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八月一日(火)《指環》の冒険
 フェスタサマーミューザのヴァイグレ指揮読売日本交響楽団による演奏会で、指揮者のプレトークの聞き役。
 前日まで酷暑が続いたのでスーツにネクタイは不安だったが、この日は雨で温度が下がって楽。ミューザの楽屋に入るのもステージに立つのも初めてだが、客席が近いのにびっくり。お客さんが実際に入ると、マイクテストのときよりも、一階席は舞台との高低差が少なく、二階席がすぐそこに見えることを実感する。
 プレトークはヴァイグレがわかりやすく朗らかにしゃべってくれて、二十分があっという間。直前のリハでベートーヴェンの八番を十二型でやっていたので、ワーグナーとの大きさの違いとかも聞いてみたかったが時間切れ。
 さて本番、ユーモアをたたえた八番もよかったが、後半のワーグナー(デ・フリーヘル編曲)の楽劇『ニーベルングの指環』~オーケストラル・アドヴェンチャーはさらに見事で、充実した演奏。
 ハープ四台、ホルン八本など編成が巨大で聞き応えがある。抜粋もうまくできていて、《ラインの黄金》のあの難しい序奏もコンサートの舞台でじっくり聴けるし、金床も盛大に響く。
 しかし本番の演奏は、《ジークフリート》以降でさらに鮮やかさを増した。オーケストレーションが複雑巧妙、多彩に綾なすようになってからこそ、大編成の読響が本領を発揮する。この編曲が後半二作に重点を置くのもむべなるかな。
 ソロ・カーテンコールでは、ヴァイグレはホルンの難しいソロを吹ききった首席の松坂さんを連れて喝采に応えた。オーケストラとの良好な関係をうかがわせるいい演奏だった。
 《指環》の醍醐味を六十五分でたっぷり楽しめるこの好編曲、偶然ながらルイージ&N響も九月に取りあげるので、聴き較べも楽しみ。

八月十一日(金)大河ドラマの音楽
 すみだトリフォニーで、『下野竜也プレゼンツ!音楽の魅力発見プロジェクト 第十回 オーケストラ付きレクチャー「大河ドラマのテーマ曲 徹底解剖!その2」』
 リクエストを募って、NHK大河ドラマのテーマ曲ばかりを実演で聴かせてくれるこの催し、一昨年の「その1」がいろいろ考えさせてくれたので、今回は某紙に頼み込んで評をやらせてもらうことにした。詳細はそちらにゆずるが、やはりナマで見て聴けると、和楽器の使用などそれぞれがサウンドに趣向を凝らしていることがよくわかって面白かった。
 個人的には林光の『国盗り物語』と山本直純の『風と雲と虹と』をナマ音で聴けたのに感激。
 特に『風と雲と虹と』で驚かされたのは、作曲者指定の「粘土をこねて、叩きつける音」が実演されたこと。藝大の指揮科の若い二人が白い粘土をこねて、音楽に合わせてばんばんと叩きつける。なんか、土に生きる農民の生活を表しているらしい。
 男声合唱のハミングが省略されたのは残念だったが、それをおぎなって余りある粘土パワー。しかし、放送用では粘土音ではなく、どうやら小鼓などでやっている。録音の現場で粘土は無理ということになったのか。つまり昨日の演奏は、幻の初稿版みたいなものか。

 今回あらためて調べて驚いたのは、大河テーマ曲の音源は、一九六三年の『花の生涯』から八三年の『徳川家康』までの二十一作は、音の悪いモノラルか擬似ステレオしかないらしい(要するにテレビ放送がモノラルだったから)。
 しかし、とりわけそこまでは昭和日本の作曲界のビッグネームが並んでいるだけに、下野&N響とかで、オリジナル通りの編成できちんと最新録音してもらいたいところ(まあ、倉庫をその気になって探せば、ステレオのテープもどこかの隅に眠っているのではないの? という気もするが)。

八月十六日(水)
 レナータ・スコットの訃報。
 素晴らしい歌の数々に、心より感謝。恩師三谷礼二さんの思い出とともに。

八月十八日(金)ワキ座から
 昨夜は他の用事もあったのだが、思うところあって直前でキャンセルし、家で死者たちを祀ることに。
 レナータ・スコットを偲んで、一九六六年一月一日メトロポリタン歌劇場での《蝶々夫人》ライヴのCD‐Rをひさびさに聴きかえす。そして、スコットの存在を私に教えてくれた三谷礼二さんの遺著、『オペラのように』を読みかえす。
 このライヴのスコットは、ほんとうに凄まじい。共演者にスターはいないし、指揮も一流ではないが、そんなことがどうでもよくなる、言葉の最良の意味でのプリマドンナ・オペラ。第二幕の憑依したような、全存在をかけた乾坤一擲の絶唱。これをカセットで聴いたときは、腰が抜けるほどに驚いた。しかしCD化されたことのない、不幸な録音。
 のちにソニーが正規にCD化したのは一九六七年三月の、新しいメトの録音。表現はよく似ていて、特にきかせどころのやりかたはそっくりなのだが、そこへ持っていくまでの緩急強弱の伸縮、声の色、伸び、そうした変化が微妙に単純化され、天馬が空を翔るような、奔放なまでの自在さが減じている。
 とにかく、一九六六年一月のスコットは、桁外れに凄かった。三谷さんが宝物のように大切にしていた、ニュージャージー州イングルウッドのリサイタルの膝上録音(これも凄い)も同じ一月だったはずだから、このときのスコットは人間離れした存在、いまの大谷翔平みたいなユニコーンだったのだと思う。
 昭和の頃の速球派の投手が、肩の消耗のことなどいっさい恐れず、本能のおもむくままに投げまくるところを見ているような、明日のことなどわからない体当たりの全力投球の快感と、そして人間存在に対する畏怖を覚える。
 他人に対してこんなふうに歌ってみなさいとは恐ろしくてとても言えないが、とにかく彼女はこの瞬間、蝶々さんの音楽をこう歌ってみたかった。それが自身の肉体にもたらした結果について、いっさい悔いはなかったろうとも思う。それを運命として受けいれ、あらためて「今できること」から自らの芸術を再構築していった、「その後」のスコットも、じつに素敵だ。私がナマを聴けたのは、もちろんその時期だった。

 『オペラのように』を読みかえすと、三谷さんはプッチーニの魅力が長いことわからず、とりわけ《蝶々夫人》は、一九六四~六五年の最初の米欧旅行で見てもまだ凡作に思えたという。
 この思いが変わるきっかけは一九七〇年にパレルモで、マタチッチの指揮とスコットの歌で見たときだったという。気になりだして、バルビローリ&スコットのLPを買ってみて、その指揮でついに真価が見えた。
 一九七四年、朝比奈隆から関西歌劇団で一緒にバタフライをやらないかといわれたときは、心底嬉しかったという。マーラーやブルックナーを得意とする指揮者こそ、このオペラの真髄に迫れるのではないかと感じていたからだ。
 そして、オペラ演出家三谷礼二、一世一代の成功作が《蝶々夫人》となったことは、皆様ご存じのとおり。

 三谷さんにもスコットの一九六六年メトの蝶々さんを聴いてもらいたかったと思うが、自分が入手したとき、三谷さんはもうこの世の人ではなかった。一九九一年に五十六歳で亡くなったから、偶然にも今年は三十三回忌。
 それにしても、三谷さんとスコットは同じ一九三四年生まれなのに、没年がこれだけ異なると、生きた時代が異なるような気がするのが不思議。
 イングルウッドのテープをかけるときの三谷さんの嬉しそうな表情や声はいまも心の中に鮮明なのに、二十三歳だった自分は六十歳になり、三谷さんよりすでに四年も無駄に長生きしている。

 CD‐Rを再生すると、五十七年前のオールド・メットの空間がよみがえる。出演者だけでなく、拍手喝采を送ったり咳をしたりしている客席の人々の生命もともに、黄泉からかえって来る。
 自分自身は行ったこともない時空。
 そして、それを知るきっかけを作ってくれた、三谷さんのあの目と声も、一緒に眼前にかえって来る。
 古い録音はそのよすが。まさしく一場の夢幻能。揺らぐ炎の向こうにかれらがいると、ワキ座の自分は思う。

八月二十六日(土)姨捨経由で松本
 二十五、六日は一年ぶりに松本へ。乗り物に長時間乗っているのが苦手な自分は、今年は往路を北陸新幹線の長野経由とする。
 乗り換えなしのあずさで行くより二千六百円ほど高くなるが、新宿からだと在来線で大宮まで約三十分、長野まで新幹線で約六十分、松本まで特急しなの号で約五十分。
 あずさより合計の乗車時間が少し短い上に、一回の乗車時間が一時間弱ですむので気が楽。乗り換え時の待ち合わせ時間のロスは、自分みたいな人間には、気分転換になるのでかえってありがたい。
 それに、長野を出てすぐの姨捨駅からの善光寺平の眺めは「日本三大車窓」として名高い。その姨捨山は能の秘曲『姨捨』の舞台でもあるので、一度見てみたかった。さらに去年は松本から名古屋まで篠ノ井線の南半分に乗っているので、今度は北半分に乗るというのにも、鉄ちゃんではないが惹かれた。

 やってみて、大正解だった。北陸新幹線は去年の長野行きで知ったとおり、東海道新幹線はもちろん、東北新幹線よりもはるかに乗り心地がいい。長野駅では駅の外にも出られるので、ここで飯を食べていく手もあったなと気がつく。そばは基本的に松本より長野の方が、水準が高い気がする。次回はここで時間をとって、少し後のしなの号に乗り換えよう。
 姨捨の風景は、山あいから見えるのがわずか数分、しかも前方ではなく斜め後方にふり返る形で見るものだったので、楽しむまでいかず。山あいにほんの一瞬見えるからこそいいのか。
 自分には、名古屋へ行く途中の木曽川沿いの景色のほうが長く間近に楽しめるぶん、わかりやすかった。しかしこれで様子がわかったので、次回は姨捨からの車窓を気構えをしてよく見てみたい。
 乗り心地は、昇降が多くてビッグサンダー・マウンテン風味の南半分よりも、あずさよりも楽に感じた。五十分ですむのも大きかった。

 宿は今年も浅間温泉。会場のキッセイ文化ホールに歩いて往復できるので楽だし、温泉に入り放題なのは泊まりにきた甲斐があるというもの。
 ただし一人で素泊まりだと、添乗員用の部屋風でバスもトイレもない(そのぶん安い)。夜中に旅館の薄暗い廊下を歩いてトイレまで行き、洗面台の暗い鏡を見ながら照明のスイッチを入れる瞬間には、毎回ちょっとスリルがある(笑)。

 コンサートはさすがの楽しさ。ジョン・ウィリアムズのチューバ協奏曲をナマで聴けたのがありがたい。後半のプーランクとラヴェルでは見事な合唱も入って盛りあがる。
 初日ということでオケの出来にはムラがあったが、フルートのジャック・ズ―ンとか名手のソロは松本でこそ聴けるもの。曲ごとに交代するコンマスには林七奈や依田真宣など若い世代も登場。宮田大、伊藤悠貴、岡本侑也、佐藤晴真も加わったチェロ陣が特に豪華だった。

八月二十七日(日)善光寺の能
 観世能楽堂で「銀座余情~能と狂言」の能の部を見る。人間国宝が揃う舞台。

・講話「己身の弥陀 唯心の浄土」村上湛
・一調『野守』謡:観世銕之丞、太鼓:三島元太郎(人間国宝)
・能『柏崎 大返 思出之舞』大槻文藏
  花若の母/狂女:大槻文藏
  花若:安藤継之助
  小太郎:福王茂十郎
  善光寺住僧:福王和幸
  地頭:梅若桜雪
  笛:松田弘之
  小鼓:飯田清一
  大鼓:亀井広忠

 能『柏崎』後場の舞台は、善光寺の本堂内陣。女人禁制の場所で、狂女となったシテが夫の装束をつけ、男装して舞うという設定。昨年垣間見た内陣の暗く荘厳な雰囲気を脳裏に描きつつ見る。
 シテの夫の柏崎殿は、鎌倉に滞在して訴訟の途中で病死し、同行していた息子花若は悲しみのあまり遁世。夫と息子をともに失った衝撃から狂女となり、領地を離れて放浪する。そして訪れた善光寺で、僧となった息子に再会するというストーリー。

八月三十一日(木)ブルックナー変容
 この日から九月三日まで、四日連続で充実した演奏会通い。
 まずこの日は読売日本交響楽団をサントリーホールで。曲目はブルックナーの交響曲第八番。早くから完売の人気公演だったが、指揮のツァグロセクが病で降板、上岡敏之が急遽代役で登場。
 読響と上岡は昔から相性がよく、三か月前の定期のニールセンの五番も精緻にして豪快な素晴らしい演奏だったので期待していたが、それ以上の見事な演奏。
 この曲を、こんなにワクワクしながら聴けたのは初めてかも。気迫がこもっていて、スキッとのど越しのいい音。見通しがよくて立体的、各パートが明快だけと硬く痩せたりしない。一つ一つのフレーズが生きていて敏感。ビリッビリッとしびれる、フグの毒みたいな舌触り――当たったことはないが――の敏感さ。
 ブルックナーのあの音楽が、こんなにビリビリと敏感に心に響くとは。しかもフォルティシモは轟然と、豪快に鳴りわたる。ゲネラルパウゼはまさしくゲネラル。上岡の要求を音にしてみせる読響の上手さに、あらためて感服。
 開演前、満員の客席に意外と女性客が多く、日本のブルックナー受容も変わりつつあるのかと感じたが、こういう演奏なら、さらに増えるように思った。


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