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八月四日(日)洋行帰り
 豊洲シビックセンターホールにてタレイア・クァルテットの演奏会。五月にボルドーで学んできた彼女たち、渡航前の演奏よりも音楽のかまえと歌いかたがグンと大きくなっていて、やはり海外経験は重要だとあらためて思う。

八月八日(木)西域はいずこへ
 先月二十七日に開幕の「フェスタサマーミューザKAWASAKI2024」も、はや終盤。
 自分にとって今年のこのフェスの締めとなる八日は、園田隆一郎指揮神奈川フィルによる「團伊玖磨&プッチーニ100周年オペラ・ガラ」。生誕百年の團伊玖磨と没後百年のプッチーニ。
 後半のプッチーニはオペラ四本のアリアを中心に、ソプラノの木下美穂子とテノールの笛田博昭が歌う。二人ともさすがの聞かせ上手。園田も優れたオペラ指揮者としての資質を発揮。ほとんどのアリアで、一般的な開始位置よりも前の音楽から始めることで、ドラマの雰囲気を導きだそうとした園田のこだわりが、とても好もしい。
 そして《蝶々夫人》第二幕の間奏曲と《トゥーランドット》の「皇帝の入場の音楽」という「日本風」と「中国風」の音楽を挿入することで、プッチーニの東洋趣味を示したのも、いい工夫。

 とはいえ個人的には、前半の聴く機会の少ない團の曲こそが関心の的だった。まず一九九三年の天皇皇后両陛下ご成婚に際しつくられた「新・祝典行進曲」。「新」とつくのは、一九五九年の上皇上皇后両陛下ご成婚の「祝典行進曲」も團が作曲しているから。
 今年五月には紀尾井ホールで上皇上皇后両陛下ご臨席の「祝典行進曲」を聴けたから、三か月で両者を聴きくらべることができたのは嬉しかった。
 昭和の戦後民主主義の世相にふさわしく、軍隊的な行進調を排した旧版のゆったりした流れに対し、平成の新版はもっと勢いがいい。園田のプレトークによると、前者は馬車で後者は自動車という、西洋の王侯貴族風のパレードのスピード感の変化に合わせているとか。
 木下の歌う《夕鶴》のアリアをはさんで、一九五五年作の管弦楽組曲《シルクロード》。四曲二十五分の組曲で、後半のプッチーニの東洋趣味と照応するようになっているのが楽しいが、第一曲後半の舞曲調以外は、あまりエキゾチックな匂いがしないのが面白い。あくまで西洋音楽という印象。

 しかしこの曲を聴きながら強く思ったのは、この曲の背景にある、昭和までの日本に濃厚に存在した、シルクロードへの憧れ、西域へのロマンは、令和の日本人からはほとんど消えているよなあ、ということ。
 それは大正から昭和初期の生まれの世代に最も濃かったように思う。井上靖、司馬遼太郎、平山郁夫のような作家や画家を典型として、少年倶楽部的な亜細亜浪漫の余韻のように存在していたもの。喜多郎の音楽を一躍有名にした、一九八〇年開始の『NHK特集シルクロード』に結実して、頂点に達する。
 中国を経由し、長安から西域の砂漠と高原を越えてローマに至る、地続きの道の遊牧ロマン。異世界へとつづく道のもつロマン。
 それがどうして現代では消えたのか。少なくとも自分にはないし、周囲の人も持っていない。それは《蝶々夫人》に、失われゆくかつての日本の姿を留めようとした、昭和のオペラ演出家たちの精神と通底するように思える。それもまた、現代の日本人には希薄になった郷愁。

 いろいろと考えるヒントになる、ありがたいコンサートだった。

八月九日(金)鳴動するホール
 サントリーホールでハーディング指揮都響。ベルクの歌曲は芳しく、マーラーの《巨人》は力強く圧倒的。また来てほしい。
 ところが第一楽章の途中で座席が鳴動しだす。近隣のお客さんのスマホがあちこちで地震警報を鳴らしはじめる。
「ハーディング=マーラー=地震」の三題話とくれば東日本大震災なので一瞬びびったが、どこかのスマホから「震源は神奈川県…」と聞こえたので、神奈川が震源で東京がこのくらいならとりあえず大事にはならないだろうと思いながら続きを聴く。

 サントリーホールでの地震で印象深いのは、一九八八年一月の宇野功芳指揮新星日響の《ロマンティック》の途中でグラグラしたやつ。開場二年目の当時は、ステージ上空の透明の波打つ反響板が今より低めにあって(音響もそのぶん厚ぼったかったような)、それがぶらんぶらんと揺れて、けっこう怖かった。今日はぜんぜん大丈夫だったが、かわりに客席のスマホが怖かった。

八月十日(土)縦書き名刺
 名刺を使い尽くしたので、数年ぶりに新調。ネットにあるデザイン例を使うのだが、前のところが廃業してしまったので、新たに探して見つけたのが京都の印刷屋さん。縦と横を併用できるのが気に入って、たぶんフリーランスになってから初めて、送電線屋時代以来四半世紀ぶりに、縦書きメインの名刺にした。すっきりしていて、自分のグッドオール本の帯付の表紙と感じが似ているのも気に入っている。作成時の適度な自由度とセンス、価格設定、注文後の誠意ある対応などとてもよかったので、次回もここにしたい。
 古い名刺がいくつか見つかったので、新しい名刺と並べてみる。ほんとデザインに定見がない(笑)
   

八月十一日(日)
 セイジ・オザワ松本フェスティバル公演に日帰り。

八月十三日(火)怨念の曲
 「ぶらあぼ」のために、七月十二日に行なったサイトウ・キネン・オーケストラのコンサートマスター、豊嶋泰嗣さんのインタビューが発表された。
 先日の沖澤のどか指揮の演奏会でも、交代で登場した三人のコンマス(他に白井圭と矢部達哉)のなかでも、《ドン・ファン》で精気みなぎるSKOならではの響きを聞かせてくれた豊嶋さん。今週からのネルソンス指揮のブラームスの交響曲全曲では、
「第四番のシンフォニーは晩年の小澤さんが振ろうとして、最後までできなかった曲です。他の曲に何回も変更しなければならなかったんです。そういう、ある種の怨念を背負わされている曲をやらなければいけないというのはプレッシャーですが、だからこそ、そこに小澤さんの魂が宿るかもしれない」

 構成者としては、「怨念」は字面として強すぎるかなと迷ったが、しかしこれをやわらげてしまったら意味がない。小澤から篤く信頼されたコンマスだからこその言葉だと感じたからだ。「小澤さんの魂が宿るかもしれない」第四番、自分も聴きに行くので、とても楽しみ。

八月十四日(水)記憶の残像?
 図書館で資料調べが必要になったが、東京文化会館の音楽資料室は二週間も休館なので、広尾の中央図書館へ。かんかん照りの南部坂(忠臣蔵の南部坂とは別のもの)を避け、有栖川宮記念公園のなかを登る。開架式の図書館が与えてくれる知的昂奮を久しぶりに味わい、あれもこれもと読んでいるうちに時間切れ。
 ところで広尾は各国の大使館があるので、ナショナル麻布という一九六二年創業のスーパーは外国人向けということで名高い。まだ外国人が珍しかった昭和ならではの「国際的な雰囲気」(ちょっと当時の東宝映画っぽい)がいまも外装などに濃厚で、懐かしい感じ。
 しかしそれよりも、その向かいにあるこの道の、美容室ヤマダとBARBERナカジマなどがならぶ建物が、昭和二十年代後半ぐらいの雰囲気をそのままに残しているのが目に入った瞬間、しばらく動けなくなった。前の道がまだ舗装されていなくて土の道だったころ、周囲も全部同じような木造瓦屋根だった時代の空気と匂いが、この建物から放射的に甦ってくる気がする。
   
 自分はたぶん見ていないのに、失われた過去の景色がいまありありと見える気がするのは、なぜなのか。ひょっとしたら幼児の頃にここを通っていて、脳のどこかにその映像が残っていて、現在の建物が無意識にその記憶を呼び覚まし、記憶と眼前の光景との齟齬を訴えているのだとしたら……などと妄想して、楽しくなった。

 ネルソンス、松本をキャンセルというニュース。豊嶋さんのインタビュー、昨日出せておいてよかったが…。「怨念」のブラ四、誰が振るのか?

八月十五日(木)指揮者発表
 OMF、Cプロの指揮者決定。第三番が下野竜也、第四番がバボラーク。
 バボラークが来そうな予感はあったが(なんという後出しの予言!)、小澤と縁の深い人だからこそ、楽員全員と一緒に「怨念」を背負って、小澤の魂が宿る演奏をしてほしい、と今は願うのみ。
 そして下野さんは、高崎で先日大河ドラマのコンサートを聴かせてもらっただけでなく、最近二回続けて「音友」のためにお話を聞く機会があった縁もあるので、ただひたすらに成功を祈る。
 いろいろな意見が出るだろうが、誹謗中傷を覚悟の上で、火中の栗をあえて拾ったお二人への、感謝と敬意の念をもって演奏会に臨みたいと思う。

八月十七日(土)袖仕切り
 少し前から、南北線の乗降ドア脇のパイプ(袖仕切りというそうな)に、半透明のポリカーボネイト板が新たに張られていることに気がついた。隅に座ると、ドア脇に立つ人の荷物やら髪の毛やら背中の臭いやらが気になることがある。ラッシュ時などは乗客同士のトラブルにもなりやすいだろう。これはいい工夫。
   
 サントリーホールで、「第53回サントリー音楽賞受賞記念コンサート 濱田芳通(指揮・リコーダー)ヘンデル:オペラ『リナルド』」。
 濱田さん指揮のアントネッロによるヘンデルの歌劇《リナルド》全曲。面白く素晴らしかった。四時間三十五分、ネタ満載で正味約四時間の長さを楽しませ、同時にヘンデルの偉さも再認識させてくれる、濱田さんならではの舞台。
 細かい感想は「音楽の友」に書く予定なので控えるが、それとは別に、天皇陛下ご臨席の公演で同じRBブロックに席を与えられるという初めての体験。いろいろあったためか警戒厳重で、ホールを出入りするたびに持ち物検査、ホール前に警察犬(刑事犬カールみたいなやつ。オダギリジョーよりはスッキリしてた)も待機。
 あまり経緯を詳しく書くと怒られそうなので控えるが、ホールに着くまでこの席とは知らなかったので、Tシャツに毛ずね出したズボンとかで行かなくてよかった(笑)
 それにしても、字幕がちょっと下ネタだったり、楽しいお遊びや冗談(和声的ならぬ野性的短音階、だったか)で客席がどっと笑ったりしている天覧公演というのも、なかなか貴重なのでは。自分はお席から少し離れていたので平気でげらげら笑っていたが、近いあたりの人とかはどうしていたのだろう…。

八月二十二日(木)松代→松本
 ふたたびセイジ・オザワ・フェスティバルへ。往路は長野経由で、二十一日は松代に泊まる。とはいえ景色を見る余裕がなかったので、この旧城下町にはまたあらためて来てみたい。
 そして演奏会。下野もバボラークもそれぞれの持ち味を出し、楽員も真摯にその棒に応えたブラームス。

八月二十五日(日)二千里外故人心
 今夜の『光る君へ』第三十二回「誰がために書く」はグッとくる回だった。
 「お前がおなごでよかった」は、物語のこれまでとこれからをつなぐ、架け橋となる名台詞。これまであまり輝かしくはなかった女性の人生経験が、その才能と知識に広がりと深みを与え、永遠に光り輝く物語を生み出す契機になる。それをじっくりと描いてきた脚本の勝利。
 史実を離れていることは、自分はあまり気にならない。物語なのだから脚色するのはあたりまえ。鵜呑みにしなければいいだけ。物語と史実(と現時点で考えられるもの)の相違をよくわきまえ、知り、見つめることで、それぞれの形姿がより明快に、そして味わい深くなる。そうして、自らの知識が立体化していくことこそが面白い。

 宮廷の教養の根本にある中国文化。まひろは一般的な女性よりもその知識が豊富なだけに、憧れも強かった。しかしそこには光と同時に、現実には暗い影もあることを知る過程として、越前篇を置いた。そこでの経験をへて彼女の精神は地に足をつけたものとなり、結婚をし、妻となり、母となる。
 そしてその結果、漢詩の素養を人間心理の深い洞察と描写に結びつけていく。とりわけ、当時から日本人が愛してやまなかった白楽天の詩が種となり根となることで、新たな物語という幹を生やし、枝葉を伸ばし、花と開く。
 『源氏物語』の開巻「桐壺」が、唐の玄宗と楊貴妃の悲恋を描く白楽天の『長恨歌』を下敷きにしていることを、大石静は一条天皇と定子を玄宗と楊貴妃になぞらえることで、二重写しにする。とりわけ一条帝役の塩野瑛久は、容貌といい雰囲気といい、いかにも古代中国のイケメン皇帝っぽい。
 「桐壺」とその後の五十三帖とのつながりが弱いことを、一条帝のために、その存在を意識して「桐壺」が書かれたのに対し、その後はそれよりも自分が書きたいものを優先したことで生じる変化、としたのもうまい。

 そしてもっと重要な、ドラマ全体のモチーフとなる白楽天の詩は
『八月十五夜 禁中獨直 對月憶元九(八月十五日の夜 禁中に獨り直し 月に對して元九を憶う)』。

銀臺金闕 夕沈沈
獨り宿し相思うて 翰林に在り
三五夜中 新月の色
二千里外 故人の心
渚宮の東面 煙波冷やかに
浴殿の西頭 鐘漏深し
猶恐る淸光の 同じく見ざるを
江陵は卑濕にして 秋陰足る

 宮中において八月十五日の満月を眺めながら、二千里の彼方の江陵にある友人元九を憶う。しかし江陵は低湿地で曇りがちだから、同じ清月を見てはいないのかもしれない……。

 道長もまひろも、何かといえば月を見上げる。きっと同じ月を見ているはずだという思慕。
 自分はこの詩に、能楽を見るようになって深く親しむようになった。たとえば西行をワキとする能『雨月』には「三五夜中新月色 二千里外故人心」が引用される。
 そして最近になって、この一節が『小督』にも出てくることに気がついた。
 八月十五夜の名月、帝に命じられて、帝の寵姫小督が隠棲する家を探し求める源仲国は、「あら面白の折からやな。三五夜中の新月の色、二千里の外も遠からぬ」と謡う。
 ――この名月の夜なら、小督はきっと琴を奏でるはず。自分は笛で小督の琴と合奏したことがあるから、その音を聴けば見当がつく。だからけっして難しくない。「二千里の外も」遠くはない。

 『小督』を二〇一七年九月十五日に初めて見たときは、可変日記にこんな感想を書いている。
「無力な帝の願いをかなえるべく、股肱となって奔走する忠臣が主人公なのだけれど、性格描写が単純すぎて、味わいに乏しいのが残念に思えた。
 月並みな話だけれど、仲国も実は小督を心密かに愛していて、しかし主君のためにきっぱりとあきらめ、精一杯の行動をする、なんて要素がどこかに匂わされていて、小督の方がその恋慕に気づいているのかいないのか、あいまいな態度だったりしたら、仲国の男ぶりはキリリとあがって、さらに素敵だったろう」

 しかし、そうではないのだなと、この「三五夜中の新月の色、二千里の外も遠からぬ」に気がついてから思うようになった。
 仲国は、帝と寵姫の艶やかな恋慕の仲立ちという役割をひたすらにはたす、忠良という概念を体現する臣下なのだ。ただそれだけ、それ以外の何者でもないところに、この男の魅力はある。
「三五夜中新月色 二千里外故人心」
 はるかな隔たりを月が超越する。仲国は自らを月光に擬すことで、主君と寵姫の仲立ちをする。その心は月を映す水面のごとく、ただひたすらに澄んでいる。清き月光のごとく爽やかな男ぶりこそ、シテ仲国の魅力。
 『小督』の演能を、この視点からあらためて見てみたい。こんなことを考えたのも『光る君へ』のおかげ。

 ちなみに、『長恨歌』の一部分を原作として作られた能に『楊貴妃』がある。この能と『平家物語』に基づく『小督』は、「主君の寵姫を探しに来る臣下」という同じ物語構造を持っている。二〇一七年九月の国立能楽堂ではこの二曲が相次いで取りあげられて、とても面白かった。


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