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三月一日(水)
 オペラシティでフィリップ・ジャルスキーを主役とする、《オルフェーオの物語》。素晴らしい舞台。日経新聞に評を書く。

三月四日(土)
 観世能楽堂で「大槻文藏裕一の会 東京公演」。大槻秀夫師三十三回忌追善と題されている。
・仕舞『玉之段』観世淳夫
・仕舞『融』観世三郎太
・能『卒都婆小町 一度之次第』
  大槻文藏
・狂言『泣尼』野村万作
・仕舞『景清』観世喜之
・能『船弁慶 前後之替 早装束』
  大槻裕一

三月十六日(木)角笛の三日間
 十三~十五日は、東京勝手にチクルス「角笛の三日間」。
 十三日はサントリーホールでワルトラウト・マイヤーのさよならコンサート。若いバリトン歌手ハッセルホルンとの共演で、ピアノとのリート・リサイタル。前半がシューベルト、ブラームス、シューマン、シュトラウス十二曲。後半がマーラー《子供の魔法の角笛》から十曲。
 高い音は苦しいけれど、アンコールの《魔王》の劇性、《神々の黄昏》を予告するような宿命的な暗さはさすが。最後の沈黙のなかで子供の死が告げられるところが《この世の生活》と似ていることにも気がつく。ハッセルホルンはシューマン《ベルシャザール》とか、意外に実演を聴いたことのなかった《二人の擲弾兵》とか、珍しいものを聴かせてくれたのがありがたし。
 そして《角笛》のうち、マイヤーの歌った《ラインの伝説》《この世の生活》《魚に説教するパドヴァの聖アントニウス》《原光》、ハッセルホルンの《美しいトランペットが鳴り響く所》が、次の二日間を予告することになる。
 十四日は、東京文化会館で大野和士指揮東京都交響楽団によるマーラーの《復活》。ピアノ伴奏から巨大編成の合唱つきオーケストラへ。上野で《復活》を聴くのは、高三の一九八〇年に若杉弘指揮の同じ都響で聴いて以来だから、四十三年ぶり。十七歳の俺と六十歳の俺。
 昨日に続いて聴いた《原光》はオーケストラ伴奏、そしてその後に最後の審判の壮大な音楽が続く点が異なる。
 ステージに電子オルガンが置いてあるのを見て、ああ前もそうだったと懐かしくなる。ホールそのものを鳴動させるパイプオルガンとは別物の、そのしょぼい響きも(笑)。
 終楽章で合唱が立ち上がるタイミングも一緒だったが、若杉のときは弾かれたように全員が素早く立ち上がって、まるで死者が一斉に復活したような、強烈な迫力だったのを思い出す。あの頃の合唱団員の方が若かったのかもしれない。でも、歌唱そのものは今の合唱が段違いにうまくて、豊かで深い響きと表現力をもっている。久しぶりの大音響。
 十六日は東京藝術大学奏楽堂で、十一時からのモーニング・コンサート。学生や院生をソリストにして藝大フィルハーモニア管弦楽団が共演する、一九七一年開始の伝統の演奏会。
 藝大フィルハーモニアは明治期から定期を行なってきた、日本最古のプロの交響楽団。奏楽堂は二代目だが、場所は創建以来の土地。サントリーホール~東京文化会館~奏楽堂と、東京を代表するコンサートホールをさかのぼる形になったのも偶然で楽しい。
 今日は前半が日野祐希(ソプラノ)の歌うマーラーの《子供の魔法の角笛》から五曲、後半が山縣美季(ピアノ)ベートーヴェンのピアノ協奏曲第四番。指揮は迫昭嘉。
 《角笛》の選曲と曲順のセンスがよくて、見た瞬間に行くことを決めた。
(この世の暮らし/ラインの伝説/高い知性への賛美/美しいトランペットの鳴り響くところ/天国の暮らし)
 一昨日も聴いた《この世の暮らし》と交響曲第四番の終楽章となった《天国の暮らし》は対になる内容で、マーラーも一つの交響曲に入れることを構想していた。この二曲が最初と最後に来るのはじつにいい。
 プログラムの日野自身の言葉。
『「この世の暮らし」を幕開けとして4つの“地上”の光景を覗き見した後、視点を移し“天上”の光景を見て終わるようプログラムを組んだ。地上では人が泣き、動物が遊び、戦争が起こる。一方の天国では、天使や聖人たちが楽しく暮らしている。マーラー本人のオーケストラ編曲によって、歌はもちろん、多様な楽器の音色と共に、その様子を想像できるだろう』
 納得の言葉。二十五分間、曲想の変化も五楽章の交響曲のようになっている。
 艶やかな美声に、多彩なオーケストレーションがからむ。この歌曲集のオーケストレーションは、ほんとうに素晴らしい。凝っていて効果的で遊び心もある。ピアノ版はどうしても、リダクションじみて物足りない。オーケストラ版でこそ開花する。それを生で聴ける快感。
 十型(十‐八‐六‐五‐三)の小編成だが、交響曲第四番がやれる管楽器と打楽器がそろうのが贅沢で、映える。
 わが最愛の曲の一つ、《美しいトランペットの鳴り響くところ》を緩徐楽章のように、遅いテンポで夢幻的に、迎えいれる女性の立場から、慰撫するように歌ってくれたのが嬉しかった。
 舞台を去る名歌手のソワレから新人のモーニング・コンサートへと、《角笛》がつないだのも妙なる偶然。
 十八日からいよいよ東京・春・音楽祭が開幕して、連日の上野通いとなるが、その前哨戦、あるいは威力偵察のような上野行き。

 ところで、二月二十八日から今月十六日までは、新記録的な忙しさだった。忙しさ自慢はSNSでみっともない行為の第一だが、今回はちょっと後にもなさそうなので、記念に書いておく。
 十七日間で原稿二十本約百三十五枚。講座一回とインタヴュー一回。
 人生でこんなにたくさん「さらに遅れてしまい申し訳ありません」とメールに書いたことはなかった気がする……。
 ときに悲鳴を上げつつも、辛抱強く土壇場の土壇場まで待ってくださった十二人の編集者、担当者の皆様に、心からのお詫びと感謝を。
 そして故障せず、愚図ついたりせずに黙って働いてくれたパソコンとCDプレーヤーにも、深く感謝。

三月十八日(土)
 東京・春・音楽祭で、ムーティによる《仮面舞踏会》。いつもはピアノつきのレクチャーなのだが、今回はフルオーケストラの豪華版。

三月二十一日(火)音盤時空往来
 今月発売された「モーストリークラシック」で、新連載として「一枚のディスクから 音盤時空往来」を始めた。一回目は、フルトヴェングラーの皇帝円舞曲テスト録音の話。
 目次には「音盤時空往来」とだけあるので、タイトルの後半だけが印象強くなりそう(笑)。自分としてはケストナーの『一杯の珈琲から』をもじった「一枚のディスクから」がメインのタイトルで「音盤時空往来」は副題なのだが、編集者はこちらのほうがいいと思ったよう。まあこのへん、著者の主観が正しくないことも多いので(笑)、おまかせ。
 いずれにしても、「はんぶる・あうふたくと」の令和版みたいなものにしたいと思う。ガイズバーグから明日のコンサートまで、音盤をたよりに時空を自由に往来・往還しながら。

三月二十三日(木)
 トッパンホールでコパチンスカヤのリサイタル。新ウィーン楽派からアンタイルへ。強烈。

三月二十五日(土)還暦記念クラス会
 昨日今日と、東京文化会館でムーティが若手指揮者四人と日本人歌手を指導するオペラアカデミーを見学。今年も得るもの多し。
 夜は恵比寿にて、小学校のクラス会。六年間ずっとクラス替えのない学校だったので、結びつきが強い。半分くらい集まったから、かなりの出席率だろう。
 コロナ禍も一段落で久しぶり。今年度でみな還暦なのでできてよかった。いちばん遅い人が三月下旬、早い人は四月上旬生まれなので、全員が六十歳なのはこの二週間ぐらいだけという難しさ(笑)

三月三十日(木)さまざまな仮面
 今夜はムーティの《仮面舞踏会》二日目。初日の演奏についてはいろいろ考えるところもあるが、すべてはもういちど今夜を聴いてから。某紙に評を書く。とにかく間違いないのは、自分の方がマエストロよりも作品をわかっているなんてことは絶対にないので(笑)、「なぜそうなるのか、そうなったのか」を謙虚に考察したい。

 ひとまず、自分が大きな影響を受けてきたディスクをいくつか引っぱりだして聴いている。
 まずグイ指揮の一九四九年グラインドボーン盤とフリッツ・ブッシュ指揮一九五一年ケルン放響盤。この作品の上演史において、大きなエポックになったのが一九三一年ベルリン市立歌劇場におけるエーベルト演出、ブッシュ指揮のドイツ語訳プロダクション。
 二十年後のブッシュ盤は、音でその雰囲気を伝えてくれるもの。自分も昔聴いたときよりも、今の方がこの暗い演奏の意図と価値を理解できる気がする。グイ盤は、エーベルト演出の舞台のライヴ。グイのカンタービレのきいた指揮とヴェリッチュの張りのある声のアメーリアがききもの。
 そして、一九五四年のトスカニーニNBCと、一九四〇年のパニッツァ指揮メト。この作品の面白さと偉大さを教えてくれた二つの名演。
 あらためてパニッツァの音の「捌き」の凄さに感嘆。絶対に音を叩かず鳴らせすぎず、バッ!とキレよく軽快敏捷、瞬時に消滅させる。ほとんどの楽員がヨーロッパからの出稼ぎ組で、大半がガット弦だった時代だからこその芸当かもしれないと、今は気がつく。ブルーノ・ワルターのこの作品の一九四三年メト盤(今回は行方不明…)が、ワルターの指揮は素晴らしいのにオケがうるさくて雑に感じられるのは、国内組でオケを再編成した影響なのかも、なんてことを考える。この問題は、かつては考えもしなかったが、けっこう重要そうで、今後検討の要あり。
 トスカニーニの一九五四年の演奏も、おそらく結成当初からスチール弦で重い音のNBC響ではなく、スカラ座のオケだったら、かなり印象が違っていた気がする。パニッツァの「捌き」の原型は、トスカニーニのはずなのだから。

 そして一九七四年フィレンツェのムーティ盤。四十九年前、三十二歳のときのこの演奏は、ムーティの原点。解釈の基本は変わらない、というよりこれを聴くと、東京春祭の公演でムーティが意図する音楽がどのようなものなのか、より明快になる。おそろしく雄弁なオーケストラ表現。
 今回の作品解説のときもアカデミーのときも、ムーティはここでリッカルドを歌っているリチャード・タッカーの名をあげ、「トスカニーニと《アイーダ》で共演した偉大なテノール」と讃えた。
 単に自分とトスカニーニを結んでくれる存在というだけでなく――それもすごく大切なのだろうけれど、ブレスの上手さなどを具体的に誉めていた(たぶん、この録音を聴きなおしてきたような気がする)。
 たとえば、ブレスの位置をテノールからたずねられたとき、二か所提案して選ばせた。そういいながら、「タッカーはそこを歌いながら巧みに呼吸して、息継ぎがわからないようにしていたけどね」という。
 このとき六十歳のタッカーのコントロールはたしかに驚異的。言葉の「捌き」の上手さが圧倒的。一九七〇年代、無駄な力みの消えた晩年のタッカーの歌はほんとに素晴らしいと、私もかねて思ってきた。こうして聴くと、三幕のアリアなんて、ムーティが完全にタッカーに音楽を委ねて、共演できる喜びにうちふるえている様子が、目に浮かぶよう。

 二十四日に収録したばかりのYouTube番組「音楽評論家が伝授! 名盤の聴き方がわかる」が公開された。満津岡さん、浜中編集長と三人で「レコード芸術」四月号の特集「神盤再聴」と「名曲名盤」について語る、というもの。


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