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十月五日(土)編曲強化週間
 三~五日は「編曲強化週間」。
 三日は紀尾井ホールで葵トリオによるシェーンベルクの《浄夜》のピアノ三重奏版を聴き、四日は同じホールでアンサンブル・ウィーン・ベルリンによるモーツァルトのセレナード第十二番とドヴォルジャークの《アメリカ》の木管五重奏版を聴き、五日はミューザ川崎でウルバンスキ指揮東京交響楽団による《展覧会の絵》のオーケストラ版を聴いた。
 どのアレンジも面白く、ときに原曲よりもグッとくる、別の魅力を持つようになっているのが素敵。異化効果の挑発。
 ラヴェル編曲版の《展覧会の絵》はいうまでもないけれど、弦楽アンサンブル用が原曲のシェーンベルクとドヴォルジャークは、同質の弦楽器オンリーから異質な楽器の組み合わせに変ることで、よりカラフルになる。
 《浄夜》のピアノ三重奏版は一九八〇年代末、できたばかりのカザルスホールで、デ・レーウ、ヴェラ・ベス、ビルスマという凄いトリオで聴いて以来、三十五年ぶりくらいの実演体験。ようやく再会することができて、しかもすばらしい演奏だけに嬉しい。
 《アメリカ》の木管五重奏版は今回初めて耳にしたけれども、こうすると《新世界より》との共通性が際立ってきて、とても面白かった。同じ曲目によるウィーン・ライヴが十一月にフォンテックから発売されるそうで、しかもフィジカルのCD化は日本のみというので(!)、これは買わねば。
 《浄夜》のピアノ三重奏版も、デ・レーウたちが録音しなかった(この日の前半プロのリスト後期作品集は《世の終わりのための四重奏曲》とCD化された)だけに、葵トリオにぜひCDを出してほしい。

十月十四日(月)運命を切り拓く女
 新国立劇場の《夢遊病の女》。楽日ということもあってか、歌手は伸び伸びと声を出して気持ちよし。鍵を握るヒロイン役のムスキオの声は若々しく、シラグーザとの主役コンビが充実。ベニーニの指揮も軽快で生き生きとして、すばらしい。見事なシーズン開幕公演。

 バルバラ・リュックの演出も示唆に富み、意欲的で面白かった。孤児として、閉鎖的、因習的な小村のなかで、強い疎外感のストレスに心を苛まれ、夢遊病となっている娘。その不安を、影のようなダンサーたちが具現化する。
 開幕の場面は、伐採されて平地となりつつある森林。この森がアミーナの心の拠り所だったらしいことは、この場面だけ、彼女が背に緑の枝をつけていることが暗示する。一本だけ、高い樹が残っている。樹上には、男女の人形がくくりつけられている。
 初めに見たときは、吉川英治の『宮本武蔵』の初めのあたり、落武者のたけぞう(武蔵)が沢庵にとらえられ、村人によって高い杉の樹上に吊りさげられる場面を思い出してしまい、「だましたな~!くそ坊主~!」と、中村錦之助が樹上から三國連太郎に向かって叫び続ける声が頭の中に聞こえてしまって困ったが、どうやらそうではなく(当たり前だ)、森の精霊のようなものらしい。
 公証人がエルヴィーノとアミーナの結婚契約書を作る場面の、音楽の喜ばしさと舞台の暗さとの対比。人形のように無個性で付和雷同するだけの村人たちの合唱が、二人を祝福する歌にあわせて、地面に広げられた白く四角い布に、次々と花を置いていく。まるで、墓に花を捧げるように。

 二幕では前述の樹も切り倒され、前半の場面は伐採した樹を板に加工する製材所。ここでますます孤立するアミーナ。彼女をなじるエルヴィーノは、かれの衣裳を他の村人から唯一区別するものだったベストを脱ぎ捨てて、製材所の炉にくべてしまう。嫉妬心が強くて自意識過剰の、ほんとろくでもない奴(笑)。
 そしてクライマックスでは、樹を切り刻んだ板材を使った灰色の建物が完成している。窓のまったくない、扉も閉じたままの、森林の墓標のような、閉鎖的な建物。切妻屋根の前、庇のうえに立ったアミーナは十字架のようなポーズをとって、教会を暗示する。閉鎖的な共同体の象徴と、その受難者のように。
 終幕の喜びの歌も、ただ一人そこで歌う。エルヴィーノも村人も手が届かず、見上げるだけ。影のようなダンサーたちももはやいない。彼女はこのあと、どうするのか。
 リュックはプロダクションノートに、「彼女にはあらゆる可能性が許されるべきです。今回の演出では、結末を決めつけることはせず、深く傷つくような体験を経て、運命を切り拓くヒロイン自らの手に結末を委ねることにしました」と述べている。

 新制作だけに、演技の鮮度が高いのも魅力。もう一度見て確かめたいと思ったのは、演出家が新たに黙役で設定した、伯爵の従者の動き。重唱では歌わないのに横に並んでいたり、終景の直前の細かい動きを見ていると、かなり積極的にドラマにからんでいる感じ。伯爵の入浴というサービスシーン(?)も、従者との関係を示すために設定されていたのかもと、あとで思った。続く伯爵とリーザ、続いてアミーナとの二重唱の場面も、従者は基本的には見て見ぬふりをしていたけれど、私が気がつかなかったしぐさや表情があったのかもしれない。

 私の場合、いい演出とは、自分の考えに合っている演出のことではなく、作品について考えるきっかけをくれるもののこと。
 まずカストラート、その後にテノールが華となる、男性原理のオペラの歴史の狭間、ナポレオン戦争後の十九世紀前半に、徒花のように咲くベルカント期のプリマドンナ・オペラ。そのとき活躍した女性歌手たちの生涯。そして二十世紀半ばにこれらの作品を得物として、男性原理が支配する歌劇場に、果敢に挑みかかっていったマリア・カラスと、彼女に続く歌手たちのこと。そして現代。いろいろと考えが拡がっていく面白さ。
 新国はこの作品に続けて、《ウィリアム・テル》(ギヨーム・テル)をやってくれる。胸声で力強い高音を歌うテノールが出現して、男性が再びオペラの華となるきっかけとなり、グラントペラへの扉を開く、重要な傑作。ありがたいシリーズ。

十月十五日(火)ピエタと江口の君
 一週間ほど前の話だが、『花よりも花のごとく』二十三巻と『詩歌川百景』四管、それぞれの最新刊が相次いで出た。近所の書店で直接買えたのが嬉しい。この二冊も含め、いま自分が買っているマンガは、どれも単行本が一年に一冊かそれ以下という発刊ペースばかり。近年はいちいち前の巻を読みかえさないと、ストーリーを忘れているのが情けない。
 『花よりも花のごとく』は連載開始から二十三年の歳月をかけ、いよいよクライマックスに向かう。読んで能の『道成寺』を久しぶりに見たくなる。
 『詩歌川百景』は、主人公を招く「山の呼び声」が次第に高くなっている。前作『海街diary』で、途中からエベレストの存在が大きくなった(ヒマラヤの鶴はいい話だった…)のと似て、帷子岳がつねに見えるようになってきた。
 興味深いのは、どちらの作品でも、山のロマンが男だけのものであること。登るのは男だけ、女性は下界で待つだけ。ヒロインの妙などは帷子岳くらい軽々と登りそうだが、なぜか(少なくとも作品中では)関わりをもたない。彼女と縁が深いのは山道ではなく、川や河童淵などの水辺。
 誰かが亡くなったとき、その魂が迷わないように灯がともるという帷子岳頂上の燈明岩も、飯田のじいちゃんが亡くなったときは灯が見えたのに、ばあちゃんのときは見えなかった。迷い、山に惹かれていくのは男性の魂だけなのか。
 そういえば、林田は帷子岳に登ったとき、燈明岩には登ろうとしなかったが、その理由は結局説明されていない。

 一方、妙について「ピエタ(慈悲)」という言葉が出てきた。第一巻を読んで感じた、
「定家が出てきてやっと気がついたが、ヒロインの名前『妙(たえ)』は、いうまでもなく新古今和歌集で西行と歌を交わした江口の君、遊女妙からとられているのだろう」
という印象も、ますます深くなる。これは四年前の二〇二〇年十一月の可変日記に書いたもので、以下のように続けた。

「世を厭ふ人とし聞けば かりの宿に心とむなと思ふばかりぞ」
 それでも人は、現世に在る以上は「仮の宿」こと、浮世に執着せずにはいられない――それがどんなに、わずかな歳月にすぎないにしても。江口の君はそのことを、その歓びと哀しみを知っている。なるほど、男をやりこめる江口の君とヒロインは似ている。自らも葛藤を抱えながら、菩薩のような存在。
 そう思うと、物語の舞台が温泉旅館であること、ヒロインの祖母の大女将が芸者あがりであることなど、仕掛けはあちこちに。登場するたくさんの女性たちのなかで、ほぼヒロインだけがベタで塗られたみどりなす黒髪なのも、意味深。

十月十八日(金)始まりと終わり
 来日公演で、熱く素晴らしい《わが祖国》を聴かせてくれたポペルカとプラハ放響が、スメタナ作品集三枚組をスプラフォンから発売するというニュース。これはものすごく楽しみ。《わが祖国》はもちろん、セル編曲の《わが生涯より》や珍しい《祝典交響曲》など、記念年にふさわしいセット。

 ところで、少し前にキングインターナショナルから、「オーパス蔵」レーベルの取り扱い終了の告知がきていた。新譜が出なくなって久しいが、これで旧譜も中古のみになる。一つの時代の終わり。

 この話とはなんの関係もないが、『豊臣兄弟!』の仲野太賀(秀長)と池松壮亮(秀吉)、役を入れ換えたほうがそれらしい気がしてならないが、そんなことは百も承知であえてそうするのだろう。今はもう、『新書太閤記』風の明朗快活なイメージだけで秀吉を見る人は少ないのだろうし。秀長の死で終わらせてしまえば、小田原征伐までの、秀吉が暴君化する前の時代で終われるのも、ドラマとしては楽。

十月二十日(日)イエズス会と日本劇
 藝大の奏楽堂で行われた『ティトゥス・ウコンドン、不屈のキリスト教徒』、とても面白く、古今東西いろんなことを考えさせてくれるきっかけになる、すばらしい公演だった。
 西山尚生さん執筆の見事な作品解説によれば、十七世紀から十九世紀前半にかけてのヨーロッパではドイツ語圏を中心に、イエズス会の神学校が制作した日本をテーマにした百五十以上もの劇作品が二百回も上演された。
 なかでも一七〇〇年前後のウィーンでは、イエズス会がハプスブルク帝室の手厚い保護を受けていたため、宮廷の祝い事や記念日には「日本劇」が上演されていたという。《魔笛》でタミーノが日本の狩衣を着ているという設定は、けっして突拍子もない話ではなく、こんなところから来ているのかもと思えてくる。
 高山右近を主人公にした劇も、荒木村重の謀叛における右近の行動を題材とするものと、マニラ追放が題材のものが、十七世紀から十八世紀にかけて、それぞれ複数存在し、今回の『不屈のキリスト教徒』は一七七〇年成立で、一連の右近劇の最後に位置するという。
 最後だからなのか、それまでの諸々の要素や事件が混ぜ合わされ、一つのストーリーに編みなおされた感じがする。ウコンドンの主君「ショーグンサマ」は、信長と秀吉と家康~家光が混ざっている感じだし、叛乱者の「モロドン」は荒木村重か。
 あとのキャラの大半はモデルが誰なのか見当もつかないけれど、「ヤクイン」は秀吉時代に切支丹追放に活躍した施薬院全宗らしい。今回初めて知ったが、この人は「せやくいんぜんそう」ではなく「やくいんぜんそう」と読むのが、歴史的には正しいのだという。少なくとも昭和のころまでの歴史書や小説では「せやくいん」とルビがついていたので、自分はそう思いこんでいた。この、近年の日本人が忘れていた正しい読み方が、イエズス会由来のこの劇に残っていたのだとしたら、とても面白い。

 構成・演出を担当された布施砂丘彦さんは、二百五十年前にザルツブルクで上演された作品を再現するのではなく、現代日本人が見るものとして舞台化した。
 殉教を熱望し、妻と三人の娘を喜んで刑死させてしまうウコンドンというキャラは、「神の兵士」たるイエズス会士は共感するかもしれないが、一般的な現代日本人の感覚では、あまりに狂信的で、独善的にすぎるように思える。かれを説得し、棄教させようとする周囲の人々の意見のほうが、よほど共感できる。
 今回の狂信者たちが着ている純白の衣裳は、その独善的な価値観の具現化。
 また、この作品のラストは、いかにも宮廷でも上演するのにふさわしく、とってつけたようなどんでん返しのハッピーエンドになっている。寛大なショーグンサマは、じつはウコンドンの妻子四人を処刑しておらず、しかもその不屈ぶりに感服してキリスト教の信仰を認めたうえで、自らの後継者とする。
 しかし、いくらそういうものだとはいっても、現代日本人にはいろいろな意味で、このハッピーエンドは受け入れにくい。そこでこの場面、次第に現実味がなくなっていき(妻子の姿は幻のように遠い)、最後はウコンドンの狂気が見せている夢なのではないかととれるように、かれを孤立させ、闇の中に立たせた。うまい工夫。

 それにしてもこの日本劇、あくまで日本人たちだけの物語になっていて、語り部あるいは能のワキのような、観客の西洋人が共感しやすいような、西洋人のイエズス会士の役とかがないのも興味深いところだった。
 あと、こうした日本劇(信長や秀吉やザビエル、細川ガラシャなどが主人公の作品もあるという)を、豊臣秀吉が自らを讃えるために作らせた豊公能、『明智討』だの『この花』だのと並べて上演したらどんな感じだろう、とも思ったり。

 さて来月は「日本が見た西洋音楽」。クラウス・プリングスハイムが一九三九年に作曲した《山田長政》。

十月二十一日(月)天正少年遣欧使節
 『ティトゥス・ウコンドン』を見た余韻で、久しぶりに、そしてあらためて、読みなおしたくなったのが、若桑みどりの『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国』。
 天正の少年遣欧使節の四人の少年の旅とその後の生涯、布教と禁教から迫害にいたる歴史を、大航海時代のヨーロッパと日本、世界史的規模のなかでとらえなおすという、雄大な著作。

 初めて読んだとき、とくに印象に残ったのは、日本では使節を四人と数えるけれども、ヨーロッパ側は身分的に「武士三人+従者一人」とし、ローマ教皇に拝謁した使節の人数を「三人」と見なしたという話。
 これは、この使節を聖書の「東方の三博士」到来の故事に重ね合わせ、その再現とみたてようとしたためだった、なんて記述に接したとき、史的昂奮でゾクゾクきたのを憶えている。そうすることでイエズス会にとって少年使節は、自分たちのアジアでの活動の成果を本国に喧伝する、絶好の機会になるのだった。
 きれいごとではなく、イエズス会の思惑、教皇の思惑、スペイン王の思惑、日本の戦国大名たちの思惑、さまざまな欲望がその背景にある。そのことを、見事に活写した傑作。

 『ウコンドン』そのものは、実際の布教時期から百五十年ほどもたっているから、継承を重ねるうちに細部があいまいになり、史実とはかけ離れたファンタジーになっている。
 しかしその原型には、実際に日本の地に生活し、文物を持ち帰った宣教師たちの実体験と、冷静な見聞録があった。よく知られているように、宣教師たちは日本について、詳細な報告書をローマに送っている。あくまでキリスト教の価値観に拠っているとはいえ、外側から当時の日本の政治と社会を眺めた、貴重な記録として日本では重視されている。
 ヨーロッパでの「日本劇」の上演記録は一六〇七年から始まるそうだから、初期の制作には日本滞在経験があり、報告書を熟読していたイエズス会士たちが、自ら関わっていたと考えるほうが自然。だから、当初はそれなりに考証がしっかりしていたはず。ローマでの少年遣欧使節をこの目で見た、なんて宣教師も周囲にいたかもしれない。

 少年使節をローマに連れてくることと「日本劇」の上演は、イエズス会の宣伝活動として、ひとつながりの「演出」のように思える。
 なにしろ、古代ローマ帝国における迫害の後では最大の人数となるほどに多数の殉教者を秀吉時代に出し、さらに島原の乱後にいたっても出し続けているのが日本だったのだから、イエズス会にとっては忘れがたい、自らの存在意義に関わる国だった。だからこそ、徳川幕府が鎖国した後も大切にして、十八世紀前半まで日本劇を上演しつづけたのだろう。
 十六~十七世紀の西洋と日本の交流の歴史の、はるか末流の伝承物語としての『ウコンドン』。時代をつなぐ記憶のよすが。その源流として、『クアトロ・ラガッツィ』を読みなおしてみる。

十月二十三日(水)アテナの借用
 若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ』を読みなおしていく。十六世紀後半の日本と西洋の交流が、二百年後にまで「日本劇」として変形を重ねつつ残る、という歴史のパースペクティヴから読みなおすと、見下ろせる視野が拡がるようで、前とはまたちがっておもしろい。

 ところで、若桑みどりというと、オペラ好き、ワーグナー好きの自分にとって大きなヒントを与えてくれたのが、『イメージの歴史』(ちくま学芸文庫)。ギリシャ神話の女神アテナのイメージについて語った箇所がおもしろかった。

「神話によれば、ゼウスにはメティスという妻がいたが、ゼウスが王位を奪った天空の神ウラノスと大地女神ガイアが、彼らがゼウスに王位を奪われたように、メティスとゼウスのあいだに生まれる男子によってゼウスの王位が奪われるだろうと予言した。そこでゼウスはメティスを飲み下してしまった。月満ちてゼウスの頭から生まれたアテナは女性であるから、ゼウスの王位を奪うことはない。しかも彼女は数々の神話が伝えるように、ポリス国家の守護女神であり、英雄ヘラクレスの守り手であり、産業や学芸、そして戦争の女神であり生涯独身の処女神として父ゼウスに奉仕する娘である」

 面白いのはこの箇所。「戦争の女神であり生涯独身の処女神として父ゼウスに奉仕する娘である」。
 これがワーグナーの《ワルキューレ》の、ブリュンヒルデと父神ヴォータンとの関係そのものに思えるのだ。
 というより、ワーグナーがゼウスとアテナの関係を借用し、ヴォータンの原イメージはゼウスであり、ブリュンヒルデの原イメージはアテナだ、と考えると、あの物語はとてもしっくりくる。スカートをはいて兜と楯と槍をもつ、というブリュンヒルデの一般的スタイルも、アテナそのままだし。

 アテナは女の腹から生まれたのではなく、父ゼウスの額が割れて、そこから生まれてきたという。これもブリュンヒルデとヴォータンの関係に近い気がする。
 なぜなら、ワルキューレはヴォータンが大地の女神エルダに産ませたというけれど、ブリュンヒルデは他の姉妹と違って、ヴォータンにとって飛び抜けて特別な存在であると感じられるからだ。
 ヴォータンの分身のような、絶対に裏切らないはずの存在。母親の腹を借りずに、父が頭を痛めて(笑)自ら産んだ処女神なら、そうなるだろう。
 そんな、父系社会の父にとって最高に都合のよい存在なのに、自分の意思を持ち出して父を裏切ったから、ありえないはずのことが起きたから、ヴォータンはあんなに激怒する。そして、ブリュンヒルデはジークフリートと結ばれ、「生涯独身の処女神」ではなくなる代償に、夫に知恵と知識を授ける(《神々の黄昏》のジークフリートは、頭がよくなったようには思えないけど)。
 ワーグナーのブリュンヒルデとは、つまりアテナのこと。イメージの借用。ギリシャ・ローマの古典教養が十九世紀ヨーロッパの知識人の基本的教養だったことを思えば、なんの不思議もない。
 近代ヨーロッパの知識層がもつ「とにかくキリスト教的じゃないもの」への憧れの対象として考えれば、ギリシャ神話も北欧神話も一緒。ただ、ルネサンスのころに前者が入ってきて、あとから後者が加わったという時間差がある。だからワーグナーが自分のブリュンヒルデを造型する際に、「ゼウスを絶対に裏切らない処女神」アテナのイメージを基礎にするのは暗黙の諒解で、向こうの人はわざわざ口にする必要もないのだろう。
 そして、アテナが人間化する過程と結果を描くドラマだ、と考えると、《ニーベルングの指環》の物語、とくにブリュンヒルデの言動が、日本人にも理解しやすくなるように思える。

十月二十四日(木)オペラの旅から
 日本フィルの記者会見。新たに始まるサントリーホールでのセミステージ形式のオペラ全曲公演のシリーズ第一弾、来年四月二十六及び二十七日に開催される『広上淳一&日本フィル「オペラの旅」Vol・1』、ヴェルディのオペラ《仮面舞踏会》について。
 指揮はもちろん広上で、中村恵理と宮里直樹などオール日本人キャスト。脇役には有望な若手を起用して合唱は東京音楽大学と、次世代育成の意味ももつ。
 オペラを音楽として純粋に楽しむにはコンサートホールでの演奏会形式や、セミステージ形式のほうがよい(特に後者は、独唱者の周囲の空間を観客の想像力にゆだねるという意味で、能の魅力に近いと思う)。オーケストラにとってもオペラ演奏の経験は豊かであるほうが絶対にいい。
 二年に一回の開催を目標に、とのことなので今後も楽しみ。

 ところで記者会見の会場は、珍しくも池袋の東京音楽大学内の教室。広上と中村がここで教えていて、学生が合唱で参加するという縁だそうだが、九月のムーティの《アッティラ》といい、最近は弦楽四重奏に加えてオペラでも、東京音大の存在感が私立音大のなかでは突出している。
 池袋キャンパスの最寄り駅は副都心線の雑司ヶ谷駅。その開通前は都電荒川線(さくらトラム)の鬼子母神駅ぐらいだったので、道は細く入り組んで、店舗は少なく、昔ながらの住宅街の雰囲気が濃厚。江戸時代の田園地帯の気分も残っていて、荒川線の踏切脇の神社なんて、なんともいえず「村の鎮守」の雰囲気。その向こう隣がすぐお寺なのは、いかにも神仏習合の名残か。その先には鬼子母神があり、このへんは寺と神社だらけ。土地全体に、西方の西武線沿線とか中央線の都下地域などに通じる、「武蔵野」っぽい雰囲気があるのがおもしろい。
 《アッティラ》を聴きにきたときに付近の風景に興味がわいていたのだが、ようやく温度も下がり日差しも弱い時期となり、記者会見後にさまよってみた。
 鬼子母神駅から荒川線の雑司ヶ谷駅に向かって線路沿いに歩くと、東側は広大な雑司ヶ谷霊園。そういえば京極夏彦のデビュー作、『姑獲鳥の夏』の主要舞台は、この霊園から雑司ヶ谷鬼子母神あたりだった。
 荒川線雑司ヶ谷駅の前には雑司ヶ谷霊園の入り口。この霊園は江戸時代に吉宗のお鷹小屋跡の土地に作られた。その東側は護国寺の広大な墓地だし、東京音大周辺にも墓地が散在し、北側には巣鴨監獄~東京拘置所~スガモプリズンと変遷し、ゾルゲやA級戦犯たちが処刑されてきた土地にサンシャインシティがあったりと、なかなか興趣が深い。
 続いて首都高の高架を潜って、豊島区東池袋五丁目から文京区大塚六丁目へ。東池袋五丁目は住宅密集地なので、小さな空き地を「辻広場」とし、防火用水の設備がある。用水の前に、いかにもな石の鯰。道が細くて路地や坂道が多く、さまようには愉しい地帯。方向感覚の鈍い自分などは、どちらに向かっているのかすぐにわからなくなる。個人商店の豆腐屋や肉屋や酒屋など。商店街ともいえないまばらさ。空き巣や強盜の下見みたいに思われるといやだなと思ったが、余所者へのそういう警戒感は、意外にもぜんぜん感じなかった。
 最後に、新大塚駅へ向かう春日通りに出る。この通りが尾根沿いの、馬の背になっていることは両側を歩くとよくわかる。春日通りだけでなく、目白通りも新宿通りも尾根道だから、江戸城から山の手の西北方向への道は、尾根沿いに整備されることが多かったのだろう。ここから北西へ行けば川越街道、南東の新大塚の向こうは学校だらけ。

十月二十五日(金)日本の貴公子たち
 若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国』を再読。
 同書には高山右近の生涯も詳しく書かれているので、『ティトゥス・ウコンドン』の成り立ちを考える上で大いに参考になった。
 今回上演されたのはかなりの短縮版だそうだが、この日本劇のストーリーはけっして荒唐無稽ではなく、一つ一つの場面は高山右近の生涯のさまざまな事件から採られていて、それを自由に組み合わせて編みなおしたものらしいと、あらためて感じた。
 簡単に言えば、右近は信長、秀吉、家康の三人の覇者それぞれから、信仰の危機となるさまざまな苦難を与えられた。ここではその三人をショーグンサマとして一つの人格にまとめ、さらに時系列を無視して苦難の順番を入れかえ、ハッピーエンドとなるようにしたようだ。
 右近の時代に日本に滞在したイエズス会の幹部は、それぞれに詳細な報告をまとめ、ローマ教皇のもとに送っていた。しかもそれらは必ず公刊され、多くの人が読めるようになっていた。だから、劇の作者にとって情報は豊富だった。
 覇者による伴天連追放が始まったのは秀吉時代。秀吉にそれを働きかけた家臣のうちの、施薬院全宗がヤクインの、増田仁右衛門(右衛門少尉)長盛がイエモンドンのモデルなのだろう。この二人はウコンドンの敵である。
 覇者に逆らえず、ウコンドンに棄教を勧める友人二人も秀吉時代から、ツミコンドンは小西摂津守行長、ゴモルドンは蒲生氏郷あたりだろう。
 しかしもう一人の敵、反乱を起してショーグンサマを襲うモロドンは、その前の信長時代の人物で、信長に反乱した荒木村重だと思う。
 村重に臣従して家族を人質に差し出していた右近は、自分に従わなければ伴天連を皆殺しにすると信長から脅迫され、肉親と信仰のどちらを捨てるかの板挟みになった。この事件をメインに、秀吉の伴天連追放令に従わず右近が追放された事件を組み合わせたのが、『ティトゥス・ウコンドン』の主要主題だろう。
 板挟みの右近は、どちらを裏切ることもできないと、ついに高槻の城も家臣も捨て、紙衣一枚で信長の前に出る。倫理観などない、生存本能がすべてに優先される戦国時代には珍しい、キリシタンならではの行動に対し、村重は人質を殺さずにおき、信長は領地を安堵した。あまりの潔さに感服して、二人とも右近を許すしかなかったのだ。
 これこそ、右近がキリシタンの鑑といわれる所以だ。『ティトゥス・ウコンドン』の唐突なハッピーエンドは、おそらくこれが元ネタだろう。
 弱肉強食の論理が支配し、裏切りも横行する戦国時代に、忘れ去られていた高潔な道徳心の拠り所を示したことは、キリスト教がインテリ層を惹きつけた一因だった。少なくとも、イエズス会はこの点に自らの成功の一因があると考えていた。『クアトロ・ラガッツィ』では、そのことがよくわかる(黒田官兵衛のような人がキリシタンだったことは、今まできちんと考えてみなかったが、正面から向きあわなければいけないと思った)。
 『ティトゥス・ウコンドン』には、非キリスト教徒の裏切り者が二回登場し、どちらも右近に討たれる。右近は冒頭で謀叛を企てたショーグンサマの弟の首を主君に献上し、最後にモロドンを倒す。
 実在の右近は村重討伐に参加し、また明智光秀の謀叛で信長が討たれた直後の山崎の戦いで、秀吉軍の先鋒として戦功を樹てたことでも名高い(籠城した村重と違い、モロドンが謀叛を起す点は、明智光秀を意識した感じがする)。

 『クアトロ・ラガッツィ』が教えてくれたことは、もう一つある。イエズス会が十七世紀から十九世紀初頭まで、はるか彼方の、はるか昔に縁もゆかりもなくなった、そんな日本を題材にする劇を、上演し続けることができた理由だ。
 天正少年遣欧使節の四人の少年がヨーロッパのキリスト教世界に残していった印象が、日本の我々が思うよりもはるかに深く、大きなものだったからではないか。
 日本では、僻遠の九州の大名たちが中央とは無関係に、勝手に行なったことにすぎないと、矮小化して考える習慣がある。しかしヨーロッパでは、スペイン国王フェリペ二世が歓待し、フィレンツェではフランチェスコ・デ・メディチが親しく出迎え、ローマでは教皇グレゴリウス十三世がローマ市民権を与えて歓迎した。そして教皇がまもなく没すると、コンクラーベで新たに選ばれたシクストゥス五世の戴冠式にも参列した。
 このときの行列の模様を描いたバチカン所蔵の絵画には、四人の姿もちゃんとあるという。遠い東洋から来た、礼儀正しい四人の貴公子は、ヨーロッパ式の正装を着こなし、ラテン語を見事に話し、さらに王侯の前では凛々しい和装まで披露して、人々に鮮烈な印象を残した。
 北部で宗教改革の嵐が始まり、新教諸地域を版図から失い、危機感を強めていたローマ教会にとって、東洋での布教の成功を、このような形で目の当たりにできることは、心強いことだった。
 ヨーロッパのカトリック社会全体の、歴史的大事件だったのだ。この四人の印象が具体的なものとして記憶されたからこそ、日本劇はイメージしやすく、上演しやすかったのではないか。

十月二十六日(土)オペラ演出の
 午後は東京文化会館で二期会の《影のない女》。
 コンヴィチュニーの大胆な演出が、賛否両論の嵐。音楽を大幅に入れかえ、第三幕最後の盛りあがる音楽をすべてカットし、第二幕終曲を代わりに使う。石女(うまずめ)を否定する台本が、現代では女性蔑視であるからだという。
 正直、やりすぎと感じる。ここまでやるなら別のタイトルの作品として、副題に(ホフマンスタールとシュトラウスの《影のない女》に基づく)とつけるのがよいだろう。ピーター・ブルックの『カルメンの悲劇』みたいに。二期会も途中から「コンヴィチュニーの《影のない女》」と書くことにしたようだが、それでは十分ではない。
 ただ、コンヴィチュニーが主宰する劇団とかならともかく、二期会としては、ここまで変わるとは当初想定していなかったろうから、別の作品として扱うわけにもいかなかったのだろうとは思う。
 出演者はおそらくきちんと全曲を勉強してあっただろうし、全体にとてもよく歌っていただけに、もったいない感じがする。歌手が集まった興行団体であるだけに、なおさらだ。
 それにしても、この舞台の前に、同じ二期会がロラン・ペリー演出の《コジ・ファン・トゥッテ》を九月に上演していたのは、好一対で面白い。
 演出家が作品の筋書そのものには共感していないという点は一緒なのに、出てきた答が正反対だったのだ。ペリーは、スタジオでのレコーディングというメタ設定にして音楽の美しさを前面に出し、物語を直接批判することは避けた。
 これは、二〇一一年ザルツブルク音楽祭での、《影のない女》のクリストフ・ロイ演出と同じ方法論。ロイは、一九五五年のゾフィエンザールでのデッカの全曲録音の場面に設定してしまうことで、やはりこの作品をメタ化した。そして、クライマックスだけは演奏会形式のライヴのようにした。
 同じ《影のない女》へのロイとコンヴィチュニーのアプローチの違いが、ペリーの「コジ」という補助線を得て、はっきりと見える。

 それにしても、再現芸術としてのオペラ演出というのは、難しいものだとあらためて思う。演奏や演技のように、毎回消えてしまうもののようにはいかない。そのつらさ。

十月二十九日(火)来年の東京春祭
 「東京・春・音楽祭」が二〇二五年のプログラムを発表。ヤノフスキ&N響のワーグナー・シリーズは、コロナで延期になっていた《パルジファル》。読響のプッチーニ・シリーズはリーニフ指揮で《蝶々夫人》。今年初登場した東響は、ノットの指揮で《こうもり》(もちろん以上はすべて演奏会形式)。
 ムーティはイタリア作品の演奏会で登場。《ローマの松》があるのが特に楽しみ(オペラのアカデミーは今年同様に秋とのこと)。
 今年に続いて現代音楽アンサンブルにも力を入れ、アンテルコンタンポランの再登場に加え、クラングフォルム・ウィーンも二回の演奏会(日程がエベーヌ&ベルチャにばっちり重なるのが、個人的には悲しいが)。
 例年同様に盛りだくさんの小ホール公演のなかには、ピノック&紀尾井ホール室内管によるゴルトベルク変奏曲の管弦楽編曲版がある。これはピノックのCDに日本語解説を書いたものなので、ナマで聴けるのは嬉しい。ユダヤ系ポーランド人の十二音音楽の作曲家ユゼフ・コフレル(ヨゼフ・コフラー、一八九六~一九四四)が、ドイツ占領下で落命する六年前に編曲、しかし演奏されることなくシェルヘンの遺品中に一九九三年まで眠っていたもの。フルート、オーボエ、コールアングレ、ファゴットと弦楽という編成。
 あと、ムーティの《仮面舞踏会》の日本人キャストとしてリッカルドを歌い、あきらかに本番のイタリア人より出来がよく、ムーティからも絶賛された石井基幾が、平野和と旧東京音楽学校奏楽堂で歌う日などもある。

十月三十一日(木)初心の魅力
 「モーストリークラシック」十二月号は、今年二回目のブルックナー特集で王道的「ブルックナーの使徒」として、ヨッフム、朝比奈、ヴァントを紹介。「音盤時空往来」はそれと反航するかたちで(笑)、高関健&東京シティ・フィルの交響曲第八番(初稿)と、エラス=カサド指揮アニマ・エテルナによる第四番の話を書いた。
 現代のオーケストラの響きの透明度が増したことで、二十世紀後半のマチズモなブルックナー演奏とは、別の魅力が聞こえるようになってきたと思う。
 とても凝った、繊細なオーケストレーション――しかもそれが、ワーグナー風のものなのがとても面白い――を施した第八番の初稿には、英雄的で直截的、質実剛健に響きが整理されてマッチョな、しかしデリカシーに欠けるきらいのある第二稿とは異なる魅力、すなわち初々しく、匂い立つような新鮮さと、逡巡しつつも鋭敏な、豊かな感受性がある。高関の実演では、このことがとてもとてもよくわかった(記事には取りあげなかったが、ポシュナー指揮のCDでも、そのことはよくわかる)。


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