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五月十日(水)劇的交響曲の末裔
 十~十四日は充実した演奏会が連続。重なってあきらめたものも複数あった。
 十日はサントリーホールでプレトニョフ指揮東フィルのラフマニノフ演奏会。《岩》《死の島》、そして交響的舞曲。二月に同じコンビで聴いたマンフレッド交響曲が素晴らしかったので楽しみにしていたが、期待通りの素晴らしさ。
 密度の濃いファンタジーで、ここにもベルリオーズからつながる劇的交響曲~交響詩の流れが感じられる。《死の島》にもグレゴリオ聖歌の《怒りの日》に似た音型が出てくるが、一九〇九年の作曲時点では、この聖歌のことをまだ知らなかったという。
 では、ラフマニノフはベルリオーズの幻想交響曲のことも知らなかったのだろうか。ちゃんと調べていないのでわからないが、ラフマニノフがいくつかの自作でこの音型に込めようとしたものは、黙示録の「最後の審判」の世界よりも、幻想交響曲終楽章のサバトの夜のイメージから来ているように自分は感じる。
 プレトニョフの演奏はまさにそれを裏付けてくれる印象だった。それは交響的舞曲の第三楽章でさらに明確になった。悪魔と魔女の乱痴気騒ぎ。《イタリアのハロルド》最後の、主人公を殺したあとの山賊たちの狂騒に通じるもの。自分が死んでいなくなっても、世界はお構いなく最後の日まで馬鹿騒ぎを続けていく、という感じか。
 最後がドラの残響で終わるのは、曙の光に照らされた瞬間に魔が消えてしまうような、《はげ山の一夜》的終わり。
 この曲を作曲したときにラフマニノフが念頭に置いていたはずの、一九四〇年前後のアメリカのオーケストラの艶麗な響きも、この演奏からは濃厚に感じとることができた。コーンゴールド的な響きもある。ロシア的なものとハリウッド的なものの合成物。

五月十二日(金)反戦三部作
 東京文化会館で山田和樹指揮東京都交響楽団による三善晃の「反戦三部作」。
 ラフマニノフが交響的舞曲を書き上げてから数年後の特攻隊の遺書など、「怒りの日」そのものみたいな、しかし《怒りの日》をもたない、非キリスト教的レクイエムに始まり、喪失を嘆き恨む《詩篇》をへて、刹那的な怒りを永遠のそれへと純化させていくような《響紋》へ。これは日経新聞に書く。

五月十四日(日)シュトラウス
 サントリーホールでノット指揮東響による《エレクトラ》。ガーキーの強烈な歌。オーケストラも《サロメ》より安定し、歌手とのバランスもより整った。演奏会形式だと、三群にわけられたヴァイオリンの動き、さらにヴィオラの半分がヴァイオリンに持ち替えて第四ヴァイオリンとなるところなどがはっきり見てわかるので、とても面白い。
 吉田秀和はこの作品を絶賛しつつ(日本でシュトラウスのオペラの真価を認識した、ほぼ最初の音楽評論家だった)、エレクトラとオレストの再会部分が、なぜあんなに伝統的な甘美な音楽に回帰してしまうのかわからないと疑問を呈していたが、第四ヴァイオリンが最初に出るのは、まさにそこのところ。
 シュトラウスは、まさにそこをこそ、思いっきり、最大限に、甘美に響かせたかったのだ。苦虫をかみつぶす吉田の顔が目に浮かぶようで、すげえ面白かった(笑)。
 一方で、この弦の細かい分割こそ、二十三声部の《メタモルフォーゼン》につながるのかと納得したり。

 シュトラウスの一幕物の特徴についても考える。
 エレクトラはずっと同じ場所にいて動かない主人公。蟻地獄のようでもある。他の登場人物が、まるでその預言を聞きたがるかのように、会話しに来る。
 そして、エレクトラには言葉があるだけで行動はない。やせ衰えて、幽鬼のようになっているから。いや、ひょっとしたらもう、実体のない幽鬼なのではないか。オレストに斧を渡せないのは、実在の肉体として触れることが不可能だからなのではないか。
 見方を変えると、他の人物がそれぞれに抱く妄念としてのみ、存在するエレクトラ。それぞれに見る幻影としての姿、それぞれに聞く幻聴としての言葉。それだけにすぎない、しかしそれゆえに現実の惨劇を生む、恐るべき幻。

 サロメもやはり、一つの場所から動かない。その点は似ている。しかし彼女には本能的な、根源的な、言葉と行動をもたらす自らの意思がある。

 それから、約三十年後の《平和の日》との対比も考える。《平和の日》も一つの場所しか出てこないが、登場人物や音楽によって説明され描写される、外の世界が明白に存在している。
 この点がとても映画的。つまり映画だったら、外界を実際の映像として見せるだろう。遠景の市民や攻城軍の動きにカメラを切り換え、視点を変化させて、モンタージュするだろう。そうした、映画によって確立された作劇法が、《平和の日》には明らかに反映され、想像させるようになっている(映画『アレクサンドル・ネフスキー』が同じ一九三八年公開であることも思う)。
 《サロメ》と《エレクトラ》にモンタージュはない。モンタージュしてもかまわないけれど、なしでもできる。それがまだなかった時空に属しているものだから。二十世紀のテクノロジーの加速度的な変化がそこに象徴されているようで、面白い。

五月十五日(日)どうする家康
 ネットではあまりいい評判を見かけないが、自分は今年の大河ドラマ『どうする家康』、楽しんで見ている。
 脚本も演出も美術もマンガチックだけれど、これはこれでいい。後半生の成功から逆算して、前半生の弱さと学びを強調し、伏線とするつくりも楽しい。
 浜松城を素通りするふりをして籠城軍を三方ヶ原に引っぱりだした信玄の戦術は、のちの関ヶ原で真似することになるんだろうし、姉川では関ヶ原の小早川に先んじて鉄砲で信長から撃たれていたし(笑)、義元時代の駿府を理想としたからこそ、大御所時代は駿府に住むのだろうし。では信長や秀吉からは何を学ぶのか、何を反面教師とするのかと予想するのも楽しい。
 寺島しのぶの語りは、竹千代(家光)に聞かせる於福(春日局)ではないかとネットで推測した人がいるそうだが、なるほどそう考えると「我が神の君」との落差が楽しい。
 山岡荘八風の、昭和までの東照神君説話(大河では滝田栄がやった)とはまるで別物だが、この家康が先日再放送していた『葵 徳川三代』の津川雅彦の、老獪でエッチな爺さんになりおおせるのかと思うのも楽しい。
 でも、何より好きなのは美術。ファンタジーを交えながら、戦国時代の城塞や町を再現しているのが好き。
 そして、今回の「厭離穢土欣求浄土」の旗の書体は、ほれぼれするほどに美しい。固くなく優美さがあって、「来世ではなく現世に浄土を」という根本テーマを、見事に具現化している。
 さらには、かなりとんがった衣裳デザイン。本多平八郎と端切れをつなげた榊原小平太の甲冑の対照は、とてもよかった。一人一人の衣裳が個性的で面白い。
 武田信玄の諏訪法性の兜と赤い陣羽織のデザインも素敵だし、それを勝頼に継承させたのもナイスアイディア。勝頼は諏訪氏を継いでいたのだから、これをかぶって不思議ではない。しかも、歌舞伎の連獅子か能の石橋をヒントに、白頭と赤頭の父子にしているのが楽しい。

五月二十六日(金)音に聴け指環
 池袋のあうるすぽっとにて、「音に聴け指環」と題して、デッカ盤ショルティの《指環》の歴史的意義について、日本ワーグナー協会の例会でしゃべる。二〇〇七年以来、じつに十六年ぶり二回目。
 素晴らしい音でリマスタリングされたショルティ盤への協会員の関心は高く、満員の盛況でありがたいかぎり。
 若い世代の会員は映像つきが当然で、音だけ聴くという習慣がないとか。しかし、耳だけで得るものはたしかにある。

五月二十七日(土)げにかの人は
 川口にてアントネッロによるバッハの《マタイ受難曲》。楽器編成に工夫を凝らし、生き生きとして充実。「げにかの人は神の子なりき」の光。

五月三十日(火)芸術と愛を讃える者
 国立能楽堂にて、開場四十周年記念の特別企画公演。
・能『源氏供養 舞入・語入』大槻文藏 福王和幸
・狂言『舟船』山本東次郎
・能『檀風』大坪喜美雄 宝生欣哉

 能二番と狂言のシテは人間国宝の揃い踏み。開場四十周年を祝う公演が本格的に始まるのは九月だが、ワキ方に重点を置いた豪華な予告篇。
 『源氏供養』は、偽りを言ってはならないという仏の教えに反して、紫式部は狂言綺語、すなわち架空の物語を書いたために地獄に落ちたという、中世の説を下敷きにしたもの。
 近江石山寺門前で安居院法印(ワキ)は、里女に身をやつした紫式部の霊(前シテ)に、光源氏の供養を頼まれる。そこで供養をしていると、生前の姿で紫式部の霊(後ジテ)が現われ、願いを書いた巻物を託す。法印が巻物をひらくと、「そもそも桐壷の、夕の煙速やかに、法性の空に至り、箒木の夜の言の葉は、終に覚樹の花散りぬ。空蝉の、空しき此世を厭ひては、夕顔の…」と、源氏物語の五十四帖の題名がよみこまれている。
 このあたり、世阿弥の夢幻能の構成と詞章の魅力をよく知っていて、源氏物語もまた大好きでたまらない趣味人が作った能、という感じがする。しかもその趣味性が独りよがりに終わらずに、好感度高く、観客の共感を誘うのが魅力的。
 供養によって光源氏も紫式部も救われて朝が来るが、そこで地謡が謡う。
「よくよく物を案ずるに、よくよく物を案ずるに、紫式部と申すは、かの石山の観世音、仮にこの世に現はれて、かかる源氏の物語、これも思へば夢の世と、人に知らせんご方便、げに有難き誓ひかな、思へば夢の浮橋も、夢の間の言葉なり、夢の間の言葉なり」
 ここがこの能の肝だと思う。紫式部の正体は、石山の観世音菩薩。人の姿を借りて架空の物語を書くことで、現世もまた一場の夢に過ぎないと教えようとしたのだと、最後の最後に逆転させる。救いを求める者こそ救う者。煩悩即菩提、色即是空。夢から醒めた法印がそう考えたという結びかた。
 ここで舞台に座っていたシテが、立ち上がって橋掛りへ歩む。その一瞬に、紫式部から菩薩へと変身する。これを姿勢とたたずまいの変化だけで観客に想像させるあたり、さすが大槻文藏の喚起力。
 この見事な演技があるからこそ、紫式部はじつは観世音菩薩でしたという論理の大跳躍、アクロバットに説得力が生まれる。
 仏教的な解釈だけでなく、芸術とは、諸行無常とそれゆえの生の煌きを教えてくれるものなのだ、という芸術賛美の能ともとれる。

 『檀風』は芝居風の、登場人物の多い劇能。シテは最後に「救いの神」たる熊野権現として唐突に登場する。デウス・エクス・マキナ的なこの手法は、古い能に多いものらしい。活躍するのはツレ、子方、ワキ、ワキツレ。なかでもワキにとってとても重要な曲だという。
 この曲はいろいろ気になる点があるので、見てみたいと思っていた。太平記を原作として、能では珍しく鎌倉時代末を扱っていることや、中世以来の日本人が偏愛してきた仇討物ではあるが、討つ相手に納得しにくい点があることだ。
 後醍醐天皇の腹心、壬生大納言資朝(ツレ、日野資朝)は謀叛の罪で幕府に捕えられ、佐渡の御家人、本間三郎(ワキツレ)の館に預けられている。
 資朝の子、梅若(子方)は山伏の帥の阿闍梨(ワキ)に伴われ、父に会うべく都から本間の館を訪ねる。しかし資朝は息子に累が及ぶのを恐れ、子などいないと本間に嘘をついて、会おうとしない。
 鎌倉の命で死罪が決まり、資朝は浜辺に引き出される。そこに現われた梅若を見て、資朝はついにこらえきれず、あれは自分の子だ、危害を加えずに都へ帰してくれないかと懇願すると、本間は弓矢八幡に誓って、快く請け合う。
 資朝が首討たれた後、阿闍梨は遺骸をもらい受ける。掛絡(略式の袈裟)などを遺骸に見立てるのだが、抽象化された動きの中に生々しい具象性が感じられるのが能ならでは。ここが、ワキ方の秘事だというのも納得。さすが宝生欣哉。
 本間はその後、梅若を船に乗せて都まで送り届けるから、今晩は我が館に泊まれと阿闍梨に告げる。さらに家臣たちにも、疲れたろうから夜は警護を解いて家で休め、自分も寝ると声をかける。
 本間は、客人にも家臣にも気配りのきく、誠実で立派な武士なのだ。
 ところが梅若は、本間を父の仇として討つと言い出す。
 それはおかしい、本当の仇は鎌倉の北条相模守(高時)であって本間ではないし、こんな島国で人を討っても逃げ場がないと、阿闍梨は当然の理屈で諫める。しかし梅若は聞かない。父に手をかけた者こそが仇だ、一命を捨てても討たずにはおかない、と言い張る。
 どう考えても、血気に逸った幼児の短慮。ところが不思議なことに、命懸けというなら仕方がない、協力しようと、阿闍梨はあっさり折れてしまう。もし討ち損じたら、刺し違えて一緒に死ぬから安心しろ、とまで言い出す。
 阿闍梨の盲愛。ここにこの能のポイントがある。盲愛ぶりを示すべく、作者はあえて梅若に無茶な主張をさせているのではないか。理性を超越する愛。
 そして本間は、親切心が徒となって易々と討たれてしまう。早打(アイ)が登場、二人を逃すなと触れ回るが、その早打も、子供はともかく、大の大人の阿闍梨までが、どうしてこんな見当違いの仇討に賛成したのかと、首をかしげる。
 中世らしい稚児愛、稚児信仰なのか。はっきりそうとは書かないのは、中世人にとっては自明のことだからか。
 阿闍梨の一途な愛は、ついに奇蹟まで起こす。
 浜まで逃げてくると、ちょうど東風が吹いて、舟が出帆しかけている。児だけでも乗せてくれと阿闍梨は懇願するが、棹差(ワキツレ)は無視して船出する。

ワキ「頼みたる船は遠ざかる、追手は後より近づく、さて御身の命をば、何と仕り候ふべき。や、きつと案じ出したる事の候、この年月権現に仕へ申す行徳も、かやうの時のためにてこそ候へ、三熊野を海上に勧請申し、並びに不動明王の索にかけて、あの船祈り戻いて乗せ申さうずる間、御心安く思し召され候へ、やあその船まことに戻すまじいか」
棹差「また何事やらん申し候」
ワキ「誠に戻すまじいならば、不動明王の索にかけて祈り戻そう」
棹差「山伏は物の気をこそ祈れ、船祈つたる山伏は珍しう候」
ワキ「おう、何と言ふとも悔まうぞ、悔むな男」
地謡「台嶺の雲を凌ぎ、台嶺の雲を凌ぎ、年行の、功を積むこと一千余箇日、しばしば身命を捨て熊野、権現に頼みをかけば、などかしるしのなかるべき。一衿羯羅二制多伽、三に倶利伽羅七大八大金剛童子」
 この部分、詞章を読むだけでも、梅若を助けようという阿闍梨の覚悟がひしひしと伝わってくる。
 懸命の祈りに応えて熊野権現(シテ)が出現、東風を西風に逆転させ、舟を吹き戻す。次いで東風に変えると若狭まで吹き送り、梅若を無事に都に帰す。

 能の詞章にはないが、おそらく阿闍梨はこの奇蹟と引き換えに、法力を使い果たして死んだのだろう。
 佐渡には、日野資朝の一子阿新丸(くまわかまる、能では梅若と名を優美に変えている)が仇を討ったとき、逃亡を助けて処刑された、大膳坊なる山伏を祀る大膳神社があるという。帥の阿闍梨のモデルだろうから、かれはここで死んだと考えるのが自然だ。
 「身命を捨て熊野、権現に頼みをかけば、などかしるしのなかるべき」と阿闍梨は祈る。熊野権現は、生命を懸けるほどに深い愛の具現化なのだ。
「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」
という、イエスの言葉を連想する。
 稚児愛、と書けば、否応なく邪推も招くだろう。しかしこの能では、ともかくも純粋な、いや純烈な――第三者に迷惑をかけるほどの――強い愛が描かれている。阿闍梨だけでなく、本心に背いて嘘をつき、息子を守ろうとした資朝の愛もそうだ。さらに考えようによっては、本間もまたわざと隙を見せ、梅若に討たれるままにしたのかもしれない。
 愛の凄まじさを描く能。

 『源氏供養』も『檀風』も、中世仏教社会の限界、中世的迷妄の枠の中にあるようでいて、かたや芸術の力、かたや凄まじき愛と、六百年の風雪をものともしない、現代も変わらぬ永久不変のテーマを持っている。これぞ能の尽きぬ魅力。


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