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五月十二日(日)初心忘るべからず
 この週末は、一九三〇年代までの三つの二十世紀音楽をメインとする三つのコンサートと、狂言と能。
 金曜日はカーチュン・ウォン指揮日本フィルのマーラーお交響曲第九番。二〇二三年八月二十三日に同じサントリーホールでヴァルチュハ指揮読響のこの曲を聴いたとき、「ドイツ音楽らしいピラミッド型の音響ではない、マーラー独特の音響体。各パートがモビールのように互いを揺らし、波うち、呼応しあう音響体の動きを、ヴァルチュハは精細に描きだしてくれる。カーチュン・ウォンのマーラーと似ていて、いい感じ」と書いた。まさにそのカーチュン版。
 それぞれの個性こそあれ、曲自体の印象は、ヴァルチュハの指揮で感じたそれを、なぞっているような感じ。つまり、

「第一楽章の得体の知れない、場当たり的な響きがとりとめないように続く、統合失調症的な音楽。こんなものが書けるのはマーラーだけだと思う(でもこの楽章こそ、《トリスタンとイゾルデ》第三幕のトリスタンの述懐の音楽の子孫なのかもと、名古屋でトリスタンを聴いたときに思った)。四つの楽章の中ではいちばんモダン。
 示唆に富んでいたのは第三楽章。鋭利な響きで俊敏に細かく動くヴァルチュハのスタイルは、先日聴いたマケラ&都響の《悲劇的》の演奏を想起させた。そして、このロンド・ブルレスケは、《悲劇的》終楽章の再現にほかならないということに気づかせてくれた。激しい闘争のさなかに挿入される、夢想的な安息の部分。それは一時の夢とすぎて、激闘の再開。《悲劇的》にくらべて滑稽味を帯びているのは、戦いの中身の馬鹿馬鹿しさや虚しさからか。
 しかし決定的に異なるのは《悲劇的》の英雄が奮戦力闘の最中に不意打ちで斃れるのに対し、ロンド・ブルレスケの英雄は死ぬことなく、敵のいない平野に思いがけず出てしまったように、音が途切れること。
 人の最期はヘルデントート、雄々しく華々しい討死ばかりではない。病み、老い、衰え、徐々に力を失い、緩慢に誇りを奪われる、そんな惨めな死がある。その自覚から、マーラーは終楽章で自らの老耄を想像し、嘆き、むせび泣く。
 もちろんこれはシュトラウスの《死と浄化》と同様の、芸術上の想像=創造。若き日のシュトラウスの想像よりも、はるかに切実で深刻な予感ではあるだろうが、ともかく現実世界のマーラーは、衰弱を感じつつ力強く戦いを続けている。この時点での事実に則した私小説なら、終楽章の後にもう一度、夜が明けて朝が来るように、ロンド・ブルレスケが戻ってくるべき」

 カーチュンとヴァルチュハは、ダブルトゥエンティ(二〇二〇年代)ならではのマーラーを東京で聴かせてくれる。ヴァルチュハは読響の首席客演指揮者に就任(読響のこの選択はとても嬉しい)、手始めに二十一日にはマーラーの三番を聴かせてくれる。カーチュンが首席就任披露公演で名演を聴かせたばかりの曲だけに、こちらも大いに楽しみ。
 十一日、午後の尾高&都響のウォルトンは別のところに書くので省略。夜はルイージ指揮N響の「ローマ三部作」。この三曲も川瀬指揮名フィルの東京公演で聴いたばかりで、そのときに受けた印象を確認してみたかった。その印象とは、三作それぞれオーケストレーションが、というよりオーケストレーションの元ネタがかなり違うんだなあ、ということ。
 最初の《ローマの噴水》の前半はドビュッシー、というよりデュカスっぽいのに、金管が華々しく鳴り出してからは、シュトラウスのアルプス交響曲っぽくなる。《ローマの松》はむしろ時代を遡行して、ワーグナーやヴェルディに由来するオペラ風。《ローマの祭り》は、前半がムソルグスキー風(トスカニーニがスカラ座で《ボリス・ゴドゥノフ》をさかんに指揮していた時期に作曲)で、後半がストラヴィンスキーっぽくなる。
 それにしても、《祭り》の終曲〈主顕祭〉でのルイージとN響は凄かった。祭りのさまざまな囃子や歌やら騒音やら、あらゆる音が四方八方の街路から集まってきて響きあい混じりあい、喧騒が渦を巻く。めくるめく空間の幻影が、音響によって出現する。まさしくゾーンに入った感じ。
 十二日は矢来能楽堂で観世九皐会。能の『室君』は演能機会の少ない希曲なので、ノットの《大地の歌》をあきらめて見に行った。
 室君とは、かつて殷賑を極めた播州室津にいた遊君のこと。しかしここでは、神に仕える存在、歌舞と神楽を奉納する存在という、中世的な性格も併せ持つ。そのことを表面に、法然上人と室津の遊女との有名な話を、直接には語らずに暗示することで「女人成仏」を讃えている(らしい)という、深読みの可能な曲。シテ(韋提希夫人)が舞うだけで一言も発しないという変則的な能で、期待通り観世喜正の「中の舞」が見事だった。
 この日は、能の前に山本東次郎家の三人によって演じられた狂言『入間川』も素晴らしかった。
 土地争いの訴訟に勝った東国の武士が太郎冠者をお供に、数年ぶりに京から東関東の本国へ帰っていく。合戦をせずに訴訟で済んだということは、天下が治まっている泰平の世の証拠。
 途中で富士の山を見る。このとき、その言葉と見上げる素振りだけで、青空を背景にした富士と、緑の裾野が見えるような気がした。
 やがて入間川にさしかかり、対岸の人間に呼びかける。ここでも橋掛りに立つ主従と舞台上の土地の者とのあいだに、本当に川が流れているような、広い空間のイメージが喚起された。
 そうだ、これこそが能楽の醍醐味だったんだよなあ、と。
 自分が能や狂言を見続ける最大の理由は、狭い能舞台が広大無辺の空間に変じること、能のなかの一瞬が新旧さまざまな時間の重なりを感じさせること、そんな「時空跳躍の快感」にこそあるのだ。それこそが能楽ならではのマジックで、自分はそれが好きだったのだ。
 たくさん見ているうちに、いつのまにかぼやけていたそのことを、この『入間川』が思い出させてくれて、嬉しくてたまらなくなった。マーラーの九番の「衰弱と死の想像」や、《ローマの祭り》の「喧騒の巷の幻」にも通じるもの。
 これがあるから、自分は能楽堂に通い続けているのだった。
 初心忘るべからず。再確認は大切。

五月十七日(金)暗き鏡の能
 国立能楽堂の定例公演。
・狂言『鱸庖丁(すずきぼうちょう)』野村万作(和泉流)
・能『野守(のもり) 白頭(はくとう)』大槻文藏(観世流)

 能『野守』は、チラシの説明文を引用すると、
「春日野で「野守の鏡」の故事を語って聞かせる老人は、やがて鬼神となって現れ、天上から地獄までを不思議な鏡に映し出してみせます。世阿弥作のスケールの大きな作品です」
 後場は、鬼神が異界を映す鏡を手に舞い、最後は大地を踏み破って地獄へ戻る(地上に春日大社のある春日野は、地下には地獄があるという伝説があった)という力強い場面なので、若手や壮年のシテ方が舞うことが多い。
 これを、今年八十二歳の大槻文藏があえて舞うというのがいちばんの興味だった。結果として、なるほどと納得させ、作品への理解を一段と深めてくれる、さすがの演能。

 世阿弥という人は、高尚を好んで通俗を馬鹿にする傾向がある。とりわけ若いときには、地獄の鬼が大暴れして俗受けするような能を嫌い、書こうとしなかった。しかし後半生になると、芸を極めれば鬼もできると述べ、『鵜飼』の閻魔大王を演じたり、『野守』のような鬼の能を書いたりするようになった。
 同様に、京を拠点としていた壮年期までは、自身と大和猿楽の故郷である奈良も田舎くさいと嫌い、ここを舞台とする能も書いたことがなかった。ところが六十歳をすぎて奈良に居を定めると、奈良が舞台の『井筒』や『当麻』のような後期の傑作を書き始める。洗練された都会人を気取っていた人が、ようやく故郷の魅力を認めたらしい。『野守』もまた、その時期の作品。
 だから、けっして単純な力任せの作品ではない。もちろん、昨年『鵜飼』で、まさに地獄の底までぶち抜くような力強い足拍子を響かせた観世喜正や、銕之丞など壮年のシテ方にぴったりの作品だろうけれど、もっと苦く複雑な可能性も、そこには潜在している。
 それは、老いたるシテにこそできるもの。「白頭」という小書は、まさにそのための演出。頭髪を赤から白に変え、唐冠を用いて、ただの鬼ではない閻魔大王のような威厳を出す。作り物の塚から姿を現した瞬間、見所があげた嘆声は,その見事な姿に向けられたものだった。そして元気のいい「舞働」の囃子は省き、足拍子を増やす。
 そうすることで、世阿弥が詞章に仕込んだ言葉が、より味わい深く、陰影を増して浮きたつ。
「立ち寄れば、げにも野守の水鏡、影を映していとどなほ、老の波は真清水の、あはれげに見しままの、昔のわれぞ恋しき、実にや慕ひても、かひあらばこそ古の、野守の鏡得し事も年古き世の例かや」
 池の水鏡(野守の鏡)に映る、年波を増した自分の顔。若き日の自分をいかに慕ってみてもしかたがない。いまの老いた顔があるのみ。
 これは往年の美少年、世阿弥自らの述懐のようでもあり。
 そして後場、鬼神の鏡(これもまた野守の鏡)は天界も地獄も映し出すが、天界の描写があっさりしているのに対し、地獄のそれは「罪の軽重、罪人の呵責、打つや鉄杖の数々、悉く見えたり」と妙に生々しい。そしてこのときだけ、鬼神は鏡をワキの僧の眼前に持ってきて、地獄の光景を見せつける。人間の行く先はこれだ、と言わんばかりに。

 今を映す水鏡、異界を映す魔鏡。二つの鏡が、裏表になって問うてくるもの。
 ──年老いて、末は地獄。そこで、お前は今をどう生きるか。
 ありがちなテーマだねと、上から目線で消費していく人は片づけるかもしれない。しかしそこに普遍的な生命力をもたらすのは、作者の力、演者の力、そして見者の共感。「暗い鏡」のような能。

五月十九日(日)今の実演、昔の録音
 「モーストリー・クラシック」七月号が明日発売。特集は没後百年のプッチーニ。
 私の連載「一枚のディスクから 音盤時空往来」第十五回は「ムーティの《アイーダ》をめぐって」。今年の「東京・春・音楽祭」の《アイーダ》を導入として、一九七九年ミュンヘンでの同曲のライヴ録音や、同時期のフィレンツェでの録音などの話。
 こういうふうに東京での実演体験と、古今東西のレコード話を組み合わせるというのは、いまの自分の仕事のスタイルにすごく合っている、もっといえば、いまの自分にこそできるスタイルだ、という気がしている。
 しかし一方で、昔ながらの、レコード体験だけにしぼった話も、それはそれでとても楽しく、興味が尽きない。そのことは多くの読者の方も、書き手と作り手も共有されているはず。だからこそ「レコード芸術ONLINE」がなんとか実現してほしいと切に願うが、ここは「モーストリー・クラシック」の話題なので話を戻すと(笑)、今号は「コレクターズ・アイテム」で、まさしくレコード体験オンリーのアイテムを取りあげた。
 それはウィリアム・スタインバーグの復刻ボックス二種。再評価著しいこの人の、まさに真価を知らしめる二箱。まずユニバーサル全録音のほうは、対旋律や伴奏音型を克明に描き出すことで、「異形の傑作」たるゆえんを提示してみせたベートーヴェンの第九そのほか。
 そしてさらに素晴らしいのがRCA全録音集で、まるで力まないのに壮大という、なんというか、「三船十段の空気投げ」みたいなブルックナーの交響曲第六番の不思議な名演とか、ワイマール時代の先進的な仕事ぶりをかいま見せるようなストラヴィンスキーの小品(初発売)とか、とても面白い。
 音質が直後のDG録音とは比較にならないほどに鮮明で生々しいことも素晴らしい。クーセヴィツキー以来続いてきたボストン響との録音の歴史を不景気で打ち切ってしまったRCA、もったいないことをしたと思う。おすすめ。

五月二十二日(水)四都座談会
 昨日のヴァルチュハ&読響のマーラーの交響曲第三番@サントリーホールに続き、今日はクリストフ・プレガルディエン@トッパンホール。ともに素晴らしい出来。どちらのアーティストも週末にもういちど聴けるので、すごく楽しみ。
 美しい歌声の余韻を味わいつつ帰宅して、二十三時から某誌のためのリモート座談会の司会。
 ベルリンとパリ(現地時間十六時)、ニューヨーク(現地時間十時)、欧米日四都市の一般人が映像つきで同時に会話することが、ぜんぜん特別なことではなくなっている。
 こんなのは、さすがに昭和のころはSFのなかの話だったなあと、明日は小学校時代のバス通学路に面したホール(パーシモン)へ行こうとしている人間は思う。思えば遠くに来たもんだ。

五月二十三日(木)都立大学のそば
 めぐろパーシモンにて、二期会ニューウェーブ・オペラ劇場のヘンデルの歌劇《デイダミーア》のゲネプロを見学。英語のオラトリオに転進しはじめていた時期のヘンデルによる、最後のイタリア語オペラ。面白かった。
 開演前に、パーシモン前の交差点の和菓子屋「つ久し」に寄る。自分がここで毎日バスの乗り換えを行なっていた五十五年前から変わらずにこの四つ角に建っている、おそらく唯一の建物。しかし入るのは生まれて初めて(笑)。柏餅を買いながら聞いたら、一九四九年開店とのこと。
 パーシモンの土地が都立大学だったころは、敷地を陰気なコンクリ塀が囲んでいて、景色が暗かった。今日はその門と塀の一部が残されているのを発見。案内板をみると、前身の府立高等学校(旧制)がここに移転してきたのは一九三二年とあるので、おそらくそのときからの塀なのだろう。とすると、偶然ながら亡父と同い年の塀。高く見えたのに、いま見ると自分の背よりも低いのに驚く。
 終演後外に出ると、夕焼けが美しかった。
 都立大学駅まで坂を下り、夕飯を食べるところをさがす。子供のときから一度も曲がったことのない角をためしに曲がってみると、よさげなそば屋があった。たぶん自分よりも古いビルにある「そば処 大菊総本店」。「町中華」といういいかたの真似をすれば、昔ながらの「町そば」。
 戸をあけてみると、店内が明るい。照明だけでなく雰囲気が明るくて清潔。こういう古い店は、店内が暗かったり寒々としていたり埃っぽかったりした瞬間にハズレだが、お客の表情が明るくにこやかなので、これは当たりと確信。
 そば屋なのにラーメンやチャーハンほか中華もあり、定食類などメニューが多彩。客の回転がよく、自分のあとにもひっきりなしに新しいお客がくる。近隣の住民に愛されていることがよくわかる。あとでネットで見ると一九四五年、終戦の年に創業。今年が七十九年目。
 野菜天せいろ九百六十円。特別なところはないが、お腹だけでなくて心を満たす、心に灯をともす味。つゆがしょっぱすぎないのが好みに合う。薬味の種類とか量とか、ちょっとした心遣いがさりげなく効いている。出前用に無駄なくつめられているのもいい。幸せ。
 いいなあ都立大学。次にパーシモンに来るのがもう待ち遠しい(笑)。

五月二十四日(金)結び
プレガルディエン第二夜。第一夜と同じくアンコールは二曲で〆、と思ったら三曲目あり。
 なんとシューベルトの《こびと》。
 第一夜の「実らぬ恋の苦しみ」と第二夜の「さまざまな死の形」、そして第一夜の「シューベルト」と第二夜の「バラード」、二日間の素晴らしいプログラムそれぞれのテーマが、ここで縒り合わされていく。これぞまさしく「結び」。おみごと。
 全体の感想は「音楽の友」に書く。

五月二十五日(土)高崎の群響
 三年ぶりに高崎に行き、群馬交響楽団の定期を聴いた。
 定期初登場の原田慶太楼指揮による、「日本とスペイン」と題して、委嘱作の山本菜摘の《UTAGE~宴~》世界初演に始まり、《アランフエス協奏曲》とファリャのバレエ音楽《恋は魔術師》、芥川也寸志の交響曲第一番という意欲的なプログラム。今月は三日に團伊玖磨の交響曲第二番もあったので、一九五五/五六年の二つの和製交響曲の実演を聴けた、貴重な月となった。
 八木節と草津節が現代らしい壮快なオーケストレーションで響く山本作品も、原田が二十世紀重工業音楽らしく豪快に鳴らす芥川の交響曲もよかったなかで、いちばんの目当てはティボー・ガルシアが独奏するアランフエス。日本では初めてのオーケストラとの共演、今回の来日では唯一のこの曲とあっては、聴かないわけにいかない。
 ギターには特別の思い入れがなかった自分も、この人の音だけは本当に特別。滴るように瑞々しい美音にききほれる。
 感想を招聘元のユーラシックのサイトに掲載した。来年には東京などでも演奏するらしい。その前にまずは三十日の浜離宮朝日ホールのリサイタルが楽しみ。
 群馬交響楽団のチケットの特徴は、席を略図で示した「お席はここです」。見当をつけやすいのでこれは助かる。

 終演後。公演が数年前から十六時開始になったので、夕食を食べてゆっくり帰れる。「パスタのまち高崎」ということで、前回も堪能した人気店「はらっぱ」(モヘンジョダロにあらず)で食べようと思ったが大行列で断念。代わりにやはり上州名物の「登利平」の鳥めし松重。これも美味。
 そして上州土産といえば、赤鞘の長脇差がマークの銘菓「旅がらす」。男がラスクなんぞに目もくれるものか(笑)。ただし「ぐんまちゃん」パッケージ。


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