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十一月二日(木)フーガの技法
 朝は東京体育館のプールへ。
これまで通っていたところが値上げ値上げの連続でメリットがなくなったため、二〇一八年夏からの長期休館以来離れていた古巣に今月から復帰した。お決まりのエクセルシオールでモーニング。
 夜は浜離宮朝日ホールでカザルス弦楽四重奏団による《フーガの技法》全曲。衒学的になることなく、四本の弦楽器による、生き生きとした美しき絡みあいによる、入り組んで豊潤な音空間。全員バロック弓。CDとは異なる、実演用の曲順が実に効果的だった。曲目解説をやらせてもらうことになって、資料が来たときからこの曲順はとてもよさそうと思っていたが、想定以上。
 アンコールでのパーセルのファンタジア、そして《鳥の歌》も、胸にしみじみと響く美。パーセルは次の新譜なのか。とすると、それも今から楽しみ。

十一月五日(日)告別と感謝
 サントリーホールで、チェコ・フィルハーモニー弦楽アンサンブル。ドヴォルザークとチャイコフスキーの弦楽セレナードなど。
 ジャパンアーツ主催のコンサートで、本来はここでティーレマン指揮シュターツカペレ・ドレスデンの来日公演が予定されていたが中止となり、直前まで公演していたチェコ・フィルのうち弦楽アンサンブルだけが居残って、代わりのような演奏会を行なった。
 ティーレマンたちは結局、五~七日と北京の中国国家大劇院でリヒャルト・シュトラウスなどを演奏している。

 大蔵流狂言方の山本則俊の訃報。八十一歳、二日にすい臓がんのため亡くなっていたという。先月八日横浜能楽堂での兄東次郎の話は、このことあるを覚悟してのものだったかと納得する。
 東次郎と則俊の兄弟共演は、能に興味を抱き、生まれて初めて国立能楽堂の主催公演の席を買ってみた二〇一六年三月の『附子』に始まり、十七年九月の『月見座頭』(シテは則俊)、一八年六月の『蜘盗人』、十一月の『成上り』、十九年三月の『二人袴』、四月の『惣八』、五月の『文荷』、二〇年七月の『月見座頭』(シテは東次郎)、二十一年一月の『成上り』、三月の『翁 三社風流』、二十二年六月の『呼声』などを見ることができた。自分が能楽を見始めたとき、野村萬と万作はすでに決裂、茂山千作と七五三は十八年九月の『栗焼』しか見られなかったから、半世紀以上共演してきた老兄弟の遠慮のない、息のあった狂言は、山本家でこそ味わえるものだった。
 そして、なんといっても忘れがたいのは、十九年一月の国立能楽堂での『道成寺』の能力役。日記にこう書いている。

 能というのは、時間を支配してしまうことで空間の伸縮を自由自在にやってのけるものなのだと、今日ほど実感したことはなかった。
 まずそのことを感じさせたのは、能力役の狂言方、山本則俊の至芸だった。従僧役のワキの福王茂十郎に命じられて、女人禁制であることを周囲に宣言する。そのあと、ゆっくりと舞台の縁を半分ほど回る。
 しかしそのゆっくりは、ただ速度を落しているのではない。もったいぶっているでもない。普通に歩いているのに、遠くにいるのであまり進んでいないように見える感じ。距離感を狂わせることで、たった三メートルほどの移動で、道成寺の広い境内を歩ききったように思えるのだ。今まで見た能力役で、こんなことを感じさせた人はいなかった。
(略)
 そのあと、落ちた鐘に驚いた能力たちの場面になるが、ここも山本則俊が圧倒的な出来だった。時間稼ぎのドタバタになりかねないこの場面を、則俊はまったく力まず、ひょうひょうと、表情をいっさい動かさずに(能を直面で演じているかのように)、ゆったりとやることで、観客の興奮をいったん収めさせ、くつろがせる。それでテンポを失うどころか、逆に自然に笑いを誘い、次の場面へと流れよくつなぐ。

 読みかえすうちに、あの日の記憶が脳裏に甦える。能楽のはてなき面白さを、私に教えてくれた方々の一人だった。心の底からの、深い感謝を。

十一月七日(火)来日ラッシュ始まる
 ルイージ指揮コンセルトヘボウ。管楽器の美しいハーモニーは格別で、まだまだ日本のオーケストラが敵わない部分。コンセルトヘボウ、ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、ゲヴァントハウスと超一流オケの来日ラッシュの始まり。

十一月八日(水)獅子王の入場
 朝日カルチャーセンター新宿教室にて「ウィーン・フィルと巨匠たち」の第二回を行なう。「クレンペラーとウィーン・フィル」のオンライン併用講座。
 このコンビの公演記録、ウィーン・フィル楽団長のブルクハウザーとシュトラッサー、そして吉田秀和と若杉弘によるクレンペラーの思い出なども引用。
 なかでも若杉弘の「告別 ―クレンペラー頌─」は、テスタメントがCD化した一九六八年の伝説的客演の五回の演奏会を、クレンペラー本人に特別の許可をもらって、練習からすべて客席で聴いたという貴重な文章。はっきりいって、これを紹介したいがためにこの講座をやった(笑)。若杉が書いた文章というもの自体が珍しいと思う。
 若杉の文で大好きな一節。
『右手に杖、両脇から二人の男にささえられて指揮台に進む姿には痛ましさなぞみじんもない。まさに獅子王の入場である。彼をささえる人物は視界から消えて一人の偉大な人物だけがそこに実在しているといった光景。指揮台につく。杖をわきに掛ける。椅子に座す。そして大喝一声「だまれっ!」。そのとき筋ばった手に握られた指揮棒は毅然と中空に浮いている』

 家紋ストラップを買った。
 不識庵謙信は、本陣旗「毘」と突撃旗「龍」の二つが揃っているという遊び心に負けた(笑)。「毘」の字の方は、謙信の遺偈「四十九年一睡の夢 一期の栄華一盃の酒」にちなんで盃の絵がついていて、しかもそれが、馬上でも酒が飲めるように高台を長くした、謙信独特の馬上盃になっているという、マニアックな凝りようが嬉しい。
 そして、私のように負け戦ばかりやっている人間にとって永遠の憧れ(笑)、六文銭と誠一字の旗。
   

十一月十日(金)『摂待』再見
 宝生能楽堂にて銕仙会定期公演。
・狂言『粟田口』野村萬斎
・能『摂待』観世銕之丞

十一月十二日(日)
 サントリーホールで、ソヒエフ指揮ウィーン・フィル。

十一月十三日(月)お台場まで
 お台場のフジテレビで、ベルリン・フィルの来日記者会見。なかなか遠い。

十一月十七日(金)混沌の快感
 紀尾井ホールでダントーネ指揮紀尾井ホール室内管弦楽団。

 「音楽の友」十二月号が発売された。自分は宮田大さんの連載のまとめなど。今月のゲストは建築家の内藤廣さん。そして特別企画「クラシック マストバイ・アルバム2023」。
 旧レコ芸執筆者を中心に十五人の選者が二点ずつ「買うべし!」アルバムをあげている。
 これがまあ、見事なまでにぜんぜん重ならない(笑)。編集部から選盤の調整があったわけではない。なぜなら、一点だけお二人の方が選んだものがあるからだ。重複を編集部は認めていたのに、他の二十八点はまったく重ならなかったということになる。
 全員がまるで違った方向を自分勝手に見ている、秩序なき混沌の快感。面白いのでぜひご一読を。
 そして、この状況のなかであえて対象を絞り、投票で多数決をやり、最大公約数を見つけようとみんなで汗をかくのが毎年の「レコード・アカデミー賞」であり、「名曲名盤」だったんだなあ…と、しみじみと思い出してみたり。

十一月二十日(月)二つの幻想曲
「モーストリークラシック」一月号が発売。今号からディスク紹介欄を六頁から十二頁に拡大して、新コーナー「モーストリー・ディスク・ジャーナル」に。
 矢澤孝樹さん、鈴木淳史さんなどの強力執筆陣のこのコーナーの末席に、「音盤時空往来」もくわえていただいた。
  
 その「音盤時空往来」、今回のタイトルは「2人のクビツェク、2人のアドルフ」。マリア・クビツェクとアドルフ・ブッシュ、七十一年の歳月を隔てた、二つのシューベルトの《ヴァイオリンとピアノのための幻想曲》がメインの音楽。「はんぶる・あうふたくと」の令和版を目指したこの連載のなかでも、我ながら今回はけっこう満足している。
 クビツェクのピリオド演奏も気に入っているが、ブッシュ&ゼルキンの一九四六年ワシントン国会図書館のライヴは、ほんとうに凄い。二〇一〇年に出たのに買い損ねていた四枚組、中古価格が高くて手が出なかったが、少し前にようやく手頃な値段で入手できた。
 これは九〇年代に出た三枚組に、この幻想曲などの初出音源を加えて四枚に増やしてリマスタしたものなのだが、たしかこの盤が出た頃は、日本でM&Aの代理店がなかったか、なくなる直前だったかで、情報も流通量も多くなかった。それで見逃して、欲しいと思ったときには既に入手困難になっていた。
 歌曲《Sei mir gegrüßt》主題による変奏部分の、心こめた熱い歌。そして終結部での、まさしく火の玉みたいになるブッシュのヴァイオリンとゼルキンのピアノ。幸い、音質もこのセット中では例外的によく、このデュオの真価を教えてくれる大録音。
 いまはナクソスのNMLなどで手軽に聴けるが、こういうのはやはり、ディスクが手元にあるという所有感も込みでこそ、美しい音楽が傍にある幸福と、その音楽とともに時空を自由に旅する想像の翼の快感を、満喫できるというもの。

十一月二十一日(火)栄光の味は
 「秋の国際はしご週間」初日(すなわち第一梯団)。夜に川崎でベルリン・フィルを聴く前の午後、新国立劇場で《シモン・ボッカネグラ》を見る。明後日は二期会の《午後の曳航》。
 シモンと竜二。陸に上がった船乗りの死の物語二つ。シモンも竜二もそれと知らずに毒を飲み、苦いと述懐する。
「ぞんざいに一息に飲んだ。飲んでから、ひどく苦かったような気がした。誰も知るように、栄光の味は苦い」
(三島由紀夫『午後の曳航』)

十一月二十二日(水)不調?
 「秋の国際はしご週間」第二梯団。日生劇場で《午後の曳航》のゲネプロを見た後、サントリーホールでネルソンス指揮ゲヴァントハウス管。ブルックナーの交響曲第九番は管のハーモニーなどが頻繁に乱れる。終楽章あたりから、コンサートマスターがオーバーアクション気味の動作になった。指揮の不安定さをカバーし、仲間をリードしたようだった。

十一月二十三日(木)還暦の群れ
 「秋の国際はしご週間」第三梯団。午後にサントリーホールでペトレンコとベルリン・フィルの凄い《英雄の生涯》を聴いたあと、十七時から日生劇場で二期会の、「英雄なんて、そんなものはいないんだよ」と歌われるヘンツェのオペラ《午後の曳航》を見る。
 《午後の曳航》だが開演は日暮れ時。原作で三島が好む語呂あわせ(当然、ドイツ語には訳しようがない)でいけば、洛陽丸ならぬ落陽丸か。
 きちんとした感想は別のところで書くが、原作の中学生たちは首領を中心に一~五号と明確な上下関係があるのに、オペラでは首領の役を「1号」として、並列に近い関係に見せかけている。ドイツ語圏の上演でこの役に「首領」の名を与えたら、やはりどぎつすぎるのだろう。竜二の殺害が決定される場面など、ほとんど「最終的解決」を想起させる(おそらく、そうだからこそ、この場面にオペラのクライマックスがある)。
 一九六三年九月に出版された原作によるオペラを、一九六三年十月に開場した劇場で、一九六三年一月に生まれた俺が見る。みな還暦で感慨深し。
   
 ホールの一階席下手側の通路に、開場時の写真(手前に昔の帝国ホテルのライト館が黒く写っている)や、ベームほかベルリン・ドイツ・オペラの出演者のサイン、チケットなどが飾られていた。

十一月二十五日(土)南の島の仇討ち
 国立能楽堂開場四十周年記念公演。
・組踊『万歳敵討(まんざいてきうち)』嘉数道彦・宮城茂雄
・能『夜討曽我 十番斬』坂井音雅(観世流)
 「能と組踊」。組踊は琉球独自の歌舞劇として、能も参考にして創出された。清国の冊封使を歓迎するために上演された宮廷芸能。ともに中世以来近年まで、日本人が異様に好んできた仇討物。
 以下は国立能楽堂の紹介文。
『万歳敵討』
 父の命を奪った高平良御鎖(たかでーら うざし)を討つ機会を狙う謝名(じゃな)兄弟。旅芸人の姿に変装した二人は、小湾浜(こわんはま)へ厄落としに訪れた御鎖を討ち本懐を遂げます。
『夜討曽我』
 父の敵を討つと決心した曽我兄弟は形見の品を持たせた従者を母のもとへ遣わせ、決死の覚悟で夜討ちへと赴きます。十番斬の小書により敵味方の双方が圧巻の攻防を繰り広げます。

十一月二十五日(土)鹿鳴館の蝙蝠
 「秋の国際はしご週間」第四梯団。東京芸術劇場の《こうもり》と、NHKホールでフェドセーエフ降板のため指揮研究員二人が代役のNHK交響楽団。
 《こうもり》は、日本人が洋装を慌ててとりいれた鹿鳴館時代に舞台を設定した野村萬斎演出が面白く、ファルケ役の大西宇宙が狂言回しとして、素晴らしい存在感を発揮。オペラ界久々の、スターの華がある人。オーケストラの音がきつすぎたのが残念。

十一月二十六日(日)お水取りの能
 「秋の国際はしご週間」第五梯団。まず午後は横浜能楽堂。「中締め」特別公演第四回「お水取りの能」。
・狂言『仁王』(大蔵流)山本則重
・能『青衣女人』(喜多流)香川靖嗣
(声明入り 蝋燭の明かりによる)

 『青衣女人(しょうえのにょにん)』は、歌人・国語学者の土岐善麿が喜多流十五世宗家喜多実とともにつくった新作能の第一作。東大寺大仏造立発願千二百年記念法要にさいして委嘱された曲で、昭和十八(一九四三)年に、東大寺二月堂で初演された。
 修二会にまつわる伝説、一種の怪談が題材。鎌倉時代の承元年間(一二〇七~一一)の修二会のさい、僧集慶が過去帳の名を読みあげていると、突如緑色の衣の女人が傍に立ち、「など我が名をば過去帳には読み落としたるぞ」と恨めしげに話しかけた。そこでとっさに「青衣女人」と加えると女は消えた。
 この過去帳は聖武天皇と光明皇后に始まって源頼朝など創建・再建に尽力した有力者や僧侶の名がならぶもの。その途中に青衣女人も正体不明のまま、いまも声を低めて読まれている。
 能は複式夢幻能の定型による。修二会を聴聞するべく訪れた東国の僧(ワキ:舘田善博)は、二月堂の前で北山から来たという女人(前シテ)に出会う。
 中世の北山(奈良坂)には非人宿があり、律宗僧忍性が一二四三年(能初演のちょうど七百年前)に癩者治療のために北山十八間戸を設けたことで知られる。
 女は、光明皇后が身体を拭き、膿を吸ってやった癩者の正体が菩薩であったという話をする。自分の名は東大寺の過去帳に出ていると告げて、舞台におかれた厨子の作り物の中に姿を消す。
 中入りとなり、僧は寺の童子(アイ:山本東次郎)から修二会の由来を聞き、過去帳を預かって読みあげ始めると、厨子から青衣女人(後シテ)が現れる。病苦を嘆くが、観世音の名を唱えるうちに観世音菩薩の姿に変じて舞う。
 今回は照明を抑えて蝋燭による陰影を豊かにし、特別に招かれた東大寺修二会参籠衆の僧三人が声明を唱えて、修二会の場面を再現した。冒頭に読経(法華音曲)が二階席から聴こえ、中入り後には法螺貝を吹きながら舞台に登場して、称名悔過(しょうみょうけか)で身体を上下させて祈り、鐃鈸(にょうはち)を鳴らす。やがて「南無観自在菩薩」と唱える宝号に移ると、次第に速まり、「南無観」とくり返される。雰囲気満点。
 ただ後場、作り物から青衣の装束で現れたシテが、さらに後見のところで物着をして、菩薩姿へと三度装束を変えたのは、間延びした上に、能にしては説明的すぎた。ここは貧しい青衣のまま、芸の力で菩薩を想像させてほしかった。
 終演後、サントリーホールに慌ただしく移動して、日本のアマチュア演奏家百人がベルリン・フィル楽員の指導を受けて演奏する「Be Philオーケストラ ジャパン」。
 後半にペトレンコが登場して、プロコフィエフの《ロメオとジュリエット》抜粋で、とてもアマチュアとは思えない、ミニ・ベルリン・フィルみたいな響きを引き出したのに度肝を抜かれる。これが本物の一流指揮者の力か。

 帰宅後、修二会の声明が耳に残り、中古CDを買う。こういうものはアナログ録音のほうが雰囲気豊かなので、一九七一年録音のビクター盤『お水取り』。

十一月二十七日(月)店をまもる幽霊
 コンサート帰り、曙橋の本屋(四ツ谷、四谷三丁目、曙橋各駅の界隈で、いまや唯一つ生き残っている書店)に寄ろうとすると、夜間無人店舗になっていた。入店にはLINE認証が必要とあり、やっていない自分は入店できず。
  
 全国で二店目で、トーハンの肝煎りで加入店を増やし、人手不足による書店減少に少しでも歯止めをかけようという試みらしい。
 がんばってほしい。──がんばってほしいが、暗い商店街の通りに明るく浮かぶ無人の店内を眺めているうちに、五十一年前に九歳で読んだ、ある怪談の場面を思い出す。少年少女講談社文庫の『怪談 ほか』所収の、「店をまもる幽霊」(ビアス/白木茂訳)の一節。
  
 すると、ひとりでに店の戸があいたのだ。ゆうかんな三人は、いきおいこんで、店の中にとびこんでいった。
 道のむこうがわでは、二十人ばかりの人が、はらはらしながら見まもっている。すると、その人たちの目に、店の中にはいった三人が手を前につきだして、さぐりさぐり歩いていくすがたがうつった。
 戸外からは、店の中が明るくて、よく見える。それなのに、はいっていった三人には、中がまっ暗なのだろう。三人は帳場にぶつかったり、床においてあるあきばこをひっくりかえしたり、あきだるにつまずいたり、そうかと思うと、おたがいにぶつかりあったりしている。
 三人は、外に出ようとしているらしい。だが、どうしてもいまはいってきた戸口がわからないらしい。大声でどなったり、悲鳴をあげたりするのが、外まできこえてくる。それなのに、サイラス=ディーマーの幽霊は、そんなことには目もくれず、あいかわらず、売り上げ帳を熱心に見つめているのだ。

 とうの昔になくしていたが、再び読んでみたくて、数年前やっと手に入れた。司修による表紙と、それに輪をかけて中の挿絵が怖い本。
 初めから完全な無人書店だと味気ないが、曙橋の書店は昔ながらの、町の小さな本屋で、昼間(夜八時まで)は店員がいて、品揃えや陳列にも、いい意味で人間くささがある。
 それゆえにこそ、いるはずの店員がいない、幽霊が店番しているような雰囲気を、夜の自分が感じるのかも。


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