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十一月八日(金)憑き神が落ちて
 観世能楽堂で銕仙会の定期公演。
・能『巻絹』大槻文藏
・狂言『鐘の音』山本則孝
・能『善界』観世淳夫
 『巻絹』の後シテは、明神が憑依した巫女。託宣を告げ、舞った後で神が去ると、手にした御幣を背中ごしにポトリと落す。それをきっかけに普通の人間に戻る。その気配の変化を、目に見えるように感じさせる芸。

十一月十日(日)「ピエタ」が来る
 ふとしたことである言葉が気になり、調べてみると、意外にもどんどん連鎖して興味がふくらむことは、よくある。
 さらに加えて、鳩が突然部屋に飛び込んでくるみたいに、まったく別の方向から、その話題に関する催しや録音の知らせがタイミングよくやってきて、まるでジグソーパズルがどんどんはまっていくような、不思議な昂奮をすることが、たまにある。
 ものぐさな自分などは、そうした邂逅と連鎖だけで知識とヒントを得ることが多いのだが、最近もそんな体験をした。

 それは「ピエタ」という言葉。先日読んだ『詩歌川百景』第四巻の最後に出てきた言葉。
 ミケランジェロの彫刻の題名として有名で、昔読んだ小松左京の短編集『鏡の中の世界』の角川文庫の表紙が、これをモチーフにした生頼範義の画で、自分はそちらから先に知ったのだった、などと思いつつ、「ピエタ」を検索してみた。
 すると、最初に目についたのは、小泉今日子や石田ひかりの出演による、二〇二三年の舞台劇「ピエタ」のサイトだった。なんでも、「赤毛の司祭」ヴィヴァルディが十八世紀に音楽教師を務めたことで知られる女子孤児院「ピエタ院」が舞台の劇だという。そしてこれには原作があって、それは大島真寿美が書いた同名の小説で、二〇一二年に本屋大賞第三位を得た作品だという。
 恥ずかしいことにまったく知らなかったのだが、文庫になっているようだし、ヴィヴァルディの話ならいずれ読んでみようと、そのときは思った。

 それから数日。
 旧知のバロック・ヴァイオリニストの杉田せつ子さんから、久しぶりに(おそらくコロナ禍後はじめて)演奏会のご案内をいただいた。
 内容を読んでびっくり。なんと大島真寿美の小説『ピエタ』の世界を、バロック・アンサンブルによる音楽と朗読でたどる催しを開くという。
 こういう邂逅、こちらを招くかのような偶然の好機は、何よりも大切にしないといけない。うまく予定もあいている。今月三十日の原宿教会、しかも入場時には、十八世紀イタリアのレシピに基づく焼き菓子ももらえるという(食い物のサービスにとても弱い男)。
 行くことに決め、今からは、とるものもとりあえず購入した『ピエタ』の文庫本を読む。

十一月十一日(月)我らに平穏を
 オペラシティで、濱田芳通&アントネッロによるバッハのミサ曲ロ短調。
 ゴシック建築ではない、人そのもののようにいびつに歪んでゆらめく、バロックのバッハ。
 躁と鬱、躍動と沈潜、光輝と暗黒、歓喜と悲嘆。そのはてしなき落差。
 額を照らす星は頭上遥かに遠く、心をえぐりとる地獄はすぐ足元に。
 Dona nobis pacem.

十一月十三日(水)群響の第九
 朝日カルチャーセンターの新宿教室で「日本人と第九の百年」の第二回、昭和後半、高度成長期の日本の「第九」。
 N響歴代の「年末の第九」指揮者は、実はそのまま、N響と縁の深い指揮者の名簿のようになっているなんて話とともに、群馬交響楽団をモデルとする一九五五年の映画『ここに泉あり』のクライマックスが、日本青年館での山田耕筰指揮の「第九」であること、そしてこの映画の大ヒットが解散寸前の群響を苦境から救い、それどころか翌五六年には現実に「第九」を初めて演奏できることになった、という話をした。
 その群響、来る二〇二五~二六年シーズンは創立八十周年記念シーズン。その曲目を見たら、あえて年末ではなく三月末の定期で「第九」を取りあげている。おそらくは七十年前に初めて「第九」をやれたことを記念する選曲なのでは。東京公演もあるようなので、聴きに行こうと思う(あと、十一月高崎での「千人」も気になる)。

十一月十五日(金)寄するは老波
 国立能楽堂の企画公演。
「水面に浮かぶ老木の花」
・狂言『箕被(みかずき)』野村萬(和泉流)
・復曲能『実方(さねかた)』大槻文藏

 『実方』のシテは藤原実方。道長と同時代の人物で、九九九年に四十歳前後で没している。歌舞の才と容色に秀でながら九九五年に陸奥守に左遷され、任官先で没した。ワキは西行で、実方の塚(宮城県名取市にあるという)を訪れた西行が実方の霊に出会う複式夢幻能。
 実際には高齢にならずに死んだ実方だが、能の幽霊は年老いている。都で賀茂臨時祭の祭司として、舞を披露した往時を回想し、水面に自らの美貌を見るが、年老いて容色が衰えていることに気がつく、というのがクライマックス。

シテ 御手洗に映れる影をよく見れば
地 我が身ながらも
シテ 美しかりし粧の今は
地 昔に変る
シテ 老衰の影
地 寄するは老波、乱るゝ白髪、冠は竹の葉

 舞を終えて橋掛りにたたずみ、水面を覗きこむ姿の美しさと寂寥は、さすが大槻文藏。

十一月二十四日(日)けだるくも温か
今日はミューザ川崎でラトル指揮バイエルン放送交響楽団の演奏会。同じミュンヘンのオケでも、三週間前のソヒエフ指揮ミュンヘン・フィルが天鵞絨のような響きだったのに、まったく異なる鮮明な響きで、各楽器が突出してくるような感じになるのが面白い。三楽章版だが第四楽章の存在を意識した、あくまで未完の演奏という感じだったのがいい。

 終演後、川崎駅のアトレ四階のカフェで夕食を摂り、同じフロアの有隣堂書店をうろうろ。
 日曜の七時過ぎ、すなわち「サザエさん後」の繁華街は人も減り、しかしついさっきまで混雑していたという熱気の余韻が、場所にも店員の顔にもけだるくただよっている。閉店までの数時間に漫然と漂う、その虚脱感が、なんともいい感じで心地よし。
 それにしても、ホールの近くに大きな書店があるのは楽しい。有隣堂ではゆっくりと文房具を見ていくつか買い、書籍売場では、『ピエタ』があまりにも面白かった(感想は近々に)ので、著者大島真寿美の直木賞受賞作『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』の文庫を探して買う。
 ヴェネツィアから大阪へ。時代はともに十八世紀半ば、文化と社会の爛熟期。こちらは文楽作者の近松半二が主人公だという。
 大島という人、こちらが読みたい世界をばっちり選んでくる。すっきりした文体と話し言葉の『ピエタ』から、濃厚な大阪弁の世界へ。『妹背山婦女庭訓』は一部分を歌舞伎版で見たばかりなので、その偶然の縁が嬉しい。
 本屋で本を買えるというのは、ささやかなことながら、いやささやかであるがゆえに、ほんとうに幸福なこと。
 文庫にカバーをつけてもらうのも久しぶり。十色から選べるというので、青にした。この本には臙脂とか赤系のほうがよかったかなと、あとで思ったが。
 カバーの裏にある「本は心の旅路──有隣堂」という言葉に深く共感。帰りの東海道線(これもけだるく空いている)で読み始めると、近松半二が世話になる人物として有隣軒というのが出てきた。有隣堂と有隣軒、こんなつまらない偶然もなんだか嬉しい。
 縁から縁へ、けだるくも温か。

十一月二十八日(木)記憶の再現芸術
「ヴェネツィアを捨てるんだ、って、最後に会った時、先生は笑っておっしゃってました。愛しているけど捨てるんだ、って、それは楽しそうに。狂ってるんじゃないか、とわたしが思ったのはあの時だけです。もちろん、先生は狂ってなどいなかった」
「狂ってみえるくらいに、気持ちよさそうだったという意味です。オペラを作ると言っていた。オペラはもう一つの世界だと。もう一つの世界を、先生は作ろうとしていた。ヴェネツィアでだって、それは出来るのに、とわたしは思ったけど、先生はヴェネツィアでは出来ないと思っておいでだったんでしょうね。たぶん、ずっとそう思っていたんじゃないでしょうか。まったく新しい、先生の頭の中にあるオペラは、べつの場所じゃなきゃ作れなかったんじゃないでしょうか。ここじゃ、だめだった」
(大島真寿美『ピエタ』ポプラ文庫)

 大島真寿美の小説『ピエタ』の感想。
 ピエタ院は、十四世紀から存在したヴェネツィア共和国の救貧院。赤ちゃんポストに棄てられた孤児などを養育する。
 重要な収入源となってきたのが、附属の「合奏・合唱の娘たち」の演奏会。その最も有名な指導者がヴィヴァルディ(一六七八~一七四一)で、多くの作品を彼女たちのために作曲している。最も有名なピエタ院での教え子として、ヴァイオリンの名手アンナ・マリーア(一六九六~一七八二)がいる。
 小説の主人公エミーリアは、ピエタ院に棄てられた赤子だった。アンナ・マリーアと同じ年に棄てられた。
 で、この作品のいいところは、青春物語ではないこと。孤児だけどけなげに生きる娘たちと、それを支える青年司祭ヴィヴァルディの話、ではないこと。
 ピエタ院を辞めたヴィヴァルディが、六十三歳でウィーンに客死した知らせが、ピエタ院に届くところから始まる。
 エミーリアもアンナ・マリーアもすでに四十五歳。エミーリアは院の運営にたずさわり、アンナ・マリーアは楽団の中心的存在となっている。
 このほか、ヴィヴァルディのオペラの実在のプリマ・ドンナ、アンナ・ジロー(一七一〇~四八?)など、生前のヴィヴァルディと関わりをもった、さまざまな世代と境遇の女性が何人も出てくる。
 つねに中心にいるのは、ヴィヴァルディという死者。この死者と結びつく、あるいは結びつかない、彼女たちのさまざまな思い出が語られていく、その物語と展開がじつにうまい。衰退期のヴェネツィア共和国の社会状況が巧みに重ねられているのも、歴史好きには嬉しい(塩野七生の『海の都の物語』を読んだことのある人にとっては、特に)
 楽しい思い出、嫌な思い出。いずれにしても確かなのは、過去は変えようがない、ということ。
 だから、語られる思い出は、ある種の悔恨がつねにともなわれている。しかしその思い出と悔恨の積み重ねこそが、いまの自分を形成する、基礎であり要素であり、養分となっている。
 その苦味と光明。

 この小説を読み終えて思ったのは、思い出というのは変えることが出来ないだけに、その人だけの、きわめて個人的な「古典」なのかもということ。
 記憶は、心の中に厳然と存在しつづける。しかしそれを脳裏に再現するとき、意味づけや評価、影響力は、己の人生の道程の、そのときどきで変化していく。客観化や絶対化など、解釈は変わる。
 それは古典芸術と再現芸術の関係に、似ているのかもしれない。

 著者が一九六二年生まれ、自分と同学年であるということにも、勝手に親近感を抱いた。自分は先日まで、辻真先の推理小説を立て続けに読んでいたが、その主な理由は、亡父と同じ一九三二年生まれで、かれらが思春期を過ごした敗戦直後の空気に触れられそうだったから。
 実のところ辻は早生まれなので父の一学年上だったが、世代としての共通性は高い。その辻と『ピエタ』の大島は、ともに名古屋育ちという共通点が面白い。なんであれ、縁で結ばれるのは楽しい。

 さてこの『ピエタ』の朗読に、作中にも響く《調和の霊感》のピリオド楽器による演奏を組み合わせるという杉田せつ子さんの演奏会、いよいよ明後日に迫って楽しみ。
 この本のいいところは、著者によるまえがき、あとがきや他者の解説がいっさいなく、物語だけがあるところだが、演奏会の朝の部では、著者や編集者、音楽学者が杉田さんとともにお話しされるそうなので、視点を変えて楽しめそう。
 朗読つきの昼の部はすでに完売だが、演奏のみの夜の部はまだ席がある。

 興味がわいたことはもう一つある。客死直前のヴィヴァルディがウィーンで上演を企てていたオペラが、《メッセニアの神託》であるということ。
 『ピエタ』の単行本が出たのが二〇一一年、失われたと考えられていた《メッセニアの神託》がビオンディの手で復元蘇演され、ゆかりのウィーンでライヴ録音されたのも、偶然にも同じ年。神奈川県立音楽堂で日本初演されたのは、二〇一五年のこと。CDを久々に聴こう。

十一月三十日(土)朗読と音楽と
 杉田せつ子さんの「ピエタ ~18世紀ヴェネツィアに花開いた、ピエタ慈善院の女子合奏団~」、素晴らしい一日だった。
 会場は外苑前駅から近い、北青山の原宿教会。秀逸なデザインで知られるブラジル大使館の隣。二〇〇五年落成の白い会堂は清潔感があって、気持がよい。椅子も硬すぎず、床暖房で過ごしやすい。
 十一時半から一時間の朝の部は、ポプラ社編集者の小原さやかさんの司会で、小説『ピエタ』の著者大島真寿美さんと杉田さんのお話。初めにイタリア在住の音楽学者、佐々木なおみさんによる当時のヴェネツィア、ピエタ慈善院、演奏者の解説が録画ビデオで上映され、その後に執筆の経緯などが語られた。
 大島さんのお話は、初めての歴史小説だったのでたいへんだったこと、ピエタ慈善院の女子合奏団に在籍した女性たちの名前と楽器が列記された名簿を目にした瞬間、彼女たち一人一人の姿がイメージされてきて「書ける!」と確信したこと、そうして書き始めた一行目が、「きのう、ヴィヴァルディ先生が亡くなったと、アンナ・マリーアが泣きながらわたしのところへ来た」で、あらヴィヴァルディが死んじゃった、どうしようと、自分でも思ってもいなかった始まりになったこと(笑)、展開を決めずに書き進めるタイプなので、最後まで予想がつかずに書いていたこと、ふだんは執筆中には音楽を聴かないのに、この作品だけはレストロ・アルモニコ(調和の霊感)をかけては、刺激を受けながら書いたことなどなど、とても面白かった。
(なお、今は「小説すばる」に一九六〇~七〇年代の「マーガレット」をモデルにした、隆盛期の少女漫画雑誌編集部を舞台とする小説『うまれたての星』を連載中なのだそうで、完成したらぜひ読んでみたい)

 昼休みをはさみ、一時半からいよいよ昼の部の音楽と朗読。『ピエタ』抜粋の朗読と、杉田さん率いるチパンゴ・コンソートによる生演奏の組み合わせ。朗読に重ねて演奏される箇所もある。音楽と朗読、本来の意味でいうところの「メロドラマ」のスタイル。
 曲は《調和の霊感》からの九曲を中心に、アンナ・マリーアがソロをひいたと考えられるヴァイオリン協奏曲などからのいくつか楽章が、物語にあわせて適宜取りあげられる。
 文章中に明快な指示があるわけではないし、そのために書かれた曲でもないのに、杉田さんによる選曲と組み合わせが絶妙で、朗読と音楽がそれぞれの力を相乗効果で高めあう。
 たとえば、たしかこの部分の朗読のところ。

「飛び去っていった年月はとても早く感じられるものだけど、年月を軽々こえてしまうものもたしかにあるのだ、とわたしは、今まさに風にのって聞こえてくる、〈L‘estro Armonico〉のよく知るメロディに耳をすまし、口ずさむ。あの柔らかに伸びるヴァイオリンの音色。あれは、アンナ・マリーアのヴァイオリンだ。
 ああ。
 ああ、それにしても、〈L‘estro Armonico〉。
 どれもこれも、なんとうつくしい曲だろう。
 しばし、言葉を忘れ、わたしはしずかに聴きほれる。
 ピエタを、今、音楽が包みこむ」

 「今、音楽が包みこむ」の言葉に続けて、《調和の霊感》第一番の第一楽章が響きはじめた瞬間、教会の空間全体に満ち満ちた幸福感は、ほんとうに愛おしいほどのものだった。
 そして、ヴァイオリン協奏曲変ホ長調RV二五〇の、きわめて印象的な使用、などなど。

 プレーンのガット弦を張り、バロック弓で奏でられる楽器の、ナチュラルで繊細な有機的な美しい響きも、今回に不可欠の魅力だった。
 編成はヴァイオリン四、ヴィオラ、チェロ、チェンバロの七人。「四つのヴァイオリンのための協奏曲」を演奏するにはほぼ最小限の人数だが、それがむしろよかった。全員が独奏者であり合奏者である、一人一人の音がつねに聴きとれ、全員の顔が見えるアンサンブル。
 それは、大島さんが『ピエタ慈善院の女子合奏団に在籍した女性たちの名前と楽器が列記された名簿を目にした瞬間、彼女たち一人一人の姿がイメージされてきて「書ける!」と確信したこと』と重なり、その喜びを具現化したかのようだった。
 テレビ朝日のアナウンサー、下村彩里さんの朗読も心を打つものだった。「報道ステーション」でいつも拝見している下村さん、じつは六歳から杉田さんにヴァイオリンを学び、その後はミラノ・スカラ座のバレエ学校などに留学していたのだという。
 それだけに、音楽とタイミングやリズムを自然に合わせるのはお手のもの。とはいえ、ただ一回の本番で朗読と音楽の終わりをぴたりと合わせ続けたのは素晴らしい技術だったし、お互いが間を調節しあえるライヴゆえの面白さだった。

 全員がおそろいの白い衣裳で、チラシに使われたイラストそのままだったのも素敵だった。プログラムも見やすく、解説もいたれりつくせり。
 さらに、入場時に全員に渡された、道明佳子さん製作の、十八世紀のお菓子三種。朝と昼に参加した自分は二回もらうことができ、さらに嬉しい(笑)。休憩時にいただいたが、じつに美味だった。
 こんなふうに、音楽以外にも心がこめられていて、よい意味で手作り感たっぷりだったのが、なんとも嬉しくて幸せ。

 朗読と音楽を実演で組み合わせる「メロドラマ」には、独自の魅力と多くの可能性があるということを、あらためて感じた。
 前半後半あわせて三時間、出演者は舞台に出ずっぱりで、心身ともにたいへんだったと思うが、杉田さんが言われていたとおり、遠からぬ将来にぜひ再演してほしい。


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