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六月三日(土)ベートーヴェンの偉大
「目に青薔薇 耳ベートーヴェン 初エリアス」(お粗末)
東京の音楽界に夏の到来を告げる、六月のサントリーホールのチェンバーミュージック・ガーデンが今年も始まった。
毎年目玉となるのは、ベートーヴェンの弦楽四重奏全曲チクルス。今年は意外にも初来日となるイギリスのエリアス四重奏団。派手ではないが以前から好きな団体なので、ナマで聴けてうれしい。
台風一過の今日が初日で、一、三、十五番の三曲。
やはりベートーヴェンの弦四はアルファにしてオメガ。自分も究極的にはここだと毎年聴くたびに思う。ベートーヴェンの数知れぬ偉大な独創の中でも、緩徐楽章を崇高なものにしたのは(後世への影響を含めて)特にすごいと思うが、なかでも弦四の緩徐楽章はその頂点。心の澱を洗い流し、清めてくれるような。
第一番のアダージョからして、初期とは思えぬほどに異様に充実して深いし、十五番の「リディア旋法による、病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」ときたらもう、どんな言葉も光を失う。
四人の人間が心と技を合わせて、目の前に紡ぎだしてくれる。そして片端から消える。はてしなく深く遠く、幻のごとく儚い響きと歌。いま生まれていま消える、それゆえに尊い。実演だからこその霊的な力。永遠だの無限だの宇宙だの、そんな恥ずかしい言葉を用いずにはいられなくなる。
エリアスQは、ありがたいことに緩徐楽章が特にいい。これから十四日まで、通うのが楽しみだ。
六月四日(日)大槻文藏の頼政
観世能楽堂で観世会定期能。
・能『頼政』 大槻文藏 宝生欣哉 山本泰太郎
・狂言『口真似』山本則孝
・仕舞 観世三郎太、山階彌右衛門、観世清和、武田宗和
・『一角仙人 酔中之楽』 藤波重孝 武田友志 林彩八子 林小梅 大日方寛
六月五日(月)総員退艦
能楽大鼓方の亀井忠雄さんが三日に亡くなられたとのこと。
昨日の『頼政』ではご子息の広忠さんが代演していて、意外に思ったところだった。舞台に重苦しい気分があるように感じたのは、あるいはそのせいか。
レコ芸休刊に向けて総員退艦命令が下るなか、執筆者たちは編集者よりも一足先に大海原へ。
休刊号では、プラッソン指揮の《パリの生活》と、クレンペラー指揮の《ローエングリン》第一幕への前奏曲の話を書くことができた。
この二つは出会ってからほぼ四十年、私の「無人島ディスク」なので、約二十八年間のレコ芸執筆歴の締めくくりとなる、退刊前最後の仕事でまた紹介できたことは、とてもとても嬉しいこと。
あとは、戦艦レコ芸号が最後の出撃をして、満身創痍で沈んでいく姿を、海上の小さなボートから見送るだけ。
こうして大艦巨砲主義の時代は終わっても、まだひと暴れはできる。
ゼーアドラー号でもエムデン号でも、アトランティス号でもいい。その出撃の日が、執筆者再集合を告げる信号旗がそのマストにひるがえる日が遠からず来ることを、願うのみ。
六月二十日(火)二つのニュース
「悪いニュースと、いいニュースがあるんだけど、どっちから聞きたい?」
こんな外国映画みたいな言い回し、現実の生活で口にすることなんてないと思っていたが、六十年間生きてきて今日、初めて使う場面が来た(笑)。
悪いのもいいのも、両方ともかなりのインパクトがあるものだからこそ、天秤に載せて、差し出してみたくなる。
自分にもそんな機会がくるとは。
そして、両方を告げたあとの、心地のよさに驚いた。辛いのも嬉しいのも激しさが和らぎ、心が穏やかに澄んでくる。話す自分も、聞く相手も。
心の凪。プラマイゼロは、けっして元の木阿弥ではない。もっと肯定的で、能動的な平穏。
偏らない、こういう心の状態でいられることこそ、いちばんの幸せなのかも。
六月二十一日(水)ギターのティボー
ハクジュホールで、ティボー・ガルシアのリサイタル。四年ぶりに聴けたが、期待をはるかに上回る素晴らしさ。ギターの音色と響きの可能性を究めていく多彩さはさらに増して、千変万化する万華鏡のよう。ふだんはそんなにギターを熱心に聴いてない自分でさえ、この音にはただただ聞きほれる。
しかも四年たって、それが響きの遠近感と表現の深さにつながってきた。まさしく天才。ひとりオーケストラ、ひとりオペラみたいな《ロッシニアーナ》も凄かったが、リズムとスケールにひたすら圧倒されたのは《アストゥリアス》。前回の王子ホールでは感心するのみだった《アルハンブラの思い出》のしたたるような美音の滑走が、今回は平凡に聴こえてしまったくらいに、その前の《アストゥリアス》の演奏は深遠で凄かった。
ハクジュホールという、ギターを聴くには最適のホールだったことも大きい。来年以降も間を置かずに来てくれそうなので、とても楽しみ。
六月二十四日(土)休刊号特設売場
すみだトリフォニーでデュトワ指揮新日本フィル。集中と緊張、華麗にして轟然たる響きの快感。幻想交響曲という、ベートーヴェンの死後三年で生まれたとはとても思えない、とてつもない異形の音楽に震撼する。
その前に、タワーレコード新宿店に寄って、話題のレコ芸休刊号特設売場を見に行ってみたら、早くも完売。
「在庫ございません。次回入荷もございません」
二十二日にオペラシティのくまざわ書店に行ったときは平積みだったが、さすがタワーは足が速いのか。
穴埋めにバックナンバーや他の雑誌が置かれた棚を見ながら、能の『屋嶋』の最後の詞が頭に浮かぶ。
「春の夜の波より明けて、敵と見えしは群れいる鴎、ときの声と聞こえしは浦風なりける。高松の朝嵐とぞなりにける」
六月二十五日(日)堪えがたい調和
池袋でミンコフスキと東京都交響楽団によるブルックナーの交響曲第五番。ほんとうに素晴らしかった。仰々しく勿体ぶった独善とは無縁の、流動する生命力にみちたブルックナー。
倍管の木管群が随所でベルアップするのも効果的だったし、金管が威圧的ではなく、華麗軽快に、フランス風に響いたのも素敵だった。これらを含め、高い技術を持つ都響の楽員たちが献身的に演奏したのも気持ちよかった。
そして全曲の頂点をコーダにおく設計もお見事。シャルク版のようなバンダがなくても、それに負けない力と輝かしさに満ち満ちたクライマックス。このコンビのブルックナーも零番、三番に続いて三曲目、さらに続篇も期待したい。
ところで、この曲のコーダで思い出すのが、一九三九年四月二十日ベルリンでの、ヒトラー五十歳の誕生日式典のニュース映画。
八分四十五秒あたり、総統官邸を出たヒトラーを先頭とする特製ベンツの車列が、ウンター・デン・リンデンを通ってブランデンブルク門の下を抜けた場面から、歓声に混じってこのコーダがフェードインしてくる。戦勝記念塔に向かってティーアガルテン内の道路に整列する歩兵や装甲車の脇を走る場面で、金管のコラールが勇壮に鳴りわたっていく。
そして、クライマックスは十分三十秒あたりから、席に着こうとするヒトラーの動作と、音楽の最後の数音が絶妙にシンクロしてしまうところ。この編集をやった監督は、してやったりと楽しくてしょうがなかったろう。
あまりにも見事に合っている。この映画の他の部分で使われているロッシーニよりも、ワーグナーよりも。かつて映画監督のジーバーベルクは、ナチスの映像とワーグナーの音楽は調和しますねときかれて、「調和します。……堪えがたいほどに」と答えていたが、これも「堪えがたいほどに」調和している。
もちろん、ブルックナー本人はあずかり知らぬものなのだが、音楽のもつ力、その危険さに無自覚であってはならないと心を衝く映像。
この演奏はフル編成らしいからSPの転用だろう。とするとベーム&ザクセンか、ヨッフム&ハンブルクか。どちらも出てまもない時期の盤。
そのあとのパレード場面は、音楽的には行進曲ばかりだが、Ⅰ~Ⅲ号戦車とか八十八ミリ高射砲とか八トンハーフとかサイドカー部隊とか、かつてプラモデルで作りなじんだ軍用車両が並ぶ。
六月二十八日(水)琵琶之会釈
銕仙会能楽研修所で青山能。
・狂言『文山立(ふみやまだち)』 山本則秀 山本凜太郎
・能『蝉丸 替之型』 鵜澤光、観世銕之丞 大日方寛 山本則重
銕仙会の本拠地にある舞台は、二百席と小ぶりで親密な空間なのが魅力。靴を脱いで、畳の上の座布団に座るというのも現代では新鮮。ただ青山能は自由席なので、開演前に気が急くのだけが面倒。
『蝉丸』では、途中の笛のソロが印象的だったが、終演後の谷本さんによる能楽小講座で、琵琶之会釈(びわのあしらい)という、琵琶の響きを真似たものと教わる。このように小書「替之型」には多くのヴァリエーションがあるそうだ。今回は逆髪の鵜澤光、蝉丸の銕之丞の両シテ。これも飽きのこない名作。
六月二十九日(木)
サントリーホールで、山田和樹指揮のバーミンガム市交響楽団。
ショパン:ピアノ協奏曲第二番(独奏:チョ・ソンジン)
エルガー:交響曲第一番
後半のエルガー、アンコールのウォルトンの《スピットファイア》前奏曲の熱演が印象的。
六月三十日(金)
トッパンホールにてコリヤ・ブラッハーのバッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲演奏会第二夜。ソナタ第二番とパルティータ第一&二番。
力まず、味わい深し。
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