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九月一日(金)トーサイ第一日
 八月三十一日から四日連続で充実した演奏会通い。
 九月の三回は、偶然にもいずれも齋藤秀雄の余韻を感じるものだった。勝手に「トーサイの三日間」。
 一日は前日に続いてサントリーホールで、日本フィル。指揮は山田和樹。
・モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク
・バッハ(齋藤秀雄編曲):シャコンヌ
・ウォルトン:戴冠式行進曲《宝玉と勺杖》
・ウォルトン:交響曲第二番

 昨年は日本フィルとウォルトンの交響曲第一番を演奏し、バーミンガム市響との来日公演でもアンコールで勇壮な《スピットファイア》を聴かせた山田、今回もウォルトンとの相性のよさを披露。
 過日、「音楽の友」のための宮田大さんとの対談のとき、「イギリスがどんどん好きになってきている」と語っていたが、まさにその英国愛のたまものか。
 ウォルトンの音楽には、いわくいわれぬ暴力性、破壊志向がある。第一次世界大戦のロマンなき戦争の時代に育った世代ならではというか。この人のファンファーレには、審判のラッパみたいな恐怖感がただよう。
 前半はトーサイ・プロ。近年のヤマカズさんは、日本のオケとは日本作品を演奏することが多く、前述のウォルトンの一番も貴志康一のヴァイオリン協奏曲と組み合わせていた。
 今年はモーツァルトとバッハで、なんだ日本ではないのかと思っていたら、それは浅はか。シャコンヌはトーサイ編曲で、モーツァルトの弦楽合奏曲も、典型的な「子供のための音楽教室」プロ。齋藤秀雄が今年のテーマだったのだ。
 宮田さんとの対談でも、ヤマカズさんは藝大で宮田さんは桐朋なんて話になったときに、そこで齋藤秀雄の話を始めたのは、おそらくこれにつながるものだったのだろう(この話は「音楽の友」十月号に掲載)。
 しかし演奏自体は、《シャコンヌ》冒頭の荘重な響きが出た瞬間は、トーサイのあのしゃっちょこばった指揮ぶりが脳裏に突如として浮かんで、編曲といえども本人の音楽がバッチリ反映されるのだなと感心したが、全体としては、トーサイが怒って化けて出てくるんじゃないかというくらい(笑)、自由で遊び心に満ちたものだった。
 これが再現芸術の面白さであり、永遠に終わりのない魅力。これからは過去の録音と現代の実演をめぐっても、それが起きる。

九月二日(土)トーサイ第二日
 日帰りで松本のセイジ・オザワ・フェスに行く。先週の一泊に続き今年二回目の松本。日帰りで往復あずさではつらいので、今回も往路は北陸新幹線で長野から篠ノ井線に乗り換え。長野駅で一時間強の余裕をもって駅ビルで昼食。
 去年行ったそば屋は、開店早々から行列のため断念し、やはり去年美味だったステーキ屋へ。今年も当り。二千円でこの肉はコスパよし。付け合わせの野菜と味噌汁も美味。長野名物の菓子「りんご小径」も無事購入。これも美味。
 姨捨駅で、「日本三大車窓」の絶景を再び。
 セイジ・オザワ・フェスは御大ジョン・ウィリアムズ登場。演奏は素晴らしかったが、詳細は日経新聞に書く。
 指揮者ドゥネーヴが曲間にマイク使ってしゃべったことに、時代の変化を感じた。いま東京の演奏会ではまったく珍しくないことだが、サイトウ・キネンのコンサートは、トーサイ~オザワのラインの、そういう気楽さを嫌う、あくまで厳粛な雰囲気だと感じていたから。
 だが演奏はものすごく本気。トップ・オブ・トップの首席が勢揃いして、ものすごい演奏をした点も、ボストン・ポップスではなく本体のボストン響っぽい。
 購入の抽選が倍率十四倍という人気だったので、聴衆はよくもわるくも変わりそうと思っていたが、客席の雰囲気は意外といつも通り。
 夜はあずさの最終で帰京。甲府~八王子の訳一時間の乗り心地はやはり苦手。

九月三日(日)トーサイ第三日
 浜離宮朝日で、宮田大&横溝耕一主催の音楽祭「AGIO」最終日。
 ブラームス:の弦楽六重奏曲第一番とチャイコフスキーの《フィレンツェの思い出》。名手六人がヴィルトゥオジティックな魅力を全開させた後者が、特に楽しかった。
 ソリスト級が室内楽を当たり前に演奏する。東京音楽学校がやらなかった教育を桐朋が伝統にしていったことも、トーサイの遺産。

 帝都無線の後身ミュージック・テイトが破産していたことを知る。新宿の紀伊國屋書店内にあったときは、落語や日本映画のDVDの棚をのぞくのが楽しみだった…。

九月六日(水)国立能楽堂四十周年
 国立能楽堂の開場四十周年記念公演。
 二〇一六年に自分は俄かに能を見始めて、二年後に国立能楽堂の開場三十五周年記念公演のシリーズがあった。それから早五年。
・『翁(おきな)』(観世流)
・能『清経(きよつね) 恋之音取(こいのねとり)』(観世流)
・狂言『栗焼(くりやき)』(和泉流)
・能『山姥(やまんば) 波濤ノ舞(はとうのまい)』

 翁は観世清和、三番叟は野村萬斎、千歳は観世三郎太、面箱は野村裕基。気魄のこもった萬斎の三番叟が見事。
 清経は大槻文藏。しかし自分には、この世阿弥の曲が感傷的すぎるという印象がまだ強くて、好きになりきれない。
 栗焼のシテは野村万作。至芸。時間の都合で『山姥』は見られず。

九月十二日(火)いつまでも暑い
ツクツクボウシの声を聞き、そろそろ夏も終わりかなと思う九月十二日。

九月十七日(日)ひとりぼっちの
 池袋でヴェンツァーゴ指揮読響。《パシフィック二三一》も、後期ロマン派的濃密さをもったバルトークのヴァイオリン協奏曲第一番も面白かったけれど、強烈だったのはベートーヴェンの第五。弦をけっして力ませず、適度な脱力。さざ波のように反応する各声部。そこから浮かび上がる木管群。全体を包む寂寥感。
 二〇一四年に聴いたメッツマッハー指揮新日本フィルのこの曲の演奏に、印象は奇妙なほど似ている。以下はそのときの可変日記。今日もほぼあてはまる。
「驚いたのは、その音楽の寂しさ。音楽の雄弁法の代名詞みたいに思っていた交響曲第五番が、あちこちで口ごもり、言いよどみ、気まずい沈黙で途切れる。その沈黙の直前に一人残る木管の音色の、なんと孤独で寂しいこと。まるでクレンペラーみたいな木管の強調が、見事な効果を生んでいた。(略)
 三楽章までこの調子で進んで終楽章。どうなるのだろう、嘘の歓喜、マーラーの第七番終楽章のやけくその狂躁みたいになるのかと思ったら、そうではない。ちゃんと輝かしく、力強い。
 ただ、例の三楽章からの導入はもったいぶらず、かなり唐突に、凱歌が奏でられた。人間が自分の力でつかんだ勝利というよりも、外から転がり込んできた勝ち星のような。(略)
 メッツマッハーがいっていた「光が打ち克」つとは、けっして現世的な勝利ではないのだと思う。ウォルトンの《ベルシャザールの饗宴》と同じく、黙示録の世界での、自分が一度死んだあとでの、復讐的な勝利。
 そのある種の虚しさが、今日の演奏にははっきりと出ていたように思えた。
(略)ツィンマーマンもベートーヴェンも、ひとりぼっち」

九月十九日(火)ホリガー!
 文化の小でホリガー。八十四歳の驚異的なオーボエ。ソプラノサックスにも似て、とても雄弁。アンコールを三曲もやり、しかもその三曲により、本プロと合わせてフランス近代の主要な作曲家の大半を取りあげたことになるという心憎い構成。

九月二十日(水)未来の幻視
 王子ホールでデザンドレ&ダンフォード。適切な空間で繊細なリュートの至芸を聴ける喜び。モンテヴェルディの天才をいまさらに実感し、カプスベルガーの素直な子守歌と、メールラの《さあ、眠る時間ですよ》が対照される面白さ。
 後者は、嬰児イエスを抱く聖母マリアが、その遺骸を抱く「悲しみの聖母」の未来を幻視していくというもの。
 無垢と受苦との時空を超えた接続に、世阿弥の能『鵺』のラストの、敗者と勝者の運命が歴史を飛翔して渾然一体となる、あの見事な展開を連想する。

九月二十一日(木)西のラフマニノフ
 オペラシティで、プレトニョフと高関健指揮東フィルのラフマニノフ:ピアノ協奏曲全曲演奏会第二夜。
 もっさりとした第三番よりも、後半が面白い。革命で祖国を離れ、西欧に出たラフマニノフの困惑が、そのまま音楽になったような第四番。一九一〇年代に始まり、第一次世界大戦後のパリで花開いたモダニズム、メカニズムの奔流のなかで、その影響を受けているうちに自らの語法を見失ってしまったような感じ。
 しかし晩年のパガニーニ狂詩曲では、自分なりに再構築して折り合いを見いだし、アメリカのオーケストラの華美艶麗にして力強い響きを活用する。響きわたる《怒りの日》。

九月二十二日(金)良識の基盤
 ピノック指揮紀尾井ホール室内管弦楽団のメンデルスゾーン演奏会。
・オラトリオ《 聖パウロ》序曲
・詩篇第四十二番《鹿が谷の水を慕うがごとく》
・交響的カンタータ(交響曲第二番)《讃歌》

 まず、演奏がびっくりするぐらいによくて、それだから作品のことを考えさせてくれる。ピノックの指揮による歯切れのいい、力強くて澄明な音楽が、見事に実音化される。十型五十人のオーケストラと三十五人の合唱、八百席のホール。作品にとって理想的な規模。
 楽員もバイエルン放響のコンサートマスターのバラホフスキーがコンマス、パリ管の副コンマス千々岩英一が第二ヴァイオリン首席、東響コンマスの小林壱成がストバイの第三列にいる弦楽など、いつも以上に豪華な面子。管楽器にも在京オケ首席の俊英が加わり、順調に世代交代を進めていることもよくわかる。
 合唱も新国立劇場合唱団だから、磐石の鳴りと立体感。
 そして演奏に加えて、作品を味わう上での重要な要素となったのが、客電をあまり暗くせずに、プログラム掲載の歌詞対訳が読める程度にしてくれたことと、歌詞の文字が老眼でも読めるくらいに大きく、音楽と合わせて見やすくレイアウトしてくれたこと。
 昨年『メンデルスゾーンの宗教音楽』という優れた本を上梓した星野宏美の解説も的確で参考になる。大切なのが、三曲ともキリスト教色が濃いのに、教会ではなくコンサートホール、すなわち初代ゲヴァントハウス(五百席と小さく、編成も本日と同じぐらいの規模)で演奏されたと注記していること。
 詩篇もカンタータも教会音楽ではなく世俗音楽なのだ。百年前のバッハ時代からの変化。その背景となる市民社会の発展、それでも市民共同体の良識の基盤として存在するキリスト教、それを通じて共同体に参加しようとする改宗ユダヤ人メンデルスゾーン、などと考える。
 そして、ドイツ人ワーグナーはこんな苦労をせずに、市民の良識に反発して作品を書けたのだろう。
 また、交響的カンタータは、ベートーヴェンの交響曲とバッハのカンタータを融合しようとしたものかとも感じた。すると、これをカトリック的にやろうとしたのがマーラーの《千人》なのかも。

九月二十三日(土)屋外とは
 夜。サントリーホールの前に立つと、暑くもなければ蒸してもいない。
 屋外というのはこんなに快適なものだったのかと感心する。心地よい外気というものをすっかり忘れていた。
 屋外とは、昼も夜もひたすらにうっとおしい場所なのだと、数か月にわたって思い込んでいた…。

九月二十五日(月)江戸を外れて
 建てかえのために閉まる国立劇場。建替え工事の入札者がいないという。
 二〇二九年秋予定の新劇場完成まで、歌舞伎は渋谷区の新国立劇場、文楽は北千住の一〇一〇シアター、演芸は紀尾井ホールなどに分散して上演される。
 文楽の北千住は、幕末の浅草猿若町の東北側だから、方角的には先祖返りといえなくもないが、江戸ではない千住宿。新国の初台もまた、江戸ではない内藤新宿の外。隼町に早く戻れるといいが。

九月二十八日(木)暑い横須賀
 よこすか芸術劇場で二期会の《ドン・カルロ》ゲネプロを見る。ここへ来るときは記念艦三笠に詣でるのが習慣だが、こんなに暑い時期は初めてで断念。代わりに京急横須賀中央駅近くの三笠ビル商店街の模型で我慢。
 この劇場は馬蹄形の歌劇場スタイルなので雰囲気豊か。ただ二階の席は椅子がかなり低めで、長くもない脚をもて余してしまう。
 近世はすぐそこに見えているのに、中世の老いた怪物の最後の悪あがきに翻弄される人々。イタリア語五幕版、バレエ音楽つきでたっぷり三時間半(+二十分の休憩二回)。


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