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七月五日(水)東次郎の芸
 国立能楽堂の七月定例公演。
・狂言『水掛聟(みずかけむこ)』山本則孝(大蔵流)
・能『砧(きぬた)』観世銕之丞(観世流)

 二本ともこの季節にふさわしい選曲。そして、珍しいことにどちらにも山本東次郎が出るというのが、ファンである自分にとっては嬉しいところ。
 国立能楽堂による『水掛聟』の要約。
「自分の田に水を引こうと、聟と舅は貴重な水を巡って大げんかに。駆けつけた妻は二人の仲裁に入りますが…」
 稲が穂をつける七~八月の出穂の時期は、田にはたくさんの水が必要になる。舅(山本東次郎)が見ると、自分の田は涸れているのに、隣の婿(山本則孝)の田はなみなみと水を湛えている。舅は頭にきて畦を壊し、自分の田に水を移す。翌日、田を見に来た婿は、逆に自分の田に水を引き込む。その翌日、舅がまた逆に…とくり返しているうち、ついに鉢合わせて争いとなり、水をかけあったり押し合ったり。
 そこに嫁(山本凛太郎)が登場。父と夫がそれぞれに味方をしろというので迷うが、「きかねば追い出すぞ」という夫の言葉が決定打となって、夫の味方をして父を田の中に転ばせる。夫婦仲よく去るのを、舅が追いかけていって終わり。
 妻が夫の家に残ろうとする点が、古代の妻問婚が中世に嫁入婚へと変わっていった、日本社会の変化を象徴しているという見方もできるらしい。

 最初から最後までいる舅のほうが主役みたいなのだが、こちらはアド。婿がシテなのは勝利を収めるからなのか。しかしやはり中心は舅の東次郎。
 争う場面も笑えるが、東次郎ならではの芸は、水を自分の田に引いたあと、生気を取り戻す稲を見て喜ぶ場面。何気ない語りなのに、青々とした稲が水面に照り映えている、その風景が目に見えるような気がする。
 真夏の青空と、緑の稲と土に水。
 劫を経た能楽師ならではの、素晴らしい喚起力。そしてこういうとき、東次郎の表情からは、本当に生命を尊び、愛おしんでいるという思いが伝わってくる。人や動物にとどまらない、山川草木あらゆる生命への愛。生命に満ちた天地のあいだに、自らもある歓び。
 もちろん、この慈愛の心がこの狂言では、自分の田さえよければいいという、きわめて狭量な人間に宿っているというのが、笑えるわけだが。

 続いて『 砧』。
「訴訟で都にいる夫の帰りを待ち続ける妻。砧を打ち寂しさを慰めますが、夫が今年の暮れも帰らぬとの知らせを受け、絶望し亡くなります。孤独の悲しみと夫婦の情念を格調高く描く、世阿弥晩年の名作です」
 東次郎はアイ。能のアイは、中堅から若手が担当することが一般的だが、国立能楽堂の主催公演では、しばしば人間国宝クラスが出てくるのが嬉しい。力みのない、自然な真情のこもった語り。
 それにしても『砧』は名作。
 帰らぬ夫を慕い、孤閨を嘆く妻の思いが「邪婬の業」、妄執とされて地獄に落ちるというのは、現代の感覚では納得いかないが、それぐらいに深いのだということはわかる。
 この夫への偏愛は、『水掛聟』での妻の思いと通じているともいえるわけで、季節感以外にもこの二作には共通点がある。この組み合わせの妙も、国立能楽堂らしい仕掛け。

 そして、世阿弥の詞章の響きと意味の格調高き美。
 なかでも今日は、七夕にちなんだ部分が印象に残る。
「かの七夕の契には、ひと夜ばかりの狩衣、天の川波立ち隔て、逢瀬かひなき浮舟の、梶の葉もろき露涙、二つの袖や萎るらん、水蔭草ならば、波うち寄せよ泡沫」
 なんとも哀しく官能的。

七月六日(木)初蝉
 明けて今日六日、四ツ谷の堀の木々から、今年初めての蝉の声を聞く。
 通りかかった星乃珈琲では「星乃七夕祭り」。昨年やっていたという、天の川を模して金平糖とクリームが乗った「七夕珈琲」なるアイスコーヒーは、残念ながら今年はやっていないらしい。
 仕方ないので、七夕スペシャルBOXを買い、織姫ブレンドと彦星ブレンドを並べてみる。ひと夜ばかりの狩衣。

七月七日(金)WSSの舞台版
 七夕なら『ウエスト・サイド・ストーリー』(WSS)だぜ! というわけで(なぜだ)、シアター・オーブへ。
 渋谷のオーブに来るのは二〇一七年七月以来六年ぶり。そのときもWSSの舞台版を見にきたのだった。舞台版WSSはその後、二〇一九年九月に豊洲のステージアラウンドでも見ている。いずれも感想をそのときの可変日記に書いた。
 やはり舞台版の音楽は映画版よりもいいし、実演と時空を共有する感覚も嬉しい。
 客席が回転する最新の舞台装置を駆使して、現代の視点から演出にも手を加えていたステージアラウンド版に対し、昨年ミュンヘンで初演されたという今回の舞台は、同じオーブの二〇一七年版同様に、総体的にはジェローム・ロビンズのオリジナルに近い。
 コンパクトな装置の下部には車輪がついていて、人力での移動が簡単。ツアー公演もやりやすそう(実際、このあと高崎と大阪に巡業する)。その点も二〇一七年版と共通するが、あのときは簡素な骨組だけで工事現場の足場風だったのに対し、今回はもっと写実的で、五〇年代のニューヨークっぽい。
 マリアを含めてシャーク団の役者がみな中南米系らしいのは、いかにも現代のポリティカル・コレクトネス。セリフもスペイン語訛りが強い。「マリア」と呼びかける言葉のアクセントも、トニーのそれとアニタのそれで明確に違う。
 女性陣は群舞がうまい。ジムのダンス場面で女性が加わった瞬間、動きに鮮やかなキレが出た。舞台版なので女性のみが歌い踊る〈アメリカ〉も素晴らしい。
 男性陣も擬闘や演技が巧みで、歌のアンサンブルもいい。いままで、ドラマの流れを停滞させる印象で苦手だった〈クラプキ巡査〉を、じつに自然にドラマの中に入れて演じてくれたのには感服。

 映画版との最大の相違点、〈サムフェア〉の歌とバレエ・シークエンスは、やはりとても重要だと感じた。バーンスタインの音楽とロビンズの振付、このコンビによってこそ可能になったこの場面には、「届かぬものへの憧れ」という、この作品のエッセンスがつまっている。
 トニーがマリアをリフトするなど、ロビンズの原振付ほぼそのまま。〈サムフェア〉は、今回はロザリア役の歌手が舞台外から歌ったらしい。

 オケは舞台下のピットにバイロイト風に入っている。編成はほぼオリジナル同様で、ヴィオラ抜きの約三十人。
 全体に拍手は適切に入ったが、第一幕のあとは、数人が断続的にしただけで、とまどい気味に明るくなる。まあ、死体が二つ転がっているだけの暗い舞台に向かって拍手する気には、あんまりなれない。これが、WSSがミュージカルとして型破りだったところ。
 第二幕の冒頭はマンボの音楽のようだが、ここはオリジナルの〈アイ・フィール・プリティ〉のほうが好き。第一幕の暗い終わりから、一転してほんわかと明るい音楽が響くのがいいだけに。
 それにしても、最後にトニーとマリアが口ずさむのは、やはり〈サムフェア〉でなければ意味がない。

 カーテンコールは意外にあっさり。十九日間で二十四公演をシングル・キャストでこなす(一日二公演が七日間、途中の休演日は二日間のみ)という超ハードな日程だから切り替えが大切なのかも。
 と思ってプログラムを読むと、キャスト以外に「スウィング」という役者が男女二人ずつ、計四人載っている。
 ネットで調べると、「スウィング」とはいわゆるスタンド・インとして、出演者の急な降板にそなえて舞台外に準備している役割の人。誰が降りても大丈夫なように、どの役でも演じられるように準備しているのだという。日の目を見にくい、しかし長い興行には不可欠の、まさに縁の下の力持ち。

七月八日(土)殺生ゲーム
 国立能楽堂の普及公演
・狂言『魚説経(うおぜっきょう)』(大蔵流) 善竹十郎 大藏吉次郎
・能『阿漕(あこぎ)』(金剛流) 今井清隆

 生活の手段として殺生を重ねる漁師や猟師が地獄に落ちて苦しむ「三卑賤」、『阿漕』『鵜飼』『善知鳥』のなかで、ようやく最後に見ることができた。口を糊し、家族を養うためだったとはいいながら、魚や鳥を獲る生前の姿を死後に再現して見せる霊たちが、あきらかにゲーム的な快感を味わっていることを感じさせるのが、この三作のなんとも残酷な、しかし現代も価値を失わないところ。

七月十六日(日)崇徳と相模坊
 横浜能楽堂の企画公演「この人 この一曲」第三回。
・能『松山天狗(まつやまてんぐ)』片山九郎右衛門

 西行(ワキ)が、保元の乱に敗れて讃岐松山に配流されたまま崩御した、崇徳上皇の廟所を訪ねる。出会った老翁(前シテ)に廟に案内してもらう。そして「よしや君 昔の玉の床とても かからん後は何にかはせん」と歌を捧げると、老翁の正体は崇徳院の霊だった。
 廟から貴人の姿で姿を現わした崇徳上皇の霊(後シテ)。往時を思い出して優雅に舞うが、やがて敗北の悔しさを思い出し、修羅の形相となる。
 その怒りを代弁するように、院に仕える天狗の相模坊(ツレ)が、小天狗二匹を連れて登場。「逆臣の輩を悉く取りひしぎ。蹴殺し会稽を雪がせ申すべし」、院の恨みを晴らしてさしあげると叫び、空を乱舞するうちに夜が明ける。

 現行曲としているのは金剛流のみのこの能を、観世流で復曲するさいに詞章を担当した西野春雄が、冒頭で自ら解説。
 改作にあたっては西行と崇徳上皇の怨霊が対話する雨月物語の『白峰』や幸田露伴の小説『二日物語』を参考にし、崇徳の「浜ちどり跡は都へかよへども 身は松山に音をのみぞなく」の歌を詞に採り入れた。金剛流では、崇徳は優雅に舞うだけで、その怒りと恨みは相模坊があらわすが、西野版は「見よーっ」と崇徳自らが叫んで怒りを露わにし、天狗の乱舞にも参加する。
 わかりやすくなるぶん、俗っぽくもなるのはしかたのないところだが、橋掛の上で崇徳と天狗たちが円を描きながら位置を入れ替わるのは、いかにも空を乱舞している感じ。
 「皇を取って民とし民を皇となさん」と呪う崇徳――さすがにこの言葉までは出てこないが――の意を体する天狗の名が相模坊なのは、承久の乱で後鳥羽上皇を配流する、北条相模守義時を意識しているのか、などと考えると楽しい。

七月二十日(木)ベルリンから
 十八日と二十日は東京文化会館で、勝手に「ベルリン・フィルのよすが」シリーズ二回。
 十八日は、ベルリン・フィルハーモニック・ウィンズ(木管五重奏)を小ホールで聴く。首席はフルートのベテラン、アンドレアス・ブラウだけ、ファゴットのリッカルド・テルツォは代役でゲヴァントハウス首席という構成だが、それでも素晴らしい演奏とアンサンブルを聴かせてしまうのが、このオーケストラがトップ・オブ・トップであるゆえん。
 五人の音色が絶妙に調和して美しい音の綾をなしながら、それぞれの存在感もきわだつ、素晴らしいハーモニー。こういうハーモニーの感覚は、まだまだ日本のオケが学ばなければならない部分。
 個人的には『ウエスト・サイド・ストーリー』からの四曲が、舞台版を見たばかりなので嬉しかった。MCを担当したホルンのサラ・ウィリスはこのミュージカルが大好きで、全部の役をそらで歌えるそう。
 そしてこの公演では、文化会館小ホールの素晴らしい音響も重要な役割を果たした。高い天井の空間が、まろやかでしかも明快な響きをもたらしてくれた。

 文化会館独自の空間は、二十日大ホールでのアラン・ギルバート指揮東京都交響楽団の演奏会でも効果を発揮した。それはアルプス交響曲でのバンダ。トランペットとトロンボーンを二人ずつ増強して二十人編成にしたバンダが、これほど爽快に力強く響く実演は初めて。
 この曲を二公演やるのに、なぜパイプオルガンのないこのホールを選んだのか疑問だったのだが、多目的ホールだからこそ舞台袖の空間が広くて天井が高い。そこでバンダが気持ちよく吹く。故意か偶然かは知らないが、見事な結果につながっていた。
 そしてこの公演では、ベルリン・フィル首席ホルンのシュテファン・ドールが登場。ワーグナーのオーケストレーションの影響を濃密に感じさせるウェーベルンの《夏風の中で》の後、モーツァルトのホルン協奏曲第四番で堂々たるソロ。
 さらに後半のアルプス交響曲では、黒シャツから他の楽員に合わせて燕尾服に着替え、八人のホルン隊のトップの席につく。集団のなかでも圧倒的な存在感を発揮すると同時に、オケマンとしての調和力の高さも伝わってくる。
 ここにも、合奏と個性の絶妙のハーモニー、我々が学ぶべきものがあった。

 タケシのアルプス交響曲は、いかにもオペラより交響曲を得意とする指揮者のシュトラウスらしい、純音楽的な、器楽的な演奏。描写音楽的な気配は、サンダーマシンによる雷鳴などにかぎられる。
 そのため、登山にたとえられた影のテーマ、人間の成長と衰退という、人生ゲームの要素がより明快に感じられる。
 以前から不思議だったのは、あの有名な、木管による乳牛の乳が噴き出す描写(あるいは鳥の囀り)が、結末近くにもまた出てくることだった。最初のは朝だから時間的に当然だけれど、二回目は下山後の夕暮れ。
 回想なのかと思っていたが、ひょっとしたら、これは赤子の産声でもあるのかもと思う。一回目は子(するとその前のカウベルは結婚式の鐘か)で、二回目は老後に聞く孫の産声。
 もちろん根拠のない妄想に過ぎないのだが、そう考えるとこのあたりの音楽の達成感にもうまく合うような。
 こういう思いつき、大げさに言えば作品への別の登山道みたいなものとの遭遇は、録音を聴くときよりも、演奏会で実演に立ち会っているときの方が圧倒的に多い。このあたりが面白い。

七月二十三日(日)モレルの系譜
 オーチャードで、チョン・ミョンフン指揮東フィルの《オテロ》。
 日経新聞に評を書くので詳細は控えるが、オテロ役のクンデの声、響き、フレージングの素晴らしさ。イアーゴ役のイェニスも、イアーゴとファルスタッフの創唱者ヴィクトル・モレルの系譜に連なる歌で、イアーゴの部分の音楽(歌も管弦楽も)にはファルスタッフのそれを予告する要素があちこちにあることが、はっきりとわかるのがじつにありがたい。

七月二十五日(火)指環試聴会
 タワーレコード主催で行なわれた《指環》試聴会、無事に終わる。
会場は新有楽町ビル一階にあるKEFショールーム。酷暑にもかかわらず、抽選の結果二回の試聴会に三十名を超すお客様がいらっしゃり、ほぼ満員の盛況。大阪から来られた方も数名おられて、この録音とディスクに対する関心の高さがうかがえた。
 話は麻倉怜士先生の巧みな進行に乗っていくだけなので、とても気が楽。
 ディスク購入後に、会場名を伏せたまま募集という異例の形になったのは、限られた広さでMUONなど最高級の音を聴いていただくため。お客様にもご満足いただけたようだ。
 四作から少しずつの抜粋だが、あらためてその音の凄味に感服。個人的には、二月のメディア向け試聴会ではまだ聴けなかった《ジークフリート》と《神々の黄昏》のクオリティの高さにゾクゾク。
次はここのこの音で、全曲試聴会を徹夜でやろう、なんて冗談も。三十歳若かったらやっていたろうが…(笑)

七月二十八日(金)シュレーカー
 二十七日と二十八日は、二日連続で読売日本交響楽団のメンバーが別のシュレーカー作品を演奏するという、なかなか珍しい日程。
 二十七日はサントリーホールでヴァイグレ指揮《あるドラマへの前奏曲》、二十八日はトッパンホールで日下紗矢子がコンサートマスターの室内合奏で《弦楽オーケストラのためのスケルツォ》。
 さらに偶然が重なるもので、二十七日の昼間にはナクソスからシュレーカー歌劇DVDの解説依頼のメールまで来て、「シュレーカーが俺を呼んでいる」状態に(笑)。
 濃厚だが正体不明になりやすい前奏曲を、面白く聴かせてしまうヴァイグレの手腕はさすが歌劇場の人という感じだった。初期作品のスケルツォも三部形式の随所にさまざまな楽想が浮上して、やはりなにかクラゲみたいにつかみどころのない音楽で面白い。そういえば先日、モンテカルロ・フィルのシェフをしている山田和樹さんから、「モナコ生まれの音楽家って当然ながら少ないけれど、シュレーカーがそう。でも縁があるとは思われていない」という話をきいた。なんというか、根無し草な人。
 組み合わされた他の作曲家の作品も面白かった。二十七日は強い集中力と不思議な涼やかさとロマン性をもった細川俊夫のヴァイオリン協奏曲《祈る人》(日本初演)など、何か死者の声を聞くような翳の濃いプログラム。
 最初のモーツァルトの《フリーメイソンのための葬送音楽》の終演後に拍手しながら、「葬送曲に拍手するというのはなんか妙だなあ、具体的な誰かの追悼ではないからいいのか」などと思ったが、既にここから召霊が始まっていたのかも(夢幻能の見過ぎ)。
 後半最初のモーツァルトの《パリ》でも、「この華やかな曲を書いた直後、パリ訪問に同行していた母親が急逝して、モーツァルトはそれを隠して父にうその手紙を書くんだよな」とか考える。あと「そういえばヴァイグレはホルン奏者時代に、スイトナー指揮でモーツァルトをさんざん演奏したんだろうな」とか。
 二十八日も弦楽合奏版のヤナーチェクの《クロイツェル・ソナタ》に、ハイドンの交響曲第一番と第八十番。ハイドンのこの二曲をナマで聴くのは初めてなのでそれもありがたい。
 ところで、読響のプログラムに載っていた東京芸術劇場の次シーズンの広告。十一月の河村尚子&メルニコフ、井上道義指揮の《復活》、阪哲朗&野村萬斎の《こうもり》という好演目とともに、来年二月の《美しきエレーヌ》の告知が。最愛の作曲家オッフェンバックの傑作登場で、とても楽しみ。

七月三十日(日)邦楽と言葉
 東京藝大奏楽堂で、演奏藝術センター主催による「和楽の美2023 源氏物語 夕顔・須磨の巻」を見た。
 藝大の音楽学部邦楽科の教師陣を中心に、光源氏に扮した松本幸四郎、能楽の観世流と宝生流の両宗家もゲスト出演する豪華版。
 邦楽の面白いところは、雅楽、能楽、箏曲、長唄、邦楽囃子、尺八などの各ジャンルが個別に存在していること。古い音楽が新しい音楽によって完全に上書きされることなく、江戸期の身分社会の枠組みに準じて、どれも別個に、縦割りで存立している。
 そのため、クラシックの世界でいえば古楽器、ピリオド楽器などといわれそうな楽器も、多少の変動はあるにしてもほぼそのまま存在している。
 見方を変えれば、進歩史観、モダン楽器絶対史観というのは西洋の産業革命以後の、優生思想的価値観の一種ともいえるわけで、邦楽のありかたはむしろ、現代の多様性重視の価値観にかなうのかもしれない(身分制が生んだものだが)。
 もちろん、互いを認め合わねば不幸なわけで、藝大のように一つの邦楽科に集められているのは、交流し互いに刺激を与えあう可能性を生む。
 原作の名場面に登場する雅楽の『青海波』、夢幻能に仕立てた『須磨源氏』、箏曲や邦楽囃子による新曲などをへて、最後には各ジャンルの楽器とオーケストラによる、藝大音楽学部の和洋共演。
 同じ空間で続けて聴けるのは、それぞれの個性がよくわかって得るもの多し。

 ただ、せっかく背景にスクリーンがあるのだから、詞章を字幕で出してほしかった。残響の多い西洋風のホールだけに耳からでは聴きとりにくい詞章も多く、聞きとれるものにも、漢字まじりの文字で見ないと具体的にイメージしにくい字句は多い。
 プログラムには各作品の詞章がきちんと載っているが、客電が落とされるので上演中は暗くて読めない。後で読めば内容はわかるとはいえ、せっかく音楽になっているのだから、言葉の響きと音楽がどのように結びついているのかを、その場で楽しみたい。
 以前に歌劇『夕鶴』のある演出で、あえて字幕を排したものがあった。そのかわりに歌手は歌詞を聴きとりやすく歌うことを心がけ、聴衆は聴きとろうと耳をすますことで集中が生まれ、見事な結果をもたらした。でもそれは、木下順二が現代語で書いた戯曲を歌詞としていたからこそ、可能になったものだった。古典芸術の場合は、ハードルを越えやすくする配慮があったほうがいいと思う。
 掛詞の面白さなど、ネイティブスピーカーだからこそわかりやすいのだから、楽しめないのはもったいない。新作などは予習のしようもないわけで…。


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