でのクァルテット・インテグラ(四人)、七日王子でのMAROカンパニー(十四人)と次第に編成が大きくなって、いよいよオーケストラを初聴き。
 東京芸術劇場で、山田和樹指揮の読売日本交響楽団。
・チャイコフスキー:《眠りの森の美女》から〈ワルツ〉
・ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第二番(独奏:イーヴォ・ポゴレリッチ)
・チャイコフスキー:マンフレッド交響曲

 開演直前、指揮台に上ったヤマカズ、くるりと振り返ると、
「明けましておめでとうございます」
 終演後のカーテンコールでは最後に手で喝采を制すと、
「本年もよろしくお願いします」
 こういうのは初めてだが(笑)、正月の日本で日本の指揮者が日本のオケを振っているときしかやれないことだから、大いに結構なことではないかと。
 海外での活動が増えたことで、さほど興味がなかった過去の日本人作曲家の音楽に開眼し、日本に戻ったときはできるだけ日本の音楽をやろうと思うようになったというヤマカズだからこそ、という気もする。
 前半の協奏曲ではポゴレリッチがけっこう機嫌よさそうだったので、とにかくよかったよかった(笑)。
 面白かったのは後半のメイン、マンフレッド交響曲。プログラムを見たら「スヴェトラーノフ版」とある。
 飯尾洋一さんの解説によると「第四楽章の中盤で大幅なカットが施され、さらに終結部では第一楽章の終結部が再現される」。その終楽章では「通常の版ではマンフレッドが静かに現世に別れを告げるが、本版では荒々しく曲を閉じることになる」
 根拠はチャイコフスキーの草稿だそうだが、スヴェトラーノフの創案もあるらしい。いずれにせよ強烈な終わりかた。
 ヤマカズは大熱演。途中では指揮台をおりてヴァイオリン群の前まで行き、さらに煽る場面もあった。先代ヤマカズは指揮台を落ちたので有名だが、これは自分の意志でおりた模様(笑)。
 去年の諸井三郎の交響曲第三番の凄演でも感じたが、経験を重ねるにつれて表現が突き抜けてきて、ダイナミズムを増しているようで、いい感じ。
 そういう演奏なので、この作品がベルリオーズ、リストの系譜を継ぐ劇的交響曲であることが、鮮やかに示される。
 この流れを次に受け継ぐのがマーラーなわけで、十三と十五日に第六番《悲劇的》をやることになっているのは、この曲がマーラーのなかでもとりわけ劇的、あるいは劇薬的な音楽であることを思えば、この選曲はとても納得がいく。
 それに組み合わせて黛敏郎の曼荼羅交響曲があり、さらに十九日にはR・シュトラウスの「アンチ・キリスト交響曲」こと、アルプス交響曲が来るのも納得。
 宿命に抗う主人公たちの交響曲。この「劇的交響曲特集」のなかで、矢代秋雄の交響曲がどう響くのか、どう聴こえるのかも、とても楽しみ。
 ほかに二十&二十一日には日本フィルが、カーチュン・ウォンの指揮で伊福部昭のシンフォニア・タプカーラと、バルトークの管弦楽のための協奏曲をやる。
 この「セヴィツキーの前にクーがつかない人とつく人が、それぞれ初演を指揮した二曲」の演奏会、二十一日には自分がプレトークをやる。
 そして二十一日と二十三日には、新日本フィルが井上道義のミュージカルオペラ『A Way from Surrender ~降福からの道~』を初演。
さらに二十四日には、大阪フィルの東京定期で、尾高さん指揮で池辺晋一郎の交響曲第十番 「次の時代のために」。
 今年一月の東京のオーケストラは、なぜか「劇的交響曲特集」と「日本人作品教化月間」。楽しみ。

一月十一日(水)親密と孤独
 昨日はジュスタン・テイラーのチェンバロを王子ホールで聴き、今日はポゴレリッチのピアノをサントリーホールで。
 チェンバロとモダンピアノ、小ホールの親密と煌き、大ホールの孤独と沈潜、鮮烈なまでの対照に心打たれた。

一月十三日(金)黛とメシアン
 ヤマカズ読響の劇的&日本交響曲月間@サントリーホールの二回目。
・黛敏郎:曼荼羅交響曲
・マーラー:交響曲第六番《悲劇的》

 どちらも面白かった。まず曼荼羅交響曲は、一九六〇年のN響世界一周旅行のためにつくられた作品だけに、「一九六〇年」にこだわってきた自分にはなじみの深い曲だが、実演は初めて。やはりナマでこそわかるものがたくさんある。弦を左右二群に分割した、シンメトリックな配置が面白い。
 そして、打楽器を多用した響きが、とてもメシアン的であることを感じる。日本一のメシアン・オケである読響だからこそ、なのかも知れないが、考えてみれば、これは不思議でもなんでもないのかもしれない。
 一九五一年にパリ音楽院に留学した黛は、メシアンの音楽に現地で触れたはずだ。メシアンは、宗教的法悦を大規模管弦楽曲で音楽化しようとすることを大々的にやった人。そのキリスト教を仏教に置き換えて、独自の道を模索したのが、黛だったとしたら。
 このことはもっと考えていく必要があるが、まずはともかく、同じ一九二九年生まれで一緒にパリに留学した矢代秋雄との比較が興味深い。十九日のヤマカズによる矢代秋雄の交響曲(一九五八年、黛の涅槃交響曲と二か月違いで初演)の演奏が、ますます楽しみになる。

 そして、悲劇的もヤマカズ独自の見事なものだった。去年七月にマケラ都響、十一月にネルソンスBSO、半年に三回この曲を一流オケの実演で聴ける幸せ。
 とりわけ興味深いのは、頑強無比の不沈艦、無敵第七艦隊みたいだったアメリカ勢はひとまず置くとして、マケラ都響との比較。
 とても対照的。精巧にして巧緻、シャープな響きで細かく動き、激闘と安息が間断なく交代しつづけたマケラ都響の演奏は、強迫神経症的で冷たく、外界との肉体的闘争よりも微細な心理的作用を描いているように、あえていえば私小説的に感じられた。それだけに、二十世紀に向かって開かれたマーラーだった。
 ヤマカズ読響は違う。響きはつねに、よい意味でドルチェ。熱く温かく、夢幻的で丸みのある響き。内発的な心理よりも外界との関係による心情の揺れとしてドラマを音にし、その英雄的な闘争と敗死を、叙事詩的に描いていく。より物語的、文学的。十九世紀ロマン派の流れを継ぐマーラー。思ったとおり、劇的交響曲の系譜にある作品と感じられる。
 端的には、マケラはアンダンテを第二楽章、ヤマカズは第三楽章とした。いうまでもなく後者の方が物語性を増す。

 鮮やかなのは、カウベルと鐘をオルガン席両側の扉の向こうに置いたこと。
 ヴィンヤード型ホールの空間を立体的に、高低と遠近の距離を活用するのはカンブルランが得意としたところで、日本の指揮者も積極的にこれをやるようになったのは嬉しい。マーラーには合う。
 特に《悲劇的》の場合、カウベルと鐘が一瞬の安息を象徴するような楽器であるだけに、それが幻のように遠く儚い、手の届かない位置にあるというのは、とても効果的だった。
 こうなると期待がふくらむのは、アルプス交響曲のカウベルはどうなるのだろう、ということ。即物的な描写音楽という皮をかぶったあの音楽では、カウベルは観念ではなく乳牛そのもの。さらにバンダはどうなるのか。シリーズ完結編が楽しみ。

一月十八日(水)パリの生活
   
 京橋のアーティゾン美術館で「パリ・オペラ座――響き合う芸術の殿堂」展。
 来月ナクソス・ジャパンから出るオッフェンバックの《パリの生活》BDの日本語解説を仰せつかったのが、大きな動機。プラッソン指揮の《パリの生活》CDは、私にとって無人島ディスクの最有力盤の一つだが、今回のロマン・デュマ指揮ルーヴル宮音楽隊によるシャンゼリゼ劇場ライヴは、それとはまた違った魅力を持っている。
 まずはピリオド楽器演奏であること、クリスティアン・ラクロワ演出の衣裳が一八六六年パレ・ロワイヤル初演時のそれを再現していること、そして何より、初演前にオッフェンバックとメイヤック&アレヴィが書き上げた、オリジナルのスコアを復元して使用していること。
 プラッソン盤など既存盤の多くが基にしているのは一八七二年の四幕改訂版。初演版は五幕あって、そして一八六七年の、若き渋澤栄一を含む幕府や薩摩藩も参加したパリ万博を意識して書かれたゆえの、国際性を豊かに持っている。一八七二年改訂版は普仏戦争敗北後のドイツ嫌いの気分を反映したこともあって、国際色が薄れている。
 しかも今回のBDは、初演版ですらない。その前に書いたもの。初演劇場のパレ・ロワイヤルの一座が役者中心で歌唱力に限界があったため、カットや改変を余儀なくされた歌が含まれていて、さらに検閲で削除させられたり変更させられたりした場面や設定も、オリジナルの形で復活している。
 つまり、一度も上演されることなく幻に終わった原構想の、史上初の現実化。正直、冗長なところもあり、一八七二年版の方が楽しみやすいことは確かだが、オッフェンバックなどの制作チームがこの作品を通して何を描きたかったかは、明解にわかるようになった。
 一つはオッフェンバックの、モーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》への強い愛着。それは《ホフマン物語》でも明らかだが、十年以上前のこの作品ですでに引用され、パロディ化されている。
 そして、社交界とドゥミ・モンドの、コインの表裏のような不即不離の関係を描写すること。それが「パリの生活」。

 で、これを見たのでパリ・オペラ座展が見たくてたまらなくなった。ルイ十四世時代から現代まで、充実して面白かった。ラモー、グルック、モーツァルト、ワーグナー、ヴェルディなどの自筆譜が放つ不思議なオーラ。舞台美術や、観客や出演者を題材とする同時代の名画などなど。ホワイエでの仮面舞踏会の模様を描いた絵など、まさに《パリの生活》の世界。
 日本でパリ・オペラ座に関心を持つ人って、バレエ団への関心が多数派と思うが、紹介される事柄はオペラも含めて幅広い。ここが「十九世紀の首都」の歌劇場として光源であったこと、舞台美術に画家が積極的に起用されるようになった二十世紀には、美術史の流れがそのまま舞台に反映されていることなどなど、深く実感できる。
 オリジナルグッズのオペラ座の怪人キーホルダーが欲しかったが、会期終了間近で残念ながら完売。代わりにエジプトの聖猫(銀)のキーホルダーを買う。
 それにしてもアーティゾン美術館、ブリジストン美術館のことだったのか。約四十五年前に中学校の見学で来たような記憶があるが、それ以来。ホロヴィッツの居間にあったことで知られるピカソの軽業師の画も、生で見られた。

一月十九日(木)みんなメシアン風
 サントリーホールで山田和樹指揮読売日本交響楽団。
 矢代秋雄の交響曲とシュトラウスのアルプス交響曲。矢代は二十世紀前半のパリ音楽(フランスとロシアのブレンド)の雰囲気を、古典的な四楽章構成にまとめた名作。
 隣席に片山杜秀さん、一つおいて奥田佳道さんと、還暦爺トリオがそろった。休憩時に「黛もメシアン風だったけど、これも違った意味でメシアン風」「武満もメシアン。戦後日本の作曲界はとにかくメシアン」「すると一九六二年の小澤N響のトゥーランガリラ日本初演は、盛大なネタばらし大会みたいな?」「それにしてもハープ二台にチェレスタとか編成が大きい。委嘱した日本フィルはこんなに金があったのか」「やっぱりそこはナボコフが働きかけて、財界からお金がうんと出ていたのでは」などと、無責任に盛りあがる。
 勝手に劇的交響曲シリーズの完結編、アルプス交響曲は文学性をかなぐりすてて、即物的な自然描写音楽として壮大にもりあがる。カウベルはただひたすらに牛。ぴゅーっと噴き出す乳。嵐の描写では、バロック音楽のそれを想起する。この徹底的な韜晦こそ、シュトラウスらしいのだろうなとも思う。
 大自然の力を暗示するようなパイプオルガン。チャイコフスキーやマーラーにはなかったもの(といっても、マンフレッド交響曲がスヴェトラーノフ版だったためで、原曲では主人公の死を象徴してオルガンが響くが)。
 マーラーがこの楽器を使ったのは、大規模な合唱をともなって宗教性の強い二番と八番だけで、他の交響曲では使っていない。第六番などあんなにいろいろ新奇なサウンドに挑んでいるのに、オルガンは使わなかった。シュトラウスも交響的な作品ではニーチェと関連の深い(逆説的にキリスト教を意識した)二曲、ツァラとこの曲ぐらい。このへんちょっと面白い。
 しかし、ラストの暗さは印象的。ドイツ・ロマン派音楽そのものへの挽歌のようだった。勝手に今回の三つの交響曲をつなげて考えると、テーマは「神は死んだ」か?
 今年はラフマニノフ・イヤーで、交響曲第二番がそこらじゅうで演奏される。しかし、なぜかその裏でたくさん演奏されるのがアルプス交響曲。読響、N響、都響、新日、パシフィックフィルハーモニア東京と、在京の五オケの定期に出てくる。アルプス五連発。その第一弾。

一月二十日(木)贈呈式
 音楽之友社ホールで、レコードアカデミー賞の贈呈式。

一月二十一日(金)イタリアの伝統
 午後はサントリーホールで、カーチュン・ウォン指揮日本フィルの演奏会のプレトーク。伊福部昭とバルトークをつなぐ、セヴィツキーとクーセヴィツキー。

 日本オペラ振興会の「ベルカントオペラフェスティバル イン ジャパン」を今日明日と聴きに行く。
 今日はイイノホールで「バロックコンサート」。カウンターテナーのレイ・シェネーとソプラノの光岡暁恵が、ピリオド楽器アンサンブルをバックに、ヘンデルとポルポラのアリアと二重唱を歌う。
 十八世紀ロンドンで鎬を削るライバル関係にあったヘンデルとポルポラ。後者をナマで聴ける機会は少ないので貴重。聴いてみると、ポルポラには後のベルカントに通じる流麗な歌唱線に加え、ヴェルディを予感させる熱い激しさまでチラリと感じられて、イタリアの伝統を感じる。それに較べると、イタリア語歌詞でもヘンデルの音楽はずっと生真面目で、グルックに通じるドイツ的な厳格さを感じる。この時点からそうだったというのが面白い。
 昭和期には室内楽サイズのホールとして頻用されたイイノホール、建て直されてからは今日が初めて。今は会議などでの使用がメインらしいが、内装も美しく場所も便利だから、もっと来る機会があってもいいのにと思った。

一月二十二日(土)物と心の盛衰
 続いて、新百合ケ丘のテアトロ・ジーリオ・ショウワでロッシーニの《オテッロ》。簡素な装置とはいえ舞台上演、指揮も演出も主役(歌手八人のうち五人)も外国人。とりわけオテッロ役のジョン・オズボーンは現代最高級のテノールだから、じつはとても豪華な公演。
 この陣容を見て、主催者である藤原歌劇団が、一九八〇年代から九〇年代にかけて、カプッチッリなど欧米のスター歌手を主役に招いてオペラを上演し、大好評を博したことを思い出す。
 NHKイタリアオペラの流儀を継ぎ、現在の新国立劇場の上演方式の先駆けとなったものだが、バブルまっさかりの金満時代だけに、華やぎに包まれていた。
 今日の《オテッロ》は、そのはるかな後裔、令和版といえるのかもしれない。もちろんさまざまに変容している。表面的には国力の衰えを反映して、貧相になったといえるだろうが、しかし音楽の内実は、今のほうが豊かだとも思う。負け惜しみという人もいるだろうが。
 ロッシーニのこの作品を見るのは、二〇〇八年のペーザロのロッシーニ・フェスの来日公演以来。あれから十五年、歌い手も日本側の演奏者も聴衆も自分も、はるかにロッシーニを愉しむ余裕が増している。
 この余裕こそが、現代が獲得した豊かさと思える。もちろんこの精神的な余裕は、九〇年代の物質的な豊かさがもたらしてくれたもの。物心の相互作用を実感しながら帰途につく。

一月二十九日(土)マーラー風で
 池袋の東京芸術劇場で、カーチュン・ウォン指揮日本フィルのラフマニノフ演奏会。マーラーのように各パートが有機的にからみあう交響曲第二番。


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