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十二月二日(土)島国三段構え
 午後二時から第一生命ホールで、小山実稚恵&矢部達哉&宮田大のトリオを聴く。錦糸町へ移動して、ねぎしで夕食。五時十五分からトリフォニーの「ケルティック・クリスマス」で、ダーヴィッシュとルナサという二つのバンドとデイヴィッド・ギーニーのアイリッシュ・ダンス。アンコールの前に失礼してサントリーホールに向かい、八時からヴィキングル・オラフソンのゴルトベルク変奏曲を聴く。
 長い一日だったが、どれもそれぞれに素晴らしい。ヴィキングルは演奏後に、この曲の後にアンコールはできないというと同時に、アイスランドと日本、同じ島国として親近感を抱いているとスピーチした。
 島国、という言葉が久しぶりで新鮮。いわれてみれば、今日の三段構えの梯団は日本にアイルランド、アイスランドとすべて島国の音楽家たちだったことに思いが至り、いろいろ考える。

十二月四日(月)
 来シーズンの東京オペラシティの主催公演、どれも楽しみ。とりわけ、十一月のフランソワ=グザヴィエ・ロト指揮レ・シエクルの二プログラム。
・サン=サーンス:死の舞踏、チェロ協奏曲第一番、ラヴェル:ダフニスとクロエ(十一月二十一日)
・シェーンベルク:浄夜、マーラー:巨人〜交響曲形式による音詩(二十一日)
 さらに十二月十&十一日のイザベル・ファウスト、ジョヴァンニ・アントニーニ(指揮)イル・ジャルディーノ・アルモニコによるモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全曲演奏会も嬉しい。
 ちょうど、ロト&レ・シエクルのサン=サーンス作品集と、ファウスト&アントニーニのロカテッリ協奏曲集のディスクの素晴らしさに心震えたところだったので、一年後が今から待ちどおしい。

十二月五日(火)遙かなるブルマン
   
 星乃珈琲でモーニング。ブルーマウンテンブレンドを+百円で飲めるサービスに久々に遭遇。
 いまどきブルマンにどのくらいの価値があるのかさっぱりわからないが、昭和の頃はコーヒーの王者として、喫茶店のメニューのなかでいちばん高価と決まっていて、非日常そのものの特別感に包まれて最奥に鎮座ましましていた。その時代に育った人間だけに、昭和感たっぷりの「あこがれのブルーマウンテンブレンド」というキャッチと雪の夜のイラストを目にすると、頼まずにはいられない。すっきりと美味。

十二月六日(水)レコ芸オンライン
「レコード芸術」をオンラインで復活させるプロジェクトが発表された。
 どのような形になるかは現在具体化の最中とのことだが、仄聞するかぎりよいものになりそう。
 プロジェクトにさらなる勢いをつけるべく、クラウドファンディングを実施するとのこと(詳細は後日発表)。多くの方のご支援ご支持、ご愛顧を賜れるように願うばかり。
 二〇二四年がよい年になりますように!(気が早い)

十二月八日(金)
 紀尾井ホールで宮田大さんのチェロ・リサイタル。引き締まって純度の高い、しかし芳醇な響き。最新盤「VOCE」の八曲(アンコールでも二曲)にサン=サーンスのチェロ・ソナタ第一番と、歌と技の二時間。

十二月十三日(水)クラウスの真価
 朝日カルチャーセンターの講座で、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートの話。
 なんといってもクレメンス・クラウス最後のニューイヤーのライヴ。これはほんとうに素晴らしい、デッカのセッション盤ではまったくわからない、ライヴならではのこのコンビの魅力。

十二月十四日(木)ゴジラと庶民
 昨日に続けて連日の新宿通い。歌舞伎町のTOHOシネマズ新宿で映画。
 討入りの日なので『ゴジラ‐1.〇』を見る(なぜ)。IMAXレーザーで見たかったので朝九時開始の早い回。コマ劇場と噴水がない景色を見るのは初めての気がするから、いったい何年ぶりの歌舞伎町中心部か。相変わらずの歓楽の巷も、朝日に照らされて白茶けている。ネオンと太陽、どちらが夢やら現やら。
 映画では日劇が破壊されていたから、マリオンで見ればよかったかと一瞬思ったが、もうマリオンに東宝はない。ゴジラのいる歌舞伎町で正解、と自らに言い聞かせる。

 さて映画。エンターテインメントとしてはとても楽しめた。今のCGはなんでもできて、迫力ある画面。
 何度か出てきた、頭上におおいかぶさるゴジラの姿はとても怖い。
 最後がちゃんと「雪風ハ沈マズ」になっていたのも、四式中戦車や戦闘機の震電が出てきたのも、元ミリタリーオタクとしては嬉しかった。
 特に後者の二つは、監督の山崎貴が一九六四年生まれで同世代と知って、とても納得。どちらも試作だけで戦場には出なかった「幻の決戦兵器」だが、私の前後の年代は、日本の兵器のなかでも特に深い親しみを抱いている。プラモデルになっていたからだ。
 四式中戦車はミドリ、震電はタミヤ。前者が七十六分の一で後者が七十二分の一、手の平サイズで廉価で、小学生でも買うのが難しくなかった(自分の場合、手の平サイズで廉価なものへの愛着は、今でもCDに対して続いている)。
 とりわけ四式中戦車の場合、実際の主力戦車だった九七式中戦車(チハ車)の同スケールの模型はなく、フジミから出たのは何年も後だった。そのため十歳ぐらいまでは、日本陸軍の戦車のプラモデルといえば、皮肉なことに実戦とは無関係のこれしかなかった。
 だがはっきりいって、チハ車はいかにも日本陸軍のセンス丸出しで、カッコ悪い。長砲身のシルエットのデザインがおよそ日本人離れしている、四式中戦車ははるかに素敵。さらに、松本零士の戦場まんがシリーズの一つ「鉄の墓標」で活躍していたことも、親しみを増す原因になっていた。山崎監督も、たぶんこれらを知っているはず。
 これらといい、闇市やバラック、復興途上の銀座など大道具も小道具もじつによく昭和二十年代の雰囲気が出ていて、知らないのに懐かしい。
 明らかに『シン・ゴジラ』をとても意識している。東日本大震災と原発事故という時代を受けた『シン・ゴジラ』が、徹底して官僚と為政者たちの物語だったのに対し、ひたすら一般庶民の生活視点から描かれた物語。巨大なゴジラを見上げる恐怖は、まさに庶民感覚か。
 これを見て、そういえば『シン・ゴジラ』の登場人物は職場で執務中のシーンばかりで、徹底して生活臭のない人たちだったと、逆に気がつく。強烈な印象を残した作品の次、「シンの次」をやるために、視点を官から民に移し、時代を第一作より前の、誰もやっていない時代にする試みが、面白かったのはたしか。

 ただ、自分の感情をすべて言葉で説明してしまう、いかにも今風の台詞は苦手だった。ここまでしないといまの観客には理解できない、ということなのか。言い回しもあまりに型にはまっている。
 昭和の時代は、今よりはるかに「以心伝心」、みなまで言わず、あとは察せよみたいなところがあっただけに――自分は終戦直後の時代は知らないが、祖父や父はあの時代から来た人たちだから、雰囲気は知っている――しっかりと時代考証された画面内の風景と、台詞とに乖離を感じた。
 ワダツミ作戦に参加する人たちも、帝国海軍の元軍人らしくない。体格などの肉体的問題ではなく、居住まいや挙措動作が、自分が幼いときにかろうじて出会うことのできた帝国海軍の元軍人さんたちのそれと、あまりにも違っている。背筋が通り、物静かでノーブル。謙虚で偉ぶらず、洒脱。観察眼は鋭いのに余計なことは絶対に口にしない。まさしく「迅速・確実・静粛」のふるまいに憧れた。しかしこの映画では、あえてそういう演技はさせない。正反対。あくまで「民間の人」を意識的に強調したのだろう。
 そして庶民視点だからか、上層の政治はすべてファンタジー。米軍による占領下、という重しはない。
 ソ連との軋轢を恐れて米軍がゴジラ駆除に出動しないという設定は、安保体制の時代ならともかく、それ以前の、軍が占領している地域内においてありうるのだろうか。ましてや太平洋上で自国の艦艇二隻が損害を受けているのだから、当時の自信満々の米軍が反撃に出ないということが、ありうるだろうか。
 まあ、これは日本の民間人だけで戦うという、物語の大前提にかかわる問題なので忘れるとしても、日常の風景も、占領下にある感じは、まったく描かない。生活視点でもいやおうなく目についたはずの米兵の姿は、この映画にはない。
 とくに当時の銀座には、米兵やその家族がたくさんいて、英語の看板が多かったはず。松屋百貨店や、映画のなかで半壊した服部時計店など、西洋風の多くの大型店が接収されて、進駐軍専用のPXになっていた。帝国ホテルなども。
 日比谷の東京宝塚劇場も進駐軍専用のアーニー・パイル劇場になっていたのだから、これをゴジラが襲って米兵と恋人の日本女性が一緒に逃げまどうとか、そんな描写もあり得たはずだが、そういうことはいっさいやらない映画。
 ここで『ミカド』の日本初演を指揮していたホルヘ・ボレットが、危機一髪で助かる場面とかも見たかった、などと妄想する(笑)
 まあ、いろいろいいつつも、震電が三輪の引込脚をたたみながら、整備兵の敬礼に送られて発進していく姿を見るだけで、「どんなに無理があってもこれを見せてくれたんだからそれでいいや!」と思う自分がいたのも事実。

 TOHOシネマズから街に出ると、まもなく正午の十一時半。いくつかの店の前には、客引きのおじさんやおねえちゃんが、陽光の下に早くも立っていた。

十二月十九日(火)ミッキー公有に
 年が明けた元旦から、ミッキーマウスがついに公有(パブリックドメイン)となる。それにしても著作権保護期間が九十五年間とは、わかりにくいし長すぎ。

十二月二十日(水)私が愛した男、
 先週に続いて、再び歌舞伎町へ映画を見にいく。
 今回はシネシティ広場の奥の東急歌舞伎町タワーにある、109シネマズプレミアム新宿で『ナポレオン』。
 ライブハウスや劇場も入った高層ビルで、正面のエスカレーターを昇った二階は巨大なフードコート、「新宿カブキhall~歌舞伎横丁」。朝の五時から六時まで休む以外、二十三時間営業というのが驚き。その上はゲームセンターや迷路など。夜は内外の若い男女がたむろするのだろう。
 映画館は九階と十階。通常料金が四千五百円という高級館で、「全席プレミアムシート、ハイスペックな映写設備に加え、全シアターの音響を坂本龍一氏が監修。映画の世界に没入いただける環境」がウリ。高いが、上映開始前はフリードリンク、ポップコーン食べ放題のサービスがあるので、健啖な人なら充分に元が取れるかもしれない。それに座席は独立していて、前後左右の席の他人の存在をほぼ気にしないで「没入」できる。
 別にここが目当てだったわけではなくて、他の映画館で目の疲れないIMAXレーザーを見たかったのに、人気がないのか早めに終了し、見損ねてしまった。代わりにここでは「ScreenX」という、左右に補助画面があって二百七十度、左右の視界いっぱいに映像が広がるというので、七百円増しのそれを見ることにした。
 正面の画面に映る本来の映像との関係がよくわからないが、たしかに左右に別の、正面とつながった映像が出るので、場面に囲まれているような印象になる。ただし全部ではなく、戦闘シーンとかナポレオンの戴冠式とか、スペクタクルな箇所のみ。
 その戦闘シーン、最新技術により迫力たっぷりだが、合成で大人数をいかに作っても、ソ連軍二万人が出演したというボンダルチュクの『ワーテルロー』や、『戦争と平和』とボロジノの戦いの、本物の大軍の力にはどうしても敵わない。
 そしてストーリーも、ナポレオンの戦上手を自明のものとしてしまい、なぜ強いのか、どのように強いのかは説明しない。なにより、なぜ「ナポレオン戦争」とその名が冠せられるほどの大戦争を他国にしかけ、やり続けなければならなかったのかは、この映画ではわからない。
 ドラマはジョゼフィーヌとの関係に焦点を絞っていて、エジプトから帰国するのも、コルシカ島から皇帝に返り咲くのも、彼女の浮気に嫉妬したため。「あげまん」の彼女との離婚後は運を失い、ロシアで敗れる。復位してパリに戻ったとき、彼女が病ですでに世を去っていたという描写は、まるで小デュマの『椿姫』みたいだ。
 『ナポレオン』というより、『ナポレオンとジョゼフィーヌ』とか、『ナポレオン、私が愛した男』など、女性目線のタイトルがふさわしい感じ。
 そうすると『ゴジラ‐1.〇』も『僕とゴジラと震電と』みたいな、僕目線のタイトルがつけられそう。

十二月二十三日(土)戦争レクイエム
 国立能楽堂の企画公演「リクエスト能・狂言」。候補作の中から、九月の公演に来たお客に見所の字幕表示器のタッチパネルで投票してもらって決めたもの。自分はこの月は来なかったので、残念ながら投票できず。

・狂言『通円(つうえん)』野村萬斎(和泉流)
・能『屋島(やしま) 弓流・奈須与市語(ゆみながし・なすのよいちのかたり)』観世喜正(観世流)

 狂言と能のシテが萬斎と喜正であることは、当初から発表されていた。萬斎が能のアイもつとめて「奈須与市語」もするだろうことは、『屋島』が候補に上がっていた時点で見当がついたから、当然の結果か。
 萬斎も喜正も、今が働き盛り。キレと力、安定感。とりわけ喜正の義経は精気あふれる戦馬鹿、修羅そのものという印象で、これまで見たこの役のなかでも最も納得がいった。

十二月二十七日(水)戦争レクイエム
 「モーストリー・クラシック」の二月号発売。「音盤時空往来」は「ブリテンとカルショーの戦争レクイエム」。
 これは十一月に出たばかりのハイブリッドSACDの最新リマスタ盤。というよりも、酸化膜剥離の危険から使用不能になっていたオリジナル・マスターのオープンリール四本を、焼成により再生可能にし、圧倒的な鮮度のサウンドを甦えらせたことに最大の意義がある。
 つまり、同じカルショー制作のショルティの《指環》のマスターに用いたのと同一の手法。担当者のドミニク・ファイフも一緒。絵画の修復などと同じ、特別な作業。
 この音響はほんとうに素晴らしい。フルオケ、男声二人と小アンサンブル、ソプラノ独唱と合唱、そして少年合唱が離れて配置されたことによる立体的な音場を、見事な定位で鮮烈に体験することができる。
 作曲家自身によるリハーサル場面のディスクが、作品への理解をさらに深めてくれる。
 個人的なことだが、録音が行なわれていた最中、今から六十年前の一九六三年一月五日に自分が生まれているので、勝手な親近感もある。

 ところが、今回のディスクはそれだけでなくて、また新たなミステリーを提示してくれた。ブックレットに録音風景など多数の写真が掲載されているのだが、そのなかに、ブリテンがカルショー宛に書いた手紙が載っている。その文面(残念なことに国内盤には日本語訳の掲載なし)が、カルショーが『レコードはまっすぐに』に書いたことと、矛盾しているのだ。
 その矛盾とは……、ということを今回の「音盤時空往来」に書いた。お読みいただけると嬉しい。

十二月二十八日(木)わが青春のHJ
 昼、先日話題にした曙橋の深夜無人営業の書店へ。もちろん昼間なので、幽霊ではなく生きた店員さんが相手をしてくれる。
 すると、いつもは長く平積みになっている模型専門誌「ホビージャパン」(HJ)の最新二月号が、残り一冊になって棚に入っているのを発見。表紙を見れば『ゴジラ‐1.〇』の大特集。これは売れるに決まっている。
   
 高三になって(受験生なのに…)突如として「レコード芸術」を熱心に読みはじめるまで、いちばんの愛読誌だったHJ誌だが、四十年前にモデラー&ボードゲーマーを引退してからは、まれに読むだけ。
 でも特集が特集だし(モデラー心をくすぐる映画だっただけに、ツボをついた中身なのに決まっている。それを外さないからこそ、HJ誌は今なお存続できている)、小中学生のころ、年末年始の時期に読むHJ誌には特別な意味があったから、一瞬もためらうことなく、最後の一冊を我が物にする。

 誰も知るように、子どものころの年の瀬と正月には、格別のワクワク感があった。そのなかで、自分の場合に重要だったのは、HJ誌と週刊「TVガイド」だった。
   
 当時の日常生活は、テレビの視聴が大きな部分を占めている。だから、一週間分の番組表が載った週刊「TVガイド」は、ふだんから大切な読み物だったが、年末年始は特にそうだった。
 二週間合併の特別号が出るからだ。いつもより分厚く、年末年始に大量に放映される洋画や正月の特別番組がグラビアで載っているだけでなく、表紙には特別に金色が使われる。週刊マンガ誌の合併号だと、多少の増ページがあっても正月を休むためという感じが強くてありがたくなかったが、「TVガイド」は番組表が二週分になって厚くなるので、祝祭感がすごくあった。
 ネットに一九七七年の合併号の表紙があったので借りた。B5版の小さいサイズで、『黄金の日日』が始まる直前で、レコ大と紅白とかくし芸大会の「お茶の間採点表」がついていて、家族で書き込めるという趣向が、もう、なにもかもみな懐かしい。

 というのは余談で(笑)、自分にとってはHJ誌もまた、いつもの体裁とはいえ、年末年始にじっくり読むのが楽しくて仕方のないものだった。
 もうあの頃のものは一冊も手元にないが、たまたま数年前にまんだらけで買った一九七六年六月号が運良く見つかったので、四十八年後の最新号と並べる。やはり一回り小さく、薄くて軽い。水着姿の女の子の人形など影も形もなく(今は後ろの方にある)、野郎ばかりの硬派な内容だが、じつはこの号、ある特別な意義がある。いつものリアル志向の模型に混じって、松本零士の「戦場まんがシリーズ」に出てくる戦闘機や爆撃機のマークや塗装を再現した特集があるのだ。
 この頃はまだ、HJ誌がマンガやアニメに触れることはほぼなかった。だからわざわざ「異色特集/松本零士の世界」とある。数年後に『宇宙戦艦ヤマト』の模型を扱ってみるようになり、四年後ぐらいにガンダムを扱ってみたら即完売のバカ売れで、ロボットアニメ中心へとぐんぐん変わっていくことになるが、その先駆けのような「異色特集」。
 たとえば『ベルリンの黒騎士』の髑髏マーク付で黒色のフォッケウルフとMe262ジェット戦闘機の作例がある。すごく遠慮がちな(笑)モノクロのグラビア――当時はカラー頁が貴重で、表紙以外はほんの数ページ――で、小さくてよくわかりにくいが、細かいものがよく見えたあの頃は、飽かず眺めては再現しようとしたものだった。

 さて、半世紀後のゴジラ特集。うってかわってカラー頁中心。何をすべきかを編集部がやはりよくわかっている。ゴジラが銀座を破壊するジオラマでは、服部時計店の看板が正確に「TOKYO P.Ⅹ.」と進駐軍専用になっている(映画はどうだったのだろう)。
 作例の重巡高雄は「細部を徹底的に改造し、劇中登場仕様に変更」、四式中戦車も、国会議事堂前での砲撃シーンを再現。やはりこの戦車の量産型は文句なしにカッコいい。そして震電は「機銃の撤去と射出座席へ交換で、劇中仕様を再現する」。特に後者はほとんど見えないのに「ドイツのハインケル製と思われる射出座席へ交換」。
 いやもう、揃いも揃ってのこの酔狂がたまらん(笑) マニアの雑誌というのは、やっぱりこうでなくっちゃ!

 そして、ちゃんと山崎貴監督へのロング・インタビューも載っている。
『この作品は観るたびに新しい発見があると思いますので、ぜひまた重巡「高雄」の迷彩を確認しに(笑)。だいたい自分と同じくらいの世代を中心とした、プラモデルを作られているホビージャパンの読者の皆さんは、本作を一番見てほしいターゲットかつ、僕の中での仮想のお客さんですから。それらの仮想のお客さんをイメージしながら映画を作ったほうが、絶対に良いものになるんですよ』
 特攻くずれならぬ、モデラーくずれの自分が推測した通り、同年代のモデラーを仮想のお客に作っていた(笑)。
 そして、そうそう、そうだぜ!と膝を叩きたくなったのは、次の言葉。
『ゴジラと戦うんだったら「雪風」が旗艦となって戦うべきだなと。「雪風」を知っている人は、出てきた瞬間に「ゴジラに絶対に負けない」って思いますよね(笑)。決して負けはしない、最悪でも引き分けというね』
 そう、あの「雪風」がゴジラごときにやられるわけがない(笑)。

 前の日記に書いたように、自分には好きな部分と疑問な部分が混在している映画だが、HJ誌を読んだことで、共感できる部分はやはり思いっきり共感できると、あらためて納得した。少なくとも、このHJ誌だけは売り切れる前にとにかく買うべしと、力を込めて言おう。
 それにしてもHJ誌、ゴジラ特集は全体のほんの一部で、全体の情報量もとても数日では読みきれないぐらいある。この情報分断の時代に、あらゆるジャンルが混在共存できていることに驚く。模型界おそるべし。

十二月三十一日(日)還暦の大晦日
   
 大晦日。昨年観世能楽堂で買ったウサギのダルマに両目を入れる。卯年の最後の日。
 今年最後に到着したディスクは、ステファン・プレフニャクとヴェルサイユ王室歌劇場管弦楽団によるヴィヴァルディの協奏曲集《四季》ほか。かれらのハイドンの交響曲《朝》《昼》《晩》がとても面白かったので、注文してみたもの。かれらはマランダン・バレエ・ビアリッツというバレエ団とコラボしていて、この二枚はバレエ音楽としてピットで演奏した曲のセッション録音。
 とりわけ、マリー=アントワネットの生涯を描く新作バレエのためのハイドンは優美な躍動感にあふれて、とてもよかった。この王妃がハイドンのパリ交響曲集を愛でたというだけでなく、ハプスブルク家出身であることを思えば、ハイドンの音楽を使うのはじつに絶妙。
 そういえば、映画『ナポレオン』は王妃の処刑シーンで始まるのだった。

 先日片山杜秀さんと行なった年末講座であげた、二〇二三年に最も印象に残った、三つの公演とディスクをここで。
 自分のオペラのベストスリーは先日日経新聞に、CDのベストスリーは発売中の「モーストリー・クラシック」に、コンサートのベストテンは来月二十日頃発売の「音楽の友」に掲載されるが、それとは別に、良い悪いの順ではなく、二〇二三年をふり返って語るのに最適と考えたもの。

 印象に残ったディスク
・ワーグナー 『神々の黄昏』全曲
 ゲオルグ・ショルティ(指揮)ウィーン・フィル
・『ルイ十四世の婚礼』
 ヴァンサン・デュメストル&ル・ポエム・アルモニーク
・サン=サーンス:交響詩集、《動物の謝肉祭》、映画音楽『ギーズ公暗殺』
 フランソワ=グザヴィエ・ロト(指揮)、レ・シエクル他

 印象に残った公演
・「田舎騎士道&道化師」(東京芸術劇場)
・《平和の日》(東京二期会)
・《午後の曳航》(東京二期会)

 個々の説明は講座で行なったので省くが、CD『ルイ十四世の婚礼』だけは少し。二〇二三年においていちばん感謝したかったことは、濱田芳通とアントネッロが、モンテヴェルディの弟子カヴァッリの面白さを歌劇《ラ・カリスト》で教えてくれたことだった(日経新聞「今年の収穫」の三位に入れた)。
 師匠ほどの天才的な高みにはないけれど、より人間くさく、艶っぽさと豊かな感情表現、そして猥雑さがある。まさに商業都市ヴェネツィアの、市民の劇場のための音楽。
 興味深いのは、このカヴァッリの歌劇が、ルイ十四世の宮廷でも大人気を博したということ。その成功を受けて、リュリがカヴァッリの真似をした歌劇をフランス語で書き、フランス・バロックの輝かしい歴史が始まる。猥雑な市民音楽が、意外にも優美華麗な宮廷音楽の歴史を生み出す触媒となる。とってもとっても面白い。
 CD『ルイ十四世の婚礼』では、リュリたちに混じってカヴァッリの宗教曲が演奏されることで、まさにその過程が音で再現されている。
 この三つを初めとして、「Chateau De Versaille」レーベルはじつに面白い。

 というわけで、還暦の一年も暮れてゆく。昨年十二月から今年十一月までに行かせていただいた公演は、オーケストラ百十九、室内楽&リサイタル六十三、オペラ三十四、能楽など三十五で、計二百五十一。
 ミュージック・バードの新譜紹介番組の終了や「レコード芸術」休刊などで、耳にできたディスクの数はぐっと少なくなったが、そのぶん濃密で余裕のあるものになったような。

 各地の戦争など悲しいことも多いが、来年は少しでも静まることを。


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