Homeへ

六月六日(木)音の想像力
 五日から六日にかけては、インバル都響によるブルックナーの交響曲第九番四楽章補作版~小菅優ほかによるシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》、そして令和六年六月六日の「獣の日」に映画『関心領域』と、じつに意義深い「東京勝手にツィクルス」だった。
 ヒトラーが愛したブルックナー(イスラエル人が指揮している)、ヒトラーが憎んだシェーンベルク(リンツで学んだ歌手が歌っている)、そして、アウシュヴィッツの絶滅収容所の隣の豪華な家に暮らす所長ヘスの一家を描く映画。
 『関心領域』は直接に見せずに音でほのめかし、直接に言葉にせずにしぐさでほのめかす、暗示のしかたがお見事で恐ろしい。見るものの想像力(知識と経験の蓄積によりさらに深まるもの)次第。
 所長夫人の母だけが、異常な状況から逃亡する。異常さにはっきり気がつくきっかけは赤子の夜泣き。この、常人がもっとも耐えがたいはずの音にすら、一家が不感症になっていることに気がついたとき、というのがいい。すると、昼夜問わず炎と煙をあげる収容所の煙突の放つ悪臭も気になりだし、あわてて夜中に洗濯物をしまいだす。
 しかし、他の人間も不感症でいられるわけはない。音だけで使用人たちの心はすさんできているし、少年たちは悪魔的な一面を見せはじめ、出世欲にとりつかれた平凡なサラリーマンに過ぎないヘスも、無自覚に嘔吐する。
 音響効果など、映画だからこそ可能な表現をうまく活用している。普通なら次第に真相が明らかになるとか、サスペンス・タッチにしたくなるだろうに、あえてそれを排して、ただ坦々たる描写を続ける。「退屈さ」もやはり映画だからこそ可能な表現法。小津映画の隣にアウシュヴィッツがあるみたいな。言葉による原作小説(読んでいない)とは、まったく違う方法論なのだろうと想像する。
 この音を味わうには映画館がいい。そして、家で早送りで見てもなんの意味もない映画。

六月九日(日)鸚鵡小町
 国立能楽堂にて、ワキ方下掛宝生流の東條・野口家が主宰する華宝会の公演。
・狂言『文相撲(ふみずもう)』(大蔵流) 山本東次郎
・能『鸚鵡小町(おうむこまち)』(観世流) シテ:観世喜正、ワキ:野口能弘
 小野小町が登場する能の小町物四曲のうち、『通小町』『卒都婆小町』『関寺小町』に続き、残る『鸚鵡小町』をやっと見ることができた。

六月十四日(金)軍事貴族頼政
 国立能楽堂にて「第十八回 日経能楽鑑賞会」
・狂言『富士松』野村万作 野村萬斎
・能『頼政』金剛永謹

 最近、続けて読んで面白かったのが元木泰雄の中公新書『河内源氏』と『源頼朝』。
 近年の史学界では、鎌倉期までの武士という存在の位置づけがかなり変わってきたらしい。自分なぞは昭和風の、江戸時代の武士の精神をそのままさかのぼらせて考えたり、マルクス史観的に位置づけたりする習慣がどうしてもこびりついているのだが、今は逆に、武士が誕生した平安時代からくだって考える。
 大河ドラマ『光る君へ』は、後世の武士の元祖的存在である源頼光が、道長に仕えて頭角を現した時代の話だから、武士の始まりを描くのに好適なのだが、今のところは「武者」と呼ばれる、名無しのごろつきとしてしか出てきていないのが残念。まあ、あれがこれまでの大河の大半の主役たちのご先祖様かと思うと、楽しいには楽しいが(笑)。
 鎌倉期までの東日本の武士の多くは、本当に「源平藤橘」の傍流の下級官人。国司として任官した地方に土着したもので、元来は京の出身。だから知行国主や荘園領主など中央の権門との結びつきが強い。そのことを重視した上で、かれらの動向を考えるようになってきた。
 源平争乱期の軍事貴族で、源頼光の血を引く源三位頼政も、この流れのなかでその行動が合理的に説明できるようになった一人。かつては、本人が退治した鵺そのもののような謎の人、という見方もあった。平治の乱では同じ源氏の義朝を裏切って出世したのに、七十七歳の高齢になって突如として以仁王をかつぎ、平家に反抗して敗死する生涯が、武士としては一貫性を欠くと考えられたから。
 しかしこれが元木説だと、頼政がつかえていたのが大荘園領主の美福門院(鳥羽天皇の皇后。近衛天皇の生母)だからということで説明できる。つまり、前述のどちらの行動も、美福門院につながる人脈の意向に従ったから。真実かどうかはわからないが、説得力のある説明。
 元木の著作は事実をしっかりと説明しつつ硬くなりすぎず、論拠の明確な推定を交えることで可能性が広がり、硬軟のバランスが絶妙にいい。

 さて、その源三位頼政を主人公とする能の名作が、世阿弥の『頼政』。もちろん平家物語に依拠しているので、挙兵の理由などは旧説による。でもこの能が頼政という人物を生き生きと描いてくれたからこそ、我々は同じ人間としてのその実在を、息吹を実感できる(能ではもちろん幽霊だが)。
 ポイントになるのは、後場の宇治川の合戦の場面。平等院に陣取った頼政勢は宇治橋の橋板を外して橋桁だけにし、渡橋困難にして防戦する。すると平家方の足利忠綱(後の源姓足利氏とは別の、籐姓足利氏)が三百余騎を率いて宇治川を渡りきり、突入してくる。
 ここを床几に腰かけて騎馬姿を暗示したシテが語るのが見せ場なのだが、自分はどういうわけか、いままであまりピンと来なかった。
 しかし金剛永謹は、ありありと宇治川合戦のイメージを喚起してくれた。
「宇治橋の中の間引きはなし、下は河波、上に立つも、共に白旗をなびかして、寄する敵を待ちいたり」
「引きはなし」では、橋板を引きはがす動きの一瞬の具象性。「下は河波」では左腕の袖をクルックルッと回して巻き取り、渦巻く川波を暗示する。
 この瞬間に、前に見た宇治川の川面の波が眼前に浮かぶ。
 すると、その周囲にひしめく源平両軍のイメージも見えてきて、ひしと組んで川をおし渡る、東国の騎馬軍団の鎧武者たちが見えてくる。
 そこから、敗軍を覚悟した頼政の姿へ視点が移る。永謹の頼政は、老いてなお壮んな剛の武者。装束は怪異の金色と芝の緑が映えて美しい。
 無念の辞世、「埋木の花咲く事もなかりしに身のなる果はあはれなりける」
 最後は正面に背を向け、肩ごしに扇を投げ、自刃の地の「扇の芝」を暗示して姿を消していく。
 能とは喚起する芸術なのだと、あらためて感服。感謝。

六月十六日(日)二つの訃報
 野口武彦の訃報を知る。
 二日前に著作を紹介した元木泰雄が四月に亡くなっていたことを、ご友人の今岡典和さんから教えていただいたばかりなのだが、野口も今月九日に亡くなっていた。
 自分の『演奏史譚1954/55』の一話完結形式で各話が原稿用紙八枚半、それを集めて一つの物語にするという構成は、週刊新潮に連載されたのちに新潮新書にまとめられた、野口さんの『幕末バトル・ロワイヤル』に倣ったものだ。
 同書の方法が、同じ時間のなかを生きる各地のさまざまな人々をそれぞれに、同時多発的に描くのにぴったりだと考えたからだった。あらためて感謝し、謹んで哀悼の意を表す。

六月十八日(火)ロンドンから
 強い雨のなか、都内某所で英国ロイヤル・オペラの来日公演記者会見。パッパーノのほか、《リゴレット》の演出家ミアーズ、出演のシエラとカマレナ、《トゥーランドット》出演のラングワナシャとジェイドが登壇。
 二〇二一年制作の《リゴレット》と、同歌劇場で現存最古のプロダクションという一九八四年の《トゥーランドット》という、新旧の二演目。どちらも楽しみだが、とりわけセルバン演出の後者は一九八六年にNHKホールで見てとても感銘を受けたものなので、三十八年ぶりの再会が楽しみ。
 なお、トゥーランドット役のラドヴァノフスキーが病気のため降板、マイダ・フンデリングに交代。三十八年前も新制作初演を歌ったグウィネス・ジョーンズが来なくてオリヴィア・スタップだったなあと思い出すと同時に、二〇一〇年来日公演の《椿姫》でゲオルギューが降りたときはヤオに交代、さらに横浜では第一幕後にアイリーン・ペレスに交代、最終日だけネトレプコが出る、なんて交代劇が展開されたことも思い出す。
 マノンを歌っていたネトレプコに出てもらうだけでなく、若手のヤオもペレスもその後ちゃんと活躍した。このときのロイヤル・オペラのダメージ・コントロールはさすがのものだったので、今回のフンデリングもちゃんとしているのではと思う。二六年にはこの役をロンドンで歌う予定になっているという。ただ、ついフンディングと書いてしまいそうなのが怖い(笑)。
 ところで、到着したばかりで羽田から駆けつけたというミアーズ、開口一番に「ロンドンから悪天候も一緒に連れてきたみたいで申し訳ない」。こういうユーモアはさすがのセンス。

 帰りがけ、喫茶店のヴェローチェに寄ると、レシートが目に留まる。四百五十円以上(税込)のレシート四枚を集めると「夏のふちねこ」一匹がもらえるという。全五種類。とりあえず今日のレシートは保管。どうなるか見てみよう(この変な直訳調の言いまわし、最近ネットのニュース記事でよく見かける。商売上の自分の原稿にはこんな表現は絶対使わないが、いちど使ってみたかった)。

 雨もあがった夜は東京文化会館の小ホールで、「福間洸太朗プロデュース第三十二回レア・ピアノミュージック 小川典子ピアノリサイタル」。
 「レア・ピアノミュージック」は、ピアニストの福間洸太朗がプロデュースするリサイタル・シリーズ。コロナ禍で演奏活動が制限されていた二〇二〇年七月に、自らの演奏をオンライン配信する形態ではじめた希曲紹介のシリーズ。最近は有観客公演も行なっている。シリーズとしては三十二回目、有観客では三回目で、安定した人気がある。
 この日のメインは小川典子で、パーセルと二十世紀のイギリス音楽。前半はソロで、パーセル、ブリテン、フィブス、ティペット。後半は、初の試みという福間との二台ピアノで、バックス、ブリテン、リチャード・ベネット。アンコールにマルコム・アーノルドと、実演はもちろん、録音でも聴くことの少ないイギリスの珍しいピアノ曲がずらり。ブリテンの闇、ティペットの激発、ベネットの愉悦など、多彩な音響の時間を味わわせてもらった。

六月二十日(木)佐藤錦とヴィオラ抜き
 今夜は年一回の楽しみ、オペラシティで山形交響楽団の東京公演「山響さくらんぼコンサート」。
 演奏が素晴らしい(特に今回は山響の美点が全開)のに加えて、毎回楽しみなのが、盛りだくさんのプレゼントと、産地直送のさくらんぼなど山形名産のホワイエでの物販。今年はさくらんぼが記録的不作のため、佐藤錦がなくて紅秀峰。十人に一人くらい当たるプレゼントとは別に、一パック千七百円を買っておいたら、プレゼントまで当たってしまった。帰宅後に見ると同サイズの紅秀峰。山形人のこういう太っ腹が好き。
 隣席の同業者も当たっていたので「チェリー色の賄賂?」と疑いたくなるところだが、それなら真っ先に当たるはずの某大新聞の記者さんが外れだったので、そうではないらしい(あの新聞を敵に回したい音楽関係者はいない)。
 「うらやましい。取り替えてくれ」と言われたが、「腹をすかせた女房が家でこれだけを楽しみに待っているので」と丁重にお断りした。
 というわけで紅秀峰二パックと、全員もらえるシベールのラスク、「でん六」を眼前に並べて、悦に入る男。
   
 それにしても、ヴィオラ・パート抜きのモーツァルトの《戴冠式ミサ》(当時のザルツブルクの宮廷の教会がヴィオラ抜きだったため)を聴いたあとに普通の弦五部の曲を聴くと、やはりヴィオラはいないとダメなのだな、と痛感する。バーンスタインの『ウェスト・サイド・ストーリー』舞台版(これもヴィオラがない)を聴いたときと同じ。
 でもそれはそれとして、ハ長調の輝かしい響きで力強く歌われる「ドナ・ノービス・パーチェム(われらに平和を与えたまえ)」という言葉が、これほど切実に心に響く日が来るとは。
 ちゃんとした感想は日経新聞に書く。

六月二十二日(土)四十年来のそば
 今日は神奈川県民ホールで、英国ロイヤル・オペラ来日公演初日の《リゴレット》。いろんな意味で「シェークスピアの国」を感じる、いい上演だった。
 神奈川県民ホールは来る機会が少なくて、《浜辺のアインシュタイン》以来一年半ぶり。来年三月末をもって期限未定の休館に入るので、あと何回来れるか。
 早めにつくと、曇りで歩きやすいので海側の山下公園をぶらつく。幸い観光客もそれほど多くない。大佛次郎が愛したホテルニューグランド本館も見える。
 終演後にパッパーノの有意義なアフタートークを聞いたあと、県民ホール裏のそば屋味奈登庵へ。四十年前、東京横浜のオペラやバレエ公演でオペラグラス貸出のバイトをしていた頃、県民ホールに来たときには必ず上演中の空き時間に、ここでそばを食べていた。味の良し悪しを超えて、四十年前と同じ店が今もあること自体が貴重。ここは「富士山盛り」という超大盛(重さ一キロ)が名物なのだが、食べきれるわけないので普通盛。
   
 食べ終わって出てくると十九時過ぎ、ちょうどいい具合の青い日暮れ時で、氷川丸の照明がきれいだったのでまた山下公園へ。ホテルニューグランド本館入口の有名な大階段(大佛次郎が「ホテルの中のメインストリート」と呼んだ)をひさびさに昇降。気分よし。
 帰りの東横線では、行きがけに新宿の紀伊国屋書店で買った『不機嫌な姫とブルックナー団』(講談社文庫)を読む。音友来月の特集が「ブルオタ入門!(仮)」だそうで、それなら読んでおかなければ、と思った。ボーイズラブならぬ、ブルラブ小説。

六月二十三日(日)劇場に生きる
 東京文化会館で英国ロイヤル・オペラ来日公演の《トゥーランドット》。大入り札止め。
 一九八六年NHKホール以来、三十八年ぶりに見るセルバン演出(昔はシェルバンと表記)。四十年上演され続けるだけの面白さを再確認。最後に舞台を横切っていくリューの葬列も、やはりいいアイディア。その一方で東西冷戦中、天安門事件五年前の演出だけに、中国伝統といえば「京劇と太極拳」で、まだ一般市民は人民服を着てるイメージだったんだよなと、懐かしく思う部分もある。
 題名役を急遽歌ったフンデリングも、とてもよく歌った。

 印象的だったのはカーテンコール。幸いNBS公式Ⅹにこの場面の動画がアップされている。
   カーテンコール場面の動画
 トゥーランドット役はここまで、途中で拍手を受ける場面がまったくない。最後の最後に舞台に出て始めて、聴衆が自分をどう思ったのかがわかる。
 代役である以上、フンデリングにとっては審判を受けるような恐ろしい瞬間だったはず。カラフ役のジェイドが少し間を置いて出てきて喝采を受けたあと、フンデリングの方を向いて、「大丈夫だ、大丈夫だよ」というようにうなずく(五十秒あたり)。そして緊張した面持ちのフンデリングが出てきて喝采を浴びて、表情がゆるむ。足拍子でたたえるジェイド、拍手する共演者たち。
 それから全員が手をつなぐ、いつもの場面になるのだけれど、その直前にフンデリングは左の手のひらを腿にあててぬぐっていた。不安と安堵で、きっと汗にまみれていたのだろう。映像は反対側からだが、かろうじてその動きはわかる。
 そしてこの光景を、オペラ監督のオリヴァー・ミアーズが、わざわざピット脇のエプロンの上に立って見つめていた。舞台袖から出てここへ立つことで、客席空間と舞台の空気と反応を、全身で感じたかったのだろう。
 なんというか、すごく劇場的な、すごく、いい瞬間だった。

 でも、これで終わりではない。大規模な上演だけに、二日目に向けてのダメ出しは、終演と同時に始まったはず。そして三日目と四日目には、さらなる質の向上を求めて別のトゥーランドット役が呼んである。
 シビアといえばシビア。しかし、舞台は生もので、いつ何が起きるかわからない。だからといって公演を止めたり、水準低下の可能性を放置したりすることは許されない。そのために二の矢、三の矢を抜かりなく放ち続ける。それこそが劇場という生き物なのだろうと、肌で感じた瞬間。

六月二十七日(木)ROH~MET
 昨日今日とMETオーケストラをサントリーホールで。
 やはり今日のオペラ・プロのほうが、劇場オケらしく水を得た魚のように鮮やか。

ワーグナー:歌劇《さまよえるオランダ人》序曲
ドビュッシー:歌劇《ペレアスとメリザンド》組曲(ラインスドルフ編)
バルトーク:歌劇《青ひげ公の城》

 ドビュッシーとバルトークの音楽に底流する冥い暴力性が似ていることは、以前に読響でカンブルランも聖セバスティアンと青ひげを並べることで教えてくれた。今回はさらに、二人の源流がワーグナーにあることを考えさせるプロ。オランダ人と青ひげという、神に呪われた二人の男の対比も想起。
 『青ひげ公の城』での、オーケストラによる場面の描写力がすごい。全曲の頂点となる第五の扉で視界が一気に開ける場面では、二階RCとLC席前方に現れたバンダが壮快に鳴り響く。

 吟遊詩人の前口上は省略と思ったら、スピーカーを通してホールに響く。映画が始まる前に文字だけの画面で説明するような部分だから、いちいち人が出てくるよりも現代ではこのほうが自然か。
 その字幕はオルガンの両脇にしかなかったようで、P席、RA&LA席では見えなかったのでは。この作品で歌詞がわからないのは、自分ならつらい。
 オケは開演前に全員席に着いているというアメリカ式。というか、ピットではこれが当たり前か。ただしコンマスだけはあとから入って拍手を浴びる。このとき弦のメンバーも一緒に弓で譜面台を叩いているのが面白かった。
 あと、ハープの柱が二台とも頭から真っ赤に塗られていて、すごく目立つ。メト仕様なのか。
 それから休憩中、コントラバスだけでなくチェロも全員楽器を舞台に寝かせて置いていったのも、他のオケでは見ないやりかたで目をひいた。ピットでも置いていくのだろうか。
 ROHとMETオケ、形態は異なるとはいえ贅沢な連続体験だった。

 ところで開始直後、ガランチャの声が信じられないほどに大きくて驚いたのだが、その後は落ちついた。PAを調整したらしい。メトなど大きな歌劇場ではPAの適度の使用が当然になっているようで、そこでの印象を鵜呑みにして歌手の声量を語るのは危険なようだ。

六月二十八日(金)初期ヴェルディ祭
 ムーティのイタリア・オペラ・アカデミーの《アッティラ》、詳細発表。九月三日~十六日で、ムーティが作品解説をする東京音大中目黒のTCMホールは席数四百、若手による本番とムーティ指揮の初日がある東京音大百周年記念ホールは八百。ムーティ二日目の本番となる十六日は大きなオーチャードホール。
 とても楽しみな上に、同時期にチョン・ミョンフン指揮東フィルの《マクベス》があるので、今年は三月後半の「春のトリスタンまつり」に続いて九月中旬の東京も、さながら初期ヴェルディ祝祭週間と化すことに。
 最多の日程は十二日《アッティラ》、十四日《アッティラ》、十五日《マクベス》、十六日《アッティラ》、十七日《マクベス》、十九日《マクベス》で、八日間に六回見る感じか。

 今日は午後に東京芸術劇場でフルシャ指揮都響のチェコ・プロ(《リブシェ》序曲がナマで聴けた)、夜に紀尾井ホールで久しぶりのトリオ・ヴァンダラー。三人のバランスが絶妙。ピアノの軽やかな美音が素晴らしい。ブラームスのピアノ三重奏曲第一番の初版を聴けたのが嬉しい。無駄は多いけれど、みずみずしさは独自の魅力。


Homeへ