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二月一日(水)圧倒的《指環》
 有楽町のKEFのショールームで、ショルティ指揮《ラインの黄金》と《ヴァルキューレ》の二〇二二年版リマスタSACDのマスコミ向け試聴会。麻倉怜士さんと一緒に話をする。
 自分は国内盤の解説も担当したが、とにかく今回の音は素晴らしい。オリジナルの響きに遡って、鮮度が抜群に高く、クリアで伸びやかで衝撃的。響きを聴いているだけでワクワクしてくる。
 デッカ盤《指環》、とりわけ《ラインの黄金》が予想外のメガヒットになったのは、なによりもこの「ワクワク感」だったのだということに、正直初めて気づかされた。KEFの巨大スピーカーMUON(二千三百十万円!)の威力も圧倒的。
 一般の音楽好きが虚心にこの音を聴けば、このセットが欲しくなるはず。実体験してもらえる試聴会の機会が増えるといいが。

二月三日(金)二百五十年の邂逅
 二日に見たアントネッロによるカヴァッリの《カリスト》と、三日の東京芸術劇場の《田舎騎士道》&《道化師》。どちらも、生きていてよかったと思う、三時間ワクワクしっぱなしの舞台だった。
 二百五十年の歳月を隔てて、イタリア・オペラの栄光の歴史の誕生期と終末期に生まれた作品たち。
 舞台は、片やギリシア・ローマ神話の世界、片や現代の大阪の下町。片や身勝手な神々に翻弄される有限の妖精、片や浪華の恋の意気地で身を滅ぼす底辺の男と女。ピリオドとモダン、小ホールと大ホール。だがプロセニアムアーチがなくて、舞台と客席との親密な一体感があるのは一緒。
 《道化師》の劇中劇であるコンメディア・デッラルテ、あの劇はまさに《カリスト》のような猥雑な艶笑譚を源流にもつわけで、両者の二百五十年の歳月と、それを演じてきた無数の役者たちの哀歓がそこにつまっているような気がして、無数の亡霊が見えるようだった。
 そしてそれが、日本の小さな旅芝居一座に異化され、人形遣いと人形の分離が役者と役柄の分離と二重写しになり、最後に大きくズレる。途中で本物の日本刀が示され、これで最後の惨劇が起きるものと予想させておいて、ところがそれは早めに舞台内で起きてしまい、カニオが最後の最後に用いるのは、隠しもっていたナイフ。もうこのあたりは、どこまでが現実でどこからが虚構なのか、ぶれにぶれて境界がぼやけ、わけがわからなくなる。つまり、カニオの錯乱を、見ているわれわれにも共有させる。この仕掛けは本当に素晴らしかった。
 そのさなかに、黙役でしゃべらないはずの寧々が、ネッダの必死の形相に驚いて「エッ!?」と一言だけ口にする。
 あの瞬間、ゾクゾクッ!と電撃が走った。こういう瞬間のために、私は劇場に通うんだと思った。
(ちなみに、寧々役のダンサーは宝塚の娘役トップだった人なので、声を出すこともちゃんとできる。だからこその一言で、こうした配慮もお見事)

 《カリスト》の艶笑譚に話を戻すと、男が女に変装するとかいくつかの恋がからみあうとか、なんかシェイクスピアの喜劇みたいだなあと感じていたが、考えてみればシェイクスピアの元ネタがイタリアの艶笑喜劇なんだから、それはあたりまえのこと(笑)。
 こういうふうに、横と縦の時空のつながりに、現代大阪への異化が重なる。快なり快なり。

 それから、両者のオーケストラの素晴らしさ。合奏はもちろん、《カリスト》では濱田さん自ら吹くコルネットや天野さんのヴァイオリン・ソロの美しさ。そして《道化師》では〈衣装をつけろ〉の後奏の結びでの、石川さん(たぶん)のコントラバスの唸り。この響きは、たぶん一生忘れない。
 歌手、舞台、指揮、そしてオーケストラ。どれもお見事。綜合芸術の悦楽。すべての出演者、関係者に心より感謝。

二月五日(日)闇に薫るは梅の花
 昨日と今日はオペラと能。
 四日は東京文化会館小ホールで、デヴィッド・ラング作曲の《note to a friend》。
 芥川龍之介が自殺直前に久米正雄宛てに書いた遺書『或旧友へ送る手記』を基本に、『点鬼簿』に書かれた死せる肉親たち、母と姉、父の回想を加えたもの。そして最後の部分は『藪の中』で死者の霊が語る自らの臨終の場面。
 歌手と黙役の役者、弦楽四重奏というシンプルな編成で約一時間。歌手は自殺者の霊で、役者はその聞き手となる生者という設定なので、ああこれは能、夢幻能の形式を模しているんだなと気づく。死者がシテ、生者がワキ、弦楽四重奏は囃子方。能に舞が入るように、歌手も途中で短く踊る。最後の臨終の場面は、能舞台の橋懸の上での演技を想起させる。

 キリスト教では重大な禁忌である自殺という行為が、自らの誇りを貫くための行為「ハラキリ」として美化されていたのが、かつての日本という国だった。
 それこそが日本的特徴なのだ、という意識は、オペラでもプッチーニの《蝶々夫人》や山田耕筰の《黒船》に描かれている。これはその系譜に連なる作品のようであるが、しかし登場人物は日本人というわけではなく、英語を話す西洋人。自殺を個人の自我の発現、魂の解放ととらえる点で、西洋近代的感覚か。
(じつは、歌詞の元になった芥川の手紙も、いかにも一高~帝大に学んだ近代日本の知識人らしく、西洋的教養を強調して書かれている。宛先の久米が一高以来の同級生だけに、青春の懐古も含めてそれをむき出しにしたのだろう。しかしオペラでは、そうした箇所をラングがほとんど省いたようだったのが、とても興味深い)
「君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑ふであらう。けれども自然の美しいのは僕の末期の目に映るからである」

 そして翌日は本物の夢幻能。渋谷のセルリアンタワー能楽堂で、金剛流の豊嶋彌左衞門による能『東北』。
 一九三九年生まれ、今年八十四歳を迎える彌左衞門は現役最長老のシテ方の一人。その謡の美しさ、枯れてなお響く、ぬめるような潤いのある声の色気は、変わることのない魅力。身のこなしは数年前のようにはいかないけれど、序の舞では精気が静かに漂う。
 『東北』のシテは和泉式部の霊。女人往生を遂げ、歌舞の菩薩となっている。
 人生の火宅を出ることは成しがたいけれど、火宅をそのまま台として、花を咲かすことはできる。しかし、それでもなお、恋に生きた往昔の日々を生々しく思い出すと、恥ずかしくなる。
「春の夜の 闇はあやなし梅の花 色こそ見えね 香やはかくるる」
──春の夜の闇は妙だ。梅の花を見えなくしても、香りは隠せない。

 闇に薫るは梅の花。それは導きか、はたまた迷いか。

二月六日(月)再話としての演出
 三日に見たヴェリズモ二本立てについて、もう少し。
 とはいえ、《道化師》はすでに書いたように、すぐに言葉になった。役者と役柄の関係を人形遣いと人形に重ねる、あるいはズレさせることで、錯乱の中で両者が越境する魔的な瞬間を、観客にも共有させる面白さだ。
 ところが《田舎騎士道》の方は、やはりワクワクしながら見たのに、何がどう面白いのかが、すぐには言葉にならなかった。
 それが、翌日に上野でデヴィッド・ラング作曲の《note to a friend》を見たことが補助線のようになって、だんだん言葉になってきた。
 ラングは、プログラムノートにこう書いている。
「アメリカで生涯を過ごしてきた私のような人間には、日本の作家の心の奥深くに入り込むだけの力はなく、日本の人々の意識の中で自殺がもつ複雑なイメージを本当の意味で理解できるとは思えない、と塩谷さんに伝えました。私は、芥川の文章を読んだ上での私なりの思考、さらに勘違いや誤解に依って作品を書く、それしかできないのです」
 英訳された芥川の文章から、ラングが理解できた部分を歌詞にする。
 そのため、『或旧友へ送る手記』の骨子ともいうべき、一高~帝大に学んだ近代日本の知識人が青春時代に培った、西洋的教養への憧憬や自負、その日々と感激を共にした旧友への思いのような、日本人なら想像がつく部分は、切り捨てるほかない。
 たとえば、結びのこんな一文だ。
『君はあの菩提樹の下に「エトナのエムペドクレス」を論じ合つた二十年前を覚えてゐるであらう。僕はあの時代にはみづから神にしたい一人だつた』
 おそらくそのために、オペラのタイトルは、「note to a old friend」ではない。そうはしようがない。

 残されたものと切り捨てられたもの。自分は日本に暮らして日本語を話しているおかげで、オリジナルとオペラとの相違の比較が容易にできるし、その背景を推測したりもできる。
 なんてことを考えているうちに、《田舎騎士道》の舞台に感じた面白さは、まさにこれだったのではないかという気がしてきた。

 自分にとっての《田舎騎士道》の舞台の面白さ。それは、異化が生み出す効果と違和感を、オリジナルと二重写しにすることで、はっきりと視覚化してくれたことだ。
 オペラの設定をオリジナルとは別の時空に変える、いわゆる読み替え演出は、すでに半世紀以上も前から存在する、古い方法論だ。だから、十九世紀シチリアの設定を現代大阪の貧しい町に移し、歌手にその扮装をさせただけなら、あまり新味はなかった。
 ところが上田久美子の演出は、オリジナルのオペラそのままを歌手に演じさせるのと同時に、読み替えた現代大阪の物語をダンサーに演じさせ、両者を二重写しにした。ここに面白さがある。
 上田は「遠い時代、遠い場所で生きて死んだ人間たちの幻影が現代の大阪みたいな場所を彷徨うパラレルワールドをイメージしている」と述べている。
 そう、ここではオペラは、別の時空の幻影なのだ。モノクロ映画(ここでは白黒ではなくモノクローム、単色と訳した方が適切)の映像のように、歌手たちの衣装は十九世紀風だが、すべて灰色で色がない。それが大阪人のカラフルな衣裳に重ねられて、二つの時空での同じ物語が同時に、二重写しになって進行する。強靱な声のイタリア人歌手二人を主役にしていることも、「オリジナルっぽさ」を高めている。
 音楽面で考えても、このスタイルだと歌手は過度に激しい動作や無理な姿勢をとる必要がなく、余裕をもってちゃんと歌うことができる。見た目はモノクロームの幻影でも、存在感は十分に発揮できて、音の実在感は確固たるもの。
 十九世紀シチリアの話を、無理矢理に現代大阪に置き換えているのではない。両者が、死者と生者が、ともに舞台の上に存在しているのだ。ダンサーたちには歌手とは別の名前が与えられている。トゥリッドゥと護男、サントゥッツァと聖子、ローラと葉子。それぞれは別の時空の別の人格だ。
 これが効いている。通常の読み替え演出だったとしても、現代の大阪に置き換えると登場人物の苦しみはより切実に、実感しやすくなるかもしれない。その比喩は面白い。現代の東京では地域の共同体は存在感が稀薄になる一方だが、大阪の貧しい地域ならまだありそうだ。教会通いのように住民が一体感を味わうものは現代日本にはなさそうだが、強いていえば祭礼や、甲子園に阪神を応援しに行く行為が似ているのかもしれない。
 だから、それに置き換えてみる。すると、面白いには面白い。
 しかしもちろん、一緒であろうはずはない。十九世紀シチリアと現代大阪は、いうまでもなく別のものだ。何が似ていて、何が違うのか。すべて置き換えてしまうのではなく、オリジナルも幻影として残して二重写しにすることで、類似点と相違点を比較参照することが容易になる。
 どこが違い、どこが同じか。違和感を認め、異同を検証することは、他者を理解し、同時に自己を見定める行為の始まりだ。
 この比較の容易さが端的に示されていたのが、上下二つの日本語字幕である。上の字幕は、できるだけ原語に忠実なもの。下の字幕は関西弁で、現代日本風に改変してある。似ている箇所もあるが、平気でウソをつくところもある。その異同がすぐに較べられる。これを関西弁の字幕だけにしたら、ウソがまかりとおることになり、初めて見る人にウソを教えることになる。

 私たちは日本にいて、日本語をしゃべっている。イタリア語やドイツ語も話せる人なら、オペラの歌詞をそのまま理解できるだろうが、日本語しか話せなければ、和訳された字幕を見て理解するしかない。その遠さ。そのズレ。
 舞台上にあるものをただ享受するのではなくて、自分の経験や記憶と重ね合わせ、その異同から考えを広げていく、それが読み替え演出の面白さ。
 イタリアのオペラと自分。それぞれの立ち位置と距離を考えること。なんであれ、何かを考えるきっかけを与えてくれるものは、私にとって、常に尊い。

 《田舎騎士道》でのダンサーによる現代大阪の物語については、「読み替え」というよりも「再話」と呼ぶほうが適切だろう。オリジナルと再話が一つの舞台に共存し時間の進行を共有する、希有の舞台。

二月八日(水)
 昨日今日と王子ホールで、藤田真央のモーツァルト・ツィクルスの最終回を聴く。日経新聞に評を書く。

二月九日(木)
 浜離宮朝日ホールで、ヴィオール・アンサンブルのレ・ヴォワ・ユメーヌによるダウランド演奏会。ナイジェル・ノースのリュートを加えた《ラクリメあるいは七つの涙》をメインに、中途に舞曲や歌曲を挿入して変化をつける。テノールはチャールズ・ダニエルズ。いいコンサート。

二月十日(金)
 サントリーホールでトリフォノフのピアノ・リサイタル。激烈なるファンタジー。

二月十一日(土)
 紀尾井ホールでマキシム・パスカル指揮紀尾井ホール室内管弦楽団。評を「音楽の友」に書く。

二月十六日(木)協奏交響曲の時代
 十四日のトルトゥリエ指揮都響と十六日のフルシャ指揮N響、二つのサントリーホールでのコンサートは、プログラムがまるで従兄弟同士みたいに似ていて面白かった。

ヤン・パスカル・トルトゥリエ指揮東京都交響楽団
・フォーレ:歌劇『ペネロープ』前奏曲
・フローラン・シュミット:管弦楽とピアノのための協奏交響曲(ピアノ:阪田知樹)
・ショーソン:交響曲 変ロ長調

ヤクブ・フルシャ指揮NHK交響楽団
・ドヴォルジャーク:序曲《フス教徒》
・シマノフスキ:交響曲第四番《協奏交響曲》(ピアノ:ピョートル・アンデルシェフスキ)
・ブラームス:交響曲第四番

 相似点、まずはフォーレ、ショーソンとドヴォルジャーク作品にワーグナーの影響が顕著だったこと。そのオーケストレーション、ほの暗い闇と霧の中に鳴りわたる金管。あの男の音楽が、一八八〇年代から四半世紀ほどの間、全欧州にいかに影響を遺したのかを実感する。
 このなかで、一八八五年のブラームスの交響曲第四番は敢然とこの流れに抗しているようだけれど、ところがフルシャの演奏がきわめてダイナミックでロマンティック、終楽章などはまるでフルトヴェングラーのような熱演だったのが面白かった。第三楽章の昂揚から終楽章のパッションへの流れは、まるでチャイコフスキーの《悲愴》交響曲みたい。
 ドヴォルジャークはブラームスの影響を受けながら、こういう劇的で民族主義的な音楽となると、下地にあるワーグナーの影響が出てくるのか。そしてフス教徒のコラール《汝ら神の戦士たち》の熱い旋律。スメタナの《わが祖国》、ヤナーチェクの歌劇《ブロウチェク氏の旅行》の第二幕、そしてフサの《プラハ一九六八年のための音楽》においても高らかに鳴り響き、チェコ独立への不撓不屈の意志を象徴する歌。同時に、マルティヌーの《リディツェへの追悼》だけはあえてこの歌を用いず、ベートーヴェンの運命動機を禍々しく響かせるんだよな、なんてことも思う。

 二つ目はもちろん二曲の協奏交響曲。ピアノと大管弦楽という編成に加え、シュミットが一九三一年、シマノフスキが三二年と作曲年も近接。とにかく音符がたくさんあって、ピアノもオーケストラも大音量で忙しくひきまくり、互いの音を消しあう。金属製の響板とダブルアクションを備えたモダン・ピアノと、楽器と奏法の発展で豪壮華麗な響きを獲得したシンフォニー・オーケストラのための未来派的、大コンツェルン的モダニズムの炸裂。
 とりわけシュミット作品は多数の打楽器も加えて、人間の高度な機械化を求める、両大戦間の典型的な重工業音楽。クーセヴィツキーのボストン交響楽団の委嘱で書かれたというのが、いかにも。かれらの甘美豊麗で機能的な響きを、存分に活用したかったのだろう。

 この二つの協奏交響曲を聴いたあと、日本において一九四一年の時点で、ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲を書いてみせた、伊福部昭の先進性を思う。
 かれは昭和初期の札幌という、ことクラシックに関しては僻陬というほかない場所にいて、親友の三浦淳史を通じて英米の最新の音楽事情を手に入れていた。三〇年代の協奏交響曲の流行も当然に知っていた。
 そして、クーセヴィツキーの甥セヴィツキーが音楽監督を務めるインディアナポリス交響楽団の演奏会ではほぼ必ず最新のアメリカ音楽を含めていること。そこでの演奏を願って毎年百曲ものスコアがアメリカ中から送られ、そのうちの半分をオーケストラがリハーサルで試演していることも、セヴィツキーと文通していた三浦から教わっていたろう。
 伊福部はセヴィツキーが録音した、ブロッホのピアノと弦楽合奏のための合奏協奏曲第一番を聴いて感銘を受け、三浦に倣ってファンレターを出してみた。すると、曲を送れ、出来がよければ演奏してやると返事がきた。そこで、ボストンやフィラデルフィアなどアメリカの交響楽団は編成が大きいらしいからと、いきなり三管編成で書いて送ると、首尾よく初演してくれた。これが一九三五年の日本狂詩曲(セヴィツキーに献呈)。
 それから六年後に協奏風交響曲に取りかかったとき、「何かメカニックかつエネルギッシュな音楽を作りたいとの欲求をもっていましたから、その意味でも、メカニックに扱えるピアノは、都合が良かった」という。メカニックかつエネルギッシュな音楽とは、シュミットやシマノフスキの曲にも共通する。
 なぜメカニックにこだわったかというと、
「極めて近代的な戦争を世界中でやっておりましたから……。そういう時代感情の表現として、別に戦争を礼賛するわけではないけれど、モダンな鉄と鋼の響きと民族的なエネルギーを結び付けられないかという想念にとらわれたのです。プロコフィエフやモソロフやオネゲルやヴァレーズの未来派的作品にも影響されていました」
 しかしこれをセヴィツキーが初演することはなかった。完成したとき、日米が戦争していたからである。一九四二年春にグルリット指揮の東京交響楽団(現在の東京フィル)が初演してくれたが、その後で総譜は米軍の空襲で焼けてしまった。
 敗戦後、その楽想を基にして、新たに作られたのが一九五四年の《シンフォニア・タプカーラ》と、一九六一年のピアノと管弦楽とのための《リトミカ・オスティナータ》。前者はセヴィツキーが初演し、三浦淳史に献呈されたから、北海道時代の思い出に強く結びついている。
 これら二曲はともにカーチュン・ウォン指揮日本フィルが、昨年五月に《リトミカ・オスティナータ》を、今年一月に《シンフォニア・タプカーラ》を演奏してくれた。ひと月のうちに後者をシュミットやシマノフスキとともに聴けたのは本当に面白く、ありがたい偶然。
 近いうちに、後に発見されたパート譜から復元された伊福部の協奏風交響曲そのものも、聴いてみたいもの。

 なお右の伊福部のコメントは、河出書房新社から出たムック『伊福部昭』の、片山杜秀さんによるインタヴューから。これはとても面白い。
 当時の札幌ではラヴェルのダフクロに挑戦するアマオケもあったけれども、新しい音楽のほとんどはSPを名曲喫茶などで聴くしか方法がない。原点は《ペトルーシュカ》のSPで、「これが音楽だというんなら自分もひとつ書いてみようという気になりました」。
 シゲティのひくプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第一番を聴いていたら、一緒にいた仲間の早坂文雄が第一楽章でショックのあまり青くなって失神した。伊福部自身もレコードコンサートで《ボレロ》に遭遇、「ボレロなんて盆踊りの曲だからたいしたことないだろう」となめて聴きはじめたら、小太鼓のリズムに身体が合ってしまい、心臓が苦しくなるほどに仰天した。
 情報はこうしたSP体験と、東京の丸善経由で取り寄せる海外の楽譜だけ。これで三管編成の曲を書いたりするのだから、凄い熱意と吸収力、実践力。

二月十八日(土)大人のための童話
 東京文化会館小ホールで、『ピノッキオ』。平常(たいらじょう)の人形劇を宮田大のチェロと大萩康司のギターが伴奏するもの。
 人形を操作したり自分で演技したり、ひとりですべての役柄を演じわけるのが平の人形劇。今回は人形から人間になるピノッキオが主役だけに、人間以外のものは人形が、人間は人間が担当するという演じわけが明快。クラシックの名曲をアレンジした音楽も雄弁。
 自分はピノキオの話が幼児のころによほど好きだったのか、絵本で何度も何度も読んでいた。ディズニーアニメの画を絵本にしたものだったかもしれないが、映画を見た記憶はない。
 しかし小学生になってからはほぼまったく縁がなかったから、この、怠惰で誘惑に弱く嘘つきな人形が人間に成長していく物語に接するのは、五十年ぶりくらいということになる。
 それにしても、一時の遊興のために無駄遣いするとか、投資詐欺にだまされて有り金を失うとか、快楽のカタにロバにされて強制労働させられるとか、子供よりも大人が引っかかりそうな誘惑ばかりで、すげえ身につまされる(笑)。
 どれも現代日本に横行しているものばかり。特殊詐欺の受け子になるとか強盜やらされるとかは、ロバにされて働かされるのと同じ。ネット上だけで、言葉と都合のよい想念だけで外界とつながり、ナマの人間的感覚を遮断した状況で他者を苦しめる犯罪に走るのは、欲だけで心のない人形に自らをおとしめること。
 大人になっても読み返す必要のある物語だった。

二月十九日(日)『鵜飼』という能
 能楽協会主催の「式能」第二部を国立能楽堂で見る。

・能『雪 雪踏拍子』豊嶋彌左衛門(金剛流)
・狂言『水汲』野村万蔵(和泉流)
・能『葵上』長島茂(喜多流)
・狂言『長光』善竹十郎(大蔵流)
・能『鵜飼 真如之月』観世喜正(観世流)

 『鵜飼』は能の「三卑賤」の一つで、やっと見ることができた。榎並左衛門五郎という人物の作で、世阿弥が改訂したもの。世阿弥が主に手を入れたのは後場らしい。
 世阿弥や禅竹の作った能が格調高く、貴人に見せることを意識してか、登場人物がみな謙虚な善人なのに対して、『鵜飼』にはより狂言的な、人間くさいやりとりが出てくるのが面白い。
 舞台は甲斐の石和。旅の僧(ワキ)が土地の男(アイ)に宿を求めると、領主の命令で余所者に宿を貸すことはできないと一蹴される。押し問答のうちに「川岸にある堂なら泊まれる」と男が教えるので、「初めからそう言えばお前なんぞに頼みはしないのに」と僧が嫌味を言うと、「だがそこは化物が出るぞ」と男がおどかす。ムッと来た僧が「法力があるから大丈夫だ」と突き放すと、男は「むさい人じゃ」と捨てぜりふを吐く。
 ワキとアイがいきなり喧嘩別れになる予想外の展開(笑)。安房清澄から出立するこの僧は、日蓮を暗示しているとされる。なるほど、喧嘩っ早い日蓮ならいかにも巻き込まれそうな展開が愉しい。
 僧はお堂で老人(シテ)と出会う。笛吹川での鵜飼を生業としている老人に、罪深い殺生は止めよと僧が説くと、今さら止められないと答える。
 ここで、同行のもう一人の僧(ワキツレ)が突如として口を開く。数年前に近くを通ったとき、やはり鵜飼に殺生を止めよと説くと、罪滅ぼしに一夜泊めてくれたことがあった、と。すると老人は、あのときの鵜飼はもうこの世にいない、領主が殺生を禁じた石和で密漁しているところを捕えられ、簀巻きにされて川に沈められたという。
 もちろん老人こそがその霊。それにしても、ワキツレが主体的に台詞をしゃべる能は珍しい。そこで僧は、懺悔のために鵜飼の場を再現してみよと言う。ほんとうに懺悔になるのか、興味本位で見てみたいだけなのか、はっきりしないのがまた愉しい。
 そこで老人は、鵜を使って魚を捕える仕種を再現する。生活のためといいながら、明らかに殺戮ゲームの快感を愉しんでいることがわかるあたり、六百年前の作者の描写力は素晴らしい。シテの喜正の、陰惨な喜びの表現もさすがのもの。
 ここで老人の姿が消えて後場となる。小書がつくとアイが省略されるという。後場のシテは地獄の鬼。殺生の罪で地獄に落ちるべき鵜飼は、僧に宿を貸した功徳により救われたという。
 橋掛りで力強く踏んだ足拍子に、地獄の深い底まで打ち抜くような気魄がこもっていて、気力充実の喜正に感服。

 世阿弥改作とはいいながら、芝居風味が強く残っているのが面白い能。
 身延に行く日蓮が、途中の石和で弟子の日朗とともに鵜飼の怨霊を鎮めたという伝説が元らしい。しかもじつはその怨霊の正体は、平家滅亡後にこの地に配流された平大納言時忠(清盛の義弟)が、鵜飼など殺生を好んだために住民に恨まれ、溺死させられたものなのだとか。史実の時忠が配流されたのは能登だから人違いだろうが、時忠が怨霊に擬せられるというのが興味深い。時忠ゆかりの者が落人として住みついたとか、そんな話でもあったのだろうか。
 ワキツレの役が日朗なら、日蓮の高弟だけに主体的にしゃべるのも不思議はないのかもしれない。日蓮の実家が安房の漁師だったことなど、歴史を巧みに背景に織り込んでいるのが、さらに愉しい。

二月二十四日(金)殺し合いの果て
午後は東京文化会館で二期会の《トゥーランドット》。面白かった。
 一&二幕続けての前半が終わって、三幕開幕を待つ休憩時、隣席の大学の先輩の方との会話。
「なんか、クイズに負けるたびにだんだん下がってくるって、アップダウンクイズみたいスね」
「するとカラフは優勝してハワイにハネムーン行くのか(笑)」

 ところがこの馬鹿話、じつは結構この演出の本質を予言していたことに、終演後になって気がついた(笑)。
 舞台は、過去と未来のさまざまなアジアが入り交じる、架空の帝国。男はみな拳と刃で語り合うみたいな、暴力と流血の恍惚が支配する帝国。冒頭で再会するカラフとティムールも、殴りあって互いを認め合う。
 リューの死、つまりプッチーニが書いたところまでは、この暴力と支配欲の帝国。基本的にはト書き通り。しかしティムールまでが後を追って自死して驚かせたあと、通常のアルファーノ補作版ではなくベリオ補作の音楽に入ったところから、ドラマが一気に動き出す。
 ピン、パン、ポンの三人の大臣は、ドラァグクイーンみたいな設定になっており、リューの死が引き金になって、それまでピンの愛をめぐって争っていたパンとポンの関係がついに限界を超え、嫉妬による殺人にいたる(一回見ただけではどちらがどちらを殺したかまではわからなかった)。逆上したピンが犯人を殺すと、かれも兵士たちに刺される。大乱闘となり、最後は全員の殺し合いとなる。
 この最終戦争、ラグナロクによる世界の崩壊のあと、別天地に逃れたトゥーランドットとカラフの二重唱が始まる。まるでハワイみたいな、赤い花が爛漫と咲き誇る楽園のような場所で(笑)。
 ベリオの補作は、歌詞はアルファーノと同じと思うが、音楽の表情がまるで違う。プッチーニがトリスタンみたいな音楽にしようとしてついにできなかった部分を、細やかに静かに描く。
 最後に二人は、ラグナロク後に再起した若者たちを率いる存在となる。というかアダムとイヴ、あるいはノアの一家、いやリーヴとリーヴスラシルのように、その後のすべての人類の父母、始祖となる。音楽がこれ見よがしの凱歌ではなく優しく静かに終わるので、まさに《神々の黄昏》の結びみたいな感じ。

 ベリオの音楽あればこそ可能になる解釈。面白いと思ったのは、カラフをめぐるトゥーランドットとリューという三角関係一つだけでは、唐突な大団円に納得できないのに、そこにピン、パン、ポンの新たな三角関係を重ね(最初からこの関係は描かれていたが、伏線とは気がつかず、ただじゃれているのだろうと思い込んで、きちんと見ていなかった。ここの「仕込み」のプロセスは、もう一度確認してみたいところ)、それが人類全体の憎悪、殺し合いの大悲劇に発展し、世界を崩壊させたあとなら、トゥーランドットとカラフのこういう関係もありか、と思えてしまう。
 いや、論理としては納得していない。それでもなにか腑に落ちてしまうのは、言葉を超えた音楽の力、ということなのかもしれないし、だけど同時に、チャップリンの『殺人狂時代』、「一人の殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む」という言葉を連想したり。リュー一人の自死だと、カラフは犯罪者じみるのだが…。

 話題のチームラボによるレーザー光線を用いた演出も、控えめではあったがきれいだった。ただし一階席からだと、客席空間まで含めた、天井への投影などの全貌をつかみきれないもどかしさがあって、このあたりは上階の席から俯瞰してみたかった。
 プログラムでのチームラボ代表の猪子寿之さんの言葉に、深く共感。
「チームラボでは創業当初からディスプレイが境界面にならない映像をつくろうとしています。レンズで切り取った映像には必ず境界面、つまりディスプレイの向こう側にレンズで切り取った世界が生まれるんですね。レンズの特性なんだけれども、実際に人間が世界を認知するときに境界面はない。そういう境界面が生まれない映像、ディスプレイが境界面にならない映像をつくってきました」
 境界面とは、劇場でいえばまさにプロセニアムアーチ。このところ、自分が刺激を受け、喜びを与えてもらっているオペラは、まさにプロセニアムアーチを超えてくるもの。
 川口の《カリスト》も池袋のヴェリズモ二本立も、プロセニアムアーチのない音楽ホールを使い、はるかな歳月や洋の東西の隔たりを超越して、古今東西が渾然一体となるような空間と時間を生み出そうという挑戦だった。
 今回の《トゥーランドット》は、プロセニアムアーチのある多目的ホールで、映像が越境する。楽しかった。
 ディエゴ・マテウスの指揮も素晴らしかった。来月の小澤征爾音楽塾の《ボエーム》も楽しみ。

 夜はプレトニョフ指揮東京フィルをサントリーホールで聴く。マンフレッド交響曲は慣用版による演奏なのでオルガンつき。さすがの語り口の上手さ。

二月二十六日(日)チェロと文楽人形
 第一生命ホールで、宮田大の「Dai‐versity」第一回を聴く。
 「文楽」と題して、文楽の人形遣い桐竹勘十郎と、箏奏者LEOの二人がゲスト。黛の《BUNRAKU》での勘十郎の『関寺小町』の芸。音友にレポートを書く。

二月二十八日(火)プレトニョフ
 オペラシティでプレトニョフのピアノ・リサイタルを聴く。スクリャービンとショパン、二つの二十四の前奏曲。魔術的なペダルによる、濃厚な幻想性。


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