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一月一日(水)人類の進歩と調和

明けましておめでとうございます。
みなさまのご健勝とご多幸を心よりお祈りいたします。
そして、今こそ真の「人類の進歩と調和」を!
二〇二五年 乙巳
一月三日(木)ラフマニノフ再評価
「ラフマニノフ再評価~証言でつづる受容史」という拙文が、都響のサイトに掲載されている。
同時代の人がラフマニノフをどう評価し、受け入れてきたかを、大田黒元雄、吉田秀和、カルショー、プレヴィンなどのエピソードでつづったもので、サイトでは昨年末から公開されていたが、都響のプログラムには今年の一・二月号に掲載されるので、二〇二五年最初の書き込みで紹介する。
都響は一月にスラットキン指揮で交響曲第二番、二月にインバル指揮で交響詩《死の島》、三月にファレル指揮で交響的舞曲と、記念年だっけ?(違う)という勢いでラフマニノフのオーケストラ曲を続けて演奏するので、そのイントロとして読んでいただければ幸いである。
そういえば今年は、大田黒元雄の『華やかなる回想』が第一書房から出版されてちょうど百年にあたる。手元にあるのは、残念ながら一九四八年のアポロ出版社からの再版だが。『世界の名演奏家』は七十五周年。
一月十一日(金)巳年のヒシギ
二〇二五年最初の公演通いは、能楽から。国立能楽堂の普及公演。
・解説・能楽あんない
『古事記』『日本書紀』の八俣大蛇退治神話 谷口雅博(國學院大學教授)
・狂言『竹生嶋参(ちくぶしままいり)』(和泉流)高野和憲
・能『大蛇(おろち)』(金剛流)廣田泰能
巳年らしく、狂言は蛇身の宇賀神を祀る竹生嶋、能は素盞鳴尊による八岐大蛇退治の話と、蛇にちなんだもの。
初めの解説によれば、八岐大蛇は河川を象徴しているらしい。
能の冒頭に奏された、栗林祐輔の能管の双(もろ)ヒシギが気持の入った、まさに辺りを祓うような凛とした響きで、こちらも背筋が伸びるような清々しさ。
一年の音楽通いの始まりにこういう音を聴けるのは、とても縁起がいい気がして、ありがたし。
金剛流らしく動感豊かな演能で、山をいくつもまたぐ巨大な大蛇とのスペクタクルが、自然にイメージできた。
一月十二日(土)国土安穏
銕仙会の定期公演。
・『翁』大槻文藏
・狂言『昆布柿』野村萬
・能『絵馬』浅見慈一
正月最初は、どこの能の会も『翁』で始まるのが通例。今回もそうなのだが、大阪から大槻文藏が来て翁を舞うというので、とても楽しみだった。舞姿の美しさと清々しさ、「天下泰平 国土安穏」の謡の、献身的な祈りの響き。
この曲は翁よりも、三番叟の力演のほうが印象深いことがしばしばだったのだが、今日はまさしく『翁』
一月十四日(火)スマホ交換
二〇一七年五月以来、ほぼ八年ぶりにスマホを新調。容量に余裕ができた。

あわせてケースも交換。前のものはさすがにボロボロ。どこかちぎれたらそれを潮にスマホも交換、と思っていたが、最後までなんとか使えてしまった。長いことご苦労さま。
家のPCがメインなので高性能は必要なく、安いのにしたが、それでも八年でだいぶ進歩している。アプリの登録なども、生体認証と二段階認証の併用で、ほぼ感覚的にできてしまう。便利だが、これでいいのかという思いもあり。これでクレカとかスイカとかスマホ用電子証明書とかぜんぶスマホにまとめたら、なにか社会的存在としての自分の全人格が、そこにあるみたいな。なくしたり盗まれたりしたら、自分の人格そのものがまるごとなくなるみたいな恐怖。残るのは肉体だけの原始人、みたいな。
自分は、執筆作業をワープロからPCに切り換えたあとも、長いことネットには接続しなかった。自分の頭の中、心の中に入っていく作業に使うものが、そのまま外界に電話回線を通してつながるなんて、なにか底が抜けて漏れていくような気がして、いやだったので。いまのスマホは漏れるというより、人格を手の平サイズに抽出して携帯する感じか。
片山杜秀さんがいまだに執筆にはワープロ(書院だったか文豪だったか)だけを使っているというのは、あれだけの質と量を書かなければいけない方だけに、理解できる。そのほうが集中できるのだろう。ネットと一緒は、便利だが気が散ってよくないかもしれない。
ネット用のタブレットと、執筆用のワープロ。この二台に分けるのもありか。いまのPCにガタがきたら、そんなことも考えてみるか。
しかしカメラの性能もよくなった。画像のデータ量も大きいので、一枚を入れるのにフロッピーディスクが四枚もいる(笑)。
一月十五日(水)次のフェイズへ
十日前に六十二歳になった。六二歳。ただの量産型なので無二斎とはとてもいかないが、少なくともAIよりは個性のある文章を、せめてあと数年は書いていければと思う。
今年は、あくまで何となくだが、人生の新たなフェイズに入った年と感じる。何年も引きのばしてきたいくつかのものを、今年こそしっかりと区切りをつけられる気がする。
そこで、まず「はんぶるオンライン」の自己紹介を元旦にアップデートした。前のものを見たら「二〇一三年一月一日改訂」とあって、十二年もたってしまっている。その文面を読むといろいろなことが過去のものとなっていて感慨深かったが、ともあれ今に合わせて変えることにする。また時代の変化に応じて、自己紹介文は縦書きと横書きを併記することにした。
偶然ながら、二〇一三年も同じ巳年なのでちょうど一回り。脱皮をくり返すヘビは変革の象徴だそうなので、ことを革めるには最適のタイミングといえるのかも。四月には開設二十周年も来る。
いい機会なので、限界に来ていたスマホを八年ぶりに交換した。あらためて思い返すと、八年前の二〇一七年も、新たなフェイズに入った年だった。『演奏史譚一九五四/五五』が出たのも、生まれて初めて入院して鼻の手術をしたのも、この年だった。
そして、プロフィール用の写真を撮ったのも、この年。寄る年波には勝てず、詐欺になってきている。これも撮りなおすことに。新しいスマホはとにかく美化してくれるので、いろいろなパターンで自撮り。たまったので、場の雰囲気に応じて使い分けようかと。

八年のうち、前半四年は楽だったが、後半四年は苦しいことが多かった。差引ゼロとなったところで、再出発のフェイズに入れるといいなと思う。この年齢だから、新フェイズはいいことより悪いことのほうが多くなるかもしれないが、それでもまあ、とにかく次へ。
一月十八日(土)千秋万歳の歓びを
サントリーホールでの日本フィルのイギリス・プロ、期待通りのいいコンサート。《威風堂々》のクライマックスで、袋から取り出した鈴を振るヤマカズさんの姿に、三番叟の「鈴の段」を連想したのは自分だけではないはず(笑)。「千秋万歳の歓びの舞」、正月にふさわしい善き見もの。
一月二十一日(火)不二屋書店閉店
自由が丘駅前の不二屋書店が二月二十日で閉店というニュースを知る。
「自由が丘経済新聞」自由が丘駅前「不二屋書店」が102年の歴史に幕 幅広い品ぞろえ貫く
自分は隣駅の緑が丘に生まれ育ち、自由が丘が最寄りの繁華街だったので、この本屋さんにも一九七〇年代初めから約三十年通った。その頃は、駅の隣の自由が丘東急プラザ(現在の自由が丘東急ビル)の四階、ソハラ楽器の向かいにあった三省堂書店のほうが大きかったが、ロータリーの向う側の不二屋書店は、地上にあるぶん行くのが簡単(東急プラザのエレベーターはとても遅くて待たされたのだ)で、しかも店内に活気があり、それなのに品揃えは大衆路線ではなく、こだわりがあって好きだった。
自分が「レコード芸術」を生まれて初めて買ったのも、たぶんここだ。高校三年の一九八〇年の春~夏、ベームの表紙のもの。クラシックに興味を持ちはじめたとき、この書店にはいくつかの専門誌が、人を誘うように、わかりやすく雑誌コーナーにフェイスされていた。だからこそ買ってみようと思ったはずである。街の書店には置いていないところも多かった「音楽現代」も必ず並んでいたし、休刊前の「ステレオ芸術」ももちろん。音楽書のコーナーには日本ワーグナー協会の「ワーグナー・ヤールブーフ」も、数年分が棚に並べられていた。ここで見かけて手にとることで、存在を知った雑誌や書物は数えきれない。
音楽書だけ強かったのではなく、人文系全般に力を入れていた。通常の文庫や新書と同じ棚に、思潮社の現代詩文庫がシリーズでずらりと並んでいたのは、女学校の教員だったという二代目店主ならではのこだわりという気がする。
駅から少し離れた、別の書店の棚からは、ここまでの知的刺激を受けることはなかった。そういう書店が駅の目の前にあって、夕方など店内がラッシュアワーなみに混むというのが、いまから考えれば、すごいことだった。当時は、それがあたりまえだと思っていたけれど。
一九七〇年代までは、教養を重視する傾向が社会に濃厚に残っていた。街の書店やレコード店を通して、日本のあらゆる地域に届いていたのが、大衆教養主義のよき時代だった。私にとっては、その身近な実例だった。
余談だが、店の隣にあるダロワイヨの本店が、一九八三年頃まではお菓子の不二家だったので、同じ名前で経営母体が一緒なのかなと思っていたが、不二家と不二屋で字が違うことにと、いま初めて気がついた(笑)。
ともあれ悲しい。あとは、都立大学駅前の八雲堂書店ができるかぎり頑張ってくれることを祈るのみ。
一月二十二日(水)闇市の記憶
「肝臓公司」 学芸大学の市場 part4:戦後の闇市・マーケット~三谷マーケットと王長徳・第一マーケット・富永組マーケット・都南共栄百貨街
昔の自由が丘をネットで探して見つけた、後藤ひろしさんの「肝臓公司」というブログの記事がとても面白い。学芸大学駅周辺の闇市紹介がメインだが、自由が丘駅銀座通りの闇市が商栄会マーケットにまとめられ、次に自由が丘マーケットになり、一九五三年に自由が丘デパートになる様子を写真で見られる。あのデパートの建物は七十二年もたっているのか…。一九四六年の、バラックみたいな一誠堂時計店の姿もびっくり。
さらに都立大学駅前の闇市も。現在の目黒通りの真上にマーケットがあったなんて、知らなかった(ただあそこの道路と周囲には、曰く言い難い、荒涼とした気配をなぜか感じていたので、妙に納得できる)。目黒通りが開通したときに、その店舗が東横線の高架下(自由が丘へ向かう方にあったあそこだ)に移ったというのは、あそこも自由が丘デパートによく似た雰囲気だっただけに、なるほどと納得。
敗戦の混乱が生んだ闇市とマーケットは、私たちの生活層のすぐ下の地層にあるのだ。
一月二十三日(木)秋山和慶の引退
秋山和慶の引退に寄せて、東京交響楽団からの発表。
「1964年のデビュー以来、秋山和慶氏とは、楽団の経営破綻、再建という苦しい時代もともに歩んでまいりました。デビューからの約60年間で指揮したおよそ4300回の演奏会のうち、当団との共演は1350回を超えます」
一月二十七日(月)秋山和慶の訃報
秋山和慶の訃報。引退発表に続いての悲しいニュース。自分は秋山さんの「第九」を聴いたことがなく、昨年の十二月二十二日にミューザ川崎の、東響との演奏でようやく聴くことができたが、そのアンコールの《蛍の光》が、最後の秋山体験になってしまうとは……。
一月二十九日(水)告別不二屋書店
二月二十日の閉店を控えた不二屋書店をもう一度目に留めるべく、自由が丘に行く。
恵比寿に散髪に行ったついでに、日比谷線から中目黒乗り換えで東横線。この径路は白山まで通った高校時代と、茅場町まで通った送電線屋時代、長く通学通勤で乗った懐かしいルートでもある。
到着。ホームから見ると、北口ロータリーの東側のビル群が根こそぎ消えていて、巨大ビルへと再開発工事中。眼鏡と時計の一誠堂も洋菓子のモンブランも、かつておもちゃのえびすやがあった建物も、富士銀行(現みずほ銀行)も、根こそぎ消えていた。
駅の真正面。BOOKSとあるのが主目的地の不二屋書店。このあたりも店は変わっても建物はそのままの、私が物心ついたときからある、つまり一九五〇年代からある古いものばかりなので、やはり大規模な再開発計画が進んでいるらしい。そのためか、背後の商店街は何となく暗く、壊死が進みつつある雰囲気。
不二屋書店の隣のダロワイヨは、かつての不二家洋菓子店。いかにも「一億総中流幻想の時代」的だった不二家が、一九八〇年代にダロワイヨに改装されたのは、自由が丘が「消費生活の時代」にふさわしい、おしゃれな街(通りにええかっこしいな名をやたらにつけたがる)になっていく前兆だった。
不二屋書店に入る。雑誌を並べる什器の雰囲気や配列は昔のままのようで、懐かしさで胸いっぱい。「さて、レコ芸はどこにあるんだろう」と無意識に探している自分に気がつき、苦笑い。
二階にある新書や選書売場の陳列の仕方には、昔のままの「知的な薫り」がして嬉しい。数をしぼって並べているが、その選択がなんとも知的。近所の小中学生が歩いて行ける範囲にある、こういう場所が失われてしまうのは惜しいなあ、と思う。いまどきそんなものはスマホですぐに探せるよ、といわれればそのとおりなのだが…。
このあと南口のブックファーストに行ってみたが、この点は不二屋にかなわない。でも広いし、お客も多かったので、とにかくがんばってほしい。
その不二屋の二階、昔はここを売場にしてはいなかったと思う。一階が今よりも奥があり、数段登った先にも売場があったような気がする。あらためて見たら斜面に建っている店なので、地形的に奥が高くなる。書物の発行点数が数倍に激増した一九九〇年代に、改装して二階を売場にしたのだろうか。そのせいか、二階にあがる階段のつくりがなんとも殺風景なのが、ほほえましい。
南口への大きな踏切(子供の頃は自動化されておらず、小屋の中から人間が様子を見て仕切りのワイヤーを上げ下げしていた)を渡ったすぐ向こうにも、一九六〇年代からそのままの建物が残っている。理髪店トップのあたりには同じトップという、西洋料理店(洋食屋よりも少しランクが上)があったような記憶が。その右の穴は飲み屋街。
その飲み屋街に入ってみる。行き止まりの袋小路。昔はもう一本、東横線側(たぶん今のメルサパート2のあたり)にもこういう路地があり、それは奥の川(今は暗渠化してしゃれた遊歩道に)まで「抜けられます」だったが、もっと薄暗く、怪しげな店が並んでいた。学校帰りの夕方、開店前の暗い道をしょっちゅう自転車で走り抜けて遊んだ。抜けた先の川沿いには連れ込みもあった。なぜこんなところに旅館があるのか、子供心にとても不思議だった。
マリ・クレール通りには、今のヒロ通りにかってあった「おもちゃのマミー」が規模を小さくして移っている。まだあって嬉しい。模型少年だった小学生時代は、放課後に毎日入り浸り。模型売場が広く、すべて定価の一割引、という豪気な商法もありがたかった。
自由が丘デパートなどと同じく水曜定休で入れなかったが、「おもちゃのマミー」の看板はロゴが昔のままで、ひょっとしたら昔の店から持ってきたのではないだろうか。ドア脇の「フロア案内」の左右にある宇宙服のキャラとシュピーゲル号ぽい宇宙船は、この店の白地の包装紙に描かれているもので、ものすごく懐かしい。開いていたら何でもいいから買って、数十年ぶりに包んでもらいたかったところ。
北口に戻り、カフェ・アンセーニュダングルへ。建物は昔のままで懐かしいけれど、中は見知らぬ店に変わっていることが多い(家賃も高いだろうから仕方ない)なかで、ここは一九八〇年代のままだった。いまはなき品川店とともに、九〇年代前半までよく行った。
その後は長く分煙だったので、タバコ臭が苦手な自分はなかなか入れなかったが、今は店内禁煙とあるので、久々に寄ってみる。店内は自由が丘マダム連で混んでいて、一人客は基本カウンター。アンセーニュダングルといえば、のガトー・フロマージュ(自家製チーズケーキ)を食べる。飲み物はいろいろあるのにお菓子はこれのみ、というこだわりは昔のままで、その頑固さが嬉しい。支払いが現金のみというのも昔のままで、現金もっていてよかった(汗)。
二月一日(土)ジュリエットの饒舌
バレンタイン チョコを自分で 買う男
金土と、二日続けて上野の東京文化会館。金曜夜は小ホールで平常×萩原麻未『ロミオとジュリエット』。土曜昼は大ホールで藤原歌劇団のヴェルディ《ファルスタッフ》。偶然にもシェークスピア原作の舞台が大小両ホールでかかった。
『ロミオとジュリエット』を見たときあらためて感じた、シェークスピアの饒舌。同義語、類義語、角度を変えた例えが連発されて思いを語りまくり、隙間を埋めつくす。「間」の価値を信じない。瞬時に声色を変え、すべての役を演じ分けて、この饒舌を一人で語る平常の芸。
そしてその饒舌を見事にオペラに移しかえた、ヴェルディとボーイトの《ファルスタッフ》。マリアーノ・スタービレ(トスカニーニが絶大な信頼を寄せたファルスタッフ歌い)の録音を聴き込んだという上江隼人の歌は、創唱者ヴィクトル・モーレルからスタービレへと受け継がれた軽妙な歌唱法を、自らの表現に採り入れたもの。
饒舌をオペラに。藤原歌劇団は4月にグノーの《ロミオとジュリエット》をやるので、これも楽しみ。
そして上野といえば桃林堂の小鯛焼。この時期には抜群に美味しい「バレン鯛ンチョコ」が期間限定で出ている。尻尾のビターチョコと八朔ピール入り白あんが絶妙。節分までの「福は内」も節分直前のギリギリで買えた。楽しみ。
二月二日(日)千五郎四役
セルリアンタワー能楽堂の定期能、金剛流に行く。第一部と第二部を続けて観る。
第一部
・狂言『右近左近』茂山千五郎
・能『黒塚 白頭』金剛永謹
第二部
・狂言『文蔵』茂山千五郎
・能『花月』金剛龍謹
『黒塚』は金剛永謹のシテに加え、往時は金剛座専属だったというワキ方の高安流を久しぶりに観られた。それにしてもやはり、人の性(さが)を描いた哀しい能。
『花月』はシテが豊嶋彌左衞門というので楽しみにしていたのだが、体調不良のため降板。しかし若宗家の金剛龍謹による、若々しいシテを観たので満足。
それよりも驚いたのは、茂山千五郎が狂言も能も出ずっぱりだったこと。『右近左近』で妻を寝取られた情けない夫。『黒塚』で鬼女の閨を覗いてしまう、余計な好奇心の強い能力。『文蔵』で源平盛衰記の石橋山合戦のくだりを延々と語る主人。『花月』でシテとからむ清水寺門前の者。それぞれに見せ場がある作品ばかりが並んでいる。
こういう公演では、同じ狂言方が出る場合でも、能のアイをつとめる者はその前の狂言では脇役にまわるとか、負担を軽くするようになっているものだが、あえて出ずっぱり。しかも共演者には茂山家の一門ではなく、他家の大藏基誠を選んでいる。どういう理由によるのかわからないが、当主としての覚悟と力量を自ら試すような一日。
一部と二部を続けて観るのは初めてだったが、そのおかげで「千五郎四役」を観ることができた。
(追記:この日は節分にあたり、京阪各地の寺社で狂言が行なわれたため、茂山千五郎家の役者たちは全員出払っていたのだそうだ)
二月四日(火)オルフェオのおけいこ
十五と十六日に兵庫県立芸術文化センター、二十二と二十三日に神奈川県立音楽堂で上演される、アントネッロによるモンテヴェルディの歌劇《オルフェオ》の公開稽古を見学に行く。
本番はもちろんピリオド楽器オーケストラだが、この日は電子ピアノによるオルガン・サウンド(これが妙にはまる。ときにチェンバロ風)が伴奏。濱田芳通の指揮が導き出す生気あふれる音楽と歌手たちの熱演で、世界最古の物語の一つであるオルフェオ伝説が、みずみずしく鮮やかに甦える。
四百年以上前の一六〇七年に、こんなにも美しく、切ない音のドラマを生み出したモンテヴェルディのすさまじい天才に、あらためて敬服。県立音楽堂の本番がますます楽しみに。
二月九日(日)菩薩への変身
矢来能楽堂で観世九皐会の第二部。
・仕舞『弓八幡』小島英明
・仕舞『巴』遠藤喜久
・仕舞『西行櫻キリ』観世喜之
・能『當麻(たえま)』観世喜正
『當麻』は演能機会が多い人気作なのに、時機が合わずいままで観られなかった。喜正の充実があらわれたシテ。中入り直前、「光さして、花降り異香薫じ、音楽の声すなり」の地謡のところで、何の動作もなく菩薩の姿をイメージさせるように気配だけ変えたのは、お見事。
二月十六日(日) 藝大の佐藤俊介
東京藝術大学奏楽堂で、東京藝大チェンバーオーケストラの第四十四回定期演奏会。指揮とヴァイオリン独奏は佐藤俊介。
バッハ(佐藤俊介編曲):《フーガの技法》〈第十四コントラプンクトゥス〉
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
シューマン:交響曲第二番
予想通り、むちゃくちゃ面白かった。九八七五四の二管編成。対向配置でチェロは第一ヴァイオリンの後ろ、コントラバスは最後方に横一列。基本モダン楽器だがティンパニは小型、チェロ後列の一人あるいは二人はエンドピンなし。ヴィブラートを抑えた澄んだ響きが気持ちよく、テンポ速めで呼吸感豊かに弾む。
弦の分奏もあって互いの音を感じあいながらの《フーガの技法》の「未完のフーガ」の補作管弦楽版で起動して、佐藤の独奏がほぼ背中でリードするメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲でエンジン全開。
気魄のこもった、躍動するメンデルスゾーンで、とても鮮度が高い。このワクワクする感じこそ、自分がほしいもの。十九世紀半ばまでの音楽は、やはりこうあってほしい。ソロの響きが涼やかで美しい。要所に交える装飾も効果的。
後半のシューマンもアグレッシヴに波動する。数日前のポペルカN響の第一番も見事だったが、若々しい生命力にかぎれば今日の方が上。しかし勢いだけではなく、この曲の第三楽章や、メンデルスゾーンの第二楽章での、ふっ、と灯を吹き消したような暗い翳も印象的。
佐藤は三月二日にも東響を指揮して、モーツァルト・マチネをひきぶりする。ヴァンハルの交響曲ニ短調、ミスリヴェチェクのヴァイオリン協奏曲ホ長調、そしてモーツァルトの交響曲第三十八番《プラハ》。
去年、沼尻が指揮するモーツァルト・マチネでは、チェロ六人の内、前の四人がエンドピンなしで演奏して、おお、いまは東響の楽員もこんな感じになっているのねと嬉しく思ったが、それだけに佐藤との古典派がどんな音楽になるのか、とても楽しみ。
二月二十三日(日)一六〇七年の音楽
神奈川県立音楽堂で、濱田芳通&アントネッロによるモンテヴェルディの音楽寓話劇《オルフェオ》。
素晴らしかった。一六〇七年、高山右近や天正遣欧少年使節の四人と同じ時代に生まれた音楽の持つ力。
要所要所に響くリトルネッロの同じ旋律が、まずは我々を神話時代へと誘う幻想的な響きとして、次には深い悲嘆と、運命に抗おうとする悲壮な決意と自負を秘めた雄々しき響きとして、そして最後は一場の夢が覚め、やがて塵と消えるだけの人為の虚しさへの諦観の響きとして、ドラマの中で置かれる位置により、魔法のように印象を変えて三度響く。
こんな凄いことをさりげなくやるモンテヴェルディの圧倒的天才と劇的センス(能『邯鄲』の、二回シテを目覚めさせる扇の音の凄さを連想した)を鮮やかに音に聴かせ、目にも見せてくれた公演。
詳しくは別の場所に書くので、ここでは公演前後の話。
川崎・横浜方面に行くときは、たいがい電車が遅れたり停まったりするので、今日も早めに東海道線で。すると横浜駅に着いたところで、川崎~品川間で人身事故発生のアナウンス。危ないところだった(結局、東海道線遅延を受けて、予定より十分後に開演)。
酷暑でも雨天でもないので、今日は久々に桜木町駅から紅葉坂を登って県立音楽堂へ行く。寒いが、青空と白雲と陽光は春の気配。
前川國男設計の神奈川県立音楽堂は、回廊部分の、木柱を想わせる円いコンクリ柱とか、障子の桟のような感じとか、和風のテイストが特に好きだ。
舞台にはアーチ型のセット。これが第二部、第三幕の始まりでロダンの「地獄の門」(この門を通る者は、すべての希望を捨てよ)へと姿を変えたのは見事だった。
休憩。雲が増えて寒くなってきたが、寒さに負けず、矢澤孝樹さんの示唆に富む解説を読みながら、ホワイエで買った湘南みかんぱんを外でほおばる。美味。
それにしても、ホールのホワイエで二百円握りしめて並んで、平箱にならんだ菓子パンをつかんで買うのは、中高生に戻ったようなワクワク感がある(笑)。たぶんみなさんそう思ったようで、休憩終了時には完売の人気だった。
二月二十五日《パリの生活》など
「モーストリー・クラシック」四月号が発売。
今月書いたのは、
・「一枚のディスクから 音盤時空往来」第二十四回 オッフェンバックの《パリの生活》
・コレクターズアイテム オイストラフBOX
・公演レビュー二本(トッパンホール・ニューイヤーコンサート、コルティ&イル・ポモドーロ)
「音盤時空往来」では、トゥールーズ・キャピトル管が四十七年の歳月を隔てて録音した、二種のオッフェンバックの《パリの生活》全曲盤について。我が最愛の作品について書けて嬉しい。プラッソン盤の第三幕を聴きなおして、またまた惚れなおした(笑)。
そしてここで紹介したクラカウアーの『天国と地獄 ―ジャック・オッフェンバックと同時代のパリ』。これについて書いている途中で、単行本を買ったのは一九八二年ごろ、たしかに自由が丘の不二屋書店だったはずだと、そのときの光景が脳裏に甦ってきてホロリ。こういういい本が、棚にきちんと置いてある書店さんだった……。
コレクターズアイテムは、ワーナーが出したオイストラフBOX(58CD+3DVD)。ボリュームも凄いが、手間隙かけた中身も凄いセットでした。近年のワーナーの、あの聴きやすい音楽的なマスタリングで、CD三十一枚分のライヴ録音集を聴ける。「オイストラフとは誰だったのか」を語る上で、今後は絶対に欠かすことできないセットである。
三月一日(土)初のびわ湖ホール
日帰りで人生初のびわ湖ホール行き。コルンゴルトの歌劇《死の都》を観る。
早起きして朝九時に京都駅に着き、三井寺も初めて見た。深く感じるものがあったが、その話はまたあらためて。
《死の都》も詳しくは別のところに書くので、舞台についてはここでは触れない。ただ作品について思ったこと。
モンテヴェルディの《オルフェオ》をアントネッロの素晴らしい上演で見たからこそ強く思ったのは、この《死の都》も、オルフェオ伝説の変形、再話、あるいは末裔のようなものなのだなあと。
つまり、死せる妻を現世に呼び戻そうとして失敗する話。第二幕は地獄廻りのようなものであり、第三幕前半は奪還の失敗。三百年の時空を隔てて、モンテヴェルディはオペラの始まりに、コルンゴルトはオペラの終末期にいる。
ただしコルンゴルトのラストは前向きだ。いろいろな解釈も可能だが、作品そのものは素直に、新たな一歩を踏み出す主人公を描いていると自分は思う。今日の栗山演出もそうだった。
最後にマリエッタの歌の旋律が響くのは、それにまだとらわれているというよりも、その思い出を愛おしみ、別れを惜しんでいることを音楽で表現したものだろう。
男は終わった恋の思い出を「名前をつけて保存」するけれど、女は恋愛ファイルを新たな恋でファイルごと「上書き」してきれいさっぱり、なんて違いをいわれたりする(もちろん、なんとなくそんな感じ、という程度の話だが)。《死の都》のラストはまさに、「名前をつけて保存」したファイルを閉じようとしているところ、という感じ。いったん閉じるというだけで、削除したり上書きしたりはしない。
その一方で、女性は恋バナを女子会の「共有ファイル」に入れておく、ということもいわれる。
びわ湖ホールに行く前に、旧大津公会堂で近江牛の赤身ステーキ(美味)を一人で食べているとき、隣の女子数人がまさにそれをしていた。結婚が決まった一人が、どんな場面でどんなふうにプロポーズされたか、相手の気持、自分の気持などを詳細に報告し、他の友人が興味津々で聞いている会話が、いやがおうにも耳に入ってくる。
当然のマナーとして、具体的な内容そのものは当方の記憶からすぐに削除したが、ともあれ、ああ、こうやって「共有ファイル」に入るのかあと、深く納得。「こいつのプロポーズのしかたはこう」と、かれは彼女の同性の友人たちにことごとく知られている。悪い話の場合も、同様に共有されるのだろう。
男性だと、友人の恋人や妻のことを根掘り葉掘りたずねたり、興味深く話を聞くということは、控えるほうがむしろ一般的ではないだろうか。少なくとも自分の周りはそうだ。
男の「名前をつけて保存」と、女子会「共有ファイル」。貴重なびわ湖体験だった。
三月一日(土)続 三井寺詣で
びわ湖芸術劇場へ行く前に詣でた、三井寺のこと。
関東に生まれ育った自分にとって、こういう大寺は縁が薄い。東大寺、興福寺や延暦寺とともに、平安時代以降の日本史に頻繁に名前が出てくる寺。自分がふだん知っている、葬式やら法事やら墓地に関係する場所としての寺とは次元の違う、庶人の葬祭用とは無関係に建てられた、大量の僧が修行するための場所。
午前中で観光客が少なかったのだが、人が少ないからこそむしろ、「お寺ってこんなに人間くさい場所なのか」と感じた。基本的に清浄を旨とする神社、神のための場所と違い、修行する人間のための場所だから、人間くさいのか。人のいろんな思いがこもっている場所。それを隠す必要がないのか。
金堂には本尊以外にもたくさんの仏像が並んでいたが、僧侶は仏像に仕えているわけではない。その点、神に仕える神主とは違う。修行のさい、自分を写しだす鏡として、自分を研ぎ澄ませるためのよすがとして、仏像がある。そんな感じを、ここでは強く受ける。
あらためて考えてみると、能に出てくる仏僧と神官は、そのあたりがきちんと描き分けられている気がする。しかしその清浄な神社も、神仏習合で寺と僧の支配下にあったというのが面白い。
中世まではもっともっと、たくさんの僧が三井寺全域に満ちていたはず。かれらの生活の場であり、生活するための領地の管理や、守るための武装も僧の修行の一環。その無数の人々がここで生きて死んで、いま自分がいるこの道の上を、千年以上も歩き回ってきたのだと想像すると、心がザワザワしてきてすごい。
一方で三井寺は、敗者と死のイメージが色濃い寺。もともと、壬申の乱で敗死した大友皇子(弘文天皇)を弔うために建てられたという説がある。中世においては比叡山との抗争に負けてばかりで、何度も全山焼討にあっている。いまある建築はほとんどが、千六百年頃に移築されたり建てられたりしたもの。徳川幕府が成立して、ライバル宗派による焼討や兵火に逢うことはなくなったらしい。
弁慶伝説が目立つのも不思議。弁慶は三井寺ではなく叡山の僧兵で、三井寺から鐘を奪った敵。弁慶にさらわれた鐘が帰りたいと鳴るので、戻されてきたという。鐘までが敗者のイメージを背負う。
寺の中心である金堂のまん前に立つ灯籠がまたすごい。
「天智天皇が大化の改新で蘇我一族を誅しその罪消滅のため天皇が自らの左薬指(無名指)を切りこの灯籠の台座下に納められたと伝えられている」と、不気味なことが何気なく書いてある。
蘇我一族の敗滅と鎮魂のイメージまでここに背負い込む。金堂脇にある閼伽井屋(あかいや)に湧く霊泉は、天智天皇・天武天皇・持統天皇の三帝が産湯に用いたという(三井寺の名の由来)。なぜここに大友皇子の名はないのか。天智帝というのも、最後は行方不明で道端に沓だけ転がっていたとか、暗いイメージの付きまとう人。
敗北と死を恐れることくらい、人間くさい感情はないのかもしれない。
ともあれ面白かった。叡山や興福寺も機会をあらためて体験しに行きたい。
三月二日(日)モーツァルト・マチネ
ミューザ川崎にて、東京交響楽団によるモーツァルト・マチネ第六十回。
びわ湖のエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトから、川崎の元祖ヴォルフガングへ。
指揮とヴァイオリンは佐藤俊介。協奏曲のソロだけでなく、交響曲でも中央でヴァイオリンをひきながら指揮する。
・ヴァンハル:交響曲ニ短調
・ミスリヴェチェク:ヴァイオリン協奏曲ホ長調
・モーツァルト:交響曲第三十八番《プラハ》
モーツァルトと同時代のヴァンハルとミスリヴェチェクの快活な演奏を通じ、モーツァルトへの影響と、それを活用するモーツァルトの天才ぶりを実感。《プラハ》は緩急強弱の変化を多彩に波動させ、その豊潤な生命力が心地よし。
三月三日(月)ホールの街
渋谷のハンズの先に、二千席の多目的ホール「シブヤラブズ」が二〇二六年夏に開場するというニュース。アニメ、ゲーム系がメインで、クラシックはまず縁がなさそうだが、NHKホールにオーチャードホール、渋谷公会堂にこのホールと、渋谷周辺は大型多目的ホールが四つあるようになる。大和田や、自分は行ったことがないけれどライヴハウス的な中小ホールも複数あるそうで、さらに劇場や能楽堂もある。「ホールの街」というのも渋谷の特徴であるようだ。
三月四日(火)しらかわホール再開
休館が惜しまれていた名古屋のしらかわホールが再開する予定という。素晴らしいホールと話に聞くだけで行く機会がなかったので、これは楽しみ。再開後は「ごしらかわホール」と改名したりして(平家物語とか好きな奴)。
三月八日(土)
観世能楽堂で「大槻文蔵裕一の会 東京公演」。
・能『定家』大槻文蔵 宝生欣哉 野村萬斎
・狂言『隠狸』野村万作 野村裕基
・能『善界 白頭』大槻裕一 宝生常三 野村太一郎
三月十二日(水)ある終焉
海外音楽ソフトの輸入代理店、キングインターナショナルが事業終了を発表。
一般の方との直接的なつながりは薄いとは思うが、フランス・ハルモニア・ムンディやBIS、ベルリン・フィル・レコーディングス、スプラフォン、ユーロアーツ、テスタメントなどなど、多数のレーベルの輸入元。ALTUSなどの販売代理店で、NHK交響楽団のライヴ盤などの発売元。かつてはターラやオルフェオ、オーパス蔵、TDK、などなどなどなど…。
BISは四月からナクソスが代理店になることが発表されている。ハルモニア・ムンディのような大きなところはどこかが契約してくれると思うが、すべてが同じとはいかないだろう。どんな変化がおきるのやら。
クラシックの輸入盤で素晴らしいことは、新譜に関する詳細な紹介文を、タワーレコードやHMVなどのサイトで読めることである。クラシック以外は必ずしもそうではない。たまにポピュラーの輸入盤新譜のページをのぞくと、何の情報もないので途方に暮れることがある。どこが始めたことかは知らないが、こうした情報は、基本的に輸入代理店が作成しているもので、前述のレーベルについてはキングインターナショナルの社員さんが作成したものだった。近年は海外プレスに日本語解説書を添付して国内盤化することにも力を入れていて、「レコード・アカデミー賞」の受賞盤にも多数が含まれている。
創業から三十五年、平成から令和にかけての日本のクラシックレコード界の歴史の、かなり大きな部分を作ってくれていた会社なのだ。
一つの時代が幕を閉じる。思い出はとても書ききれないが、いずれ「音盤時空往来」に書きたいと思う。
三月十七日(月)春の芽
ピション&ピグマリオンのミサ曲ロ短調の輸入盤CD発売予告が出た。とても楽しみだが、発売元のハルモニア・ムンディをこれまで扱ってきたのは、いうまでもなくキングインターナショナル。廃業後の四月三十日発売予定のこのディスクは、どこの扱いなのだろう。
よくわからないが、ちゃんと日本語のリリース情報もついているし、「二〇二五年秋にはブラームスの『ドイツ・レクィエム』をリリース予定」と先のことも書いてあって、嬉しい。
奇しくも卒業と新入学の季節。老い木は枯れ、緑の芽が吹く。
三月二十三日(日)ルヴフとリヴィウ
気がつけば高遠桜は満開。そして小澤征爾音楽塾の《椿姫》、東京・春・音楽祭の諸公演と、上野通いが増える時期。後者の二十三日小ホールでのピノック指揮紀尾井ホール室内管では、コフレル編曲による管弦楽版ゴルトベルクをナマで聴けた。
ピノック指揮のこの曲のディスクがリリースされた二〇二〇年のコロナ禍直前に、そのディスクについて「レコ芸」用に紀尾井ホールでインタヴューし、国内盤の解説も書かせてもらったので、その響きを見事な実演で聴けて嬉しかった。
シェルヘンの遺品から一九九三年に発見されるまで、日の目を見なかったこの編曲を一九三八年頃に完成したコフレルは、ユダヤ系ポーランド人。当時はポーランド領だったルヴフ(現在のウクライナ領リヴィウ)の、ポーランド音楽協会附属の音楽学校で教えていた。一九四四年に占領軍のナチス・ドイツによって殺害されている。
その頃、同じルヴフ(リヴィウ)のウクライナ系の音楽院で歌を教えていたのが、オペラ歌手として名声を得たソロミヤ・クルシェルニツカ。彼女は初演大失敗後の《蝶々夫人》のブレシアでの再演で題名役を歌って成功した、つまり「初めて喝采を浴びた蝶々さん」だった。
現在リヴィウの歌劇場はクルシェルニツカの功績を讃えて、その名を冠している。そしてそのソロミヤ・クルシェルニツカ国立歌劇場でアシスタントをしながら音楽家としての第一歩を踏み出したのが、オクサーナ・リーニフ。
初めてオペラ公演を指揮したのもオデーサでの《蝶々夫人》だったというリーニフ、四月の東京・春・音楽祭で読響を指揮してこのオペラを上演することになっている。
リハが始まる前に長崎を再訪して、作品の舞台をもう一度確かめてくるつもりだというリーニフが、芸術家としてのお手本に仰いでいるのが、「四つの大陸で蝶々さんを歌った」クルシェルニツカ。
ということで、東京・春・音楽祭の公式プログラムに、「《蝶々夫人》が結びつけていくもの~ウクライナと日本」と題して、クルシェルニツカとリーニフの話を書いた。
三月二十八日(金)クラーケンを見た
浜離宮朝日でソッリマ、オペラシティでシフと仲間たち、トッパンでベルチャQと充実の演奏会通いが続き、仕上げはトッパンでエベーヌ&ベルチャ。
メンデルスゾーンの八重奏が鳴りだした瞬間、これまで聴いたこの曲とは、まるで別物の響きがすることに震撼。八人の音がまったく濁らず、まるで宇宙空間のようにそれぞれが鮮明に「見える」だけで驚きなのに、それが綾をなし、有機的なハーモニーとなって響き、驚異的精度で驀進する。
「クラーケンを見た!」というか「高志之八俣遠呂智、凸版に来たり!」というか。一生忘れないような響き。
アンコールの、メルラン編曲のフォーレのレクイエムのイン・パラディスムでのオルガントーンの再現も、すごいデザートだった。
四月六日(日)つまずきとしおり
ミューザ川崎でノット指揮東京交響楽団によるブルックナーの交響曲第八番。
さすがの演奏だった。二〇一六年以来二度目となる今回は、前回の第二稿とは異なる第一稿を選択。挑戦と挑発の「つまづき」を自他に求め続けるあたりがノットの魅力。
演奏の説得力も高い。個人的には第一稿らしい唐突と逡巡、言い淀みと饒舌の共存といった「青い魅力」をもっとむき出しにしたほうが好みだが、それらをできるだけ自然なつながりにして聴かせてくれた。これはこれで立派な方法論。
この日の席は楽員がよく見えたので、第四楽章で突然木管が三管編成に拡大されるまで、三番の奏者たちがじっと待っている様子もよくわかって面白かった。
ルイージが言ったとおり、第一稿と第二稿にはそれぞれ別の魅力がある。そして第一稿がまずあり、これを書き直して第二稿という時間の流れがある。どうしてそうなるのかを考えることで、両者の姿がより明確になってくる。
さて、そんなことを考えるとき、よい資料となってくれるのが、石原勇太郎著の『ブルックナーのしおり 生涯と作品へのアプローチ』。石原さんは一九九一年生まれの、気鋭の音楽学者でブルックナー研究者。この本はブルックナーの生涯を追いつつ、各作品の解説を行なうもの。最新のさまざまな学説もわかりやすく説かれている。
個人的に気に入っているのは、縦書きであること。こういうアラビア数字やラテン文字などが頻用される場合、現代では単行本でも横書きが増えている。だが横書きにすると、項目ごとに読むためのブツギレの事典という性格が濃くなる。生涯を一つのつながりとして、創作史として読みながらそれぞれの曲を追う、ということをやりにくくなるように思う。その点、縦書きのほうが流れとして一気に読みやすい。作曲作業と改訂作業の入り組んだ時間の動きを体感できる。
「しおり」とは全体の流れの中の「現在地点」を示すもの。それぞれの瞬間をブルックナーが生きている。そのことがよくわかる本。
四月九日(水)ワルターとウィーン
朝日カルチャーセンター新宿教室の講座。「ウィーン・フィルと異国の巨匠たち」第一回として「ワルターと第三帝国の爪痕」。同じドイツ語圏とはいえ、資本主義が発展していたベルリン生まれのワルターが来てから、ウィーン・フィルのレコード録音は本格的に売れるようになった、などという内容。
「はんぶる」の「ウィーン/六〇」の初めのころの文章に活躍してもらった。いつもの「ありがとう昔の俺」方式なのだが、今回は一九九四年の原稿だから、そのなかでも最古に近い。三十一年前の三十一歳のときの文章。ちょうど今の人生の半分というのも感慨深い。まあ、ほんと進歩がない(笑)
ここからは昔話だが、昔の文章を読みかえしながら、この「はんぶる」の印刷版、マッキントッシュのラップトップで文章を作ったことを思い出した。
それまでの「レコ芸」の広告文や「はんぶる」のコピー版は、ワープロで作ってFAXで送っていた。しかし印刷版は文字数が多いこともあり(最初四十枚、その後も毎月二十枚あった)、経費節減のためにデータ入稿してほしいといわれて、マックが必要になった。
デザイン会社がマック使用だからである。電話回線を使うネットではメールのやりとりしかできず、データを入れたフロッピーを郵送していた当時は、PCメーカー間の互換性がほとんどなく、データのやりとりは同じメーカーの機種でないと面倒だった。そこで、こちらもマックを使わないとダメということで、買ったのだった。
ラップトップでハードディスクが80MB、メモリは増設しても12MBくらいだったか。「メガ」が大きい数の象徴で、ギガとかテラは、話に聞くだけの夢の数字だった(笑)。フロッピーは1・44MBしか入らなかったが、当時の軽い文字データなら余裕だった。
ほとんど古老の昔話。そんな時代のテキストデータでも、コピーを重ねて今もふつうに使えるというのは、デジタル化のありがたいところ。
電子データは、紙に比べていつ消えるかわからないという恐怖感はあるが、一回デジタル化しておけば複製が容易なので、分散保存でどれかは生き残るだろうという、フェイルセーフはやりやすい。
それに検索と再使用も簡単。「ありがとう昔の俺」も、デジタル化してあるからこそ簡単にできるが、いちいち古文書を探すとなったら手間がかかる上に、埃を吸って呼吸器を痛めかねない。

それにしても、「ウィーン/六〇」で推薦しているワルターとウィーン・フィルによる一九四七年エディンバラ音楽祭のワルツ三曲、あらためて聴きかえしてみても、洗練と光輝、ほんとうにすばらしい。このコンビの最良の遺産の一つ。日本のWINGディスク盤で出たきりのように思うが、また出てほしいもの。
四月十一日(金)開設二十周年
我がホームページ、この「はんぶるオンライン」の公式開設日は、二〇〇五年の四月十一日。おかげさまで開設二十周年を迎えることができた。
開設時の二〇〇五年と比べ、AIの発達を筆頭にネット環境は大発展。完全に時代に取り残されて、「ホームページ」なんて言葉も死語になって久しい。なにしろ全体の容量が百メガしか許されていないので、最近は画像もろくに入れられない(笑)。
閲覧される方は日に数十人という超過疎サイトだが、それでもなお、自分にとっては「可変日記」と「月別仕事」のまとめが大きな意味を持っている。
こういうものも、自分のような性格だと公開だからこそ続けられるわけで、プライベートなものなら絶対に挫折している。「可変日記」は二十年間、「月別仕事」は十七年分が手元にあるので、その間に自分が何をしてきたか、をきちんと追うことができる。二十年といえば自分のここまでの人生の三分の一だから、意味は大きい。
じつは始めたころ、「オンライン」という用語は死語に近かった。ところが今では、オールド・メディアのネット版を指す用語としてあちこちで見られる。時間が螺旋を描く感じというか。
今後も、プロバイダーがサービスを止めたりしないかぎりは、できるだけ続けていきたいと思っている。
閲覧されているみなさま、これからもよろしくお願いいたします。
四月十三日(日)祥丸の能
観世能楽堂にて「第五十二回桃々会 関根祥丸独立披露能」。
『養老 水波之伝』と『乱 双之舞』で、一日に二番も祥丸の能が観られる幸せ。舞の美しさ、滑らかで心に響く謡、素晴らしい。一九九三年生まれのこのシテ方にはどんな未来が待っているのか、ますます楽しみになる。
独立して、シテとしての出演もどんどん増えていくようでワクワクするが、買うのもどんどん困難になっていきそうで怖い(笑)。とりあえず五月の『羽衣』と六月の『大会』は買ってある。
四月十八日(金)地縁あり
「ぶらあぼ」に大野和士さんに都響六十周年記念シーズンについてインタビューした記事が掲載された。
ONLINE版も読めるが、印刷版の五月号のレイアウトもとてもかっこいいので、そちらもぜひお手にとっていただきたく。
それにしても大野さんへのインタビュー場所は、前回は四半世紀も通っている美容院の隣の喫茶店だったし、今回は生まれ育った街の隣の駅の喫茶店。自分にとって妙に地縁のある場所を先方が偶然指定してくるので、行くのが毎回楽しい(笑)
https://ebravo.jp/archives/187870
四月二十一日(月)山口崇の平賀源内
六十代以上の人なら、平賀源内といえばドラマ『天下御免』のこの人だよね、と書こうとしていたところに、山口崇の訃報。『べらぼう』では安田顕が狂気の最期を素晴らしく演じた源内、『天下御免』では気球に乗って仲間たちと飛び去る、悲しいが気持のいいラストだった。
九歳だった自分もそのシーンは憶えている。五十三年後の『べらぼう』に、誰も源内の遺体を見ていない、というセリフがあったのも、『天下御免』を想起させて嬉しかった。たしか、それまでいい人そうに見えていた田沼意次(仲谷昇)が、徳川家基を暗殺して本性を見せたのが、源内の逃亡につながったはず。
そして、この暗殺が江戸の噂話になったところで、山田隆夫と誰か女子が老人に真相の推理を聞きに行くと、
「豊臣の残党の仕業かもしれねぇ」
「トヨトミィ!?」
豊臣家が滅んでから百六十年も経っているので、あまりにも突拍子もないこのセリフがすごいおかしかった。
ウィキペディアのこの番組の項を見ると、この老人はどうやら伴淳三郎だったようだが(だからとぼけたセリフの間とかが絶妙にうまくて、このやりとりがとてもおかしかったのかもしれない)、その役名を見ると「真田老人」。豊臣がどうしたとかいいだしても、不思議のない役設定だったのかも。
そして『天下御免』といえば「金毘羅船々」の唄。この調子のいい唄もこの番組で知った。登場人物では、坂本九が演じた杉田玄白も。『ターヘル・アナトミア』を翻訳して『解体新書』にするという話も大きなテーマとなっていて、たしか「フルヘッヘンド」が「うずたかく」の意味だとわかるまでの顛末だけで、まるまる一回をついやしたはず。この回が面白かったことも憶えている。
ほかに山口崇で印象深いのは、『風と雲と虹と』の平太郎貞盛。公家社会でもうまく立ち回って官位を得、将門が惚れた女は多岐川裕美も吉永小百合もみんな寝取って自分のものにし、戦は弱いのに逃げ回るのだけうまくてしぶとく生き残り、最後は露口茂と突風のおかげでちゃっかり将門追討の功労者になるという、最低最悪なヤツだった(笑)
『風と雲と虹と』は幸い映像が現存しているが、『天下御免』やその前の『男は度胸』の映像が部分的にしか残っていないというのは、まことに残念。
浜畑賢吉の徳川吉宗が主人公の『男は度胸』は、後半のメインとなった天一坊事件の首謀者、山内伊賀亮役の寺田農が強く印象に残っている。
だから、後年の大河『八代将軍吉宗』が天一坊事件をごく簡単にしか扱わなかったのは、肩すかしを食らった感じだった。ところでその『八代将軍吉宗』で間部詮房を演じたのが……、そして若き松平武元を演じたのが……、などと書き出すととまらないので、無駄話はここで止める。
それにしても、『天下御免』の山口版源内は六十歳以上の人間しかほぼ知らないはずだし、その自分たちにしても五十三年前に一度見たきり、わずかに残った映像をのぞけば二度と見たことがないのに、颯爽たる「市井のヒーロー」だった平賀源内の姿が、今もまぶたに焼き付いている。
それが『べらぼう』をきっかけにまた話題にのぼる。すばらしいこと。
山口崇さん、いろいろと楽しませていただき、ありがとうございました。
四月二十二日(火)放射する力
「第三十七回ミュージック・ペンクラブ音楽賞」授賞式に会員として参加。
井上道義さんはじめ受賞者の方が多数列席、ジョン・アダムズほか複数のビデオ・レターもあって、とても華やかな会だった。ポピュラー部門新人賞の中村滉己さん(二十一歳!)の津軽三味線の実演も求心力と迫力がすごい。
この日は、十一時から指揮の広上淳一さん、ピアノの松田華音さんと外山啓介さんの鼎談記事の司会、十四時からこの授賞式、十六時半から指揮・鍵盤楽器の鈴木優人さんへのインタヴュー、十九時から大野和士さん指揮の東京都交響楽団の演奏会、という時間割。
気味悪いぐらいに全部の予定が一日に固まってきて、しかも時間がどれもずれて、すべてはしごできるという一日。
四か所を渡り歩いて日本のマエストロ四人(広上、井上、鈴木、大野)の謦咳に接するという、なかなか希有な濃い一日、わんぱくな一日だった。
しかし家に帰ってきて実感したのは、四人のマエストロはみなエネルギーを吸引するかわりに、放射してくる方たち。だからこちらは疲れることなく、力をもらった感じになる。さらにいえば、自分もその力を溜めこむのではなく、外に向かって出そうとするようになる。
こういう力も一流の指揮者には欠かせぬもの、ということなのだろう。
四月二十四日(木) メタ劇映画
朝一で映画『ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男』を観た。
場所は新宿武蔵野館。一九二〇年創業で一九二八年から今の位置にあり、サイレント時代に徳川夢声が活躍したことで名高い。関東大震災後に大発展した新宿の、街の歴史そのものみたいな映画館。今のビルは一九六九年落成の地上八階地下三階の雑居ビル。三階の映画館はスクリーン三つで合計三百と小規模なもの。
天井が高くなく平床に近く、あまり大きくないスクリーンを見上げる古いタイプの映画館。有楽町あたりの公開館ならもっと今風で見やすいだろうが、入ったことがなかったのでこの機会に行くことにした。二〇一六年に大改装しているので、内装はトイレも含めとてもきれい。六十歳以上なので割引で千三百円。定価でも二千円だから、諸式高騰の現代日本では割安に感じる。
さて『ゲッベルス』。劇映画だから、細部まで史実そのものではなく、人物や事件を適度にしぼり、演出を加えることで、テーマをわかりやすくしている。ナチスの要人たちがヒトラーの歓心を買おうと競い、足を引っぱりあう、第三帝国の特徴的な状況はよく描かれていた。
それは大きな食卓の中央に座ったヒトラーが、誰がどこに座るかを指示していく場面に象徴される。総統の両隣か正面に指名されるように、手柄を立てて信頼を得たい。その思いが誰よりも強いのがゲッベルスだが、ライバルも手強い。
それぞれに得意分野がある。ゲッベルスは宣伝(プロパガンダ)、ゲーリングは空軍、リッベントロップは外交、ヒムラーは親衛隊とゲシュタポ、ローゼンベルクは人種論など。ほかにマルティン・ボルマンとシュペーアもいるが、この二人は席取りゲームには加わらない。
物語は一九三八年三月のオーストリア併合から始まるが、ヘスははじめから省略されている(秘書役のイメージはボルマンに集約させたか)。理論倒れのローゼンベルクはすぐに脱落。リッベントロップの外交も戦争下では役に立たない。ゲーリングの空軍も途中からは負けっぱなし。ヒムラーと親衛隊だけがユダヤ人虐殺の実行でヒトラーの信頼を深める。
レースに負けまいと、ゲッベルスは宣伝で力を尽くす。しかし、すべて戦争が目的のヒトラーと異なり、ゲッベルスは戦争反対。決定的にずれていることを思い知らされながらも、己を欺き、破滅と殉死の道を突き進む。
最後はついに、ナンバー・ツーの地位を手に入れる。ヒムラーもゲーリングも逃げたベルリンの総統地下壕で、ヒトラーの火葬に立ち会う要人は、ボルマンとゲッベルスだけ。
物語を一九三八年から始めて、それ以前をばっさり省いたのは、テーマを明確にする上で適切な判断。たしかに一九三八年十月のズデーテンラント編入までのヒトラーは、平和のもたらし手を偽装していた。戦争なしに、魔術のようにドイツの領土を平和的に拡大し続けた。
ゲッベルスの前でのヒトラーは、ズデーテンラントの次はバルト三国とアルザス・ロレーヌだと言ってゲッベルスを喜ばせるが(ドイツ人の多いこの二つの地域なら平和的取得が可能かもと、ゲッベルスは思ったらしい)、結局は戦争がやりたいから一九三九年九月にポーランドに侵攻、第二次世界大戦の口火を切る。
それでもヒトラーから離れられないゲッベルスは、ヒムラー以外のライバルが次々と脱落する戦争下でも、得意技のプロパガンダを次々と繰り出す。スターリングラードの敗戦を好機として「汝全面戦争を望むや」の大演説をぶち、己自身と世界と歴史という大向こうを相手に、一世一代の演技をする。
敗色濃厚のなか、講和の是非をめぐってヒトラーと意見が衝突しかけた瞬間、話題をプロパガンダにすりかえ、大作映画『コルベルク』をつくると言い出してヒトラーを喜ばせる場面は、この映画のキモだった。「国民に必要なのは(現実の)カイテル元帥ではなく、(映画の中の)グナイゼナウ中佐です」といい、かれ自身が現実から逃避する。
最も大切な、求めるべき答えに直面することを避けて、得意分野に没頭する自己欺瞞。
試写室や個人宅で映画を観る場面が何度も出てくる。ゲッベルスのプロパガンダの最大の武器が、ニュース映画や劇映画などの映像だから。その鮮明なイメージで直接的に大衆に働きかけ、言葉や音楽を組み合わせて煽動する。
プロパガンダ映像の手法は、劇映画そのまま。モンタージュでフィルムを切り貼りして時空を自由に操作し、演出と称して、いかにも本物らしい捏造も平気でやる。よくいえばイリュージョン、悪くいえばフェイク。
こういう捏造や幻想化は、情報化がさらに進んだ社会では不可能だから(すぐウソがばれる)、ヒトラーのようなカリスマ的独裁者が民主主義社会から出現するのはもはや不可能だろうと、二十世紀後半にはいわれた。
しかし、情報があまりに増え、無秩序に氾濫するようになると、人はその海に溺れることを厭い、自分に都合のいい情報だけを選び、それだけを信じることが増えてくる。理性や客観性が容易に失われ、実体なきイメージが一人歩きしやすい現代のネット社会では、ゲッベルスの手法が再び力を得つつある。
この、すべてを劇映画のようにした男の物語を劇映画で観る、という二重構造が面白い。メタ劇映画。
だから、実写の当時のゲッベルスの映像と、新たに俳優が演じた映像とが、躊躇なくモンタージュされる。両者の顔はあまり似ていないのに、なぜか納得して観てしまう。メタの不思議。これも一種のイリュージョン。
映画が終わって外に出ると、新宿のこのあたりも一九四五年五月の空襲で、映画の中のベルリンと似た瓦礫の山になったのだと、現実の光景に脳内の幻影が二重写しになる。
帰路にディスク・ユニオンに寄ると、サヴァリッシュ指揮のシュトラウスの歌劇《平和の日》の国内盤を中古で売っていたので購入。
この作品が一九三八年七月にミュンヘンで初演されたころは、ヒトラーはまさに「至福の平和」をドイツにもたらす者のようなイメージをまとっていたのだ。
初演から五十年後の、初演の地でのライヴ録音。それから三十七年。
四月二十七日(日)オペラと母校
土日はオペラ。土曜日は十四時から新百合ケ丘のテアトロ・ジーリオ・ショウワで、藤原歌劇団によるグノーの《ロメオとジュリエット》。日曜は十七時からサントリーホールで、日本フィルによるヴェルディの《仮面舞踏会》。
詳しくはどちらも「音楽の友」に書くが、ともに総合的水準の高い、気持のよい公演。両者の雰囲気を華やかなものにしたのは、なんといってもそれぞれの主役テノール、前者のロメオ役渡辺康と、後者のリッカルド役宮里直樹の存在。
十九世紀後半のオペラを中心として、「オペラの華」はやはりテノールなのだなと、納得させる歌だった。
テノールといえば、『ゲッベルス』の帰途に寄ったユニオンで買った、我が最愛のテノールの一人、アラン・ヴァンゾが歌うマスネのオペラ、《ノートルダムの曲芸師》と《ナヴァラの女》の二本立て。昔はこの二作の価値がよくわかっていなかったけれど、いまはよくわかる。楽しみに聴く。渡辺康の声がヴァンゾを想わせたので、いいタイミング。
《仮面舞踏会》の前には、母校の東京学芸大学附属世田谷中学校の緑友同窓会創立七十五周年記念総会と懇親会へ行った。一九四七年に附中ができて、五十年に最初の卒業生が出てから七十五周年ということらしい。一回生も七十五回生も参加して三百人限定、会場がいつものホテルではなく、特別に附中の体育館でやるというので、喜んで参加。
大学を出てから附中の校舎に入った記憶はほとんどないので、四十年ぶりくらいか。体育館は我々のときとは違う、新造でとても大きいサイズで、換気もよく快適。
校舎には入れないが、内部を映したビデオが会場で映写された。本校舎はほとんど変わってないが、メインの昇降口が「男子昇降口」となり、校庭と反対側の昇降口が「女子昇降口」となり、男女が分けられている。昔は学年で分けられていた記憶がうっすらとあるが…。
自分と同じ二十九回生もたくさん(十以上の数が数えられないヤツ)いて、中学卒業以来四十七年ぶりみたいな人も。その一人に元銀行マンで、五十代後半になってから司法試験に合格、いま弁護士事務所開いて活躍中という男性がいるのに驚く。すごい人はやっぱりすごい。
昔のまま、笑いのたえない会話が楽しかった。小~大の学生生活のなかで、自分がいちばん懐かしいのはこの附中である。敗戦後の学制改革で誕生した、よい意味でリベラルな、伸び伸びとさせてくれる学校だった。その象徴が本校舎で、学校につきものの廊下をあえて設置せずに、ベランダで各教室を結ぶという思い切った構造だった。当時は変な校舎と思っていたが、この構造によって教室の両側がどちらも窓になり、とても明るかったことに、あとで気がついた。
その明るさと風通しのよさが、学校の雰囲気そのものの基礎になっていた。あの設計をした人は凄いし、それを採用した当時の校長も凄いと、心から思う。
五月二日(金)マーラーの音と本
サントリーホールでルイージ指揮NHK交響楽団の演奏会。アムステルダムのマーラー・フェストに持っていく、ベルクのヴァイオリン協奏曲(独奏:諏訪内晶子)とマーラーの交響曲第四番。
あまり座ったことのない、「やんごとないお席」になるところの一列斜め後ろだったので、そうか、こんな感じに舞台が見えて聴こえるのかと。
前半のベルクでの諏訪内が、指揮よりもオーケストラの各パートに何度も目をやり、それぞれと響きを合わせることに腐心しているのがよく見えた。最後に指揮に背を向けてコンマスの郷古と音を合わせたのは驚いたが、それはこのスタイルの延長上にあるもの。室内楽的な要素の強い曲であるだけに納得。近い距離で聴けたのは、その意味で勉強になった。

ところで写真は、最近岡山の松林堂書店から郵送で購入した古書の包み紙。
このあまりにも美しく丁寧な包装に、美的センスの繊細さと鋭さと、書物という文化への愛着を強く感じてしまい、とてもじゃないが開封できない(笑)
このままだと何の本かわからなくなるから、書名を書いた付箋でも貼っておくか…。中身は偶然にも『マーラー頌』。
何がどうあろうと、こうした文化は失いたくないと、心から思う。
五月五日(木)モードの記憶
数年ぶりにLFJに行く。東京国際フォーラムのホールD7で、アンサンブル・レザパッシュ!によるザヴァロの室内歌劇《マンガ・カフェ》と、オーリック、オネゲル、ミヨー、プーランク、タイユフェール(コンスタン編)共作による《エッフェル塔の花嫁花婿》。
各三十分弱のミニ・オペラとミニ・バレエのコンサート・バージョン。《マンガ・カフェ》は昔懐かしい『電車男』を原作に、パリの漫画喫茶を舞台とする。日本のアニメ・オタク文化の世界進出の象徴みたいな作品で、作曲者は日本に暮らしていたことがあるという。
二〇一八年初演というが、もう今の日本だと『電車男』はもちろん、漫画喫茶も過去のものになりつつある。一つの時代風俗の記録という感じか。
コクトーの台本にフランス六人組が音楽をつけた《エッフェル塔の花嫁花婿》は一九二一年作で、一八九〇年代のパリが舞台という。エッフェル塔が舞台で、蛇腹のついた写真機、電報、蓄音機など十九世紀末の最新の風俗が登場する。
音楽は知っていても物語として観るのは初めてだったのでありがたい。これもモードの記録、という意味で《マンガ・カフェ》と似ている。
同時に、高い塔からの眺めとか写真機とか、江戸川乱歩の『押絵と旅する男』に出てくる浅草十二階と望遠鏡などと、距離感の狂いを利用したパノラマ的な幻想が似ているとも思った。『押絵と旅する男』は一九二九年発表で、一八九五年の浅草が主要な舞台だから、この設定も似ている。コクトーの台本は堀口大學が翻訳しているそうだから(年代不明)、あるいは乱歩はそれを読んでヒントにしたのかも、などと考えると愉しい。
五月六日(金)小さな煙突掃除人
新国立劇場の中劇場で「こどものためのオペラ劇場二〇二五 オペラをつくろう! 小さなエントツそうじ屋さん」。
イギリスの子供たちにオペラに親しんでもらうべく、ブリテンが一九四九年に作曲した、聴衆参加型の小品。ブリテン指揮でカルショーが録音しているので、舞台も観てみたかった。
親しみやすい作品。産業革命期イギリスの児童虐待、労働搾取の典型として知られる煙突掃除人の少年を、裕福な子供たちが救うという物語。
二日続けて短い舞台作品を三本観るというGW。オペラで三十分前後の長さだと、起承転結のうち転がない、一直線の展開になるのが共通していた。
五月九日(金)
観世能楽堂にて、銕仙会定期公演。
・能『忠度』観世淳夫
・狂言『舟船』山本東次郎
・能『胡蝶』鵜澤久
五月十日(土)
国立能楽堂の普及公演。
・狂言『簸屑(ひくず)』井上松次郎(和泉流)
・能『杜若(かきつばた) 日蔭之糸・増減拍子(ひかげのいと・ぞうげんびょうし)』種田道一(金剛流)
五月十一日(日)
矢来能楽堂で観世九皐会五月定例会。
・狂言『千鳥』大藏彌太郎
・能『蝉丸』桑田貴志(蝉丸:観世喜正)
五月十七日(土)色香も妙なり
セルリアンタワー能楽堂主催公演「能に親しむ‐観世流‐」。
・能『羽衣 和合之舞』関根祥丸
楽しみにしていた祥丸の『羽衣』。いやもう、絶品だった。
二〇一六年以来、今日が五回めの『羽衣』だが、こんなにもなまめかしい天人を観たのは初めて。
「御願円満国土成就、七宝充満の宝を降らし、国土にこれをほどこし給ふ」で、袂をふわりとたなびかせて宝を降らせた後、正先に出てゆっくりと身をひねる、そのとき斜め横顔になっていく面の、妖しいまでの美しさ。
そして松の上に浮かび、高空へ去るかと見えて、橋掛りを戻って、また近づいてきたときの、娟雅の美。「天つ御空の緑の衣、又は春立つ霞の衣」。
まさに「色香も妙なり、乙女の裳」。
まったく肉感的なものではないので、色気ではなく色香、としかいいようがない、そのなまめかしさ。
これはもう、浜辺でその舞を見上げる漁師は陶然となるだけだな、と納得。自分も、初めてこの能を見たときの感想を、またまた引用するしかない。
……その回る袖そのものが、高空で嬉しげに舞う天女の、遠い小さな姿のようにみえた。
やがて点になって、空に吸い込まれ、消える。
もはや何もない。一場の夢の終りに残った、現世の果てしなき青空。ただ見上げ続ける男。
しかしこの男は、そのあとも夕霞の空を見上げるたびに、天女が舞う美しい幻影を、はるかな高みに見ることだろう。その平凡な人生の、限りある生命のつきるまで。
舞を始める前、天人は言った。「世の憂き人に伝ふべし」。世を憂い、嘆く人に、我が舞を伝えよと。
素晴らしいものを見せていただいた。じつはこのところ、能に行ってもあまり心が動かないことが続き、もう厭きたのかな俺、とか思っていたが、まったくそんなことはなかった。
まさしく「世の憂き人に伝ふべし」。ただただ感謝。
話を変えて、少し前に届いた能楽専門誌『花もよ』。今度は長唄の七世芳村伊十郎(一九〇一~七三)若き日のSPを復刻頒布するという。『勧進帳』が特に聴きたいし、これが偶然ながら昭和十六年十二月八日の録音という情報を読むだけで、「演奏史譚」の血が騒ぐ。
五月二十日(火)
国立能楽堂の企画公演。
・狂言『布施無経(ふせないきょう)』山本東次郎(大蔵流)
・能 世阿弥自筆本による『雲林院(うんりんいん)』梅若紀彰
世阿弥自筆本は現行曲とは後半がまったく異なる。
駆け落ちに失敗、恋人の二条后(片山九郎右衛門)が兄の藤原基経(観世喜正)に連れ戻されていくのを、茫然と(夢で見ているかのように)見送る在原業平(紀彰)の背中が印象に残る。
五月二十一日(水)《カルメン》選挙
「レコード芸術ONLINE」で「初演150年《カルメン》祭り 150年目《カルメン》名盤選挙」の選者の末席に加えていただいた。國土潤一、岸純信両氏とともにそれぞれベストテンを選んでいる。
選挙といいながら、三人で重なる盤がわずかしかないのがすごい(笑)。自分としては、上位三つは公共性が高いというか、最大公約数的な「名盤」を選んだつもりだったが、それでも両氏と一つも合わない。あとの七つはさらに個人的趣味むき出しで、選んでいて愉しかった。
編集部セレクトの十点も、さらに混乱に輪をかける(笑)。国土さんがお書きのとおり、「《カルメン》は、聴く人の想いの数だけ様々な名盤が存在するという特異なオペラだ」。
「レコード芸術ONLINE」というより、「レコード馬鹿ONLINE」という気もしないではない……が、個人的にはこういう記事がもっと読みたい(参加できればなお嬉しい)。
五月二十四日(土)記憶と記録
「モーストリー・クラシック」7月号が発売された。
自分が今月書いたのは「一枚のディスクから 音盤時空往来」は「ソッリマの3種 ~チェロは冒険する」、特集「私の体験した名演奏」は「東京文化会館での二つのマーラー」、コレクターズ・アイテムは「ルノー・カピュソン R.シュトラウス作品集」
三本とも、いま自分が試みている「記憶と記録の立体的音楽体験」、実演と録音という二種の音楽体験を立体化させて考える方法に則ることができた上に、それぞれに時空の距離と、幽明の境の位置が異なるので、書いていて楽しかった。
どんな体験も、結局は自分の主観に過ぎないけれども、視座を擬似的に動かしてみることで固定観念を揺り動かし、少しでも相対化し、流動化させて、そこを漂流していたい、というか。そこでつかもうとする、藁のようなもの。
さまざまな猛者が伝説的な名演体験を述べている特集「私の体験した名演奏」で自分が選んだのは、ごく個人的な、一九八〇年と八一年の若杉弘とベルティーニ指揮のマーラー。死せる人々というシテの在りし日の姿を、四十五年前の記憶と録音を通じて、ワキにあたる自分が想う、いわば記憶と記録の複式夢幻能。
コレクターズ・アイテムは、ルノー・カピュソンやポペルカなどの生者と、小澤征爾という死者の共存。また、近年の東京・春・音楽祭で三回も聴けた、オリジナルよりもわかりやすく面白い《メタモルフォーゼン》の弦楽七重奏版を、数年前のザルツブルク音楽祭の物凄いメンバーの演奏によるライヴ録音で、ようやく自宅で聴ける。
「音盤時空往来」は、三月に来日公演を聴いたばかりのソッリマを、その新譜3種とあわせて語る、生者ばかりの複式現在能(こんな言葉はないけど)。ワキの自分ではなく、ソッリマのディスクが自由自在に古今東西の時空を駆けめぐってくれているのが、じつに嬉しい。
五月二十五日(日)マルセイユにて
「レコード芸術ONLINE」の特集「150年目の《カルメン》名盤選挙」が世に出たあと到着した、アンゲルブレシュト指揮フランス国立管弦楽団の《カルメン》全曲。
遅かりしデジレ=エミール!
予想通りいい演奏。もちろんセリフ入りのオペラ・コミーク版。マリブランは早い段階でプレスを止めてCD‐Rになってしまい、CDとCD‐Rが混じっているのが厄介で、これもわからないので長く買えずにいたが、来てみたらちゃんとしたCDだったので、とても嬉しい。(マリブラン後期の白ジャケは百%CD‐Rだと思うが、赤ジャケのうち初期はプレスCDなのに、途中からわからなくなる。ORFEOの再プレスがいつのまにかCD‐Rになっていたりするのと似ていて、困るのだ)
演奏以外に興味があったのは、これが一九四二年十一月九日、マルセイユでの放送録音であること。ヴィシー政権下のONFはパリからマルセイユに疎開していた。その時期の録音。マルセイユ時代の録音はわずかしか出ていない。
ONFがマルセイユに移ったため、代わりにドイツ軍の占領下で新たに結成されたのがパリ放送大管弦楽団で、そのシェフに選ばれたのがフルネ、という流れになる。
しかもこの日付は、パットン将軍を含む連合軍がヴィシー統治下のモロッコとアルジェリアへ上陸した、トーチ作戦開始の翌日。この影響で翌年三月にONFはパリへ戻る。というわけで、これも演奏史譚の血が騒ぐディスク。
五月二十八日(水)三十年前の伏線
大河の『べらぼう』を楽しんで観ている。ほとんど吉原の中で話が展開した時期は、個人的にはイマイチだったが、蔦重が本格的に認められはじめ、江戸市中が「外界」ではなくなってきて、江戸城内の動きとも確かな絡みが感じられるようになって、俄然ドラマが動き始めた。
寛政の改革という大苦難の向こうの、家斉の化政文化=町人文化全盛期への予感、もっといえばつながりを意識したものになる気配があるので、そのあたりの描き方も楽しみ。そうすると、再来年の御上先生、じゃない小栗上野の若き日にもつながっていく感じもする。
ところで、「つながり」ということで面白かったのは、第十九回だったか、家基を失い、子作りもあきらめた家治が意次に言う言葉――祖父の吉宗が虚弱な父家重を後継に選んで、次男の田安や三男の一橋を不遇にして恨みを買ったことが原因なのだから、自分の家系が絶えるのは仕方ないのだ、という意味のセリフ。
これを聞いた瞬間、往年(もう三十年も前だ)の大河『八代将軍吉宗』後半の最大のテーマが、家重(中村梅雀が圧巻の演技をした)を次の将軍とすべきかどうか、という吉宗(西田敏行)の迷いだったことや、そこに展開されたさまざまな場面、それらを一気に思い出した。
思えば『吉宗』は、綱吉(津川雅彦)の後継は誰になるかという話から始まって、さまざまな家の「継ぐのは誰か」を世代を移しながら、一年間やり続けたような物語だった(戦争はもちろん、チャンバラすらほぼなかった記憶がある)。
吉宗は紀州家の三男坊でありながら紀州藩主、さらには将軍家の家督を継いだ男だけに、世襲ばかりが選択肢ではないと知っている。一方で、その期待に翻弄され、応えられずに無念の死を遂げた人々が数多くいたことも知っている。
いったんは家重廃嫡に傾くが、紀州時代以来の股肱、加納久通(小林稔侍)の命懸けの諫言で断念する。そして、そうは決めたものの、凛々しく育った田安宗武(山下規介)の立派な姿を見て、これほどの息子を将軍にしてやれないという無念さに、吉宗が思わず泣きだしてしまうところは、ほんとうに名場面だった。
一方、あんな兄が将軍でいいのかと次兄宗武をたきつけて、二人とも家重に冷遇される結果を招く末弟の一橋宗尹(宍戸開。陰謀好きは初代からの一橋のお家芸らしい)。さらに吉宗が最も信頼した老中、松平乗邑(阿部寛)までもが宗武擁立派となったため、吉宗は彼を解任せざるを得なくなる。
吉宗が最終的に家重後継を納得するのは、最愛の側室(黒木瞳)から、家重様を将軍にすればその次は家重様の嫡子、あの聡明な家治様が継ぐのですよと、説かれたときだった。
そんな家治だけに、『べらぼう』でのかれの自虐のセリフは、ものすごく、重かった。『吉宗』全体を大きな伏線にしてしまい、それを回収してみせたようなセリフだった。
『吉宗』の最後には、乗邑に代わる俊英老中として松平武元(香川照之)が登場し、家治の養育係に任じられる。さらには若き田沼意次(小林健、小林稔侍の息子)も顔を出した。意次が、紀州から吉宗が連れてきた足軽上がりの旗本の息子で、優秀さを買われて吉宗の側役に抜擢された人物だったから。
つまり、足軽の家から老中へという、泰平の世ではあり得ないような意次の異数の出世も、吉宗のこれまた異数の将軍家相続がもたらしたものだった。すなわち将軍家治も老中意次も、吉宗の遺産。このことを意識すると、『べらぼう』の家治が意次を誰よりも大切にする理由の一端が見えてくる。
自分の息子に宗武をやらせたのに続いて、猿之助の息子と小林稔侍の息子にもいい役をやらせようという、多分に縁故採用的な意味もあった感じもするとはいえ(笑)、ともあれジェームス三木は、吉宗亡き後の日々へのつながりを、一年間の最後に描いた。
これらがはからずも伏線となり、三十年後の『べらぼう』で回収される、六十二年続く大河ならではの醍醐味。
『鎌倉殿の13人』と『北条時宗』や『太平記』の関係もそうだが、歴史の中のつながりと、現代日本における社会のつながりと、自分の人生の中でのつながり、役者の世代交代と継承など、いろいろな時間のつながりがからみ合って、まことに愉快。
五月三十日(金)《アルルの女》
毎年、なかなか面白い企画のある東京藝大の奏楽堂。今年度は一年間のカレンダーが作られて、先の見込みがたてやすくなった。藝大のサイトからPDFがダウンロードできる。
今年の「藝大プロジェクト」は《アルルの女》。
「演劇とオーケストラ、合唱による完全なかたちで、当時の演奏スタイルなども考証しながら挑みます」
劇音楽は、劇と一緒に聴いて初めてその魅力がよくわかることが多い。この作品についても、二〇二二年一月に東京芸術劇場で松重豊率いる俳優たちの朗読つきで聴いたとき、そのことを痛感した。
当時の可変日記に書いているが、無邪気な音楽が登場人物の苦悩とコントラストをなして、悲劇性を高める。これはセリフつきで観て、初めてわかったことだった。
今回は演出とドラマトゥルクの名前もあるので、舞台と演技がついた、本格的なものになるはず。ビゼー没後百五十年にふさわしい企画で、すごく興味があるのだが、十一月二十二日の十七時開始というのは、ペトレンコ&ベルリン・フィルの川崎公演、ノット東響のマーラー九番と重なり、とてもとても悲しい…。
行けないといえば、野村萬斎が石川県立音楽堂で続けている「萬斎の伝統芸能ラボ」シリーズ。今年は名作能『邯鄲』に、大人数が出る狂言として有名な『唐人相撲』と『ハムレット』まで組み合わせ、能とシェイクスピア、芥川龍之介の世界を融合させるという。
これも観てみたいが、六月二十一日はペルトコスキ指揮のN響がある日だ…。
五月三十一日(土)水の都と川の寺
バロック・ヴァイオリンの杉田せつ子さん主催のコンサート「ヴェネツィアの記憶」へ。
ヴィオラ・ダ・ガンバの森川麻子さんとチェンバロの辻文栄さんが共演で、前半はヴィヴァルディ、後半はタルティーニとヴェラチーニの作品を、それぞれの献辞や手紙などの朗読を交えて。
十九世紀ロマン派の人々もひきつけたタルティーニ《捨てられしディドーネ》と《悪魔のトリル》の物語性の強さと、なんとも複雑な思考をするヴェラチーニの対照が、とても面白かった。その難技巧を、杉田さんたちの心こめた演奏とピリオド楽器の響きで、五十席強の親密な空間で聴く心地よさ。ガット弦はやはり心が安らぐ。
未知の会場であるイデアレーブ イケガミは、東急池上線池上駅から徒歩十分のマンション付属の小ホールで、永田音響設計監修だけに音響もすっきりと抜けがよく、とても快適。
自分は、三方を東急線に囲まれた場所に育った元「東急もん」だが、池上線の久ヶ原より先の蒲田方面は、ほとんど記憶にない。池上駅も初めて下車。ここが池上本門寺の門前駅というのも知らなかった。池上線はもともと、蒲田駅からの本門寺の参詣客を目あてにつくられた。
五反田駅から久々に乗った池上線は三両編成。平らな直線の地上線路をひたすら走る。両側にはコンクリ製の柵と踏切が続き、隣の駅がすぐに見える。
本門寺前を呑川が流れている。昔の自宅のあたりの九品仏川(呑川の支流)は五十年前に暗渠になってしまったので、初めて来たのに懐かしい風景のような気がする。
呑川沿いには本門寺の支院のような寺が並ぶ。イデアレーブは、川沿いの寺の一つ、養源寺の脇にある。六時過ぎに終演。お心づくしのお茶とお菓子をいただいてから出ても、夏至が近いのでまだ明るい。「あじさいが咲きました」という看板に惹かれて、養源寺に入ると、あじさいが美しかった。
帰りは行きと逆に蒲田駅へ出る。地下鉄との直通化が進む東急線のなかで、四千ある櫛形ホームはもうここしかないはず。ひさびさに(たぶん半世紀ぶり)に見てみたかった。しかし池上線も多摩川線(かつての目蒲線の南半分)も三両編成なので、ホームは意外なほど短い。
帰路は多摩川線で多摩川駅まで行ってみる。多摩川駅の地下ホームに到着、地上のホームへ上がって、目黒線~南北線経由で帰る。
六月四日(水)綿津見の魚鱗の宮
国立能楽堂の定例公演。
・狂言『悪坊(あくぼう)』茂山逸平(大蔵流)
・復曲能『玉井(たまのい) 貝尽(かいづくし)』宝生和英
六月七日(土)
昨日今日は日本フィルの定期演奏会のプレトーク担当。ナジもペレーニも素晴らしい。ただ昨日は、引き上げるときにコンマスの譜面台を倒してしまった。

プロの録った写真はやはりすごい(撮影:山口敦)。
六月八日(日)東響コーラス
サントリーホールで東京交響楽団の定期演奏会。指揮はマリオッティ。充実のソリスト陣、東響コーラスも合わせて見事なロッシーニの《スターバト・マーテル》。マリオッティは来週も川崎で聴けるので楽しみ。
サントリーホールは日本フィル二回に続けて三日連続。三日間ともいい音楽、そして今日は客席で聴くだけの気楽な時間。
暗譜で歌うのが伝統の東響コーラスがいつもながらに素晴らしい。本来は独唱四人の無伴奏四重唱のはずの第九曲を、無伴奏合唱に変えて効果をあげたのも、この合唱の力あればこそ。歌い出しをしっかり発声させてから音量をすーっと抑える、マリオッティのコントロールも冴えていた。P席にあげずステージ後方に配置したので、響きの一体感が増した。
東響コーラスは本年後半も《戦争レクイエム》《マタイ受難曲》、そして第九と、ノット指揮で大活躍するはず。
六月十一日(水)第六天の魔王
国立能楽堂で、東京能楽囃子科協議会の定式能六月公演。
・舞囃子 観世流『鶴亀』奥川恒治
・舞囃子 金剛流『松風』金剛龍謹
・舞囃子 観世流『花月』新井麻衣子
・狂言 和泉流『茶子味梅』野村萬斎
・能 観世流『第六天』観世喜正
『茶子味梅』は岩田豊雄(獅子文六)の戯曲《東は東》の原作。文六は文学座に長く関わったのに、戯曲はこれくらいしかないはず。
『第六天』は演能機会の少ない作品。いま第六天といえば、第六天魔王と名乗った信長の逸話で有名。
六月十二日(木)宗家の杜若
国立能楽堂で、日経能楽鑑賞会。
・狂言『磁石』野村万蔵(萬と交代)
・能『杜若 増減拍子・日蔭之糸』金剛永謹
六月十三日(金)新宿花園の娘
午後に川崎で東響をマリオッティ指揮で聴き、夕方は新宿王城ビルにて、布施砂丘彦の作・演出・音楽の『美しき新宿花園の娘』。
シューベルト&ミュラー《美しき水車小屋の娘》が、現代の新宿ゴールデン街を舞台とする、新しい舞台作品に異化される。業界関係者が何人もいて、布施さんの活動が広く注目されていることを実感。詳しくは「音楽の友」に書くが、当方の感性と記憶を刺激してやまぬ百分。「売笑婦」なんて言葉を久々に思い出した。しかもそれを〈マイン〉の音楽に重ねるとは…。
そんな作品を、歌舞伎町まっただなかに建つ、かつての名曲喫茶「王城」の脱け殻のビルで体験できること、そのものがとても面白い。しかも「水流」にこだわる作品そのまま、外も大雨。
地下のサブナードから地上へ出ただけで、土曜夕方の歌舞伎町に渦巻く、すさまじい人間エネルギー(この世のあらゆる人間の欲望が、爆発寸前まで圧縮されているような)に圧倒され、くらくらしながらたどりつく。
ここが名曲喫茶だった時代は、残念ながら知らない。隣にも、壁一面を緑の蔦がおおいつくしているので有名な「スカラ座」という名曲喫茶の建物が二〇〇二年まであったが、こちらも入ったことはない。
ちょうど六年前の二〇一九年六月の自分の投稿に、お茶の水の名曲喫茶「ウィーン」だったビルの写真があった。色あいは違うが、大げさな外観は王城ビルと似ている(まあ、歌舞伎町のほうがやっぱりなんともいえず禍々しい感じがするが)。縁の薄い歌舞伎町と違い、お茶の水・秋葉原地域はクラシックのレコード店がいくつも散在していただけに、こちらは学生時代によく行った。このビルは数年後に解体されてしまった。
六月十四日(土)川向こう
昨日午後に続いて今日もミューザ。都響&沖澤。東海道線は何があるかわからないので早めに着いて、アトレの有隣堂で本を買い、隣の喫茶店でコーヒー。昨夜の「娘」のアフタートークが面白かった、佐々木チワワさんの『歌舞伎町に沼る若者たち 搾取と依存の構造』(PHP新書)。ホストは客と店外で会うときには、男らしく(?)勘定を自分で持つとか、未知の世界で面白い。
アフタートークでは、歌舞伎町のことをゴールデン街が「川向こう」と呼んでおり、互いに馬鹿にしあっているとか、『美しき新宿花園の娘』の世界に結びつく話が刺激的だった。
「川向こう」というのは、成瀬巳喜男の映画『流れる』で、柳橋の花柳界が隅田川(大川)の向こうの深川を馬鹿にして言うのが印象的だった言葉。実際に言われていた言葉だろうし、それが新宿の中で生きているというのが愉快。
歌舞伎町は風俗産業の流行の最前線、アップデートされ続けるのに対し、ゴールデン街は昭和の昔にタイムスリップするような雰囲気を残している。両者を結び、また隔てる、目に見えない「川」。その流れを『新宿花園の娘』はうまく利用していたと、あらためて思う。
六月十七日(火)窪みの記憶
『美しき新宿花園の娘』(このタイトル、意味としてはより正しいはずの「新宿花園の美しき娘」にはあえてしない、というのも布施さんの仕掛け。美しいのは新宿花園でもある)に触発されて、そういえば昔、歌舞伎町の花道通り(旧蟹川)沿いを歩いたことを日記にしたと思い出し、「可変日記」を検索したら出てきた。十六年前、二〇〇九年五月十四日の項。
・大きな窪み
大久保駅近くの淀橋教会で、西山まりえのバロック・ハープ独奏会を聴く。スケールの大きな表現力はさすがだが、ハープ独奏ばかりとなると、単調さが避けられなかったのが残念。
帰路は百人町の古い住宅地を新宿へ。平屋の木造家屋なども多く、新宿からの近さが不思議なほど。大ガード西北には常圓寺の墓地も大きく残っているし、このあたりは昔のままなのだろう。
職安通りで線路の下をくぐって東側に入り、歌舞伎町へ。あらためて、ここが窪んだ低湿地であることを実感する。この窪みは東へ、区役所裏を経てゴールデン街から花園神社へ至る。つまりはこの低湿地が、新宿最大の歓楽地帯をまるごと呑み込んでいるのだ。低湿地の湿って澱む空気こそ、歓楽街に欠かせぬ魅力なのだろう。
そして北側の斜面にはラブホテル街が密集し、この地形は、やはり窪地にある渋谷センター街と、坂上の円山町ラブホテル街との関係に似ている。
現代の感覚では、どうしても駅のある地点を中心に考えがちになるが、この低湿地の窪みこそが、本来の大久保、すなわち大窪なのではないか。
旧町名で見ると、新宿文化センターのあたりが東大久保一丁目、窪みの底を蛇行する(ということは旧河道だろう)道路に沿う地域が東大久保三丁目、そしてその北側が西大久保一丁目となっているから、この想像は的外れなものではなさそうだ。
ちなみに大久保駅と新大久保駅があるのは百人町二丁目(現在は一丁目)で、大久保ではない。
以上。
日記というのはありがたいものだと思う。この「低湿地」がすなわち旧河道沿いの河原、というわけだ。
このころはまだフェイスブックをやっておらず(二〇一一年の秋から)、mixiの友達限定の日記に書いてから、可変日記に転載していたのだった。
二〇〇九年のこの時期は新宿渋谷の旧河道に凝っていて、幡ヶ谷の代々幡斎場付近の旧名「代々木狼谷」に水源をもつ宇田川の川跡が、南の代々木上原駅まで降り、東流して代々木八幡駅、ハクジュホールの脇から代々木公園(NHKホール)下の低地、さらにかつての衛戍監獄(陸軍刑務所、渋谷公会堂)の坂下を抜け、宇田川町に出てセンター街となる、その道筋を歩いてみたりしたことを書いている。
まだ写真を撮るとか、地図で視覚的に示すとか、そういう知恵が働かなかったのが残念。
板倉家の藩屋敷跡に東京監獄(市谷刑務所)がつくられ、処刑場跡が道路になって脇に観音像があるとか、荒木町三業地と鮫ヶ橋貧民窟が斜めに向かい合っているとか、そのほかにもけっこう面白いこと(自分でいうな)を書いている。ひさびさに読みかえしてみよう。
六月十八日(水)ミューザの音
マケラ&パリ管@ミューザ川崎。生命の輝きと喜びに満ちた快演。《オルガンつき》と《幻想》、「怒りの日」の主題で結ばれたフランスの二曲。表と裏みたいな。どちらが「怒りの日」の表でどちらが裏なのかは、考えよう次第。
偶然だが先週からオーケストラは、東響、都響、パリ管と三連続でミューザ。やはり素晴らしい音響。そして週末はマリオッティ、沖澤、マケラに続いて、いよいよペルトコスキを聴けるのも凄い楽しみ。まあ、NHKホールだけども、贅沢はいうまい(笑)。
六月十九日(木)谷町から千駄ヶ谷へ
今日は十七時半から国立能楽堂で定例公演を観る予定だったが、数日前に十七時過ぎからアークヒルズでのインタビュー仕事の依頼が入る。その対象がさる俊英指揮者なので、好機を逃したくない。前半の狂言をあきらめればなんとかなりそうなので、喜んでやりますと返答。
余裕を見て十六時半に着き、溜池山王のドトールで腹ごしらえしていると、近くの席に同業の先輩がPCでお仕事中。「あれ、サントリーのマケラですか?」と声をかけると、「いや、山響」という返事。
「え、山響はたぶん初台ですよ。いつもそうだから」「えー?」となって、先輩を迷走から救い、少しだけ来世に向けて徳を積む(笑)。自分も先週から今週にかけてパズル状態であちこちの会場を走り回っているので、こういうミスはほんとうに他人事ではない。
その後のインタビューはとても面白かった。あたりまえとはいえ、まあ頭の回転が速く、言葉が洪水のようにたくさん出てくる人。優秀なことで業界でも有名な通訳の方が混乱するのを、初めて見た(笑)。
ただし掲載は諸事情で先になりそう。サントリーホールにマケラを聴きに行くという俊英氏に失礼して、大急ぎで千駄ヶ谷へ。
運悪く、当初の予定時刻より能の開演が五分早まっていたため、囃子方や地謡が座につこうとするのと同時に客席へ。すぐ能管が響く。
急いた心と身体が、能の静かな時間の中に溶けていく心地よさ。
能は大槻文藏がシテの『六浦』。六浦とは金沢八景あたりの入江のこと。いま京急の線路が走る金沢文庫~金沢八景~六浦間の陸地は、当時は大きな入江になっていた。
この六浦の称名寺で、京から訪れた僧が境内の楓の木の精と出会う夢幻能。この楓の木を詠んだ、冷泉為相(定家の孫で、鎌倉に長く暮らした)の歌が元ネタになっている。月光の下で舞う楓の精、という幻想の光景を具現化する優美な舞が見事だった。
称名寺は美しいところだそうで、一度行ってみたいが機会を得ない。その風景を知ってからこの能を観ると、感慨もいっそう深いだろうと思う。
ところでこの称名寺は、鎌倉の執権北条一族の重鎮、金沢流の菩提寺。その最後の当主で、六波羅探題を長く務めて京都でも活躍したのが、金沢貞顕。この貞顕に父の代から仕えた被官が卜部兼好こと、徒然草の作者兼好法師。
小川剛生の中公新書『兼好法師』によると、京都人という印象の強い兼好だが北条氏滅亡前には鎌倉や称名寺にも出入りして、京とたびたび往復していたらしい。謎だらけの兼好の来歴が、称名寺に残されていた金沢文庫の、経文の紙背文書から明らかになったという経緯が、実に面白い。
鎌倉時代の京と六浦。そのはるかな距離と空間の広がりが、能『六浦』と兼好を結んでいるようで、そのイメージがとても愉しい。晩年の定家は冷泉為相の嫡男為秀を和歌の師と仰いでいたそうだから、人脈的にもつながりがある。
能の魅力の一つは、こういう時空の広がりを背後に感じられること。六本木の谷町から千駄ヶ谷へとあたふた走る現実の、皮膜の向こうにある夢幻。
長期休館中のよこすか芸術劇場が来年再開したら、公演に行くついでに称名寺も見に行きたいもの。
六月二十一日(土)百二歳の日
ペルトコスキ指揮NHK交響楽団をNHKホールで。これまた凄い才能。二〇〇〇年生まれでまだ二十五歳。詳しくは日経新聞に書く。当日券発売なしという人気にも驚いた。
十九日にインタビューしたとき、自分は四十年前にNHKホールでバーンスタイン&イスラエル・フィルのマーラーの九番を聴いたと言ったら、俄然目を輝かせて、イスラエル・フィルの楽員から、「日本での演奏が最高だったとバーンスタインが言っていた」と聞かされたというペルトコスキ。
二十五歳のその人が、四十年前にバーンスタインが立っていた場所で、始まりの第一番を指揮する。その背中を見る、歳月の妙。
四十年後にここでかれが第九番を指揮するところを見てみたいが、そのとき自分は百二歳。ちょっと無理(笑)。
夜は青薔薇のCMGで「イスラエル・チェンバー・プロジェクト」。紛争下で三人来られなくなったため、葵トリオが全員参加する形になって、これはこれでとても面白い。七人編成の《エロイカ》室内楽版もよかったし、録音でしか聴いたことのなかったカプレの《幻想的な物語》を、一流のメンバーで体験できたのもありがたかった。
実演だと、この音楽がポーの『赤き死の仮面』(自分は『赤死病の仮面』という即物的な訳よりも、このほうが好き)の流れに忠実に沿っていることがいっそうよくわかる。原作の朗読と組み合わせて、メロドラマ仕立てにしたCDもあった。日本語の実演もいつか体験してみたいところ。
六月二十八日(土)マーラー勝手連
「モーストリー・クラシック」八月号が発売された。特集は「マーラー 夏の交響曲」。カーチュン・ウォンへのインタビューはじめ、内容も充実。
自分は遊軍というか別動隊というか搦手というか勝手連というか、特集とは別にマーラーがらみの記事を書いた。
「コレクターズ・アイテム」では、一九七九年と八〇年の山田一雄指揮新交響楽団によるマーラーの第五番&第六番。初代ヤマカズのディスク初レパートリーとなる《悲劇的》が特に嬉しい三枚組。自分が新宿文化センターで聴いた八一年の第七番も聴きたいし、ぜひ交響曲全集を一般発売してもらいたいところ。
「音盤時空往来」は没後百五十年のビゼーの歌劇《ジャミレ》を、この作品を愛したマーラーの逸話とともに。自分が偏愛する歌曲《アラブの女主人の告別》の話をマクラにできたのも嬉しかった。
午後は観世能楽堂で「荒磯GINZA能」。時間の都合で途中から。
・能『班女 笹之伝』松木千俊
・能『大会』関根祥丸
六月三十日(月)弔鐘
二〇二五年の半分が終わる日、初台で山田和樹指揮バーミンガム市交響楽団。
・ショスタコーヴィチ:祝典序曲
・エルガー:チェロ協奏曲
・ムソルグスキー(ヘンリー・ウッド編曲):組曲《展覧会の絵》
見事な選曲だった。ショスタコーヴィチが作ったソ連讃歌に始まり、第一次世界大戦の惨禍の下で書かれたエルガーのチェロ協奏曲をへて、《展覧会の絵》の〈キエフ(キーウ)の大門〉へ。
ウッド編曲は、〈プロムナード〉が終わったとたんにティンパニがベートーヴェンの運命動機を叩くなど、なかなか面白い。〈キエフ(キーウ)の大門〉の始まりには、この幻の門の上にある教会の鐘が鳴り、ミサの始まりを告げるようにオルガンが響く。
この曲がハルトマンの昇天を壮大に描いたものではないかという想定は昔からあるが、その前の部分のカタコンベの死者たちももちろん含まれるのだろう。さらに、ウクライナでの戦争が始まってからは、さまざまな弔いをこの曲に委ねる人も増えている。ラヴェル版を新日本フィルで指揮した久石譲もそうだった。
ウッド版の鐘とオルガンは、その可能性を音で拡大する。ショスタコーヴィチ~エルガー~ムソルグスキーwithウッド。諸井三郎の交響曲第三番や三善晃の反戦三部作をあんなに素晴らしく指揮したヤマカズが、その意味を考えていないわけはない。エルガー以外は二日にもう一度聴けるので、あらためて考えてみる。
それにしても暑い。森永の「メロンソーダフロート」が今年も店頭に並んだということは、もう真夏。暑いのはいやだがこれは嬉しい。
七月五日(土)酷暑の河口湖へ
「音楽の友」の取材でベルリン・フィルのヴァルトビューネ河口湖@ステラシアターへ。面白かったけど暑かった。
富士急が特別列車ヴァルトビューネ号を出すというので、鉄者ではないが話の種に乗ってみることに。新宿から「かいじ」で大月、そこからヴァルトビューネ号で河口湖駅、そこからバスでステラシアターへ。開演二時間以上前に着いたので、暑いなか水分の摂取に気をつけつつ場内をぶらぶらし、開演前に客席で弁当。
七時半過ぎ、アンコール終了と同時に雨がポツポツという、見事なタイミング。帰路はご親切な同業の方の車に乗せていただき、河口湖畔で上がる花火を眺めながら、楽々帰宅。途中の大月から八王子あたりで凄い豪雨になったし、夜は各電車の乗り継ぎにもさらに無駄な時間がかかるので、ほんとうに助かった。
七月十一日(金)死ぬことは怖くない
濱田芳通&アントネッロの第十九回定期公演「Bach Cantatas with Recorder!」を聴きに東京文化会館小ホールへ。このホールでアントネッロを聴くのも新鮮な感じ。
詳しくは「音楽の友」に書くが、厳粛なゴシックという印象の強い教会カンタータが、アントネッロの手にかかると朗らかなバロックになるのが鮮やかで気持ちよし。
「死ぬことは怖くないんだよ、と思ってもらうために宗教はあるんです」と言っていたお坊さんがいたのを思い出す。
挿み込みのチラシには次回定期の案内が。なんと「カルミナ・ブラーナ」。もちろんオルフではなく十三世紀のオリジナルに基づくもの。十二月十一日みなとみらい小ホール。昼夜二回公演というのもありがたい。何が飛び出すのか、こちらも今から楽しみ。
七月十六日(水)読響右近読響
火曜夜から水曜夜にかけては、読響演奏会で歌舞伎をサンドイッチする、読響右近読響。
十五日の読響のラヴェル版の《展覧会の絵》は、先日ヘンリー・ウッド版でも聴いたばかり。十六日夜の《大地の歌》の室内楽編曲版は、八月に同じオケがオリジナルを演奏する。さまざまな異化の聴きくらべが脳を刺激し、作品の姿をより明快に、彫りの深いものにしてくれる面白さ。
十六日昼の歌舞伎は、浅草公会堂で尾上右近自主公演第九回「研の會」。右近は梨園の御曹司ではないが、六代目尾上菊五郎を曾祖父に持つ次代のホープ。自主公演を十年かけて九回続け、今回は大阪の国立文楽劇場と東京の浅草公会堂で各二日間四回、八回もの自主公演を中規模の劇場で行えるというのだから、人気が既にとても高いことがよくわかる。最終回は完売。
前半は山本有三の戯曲『盲目の弟』。六代目菊五郎が弟の十三代目守田勘弥と主役の兄弟を演じ、昭和五(一九三〇)年に初演したもの。幼時に弟を失明させた罪の意識から「一生弟の杖になる」と決めた兄が右近。弟は右近と同学年の中村種之助。
無意味な悪意が人のコンプレックスを刺激し、僻みが邪推となり、悲劇を生んでいく。言葉にならぬままに渦巻く感情を、一人の人間の力で大空間に広げ、共有させる、歌舞伎役者ならではの力。
後半は舞踊の『弥生の花浅草祭』。右近と種之助が四役早変わりで一時間踊りづめの大熱演。動きのキレと大きさ、姿の美しさは人気の高さを裏付けるもの。
開演前と幕間のアナウンスが本人だったり、グッズをガンガン本人が宣伝したり、最後にカーテンコールで撮影タイムがあったりするあたりは自主公演なればこそで、じつに今風。
右近という存在を知ったのは二〇一五年九月八日、サントリーホールで行なわれた、山田和樹指揮日本フィルの「とっておき アフタヌーン」で《春の祭典》を舞ったときだった。それからちょうど十年。
三十代前半の世代は、クラシック界の葵トリオそのほかに能の関根祥丸など、輝かしい才能がたくさん。これからがみな楽しみで、老人には大きな喜び。
七月十八日(金)梅雨明け
朝、東京体育館でひとっプール泳いでから、大江戸線で浜離宮朝日ホールに行き、上野通明と北村朋幹の若きデュオでベートーヴェン、メンデルスゾーン、シュトラウスの若き日の作品を聴く。気持ちよし。
帰宅後、東京文化会館で二期会の《イオランタ/くるみ割り人形》へ。二本立てとしてチャイコフスキーが構想した二作のうち、前者をメインにし、後者のバレエを部分的に挿入してイオランタの心象風景とし、舞台映えするようにしたもの。パスカルの指揮が爽快で、東フィルも《くるみ割り人形》はやりなれているだけにとても上手。
幕間の夕焼けがきれい。梅雨明け。
七月十九日(土)戦争レクイエム
東京交響楽団の「ノット・ラスト・シーズン」もいよいよ後半戦。今日はミューザで目玉の一つ、戦争レクイエム。キリスト教における永遠の生命は「怒りの日」の大破壊と大殺戮の向こうでしか与えられないということを実感させる作品と演奏。それまでの、束の間の安息。
ミューザの空間を大いに活用し、合唱はP席、ソプラノ歌手はその上のオルガン下手。テノールとバリトン、小オーケストラは舞台上手手前にいて、視覚的にも音響的にもメインオケと画然と区別。児童合唱は四階R1席の外の廊下あたりから神秘的に降ってくる。ミューザの澄んで豊かな音響が今日も威力を発揮。
七月二十日(日)芥川也寸志生誕百年
強い日差しの中、投票を先週すませておいてよかったとあらためて思いつつ、王子の北とぴあへ。オーケストラ・トリプティーク主催の「芥川也寸志生誕100年記念コンサート」。
交響管絃楽のための前奏曲(一九四七)
交響管絃楽のための音楽(一九五〇)
交響三章(トリニタ・シンフォニカ)(一九四八)
『いのち』(一九八八)
映画版組曲『八つ墓村』より(一九七七)
アレグロ・オスティナート(一九八六・交響組曲「東京」 より)
指揮:藤岡幸夫
演奏:オーケストラ・トリプティーク
混声合唱:生誕100年記念合唱団
昭和と同い年の芥川(三島由紀夫と一緒、ちなみに明治と同い年がトスカニーニ)の、前半は敗戦後、占領下の時代の初期オーケストラ曲、後半は昭和末期の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時期の作品からなる。中間の高度成長から赤軍派暴走にかけての時代、前衛音楽全盛期が抜けているのが興味深い。
上野時代の習作で生前には演奏されることなく、プロオケによる演奏は今回が初めてという前奏曲、第二作となる交響三章、出世作となった『交響管絃楽のための音楽』、いずれも伊福部昭の影響が濃厚。藤岡の見事なドライヴで三曲とも最後が強烈に盛りあがる。
しかし後半の『八つ墓村』を聴くと、語法も音色もはるかに多彩で、豊かさと深みを増していることを痛感。進駐軍時代の三曲はいかにもモノクロームで、当時の日本のオケの音、あるいはSPやラジオの音が、書法そのものに反映されていたように思う。
『八つ墓村』は本人が「自分の映画音楽における総決算」と述べたというにふさわしい充実ぶりで、もっとも感銘を受けた。「惨劇・32人殺し」の陰惨な迫力、「道行のテーマ」のロマン。「落武者のテーマ」は、燃える多治見家を山の稜線から見下ろして笑う、落武者たちの亡霊が見えるような。
遺作となった《いのち》は、日蓮宗系の本門佛立宗の委嘱によるもの。戦後昭和の宗教法人の力を思い出す。
FM東京の委嘱で外山、三枝、石井眞木と共作した交響組曲《東京》終楽章 は、せわしなくけたたましい、まさにエコノミック・アニマルがウサギ小屋に住んで休みなく働き、銀座や赤坂で飲み食いしていた時代の東京という感じ。まさしく昭和の空気とともにあった人だと、あらためて。
この企画を実現、失われていた『八つ墓村』の自筆譜を見つけ出し、音として聴かせてくれた、企画プロデューサーの西耕一さんに、深く感謝。
七月二十七日(日)《ルクレツィア》
新国立劇場の中劇場で、オペラストゥディオ(オペラ研修所)のサマー・リサイタル。
ヴォルフ=フェラーリの《スザンナの秘密》とレスピーギの《ルクレツィア》という、二十世紀の一時間ほどの一幕物を二本立てにしたもの。
一九三七年初演のレスピーギの遺作、《ルクレツィア》は知らなかったので、ピアノ伴奏でも嬉しかった。『ローマ建国史』によるもので、題材と物語は一九四六年初演のブリテンの歌劇《ルクレティアの陵辱》と同じ。ブリテンは一九三一年初演のアンドレ・オベイ作のフランスの戯曲に基づいているそうだが、あるいはレスピーギも同じか。
八月一日(金)嗚呼蒲田駅
東急多摩川線の矢口渡駅付近から京急線の京急蒲田駅付近までの〇・八kmをつなぐ「新空港線」計画。矢口渡駅と蒲田駅の間で地下に潜って、京急蒲田駅まで行く(東急と京急は線路幅が違うために羽田までの直通化は無理)。
東急の蒲田駅と京急の蒲田駅は、JRの蒲田駅を合間にはさんで、けっこう距離がある。自分は小学生の頃、京急手前の商店街のアーケード内にあった模型屋が好きだった。家の近所では売っていない、ロコというオーストリアの模型メーカー製の戦車などを扱っていたからだ。土日に一人で買いに行くとき、東急蒲田駅から歩いていくのが楽しみだった。子供の足ではけっこうあったが、モノに釣られているからなんとも思わなかった。
この二つの駅を結ぶ八百メートルの超ミニ新線といいながら、多摩川線の様子は大きく変わる。東急蒲田駅は地下化して大型化されるのだろうから、現在の櫛形ホームはとうとう消滅。「蒲蒲線」ならぬ「新空港線」は東横線にも乗り入れて、それは八両編成になるという(三両編成と併用)。
昔ながらののんびりした三両編成の東急線は、いよいよ池上線だけになる。まあ開業は十五年ぐらい先が目標というから、自分が電車に乗って動いている間は今のままだろう。
八月二日(土)軍歌とドリフ
旧東京音楽学校奏楽堂にて、洋楽文化史研究会の創立25周年記念演奏会「見よ東海の空明けて‐敗戦80年に問う戦時期の音楽‐」。
日中戦争からアジア・太平洋戦争にかけての戦時に日本で歌われた、さまざまな音楽。《見よ東海の空明けて》《暁に祈る》《英霊讃歌‐山本元帥に捧ぐ》など、当時の録音でも聴けるが、生の歌として聴くことは、やはり特別の意味と力がある。《月月火水木金金》とか《空の新兵》とか《轟沈》とか、自分が子供のころさんざん聴いて歌っていた、いわゆる「軍歌」も懐かしかった。
一方、こうした威勢のいい「建前」ではない、銃後の「本音」がかいま見える浪曲《唄入り観音経》、さらに《軍隊小唄》や《海軍小唄》のような、内務省警保局が名づけるところの「不穏歌謡」も取りあげられた。
詳しくは某誌に書く予定だが、それとは別にごく個人的なこととして、《軍隊小唄》や《海軍小唄》のような「不穏歌謡」に自分が昔から親しんでいるのは、いったいなぜなのかと考えてみたら、初期のザ・ドリフターズが得意にしていたナンバーだったからだと思い出した。
《ズンドコ節(海軍小唄)》や《ほんとにほんとにご苦労さん(軍隊小唄)》とか《可愛いスーチャン》とか。このへんはテレビでも長く歌っていたはず。
ドリフの源流としての「不穏歌謡」。新作を歌うクレイジーキャッツの都会的カラーに対し、おなじみの旋律の替え歌を得意とし、祭りの装束が似合っていたドリフ。このテーマは、いろいろ広がっていきそうな気もして、退屈の虫が騒ぎだす感じもする(笑)、
八月六日(水)カレーは飲み物
おかげさまで六十有余年、首から下はきわめて健康に過ごさせていただいているのだが、頭と目と歯は、子供の頃からかなり悪い。
で、ここ数日歯が痛い。かかりつけの先生が春に廃業してしまったので、どこか新たに探すにしても痛みが少し治まってからにしようと我慢していたが、レタスやキャベツを噛むだけでも響くので、なかなか食べ物に苦労。
こういうとき、つくづく納得するのが「カレーは飲み物」。
カレーなら流し込める。まあ丸呑みは胃腸に悪いので、口の中でできるだけ味わってから。
八月七日(木)三~四度の差
フェスタミューザで太田弦指揮九州交響楽団演奏会。詳しくは「音楽の友」に書くが、とても気持のいいコンサート。まだ三十一歳のこの指揮者は、いつも幸せな気持にしてくれる。
それにしても、最高気温が三十六度から三十三度あるいは三十二度になるだけで、こんなに生きるのが楽になるのか。日が陰った夕方なら、長袖シャツにジャケット姿で川崎までなんてことなく行けた(五日夜のトッパンホールはとても無理だった)。昔は三十三度なんて、聞いただけでゲンナリしていたのに。
川崎のほうが空気が重くないという差があるにせよ、三~四度の差が体感的にこんなに大きいなら、逆にそのぶん増えた四十度以上とかは、いったいどんな生活環境なのか……。
八月八日(金)なんと鮮らかな日没
午後は観世能楽堂で、能 狂言『日出処の天子』。
『鬼滅の刃』を新作「能 狂言」として舞台化し、大成功している野村萬斎。新たに挑んだのが、山岸凉子の往年の名作マンガ『日出処の天子』の舞台化。
『鬼滅の刃』の舞台は映画同様に若いファンが殺到してとても買えそうにないし、原作も未読なので観る気にならなかった。しかし山岸凉子は昔から大好きな漫画家で、この作品も一九八〇年代後半に愛読したものだから、萬斎の現在の挑戦がどんなものなのかを知るにはちょうどよいかもと、申し込んでみた。
四日間七公演が即完売という人気ぶりは『鬼滅の刃』同様だが、競争率は『鬼滅の刃』よりは高くないはずと考え、ダメ元で先行抽選に応募したら、運良く当たった(外れた知人も多かったので、競争率は低くはなかったようだ)。イマドキの転売防止策で、発券するまで席の場所もわからないというものだったが、脇正面ながら橋掛りの直近という、素晴らしい席。ラッキーだった。
舞台は中央に建屋風の作り物。夢殿を半分に切ったような半透明の衝立があって、スクリーンの役をする。原作での夢殿の役割を思い出してニヤリ。
ストーリーは原作全体を二時間にコンパクトにまとめたもの。多数の場面を迅速な転換で無駄なく簡素に進めていくあたりは、シェイクスピア時代のイギリスの劇場の上演法を想わせる。そこに狂言や能の約束事をうまく仕込んでいる。簡単にいえば狂言方は狂言方、シテ方はシテ方、ワキ方はワキ方、囃子方は囃子方の方法論で演じていて、たしかにこれは「能 狂言」。
その一方、通常の能の地謡やツレではなく、コロスとしているのが萬斎流の新工夫。地謡だと舞台の外にいて演技には参加できないし、ツレが地謡になることはできないが、コロスならどちらも兼ねられる。このあたりは室町~戦国期までは適当にやりくりしていたはずで、萬斎の試みは、能楽を徳川時代の固定された「武家の式楽」より前の、もっと自由で現場主義的な芝居だった時代に戻すという意義も持っているのかもしれない。
第一線で活躍している能楽師ばかりだから、基本を踏み外すことはない。それでいて、能楽に馴れない人にも親しめるように、きっかけになるように作ってある。好評の理由がよくわかった。
原作を最後に読んだのは三十年以上前なので、「そういえば、たしかにこんな場面あったなあ…」と細部を思いだしながら観ていた。ところが面白いことにラストが近づくにつれ、この公演では扱われていない原作の続篇、『馬屋古女王』(うまやこのひめみこ)の物語世界が自分の脳内にぐんぐん甦ってきて、二重写しのように舞台に重なった。
厩戸王子役の萬斎には馬屋古女王の狂気の影が重なり、蘇我毛人役の福王和幸には山背大兄王の虚無の影が重なり、舞台があの頽廃的で滅びの予感に満ちた、炎のような夕陽に照らされた斑鳩宮のように見えてくる。
最後は、ここにはいない蘇我入鹿の、「なんと鮮らかな日没」という、物語全体をしめくくる見事なセリフを、自分のなかで勝手に聴いていた。この二作のつながりを、台本の見崎可奈も構成・演出の萬斎も意識しているからなのだろう、きっと。
十二月の再演も既に完売という。上から目線でないものねだりやあら探しをするのは簡単だろうが、自分はそういうことに興味がない。新作歌舞伎の中で再演を重ねる作品が出てきているように、能楽にも出てきてほしい。萬斎の挑戦をこれからも見たい(あくまでも、チケットが首尾よく買えたときは、の話だが)。
八月十二日(火)慰霊堂のレクイエム
十一時から横網の東京都慰霊堂で
「After80~すみだ発 平和の橋を音楽で繋ぐプロジェクト すみだ平和祈念音楽祭2025 東京都慰霊堂特別演奏会」
佐渡裕と新日本フィル、栗友会合唱団などがフォーレのレクイエムを演奏。
東京都慰霊堂のある横網町公園は、かつて「被服廠跡」と呼ばれた場所。一九二三年の関東大震災でここに避難していた人々が火災旋風に襲われ、三万八千人が死亡したという。五万八千柱の身元不明の遺骨を納めて、七年後に建てられたのが震災記念堂。
外観は仏教風だが、講堂内部は西洋のバシリカ様式、後方の三重の塔は唐・天竺風になっている。東京大空襲を耐え抜き、一九四八年に東京都慰霊堂と改称。空襲で亡くなった身元不明の遺骨も加えて、現在は十六万三千柱が安置されているという。
一九四五年から八十年。東京西郊に育った自分は、今まで訪れたことがなかった。入ると香炉があるので線香をたてて合掌。このあたりは仏教式で、聴く音楽はキリスト教のレクイエム。奇妙といえば奇妙だが、排他的独善による宗教や宗派の対立がどれほどの不幸を人類にもたらしているかを思えば、この真剣ないい加減さこそが大切に思える。
今夏のレクイエムは、七月のブリテンの戦争レクイエムに続いて二曲目だが、空襲で破壊された大聖堂の再建を記念するあの曲が、少なくとも半分、ひょっとしたら全曲が〈怒りの日〉でてできているみたいな感じがあるのに対し、フォーレは〈怒りの日〉を省略している。〈リベラ・メ〉のなかで予感のように響くだけ。それが、震災や空襲で名前を奪われたままの死者たちを祀る慰霊堂に響く。
日差しを恐れて十四時ではなく十一時開演を選び、JRよりも近い大江戸線の両国駅から行ったが、意外にも曇り空で歩きやすい気候。
帰路はJRの駅に向かうことにし、安田庭園(かつてはその一角に両国公会堂があった)や、一九二九年落成、築九十六年のJRの駅舎を見て帰る。
八月十五日(金)SF地獄篇
新国立劇場で観た《ナターシャ》について、今の日本なら「SNS地獄」が加わるだろうし、数年後にはきっと「AI地獄」も出現するのだろうなどとあれこれ考えつつ、『インフェルノ‐SF地獄篇‐』(ラリー・ニーヴン&ジェリー・パーネル/小隅黎訳/創元推理文庫)を四十年ぶりぐらいに読みかえす。
原著が一九七六年刊で邦訳は七八年。現代(今から半世紀前)のアメリカのSF作家が、ダンテが描いたのとよく似た地獄を降りていくという小説。当然《ナターシャ》と響きあう要素がある。
初めて読んだのは高一か高二か。面白くて何度も読みかえした。加藤直之が描いたドレの版画風の表紙にも惹かれた。二月に閉店した自由が丘の不二屋書店で一九七八年に買ったもの。
八月二十日(水)夏の夜の夢
松本のOMFでブリテンの歌劇《夏の夜の夢》。歌手、舞台、オケ、三拍子そろった楽しくて素晴らしい公演。大傑作のメンデルスゾーンの劇音楽の向こうを張って、あえてオペラ化に挑んだブリテンの、意気に感じたような公演。
イギリス人がシェイクスピアをオペラ化するのは、ドイツ人がゲーテをオペラ化するのと同じくらい難しいのかもしれない。それを果敢にやってのけた。ちょうどアルフレッド・デラーの出現でカウンターテナーが復活したこととか、いろんなことが霊感をもたらしたのだろうなどと考える。
没後五十年を来年に控え、前夜祭のようにブリテンのよい公演が続く。五月の新国立劇場の《オペラを作ろう──小さな煙突掃除》、七月のノット東響の《戦争レクイエム》、そしてこのオペラと、みな児童合唱が活躍するのが面白い。
公演の前にはおきな堂で昼食。昨年、隣のみゆき堂で食べたケーキが絶品だったので、今年もデザートはそちらにするつもりだったが、あいにく水曜定休日。ということでおきな堂で「ブルーベリーのバニラアイス」を食したが、これも美味。松本はFIVEHORN(料理も素晴らしかったのに、パルコ閉店でお菓子のみになってしまった)とか、デザートが美味しい店が多いので困る(笑)。
オペラは十七時からで、休憩は十八時半過ぎ。外に出てみると大好きな「信州の夕暮れ」だったので、これも嬉しかった。夕闇迫る空を、西から来たたくさんの鳥たちが東の山へと、鳴きながら飛んで帰ってゆく。こういう場面は現代の東京ではなかなか見られないので、感動しました。そして舞台に戻ればまた、青い月の照らす夜の世界。
八月二十一日(木)姨捨山から
松本泊の翌日は早起きして、長野駅に向かう篠ノ井線の鈍行に乗る。姨捨駅で途中下車して、次の長野行きまでの一時間に駅周辺を見学。この駅は北川景子主演の四月期の連ドラ『あなたを奪ったその日から』の最終回に登場したので、駅舎には北川と大森南朋の直筆サインが。
自分も偶然その場面を見ていたが、それに触発されて来たのではない(笑)。この駅に来るほとんどの旅行客はスイッチバック見学が目的の鉄者だが、自分はそれでもない。
能の傑作『姨捨』の舞台なので、景色をゆっくり見たかった。いわゆる「姥捨山」の話と、古今集の「わが心なぐさめかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」の古歌を組み合わせたもの。
姥が岩に転じたという姥石も見に行きたかったが、かなり山をくだらねばならず、酷暑の昼間なので断念。
しかし周辺の見当はついたので、今度は午後の公演のあとにでも、夜来るようにしたい。そして千曲川沿いの夜景(駅舎に写真があった)と、棚田それぞれに月が映るという、水面と天空の月を見ながら、自分の心をもてあましてみたい。
ただ、最近は人里まで熊が出没するのが日本のどこでも当然なので、駅舎内にいないと危険そう。
昼前に長野駅へ着いたので野菜天ぷら蕎麦を食い、新幹線で大宮へ。トレインデスクという仕事や読書優先で静かに、私語は控えるという車両を選んでみた。騒ぐ酔漢や子供がいなくて快適。
……と思ったのも束の間、後方のおっさんが世にも汚い響きでいびきをかきはじめた。私語のない静かな車内に、いびきだけがバカでかく、いぎたなく響く。みんな無言で、じっと聞いている。いびきというのも私語の一種なんじゃないかとか、そんなことを考えながら耐える。高崎で降りてくれて助かった。
十四時過ぎに自宅に帰り着くと、大急ぎでシャワーを浴びて着替えて、浜離宮朝日ホールでヴァイオリンの佐藤俊介さんにインタビュー。
いちど話を伺ってみたかったので楽しかった。十月のベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲チクルスもますます楽しみ。
そのあとは夕飯を食べながら時間をつぶし、夜はサントリーホールで「落合陽一×日本フィルプロジェクトVOL.9 東京公演《null²する音楽会》」へ。
今回は万博での公演も控えているためか、式に広上淳一が登場する豪華版。音楽的な充実度がグンと上がった。曲目は大半が日本の作曲家の作品。前半は團伊玖磨の祝典行進曲に始まり、武満徹、林光、菅野祐悟、久石譲、坂本龍一が映画やテレビのために書いた曲が続く。
この音楽会では、生成AIを駆使した映像が生演奏と組み合わされるのが特徴になっている。第一回ではステージ上に吊るされた小さいスクリーンに、抽象的な映像が映るだけだったが、最近の猛烈な技術的革新と普及により、スクリーンはかなりの大型となり、映像もより具体的で、凄まじい情報量を持っている。
しかしそれだけに、ある種の気味悪さというか、ノリきれないものを感じた。
ご成婚を祝うための祝典行進曲には、昭和の高度成長を象徴するように、テレビに冷蔵庫、洗濯機の「三種の神器」などの家電製品をモノクロで映す映像がつく。当時の家電のCMはメーカーごとに特定の男性司会者が「顔」になっていたが、そのうちのナショナルの泉大介らしき顔や、はしゃぐ女性や子供の顔なども映る。
しかしその製品も人の顔も、いかにも本物のモノクロ写真のようで、しかし現実には存在しない作り物。著作権侵害を避けるために、AIが巧妙にでっち上げたものなのだ。それを見ているうちに、とても居心地が悪くなった。
あくまで個人の感想で一般論ではないが、絵画やマンガのような絵なら作り物でも気にならないのに、リアルな写真風の偽物というのは、なぜか気味が悪い。
後半の藤倉大の新作《Water Mirror》は、狂言の『御田』と能の『野守』にオーケストラで音を加えるというもの。
この『野守』に出てくるのは、天界と地獄の幻影を映し出す鏡である。落合がこの曲をわざわざ選んだというあたり、AI映像の善悪の両面性を象徴させているようで、興味深い。何かを創ると同時に何かを壊す。何かをもたらすと同時に何かを奪う。もちろん、あらゆるテクノロジーがそうなのだが、AIは人間の精神活動に直に入り込む。
AIの便利さはそのまま地獄になる。さまざまな意味の地獄。《ナターシャ》にあるべき現代の地獄。
初期の抽象的な映像は、なんとかわいいものだったことか。どんどん怪物化しつつあるAIと、それが稼働するための莫大な電力。それらが、基本的に人力だけで音楽を奏でるオーケストラと協働しているのが、この音楽会の面白さ。
八月三十一日(日)挑戦と継承
国立能楽堂で「亀井忠雄三回忌追善 第十一回 広忠の会」を観る。
葛野流大鼓方十五世家元の亀井広忠主催の会で、二年前の六月に亡くなった広忠の父、人間国宝の忠雄の追善公演。忠雄は大鼓方の名実ともに頂点に立つ人だっただけに、シテ方の観世流を中心に、日本を代表する能楽師たちが顔をそろえる。もちろん完売。
観世清和の『江口 平調返 流八頭』と観世喜正の『道成寺』という能二番を柱として、大槻文藏などの一調七番と友枝昭世の舞囃子。休憩二回を含めて六時間強の長丁場だったが、中身が充実しているからか、不思議と疲れない。
とりわけ、喜正の『道成寺』が素晴らしかった。追善の意味を強く込めた『江口』に対し、働き盛りと次代を担う若手によるこちらは、プログラムに広忠が書くとおり「師父への挑戦と継承」。
喜正のこの能を観るのは五年ぶり二度目。今回も舞台に惹きつける凝集力が圧倒的。乱拍子もその前後も、手に汗にぎらせる緊張感。
今回のシテは、妄執にとらわれていることを自覚しながらどうすることもできず、妄執の炎で自らを焼いて苦しむ、哀しい女だった。
小走りに入ってきた橋掛りで立ち止まり、視界に入ってきた「あの鐘」をじっと見つめるその姿、その横顔。
鐘の中の暗闇にたどりついたとき、彼女は自らが愛し、殺した男のことを思い出していたのだろうか。
鐘が上がって現れた彼女の姿は、恐ろしいよりも哀しく、痛々しい。おぞましいのは外見ではなく、自らの心の炎。僧たちと争いながら、彼女は何度も何度も「あの鐘」を見上げ、ついに力尽き、去っていく。
それにしても、世阿弥的な複式夢幻能の美学や芸術性とはまったく別の世界なのに、しかし能でしかありえない魅力に満ち満ちた『道成寺』というのは、ほんとうに異形の傑作だと、今回も納得。
広忠はもちろんのこと、シテ以外もみな気魄にみちて、素晴らしかった。少なくとも一年に一回は『道成寺』をナマで観たいと思いながら、今年も無理かもと思っていたが、運良くこの舞台に気がついた。ほんとうによかった。
二年前の六月、観世能楽堂に大槻文藏の『頼政』を観に行ったら、「亀井忠雄休演、広忠が代役」とあった。なぜかひどく重苦しい、暗い影に包んだような舞台だなあと思った数日後、その前日に忠雄が亡くなっていたというニュースで、あの影の正体を知った。そのときのことはよく覚えている。文字どおりの「ザ・ショウ・マスト・ゴー・オン」だったのだが、どうにもならなかったのだろう。
あれから二年。「師父への挑戦と継承」をくり返して、能は明日へと生き続ける。そう感じさせてくれた一日。
九月二日(火)そして私は叫ぼう
E vo gridando: pace! E vo gridando: amor!
そして私は叫ぼう 平和を! そして私は叫ぼう 愛を!
いよいよ始まったムーティの「イタリア・オペラ・アカデミーin東京vol.5《シモン・ボッカネグラ》」
この日は東京音大の中目黒校舎でムーティによる作品解説。解説といってもここ数年は、最初に作品について少し話したあと、オーケストラと日本人歌手を指揮して、レッスンしつつ作品の聞きどころを演奏するスタイルをとっている。
プログラムを見ると、タイトルは日本語では「作品解説」とあるが、英語では「コンサート‐レッスン(ウィズ・ジ・オーケストラ・アンド・シンガーズ」とある。コンサート‐レッスン。このほうが当日の内容を的確に表現している。
ムーティはこれまでこの作品についてわずかしか語っていないが、今回のアカデミーではたっぷり聞けそうで楽しみ。
特に印象に残ったことをいくつか。
・初版はイタリアの再統一が始まる前の1857年の時点で、あえてイタリア全体のまとまりを訴えるものだった。つまりとても危険な、勇気ある作品であったこと。平和と愛を希求するオペラ。
・美しい音楽に満ちた作品であるのに、肝心の主役シモン=総督にはアリアがない。この役はモンテヴェルディの歌劇の登場人物のように、朗唱されるものであること。ここでモンテヴェルディの名が出るあたり、思わず膝を打つ。
・導入部やアメーリアのアリアの前の音楽は、海そのものを描いていること。前者冒頭のコントラバスは、海底の潮の流れのように。後者冒頭のピッコロは、波のきらめき。そのほか、特にチェロ、そしてヴィオラのパートを重視。
・ヴァイオリンには「歌って! イン・テンポで!」。歌ってもテンポを遅くしてはいけない。また歌手の歌い終わりでの、楽譜にないリタルダンドやクレッシェンドを厳しくたしなめる。
・一幕のアメーリアと総督の二重唱、総督の最後の「フィーリア!」はファルセットで歌うこと。
・終幕の総督とフィエスコの二重唱は、ヴェルディが書いた百を超すさまざまな二重唱のなかで、この低い男声による二重唱こそが、最も美しいものだと思っていること。ここでの木管は、男の涙。
とにかく、指揮しているうちにこんこんとわきだす、無限のエネルギーと、音楽への情熱と愛の強さに圧倒される(アカデミーが毎年始まるたびに!)。オーケストラも歌手も聴衆も、そのパッションに巻き込まれていくだけ。
そして、ヴェルディの書いたオーケストラがどれほど生彩に富んだものであるかが、耳と脳にたたき込まれてくる。しかもこれはオーケストラとの初顔合わせに過ぎない。これから二週間で、オーケストラが見違えるような「ヴェルディの音」を出すようになる、そのさまに今年も立ち会える喜び。
フィエスコがアブドラザコフからペルトゥージに交代のニュース。残念ではあるけれど、代役がペルトゥージというのは、また別の楽しみ。
それにしても、この「ムーティの二週間」のまっただなかに、高関健指揮東京シティ・フィルの《ドン・カルロ》演奏会形式と、藤原歌劇団の阿部加奈子指揮《椿姫》があって、九月前半はさながらヴェルディ週間。
去年も、ムーティの《アッティラ》とチョン・ミョンフンの《マクベス》が重なったヴェルディ週間で、好悪の問題とは別に、ヴェルディの作風の変化や演奏スタイルについて、すごく考えさせられた。今年もそうなるか……。
九月七日(日)ムーティ怒る
昼は五日に続き雑司ヶ谷の東京音大のムーティのアカデミーを聴講。
チェロが六人のうち四人しか来ていないことにムーティが途中で気がついた。「今日は休みです」と首席が答えると、運営に対して「なぜ事前に教えない!」と怒りだした。「ベルゴーニャ!(恥を知れ!)」なんて言葉は、トスカニーニのリハーサル録音でしか聞いたことがなかったので驚いた。
「真剣にやっているのか。自分は八十過ぎでもう二十歳じゃない。こんなことでは困る」。
今年は人数の確保が難しかったようだが、ひとつながりのリハーサルと思ってムーティは教えているのに、人が変わったり抜けたりでは意味がない。
こんなに怒ったムーティを見たのは、昔自分がやったインタビューで、「リハではトスカニーニみたいに怒鳴ったりしないんですね」と軽い気持で聞いたら、「トスカニーニが怒るのは正当な理由があるときだけだ。無意味に怒鳴るわけじゃない」と目の色が変わった瞬間以来。あのときの恐怖が自分のなかで甦って、懐かしいというかなんというか(笑)。
やがてアカデミーを再会したものの、「チェロが足りないなら、チェロが強調されるときは他の弦は音を抑えなきゃいけない。そんなことをわざわざ言わなければならないなんて、六十年間やってきて初めてだ」などと、感情を抑えかねた言葉が次々に出る。
できないことをやらせようとして、理不尽に怒る人ではない。できるのにやらないことを嫌う。まさしく「怒るのは正当な理由があるときだけ」だった。
九月十一日(金)来年の日本フィル
杉並公会堂で、日本フィルの七十周年記者懇談会。新理事長の挨拶、来年六月の七十周年記念特別演奏会《千人の交響曲》など来年度の内容発表ほか。
いま、在京オーケストラのなかでも一番ノッているように思える日本フィル。その状態のよさを証明するように、来シーズンは首席のカーチュン・ウォンはじめ、これまでゆかりの深い人を中心に、興味深い指揮者たちが顔を揃え、多数の興味深い曲目を取りあげる。
カーチュンはマーラー編曲版《合唱》に《千人》、中国の民族楽器を加えた自身編曲の《展覧会の絵》、ブル八など。他に自ら強く希望したというフルトヴェングラーの二番を振るパパ・ヤルヴィ、ラザレフ、インキネン、コバケン、広上にヤマカズ、沖澤、阪哲朗などなど。
自分が生まれて初めて聴いた《千人》は一九八一年の渡邉暁雄指揮日本フィルだったので、それから四十五年ぶりということになる。それにしても十一月の群響、二月の都響と合わせて、七か月に三千人。
帰りは中央線に一駅だけ乗って阿佐ヶ谷で降り、駅前から南に伸びる商店街、パールセンターを歩く。大学一年と二年の夏、ここの有名な七夕祭りの警備のバイトをしたのだった。アーケードは昔のままだし、建物は四十四年前と同じものもけっこう残っているが、テナントはかなり変わっている。長い商店街を南に五百メートル行くと青梅街道にぶつかり、丸ノ内線の南阿佐ケ谷駅から帰宅。
晴れていたのに、帰り着いたらとたんに土砂降り。運がよかった。生まれ故郷の緑が丘と自由が丘駅付近が凄まじい雨で、子供のころから通っていたおもちゃ屋マミーが浸水したらしい。驚き。
夜は東京音大で若者たちの《シモン・ボッカネグラ》を聴くべく、副都心線の雑司ヶ谷へ。
行きは少し遅れている程度だったが、帰りは西早稲田駅に着いたところで、渋谷から先の東横線が渋滞のため、ここで二十分ほど停車。空いていて座れたし、人の多い駅ではないからストレスはなかったけれど、混んでいる駅ならきつかったろう。副都心線は私鉄との接続距離が長いだけに、影響が出やすい。どうにか帰宅。
九月十二日(金)八十六年前
午後はすみだトリフォニーで、スピノジ指揮新日本フィル。スピノジは二〇一〇年から二〇一五年まで、毎年のように客演するのを聴いて楽しんでいたが、その後は機会がなく、十年ぶりの実演。
十年前同様に楽しかった。いろいろと仕掛けたヴィヴァルディの《四季》に始まり、ロッシーニ、ベッリーニ、ヴェルディ、プッチーニと、フレンチの華やかさをまぶしたイタリアン。ヴェルディ週間の合間に聴けたので、いろいろと考えさせられるところもあり。これも「東京勝手にツィクルス」の面白さ。
帰宅後は予習も兼ねて、パニッツァ指揮メトの《シモン・ボッカネグラ》。一九三九年録音。トスカニーニもムーティも録音していないので、「トスカニーニ・スクール」の指揮者の演奏は、このパニッツァ盤だけ。
キャストも当時のメトのスターが勢ぞろい。ティベット、ピンツァ、レートベルク、マルティネッリ。パオロを若き日のウォレンが歌っているのも楽しい(十年ほど後にはかれがシモンを歌う)。さすがに千両役者ばかりの歌。終幕のティベットとピンツァの二重唱なんて、本当にお見事。ティベットの「そして私は叫ぼう 平和を!」も、ゾクゾクするような迫力。
このオールスター・キャストにひかれて、ロココのLPを一九八二年頃買ったのが、パニッツァとの邂逅だった。「知らない指揮者なのに、なんかすごくいい指揮のような気がする」と思ったのが、今に続く始まり。四十年後の今、髪が真っ白になってから聴いても、その絶妙の呼吸感とドラマ、やはり変わらずに素晴らしい。
ムーティが師と仰ぐヴォット、そのヴォットをスカラ座のスタッフに加えるようにトスカニーニに推挙したのがパニッツァだったという。こうして人と人が、はるかにつながっている。
CDは手元に二種あるが、MYTO盤が断然素晴らしい。MELODRAM盤は音が割れて騒々しい上に、盤面切り替えの隙間みたいな無音がたくさんある。MYTO盤ははるかに聴きやすく、主役が同じ一九三五年ライヴの一部(全曲も存在するはず)があるのもありがたい。これが三九年録音よりも柔らかく俊敏な演奏で、別の魅力があるのが嬉しい。
一九三九年の今を生きる人々の録音を楽しんでから、二〇二五年の今を生きる人々の公演へ。それぞれの時空とともにある幸福。ともあれ十五日が楽しみ。
九月十三日(土)どうでもいい話
マエストロに耳からたたき込まれたため、《シモン・ボッカネグラ》の「エ・ヴォ・グリダ~ンド、パ~チェ…」の音型が何度も脳内で反復され、気がつくと口ずさんでいたりする。困るのはいつのまにか「エンツォ・グリマ~ルド、パ~チェ…」と歌っていたりすること。
それはポンキエッリの《ラ・ジョコンダ》や!と自分でノリツッコミしつつ、シモンのあの部分がボーイトの改作ならば、両方ともボーイトが書いたものになるなあ、ボーイトはこういう調子の響きが好きだったのかも、などと考える。
九月十四日(日)ここにHMVありき
十一時から東京芸術劇場でサラダ音楽祭のコンサート「OK!オーケストラ〜〇歳から入場OK!」。
サラダ音楽祭のメインコンサートは毎年のように聴いているが、こちらは来たことがなかったので聴いてみたかった。大野和士指揮の東京都交響楽団が、コンサートマスターの矢部達哉以下ベストメンバーをそろえて、〇歳からの子供たちと保護者たちの前で、泣き声やらイヤイヤ期の絶叫やらが客席のあちこちから響くなか、一時間本気で演奏するもの。
客席から選ばれた二人の子供がラデツキーを指揮したりする部分もある。どんなに豪華な体験をしたか、大人になってから気がつくといいなあ、などと思いながら楽しむ。
改修を終えた芸劇は去年の九月以来、まさに一年ぶり。鮮明になった気はするが、それほど印象は変わらない。これからはここに来る機会がまた増える。上野が休館したら、特にそうなりそう。
午後の上野での二期会の《さまよえるオランダ人》まで時間があったので、メトロポリタンプラザ六階の、かつてHMV池袋店のクラシック売場があったところに行ってみようと思いたつ。
ところがメトロポリタンプラザそのものがない。二〇一〇年にルミネに変わっていたのだ。そこには二〇一五年までHMVがあったから、消えてもう十年たっていることになる。六階だがエスカレーターでもあっというまに着く。フロアの高さが意外なくらいに低いため。
奥のエービーシーマートとタリーズコーヒーが今あるあたりだと思うが、あまり面影はない。それよりも、その脇のビショップというブティックの売場の角が三角形に切り欠かれているのを見て、そうだ、HMVも角が欠けていて、そこに入口があったと思い出した。
脇の通路を歩きながら、奥のオペラ売場は一段高くなっていたっけ、などと考える。一九九二年にオープンしてから数年間、毎週のようにここを訪れたのだった。CDの袋を抱え、金井さんに見送られて店を出、前のエレベーターの前に立ったときに何度も味わった、一仕事終わったような感覚が鼻の奥によみがえる。店内で初めてイベントをやらせてもらったのは、三十年前くらいか。一介の客にきっかけをくれた場所。
ここにHMVありき。
二〇〇六年にリニューアルしたときの案内が、HMVのサイトに残っていた。
https://www.hmv.co.jp/news/article/609080059/
九月十五日(月)ムーティの魔法
「ぞんざいに一息に飲んだ。飲んでから、ひどく苦かったような気がした。誰も知るように、栄光の味は苦い」(三島由紀夫『午後の曳航』)
東京春祭《シモン・ボッカネグラ》、圧倒的な公演。
すべての音がドラマを語る。導入部のコントラバス、まさしく海底の潮の流れのように響いて、高音部の波のうねりを明快に支える。毒を飲んだシモンの第三幕の歌の背後には、潮風のそよぎと青い海の波のきらめきが見えるよう。そしてラスト、同じヴェルディのレクイエムの最後に通じる、死者の安息を祈る暗鬱の響き。
ときに衝撃的に、激烈な感情を噴出させながらも、けっして音が汚く割れずに鳴りわたって、いさぎよく消え去る。叩きつけず、俊敏に跳ねる響き。これこそトスカニーニ・スクールのヴェルディの響き(ムーティは今回も、肘ではなく手首で小さく円を描くことでリズムを示すトスカニーニのやり方を、若い指揮者たちに教えようとしていた)。
ヒョイッ、とヴィオラに合図を出すと信じられないほど鮮明に、ヴィオラ・パートの響きが立って浮かびあがる。こういう魔法のような指揮は、演奏会形式だからこそよく見えて、よくわかる。
歌手たちはもちろん、合唱もオケも素晴らしい演奏。例年より頼りなかったオーケストラが、本番ではここまでの音を出すとは、あきれるほど。
こういう演奏を聴くと、作品の姿により触れることができたような気がしてきて、さらにさらに、よく知りたくなる。とりわけ、一八五七年の初演版はどんなものだったのか。ちょうどエルダー指揮の新録音が出たばかりなので、近々に聴いてみるつもり。
去年の《アッティラ》のときも、続けて聴いた東フィルの《マクベス》改訂版との相違が気になり、ビオンディ指揮の《マクベス》の初演版の録音をあらためて聴いてみると、《アッティラ》との類似性がとてもよくわかると同時に、改訂版との相違がより鮮明になって、とても面白かった。
それにしてもシモンの高潔な寛容は、近代的であると同時に、キリスト教の愛の精神そのもののようでもあり。
それは《ドン・カルロ》のロドリーゴにも共通する。しかしそこでは、中世の教会の暗黒面が、崩れゆく肉体の最後の力をふりしぼる。神の正義の名の下に、死神の大鎌を無慈悲に振りまわす大審問官の、老醜と腐臭。
九月二十三日(水)息づく静止
セルリアンタワー能楽堂の定期能。
・能『半蔀(はじとみ)』 関根祥丸
『半蔀』は、一九六〇年に初来日したジャン・ルイ・バローとその一座のために、観世寿夫が舞ったことで知られる作品。
前年に来日したフランス文化使節団が二世梅若万三郎の『熊野』を観たさい、メンバーの彫刻家のザツキンが「死ぬほど退屈した」と発言し話題になった(現代の日本人の大半もそうだろうが)。
そのすぐ翌年の話なので、もっと動きのある能をやりたくなるところだが、寿夫は「せっかくだから、とりわけ動きの少ない『半蔀』をやってやろう」とあえてこの曲を舞った。するとバローは逆に「能の静止は息づいている。死ぬほど感動した」と語って大喜び。寿夫が2年後に第1回日仏演劇交換留学生としてフランスに渡るきっかけとなった。
そんな「ドラマチック」とは対極にある作品らしいので、よほどのシテ方の演能でないと寝てしまうだろうと思い、これまでは機会があっても見送ってきた。そして昨日の祥丸。長く待った甲斐があったと納得できる「静止の美」だった。
九月二十四日(水)コンサート二毛作
今日は昼と夜のコンサート二毛作。浜離宮朝日ホールと王子ホール、歩いて行けるぐらいしか離れていないのだが、十一時半開始と十九時開始、時間が離れているので途中帰宅で二往復。
浜離宮朝日ホールは、意外にもホール初登場の葵トリオ。ドビュッシーのピアノ三重奏曲とチャイコフスキーのピアノ三重奏曲《偉大な芸術家の思い出に》。一見関係なさそうだが、作曲年は二年違いと近く、しかもある女性を通じて間接的につながっているという、じつにうまいプログラム。優美と悲痛というコントラストもいい。特に後者は久しぶりの演奏だそうだが、生の喜びと死の悲嘆、その落差を見事に表現。プログラム解説をやらせていただいたが、その二曲が素晴らしく響いて、快なり快なり。
コンサートの前には、前から気になっていた、浜離宮朝日ホール前にある喫茶店、パンケーキ&フルーツの店「コリント」に入ってみる。フルーツパンケーキを食す。昔風のパンケーキで、口に入れた瞬間に、懐かしさで涙が出そうになった(笑)。次の機会にはサンドイッチを頼んでみよう。
出直した夜は、王子ホールでケラスの無伴奏リサイタル。コダーイがもう、圧倒的な名演。昼夜と、耳もお腹も美味三昧の幸せ。日曜にはパユ、ルサージュとのトリオもあるので、こちらも楽しみ。
九月二十七日(土)東海道四谷往来
二十一~二十七日、ノット東響に始まってノット東響に終わる「東海道オーケストラ勝手にツィクルス週間」。
二十一日、十一時からミューザで東響のモーツァルト・マチネー。今季を十二年間の任期のrevisitと位置づけるノットのリゲティとモーツァルト。前者の微分音をミューザの明快な音響で味わいつつ、これまでノットが聴かせてくれたリゲティ作品を想起。
後半の《ジュピター》も始まってすぐに、オペラの一場面のように雄弁にしゃべる木管群(モーツァルトのオーケストレーションはほんとうに神の恩寵)を聴いて、あの楽しかったダ・ポンテ三部作の上演を思い出す。反復をすべて行なう長い演奏だが、微妙に表情を変えたり間をとったり、反復をやる必然性と必要性をあらためて教えてくれる快演。古典派の作品がこんなに面白いなんて、半世紀前には想像もつかなかった(笑)。
終演後、昼食をとってみなとみらいへ行き、十四時開演のケント・ナガノ指揮読売日本交響楽団演奏会。川崎~横浜だと移動が楽。《グレイト》が響きだした瞬間、そのハーモニーと立体的な骨格の響きに、指揮者の格の高さを思い知る。
ケラスに関根祥丸、葵トリオを聴いているうちに三日が過ぎ、オーケストラとの再会は二十五日、サントリーホールでナガノ指揮読響のマーラー七番。ここでも響きの立派さに感服。一方で、二~四楽章の音型と響きには、《子供の不思議な角笛》歌曲のそれが濃厚に木霊していることをナガノに教えてもらう。これは五、六番や八番以降には感じない要素に思える。この不思議な交響曲をひもとく鍵なのかもしれない。
二十六日、ユロフスキ指揮バイエルン国立管弦楽団。オペラなしのオーケストラ単独での来日は、一九八六年のカルロス・クライバー公演以来なのではあるまいか。《ばらの騎士》組曲で俄然目が覚めたみたいに鳴り出すのを聴いて、やはり歌劇場のオケだなあと思う。ホルンの響きとか、技術の巧拙とは無関係に、日本のオケではまだまだ出せないシュトラウスの音。
二十七日、まず十四時からNHKホールでバンクロフト指揮NHK交響楽団。これはハンプソンが歌う《角笛》歌曲がなんといっても目あて。七十歳の歌手がニュアンスを聴かせるには、NHKホールはあまりにも巨大すぎる。しかし、自分にとってはバーンスタイン指揮イスラエル・フィルのマーラー九番の思い出がいまも強烈なこのホールで、バーンスタインとマーラーの歌曲集を共演・録音した歌手をいま聴けるというのは、格別の感慨あり。バーンスタインと共演した経験をもつ現役の歌手はもうほとんどいないだろう。
そしてバーンスタインと録音した《亡き子》や《さすらう若人》や《リュッケルト》ではなく、録音していない、主催者にとっては売りにくそうな《角笛》をあえてやるというのも興味深い。選曲と曲順はさらに興味深い。
遠くの恋人が戻ることを願う娘が主人公の《ラインの伝説》、戦死した兵士の幽霊が遠くの恋人の家を訪ねる《トランペットが美しく鳴り響くところ》、子供が飢えて死ぬ《浮世の生活》、悲惨な死に方をした聖人たちが幸福な死後を送る《天上の生活》、苦難の中にかすかな神の光を求める《原光》。
二曲目と四曲目が、それぞれ一曲目と三曲目への返歌になっている。戦争と飢餓の悲惨と、ひたすらな祈り。否応なく現代世界の状況を連想させる、古い歌。改宗ユダヤ人が作った歌。アンコールはずばり、《誰がこの歌を作ったの?》。
バーンスタインがいま生きていたら、アメリカとイスラエルとウクライナ(母国と先祖の地と父の出身地)に対して何を思うのだろう、などとも考える。
続いて十八時からはサントリーホールでノット東響によるマタイ受難曲。《天上の生活》からさかのぼってこの曲へ行くという玄妙さ。約五十人のオケと百二十人の合唱。
大編成のモダン・オケで聴くのは、東京芸術劇場での二〇一六年のトマス教会合唱団とゲヴァントハウス管以来だと、聴きながら気づく。その後はBCJとアントネッロ、合計で三十~五十人のピリオド演奏でしか聴いていない。
そうだ、大編成だとマタイはこんな感じになるんだ、と甦ってきた記憶と今が重なる。集中力の高い、キビキビと引き締まった親密なドラマの代りに、より壮大に音が伸びて広がり、そのぶん小回りが利かず長く感じる、大集団の音楽。精鋭の小集団ではなく、プロとアマチュアが混ざった、近代市民社会型の大オラトリオ(暗譜で歌いきった東響コーラスは素晴らしい)。
休憩抜きで百八十分以上かかったが、プログラムの演奏時間は百三十一分。計算ミスなのか、かなりのカットをする気だったのか。この編成だとそのくらいに刈り込んだ方が効果的だったかもという気もするし、いやそれでも全曲でこそ意味があるという気もする。
その意味で、来年三月に読響が鈴木優人指揮でやる、カットの多いメンデルスゾーン編曲版(近代市民社会向け)がどんな感じになるのか、聴き比べが今から楽しみ。
十月十三日(月)始皇帝そのほか
十月は、一日の暗殺を企んだ荊軻を返り討ちにする始皇帝の雄姿を描く能『咸陽宮』で始まった。
この能は、一四二九年の足利義教の六代将軍就任祝賀の席で、音阿弥率いる観世座が演じて覇者の強盛を寿いだそうだが、その十二年後に義教は、家臣赤松満祐の屋敷でその音阿弥が舞う能『鵜羽』を観ている最中に、満祐の裏切りによってあっけなく討たれることになる。始皇帝のようには逃げられなかった義教のことを想いつつ観る。
続いて二日から八日にかけてのフォーレ四重奏団トッパンホール二十五周年記念シリーズ。かれらを中心にした《鱒》やシューマンの五重奏曲をナマで聴ける歓び。アネッテ・ダッシュとの共演ではオペレッタやミュージカル・ナンバーの祝宴のように見えて、じつは運命の女神に翻弄され、一喜一憂するばかりの人間の姿を描いた八日が印象的。ワイルの新発見ナンバーで、近年歌われる機会が増えた名曲《ユーカリ》があったのが嬉しかった。ベルリンを追われて行き着いたパリで、さらなる不遇に苛まれるワイルがフランス語で書いた歌。ユーカリとは「あるはずのない夢の国」のこと、というのが象徴的。
このシリーズの合間には、四日のティボー・ガルシアのみずみずしいアランフエス、七日のウィーン・フィルが美しい《フィガロの結婚》、九日の不滅の生命力の泉のようなブロムシュテット&N響の北欧プロ、十日の創意と活力に満ちた佐藤俊介&チャイのベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ六曲(昼と夜で三時間空いたので、合間は東京体育館で泳いだ)、十二日の恩師汐澤安彦を偲ぶ上智大学OB管弦楽団の熱演などに接した。さらに八日の朝日カルチャーセンターの講座ではトスカニーニの情熱と闘志に背中を叩かれ、締切の将棋倒しで各所に迷惑をかけ、九日には九年ぶりとなるテレビ番組収録もあった。
その間、二日の黒田父子インタビューにかこつけて浜離宮朝日ホール前の喫茶店コリントで食べたタマゴ&ハムサンドは、予想通りとても美味しかった。
家でムーティの《ドン・カルロ》CDを聴きかえし、グラン・ギニョールや文楽を想わせる残虐趣味と恐怖趣味のなかで、フェリペとロドリーゴの対話のもつ近代性と人間性こそがこのドラマのキモであり救いなのだと思ったあと、ロバート・ウィルソン演出のイザベル・ユペールの一人芝居『Mary
Said what She Said』を観る。
フェリペと同時代、天正少年遣欧使節やシェークスピアと同じ時代を生きたスコットランド女王メアリー・スチュアートを、宿敵エリザベス一世(化粧の乙女)と同じ名を持つユペールが演じる。アリソン・アトリーの名作『時の旅人』での憧憬の対象としての女王メアリー像からは見えてこない、不器用で運命に翻弄される一生を濃密に生きる女の、処刑前夜の独白。義教とはまた異なるが、やはり権力者の横死のドラマ。
フランス王アンリ二世の宮廷に育ったメアリーは、あるいはフランス語のほうが英語より得意だったのか。芝居そのものがフランス語で演じられるのは、だから当然なのか。機関銃のように多量の台詞が語られるなか、「さようならフランス、いちばん好きだった場所」というような意味の台詞を、ユペールが客席に背を向けながら口にしたときの「France,」という響きのあまりの美しさと親愛の情に、心臓をつかまれたような気がした。メアリーもまた中世の残酷と近世の理知が入り混じる、境界の時代に生きた人間だったことを、光と影と雲の舞台が見事に示していた(十一日)。
十三日はさいたま芸術劇場でジャルスキー&ティボー・ガルシア。最初の《カーロ・ミオ・ベン》の音楽的センスにみちた、あまりにも美しい前奏に始まる休憩なしの七十分+アンコール。
コンサートとは無関係に残念だったのは、この劇場に来るときの大きな楽しみの一つ、劇場向かいの十万石饅頭が定休日だったこと。祝日でも休むなんて、時代が変わったと実感。仕方ないので、与野本町駅の向こう側の星乃珈琲で「デザートアサイーボウル」を食して帰る。家の近所より一割ほど安く、得した感じで満足(なんと安い男であることよ)。
十月十七日(金)金沢旅行(前)
一泊で人生初の金沢旅行。最大の動機は、石川県立音楽堂で野村萬斎(石川県立音楽堂アーティステック・クリエイティブ・ディレクター)と広上淳一指揮オーケストラ・アンサンブル金沢による現代能『鷹姫』が十八日午後にあること。よい機会なので、今まで行ったことのなかった金沢の町を訪れることにした。調べると十八日の夜は土曜日だからか廉価な宿がない。前日金曜は空きがあるし、平日のほうがまだしも歩きやすいだろうと考え、前日一泊で行くことに。
いまさら自分がいうまでもなく、とてもいい町。
父祖の地である仙台とどことなく雰囲気が似ているように感じるのは、前田と伊達、石高首位と第二位の外様の大藩の城下町という、共通する歴史を持つからか。ただ、空襲で町の大半を焼かれ、東北地方の経済的中心として現代化が進んだ仙台よりも、はるかに江戸・明治の建物や、土地の気配が濃厚に残っている。それを残すための条例などもさかんに制定されているらしい。
空襲されなかった都市というのは、こんなにも徳川期以来の空気感、精神を街々に残すのかと、つくづく感じた。封建制は消滅し、社会体制は激変してしまっているのに、そのたたずまいみたいなものが今も街のそこここに残っている。一方、地下鉄とか地下街といった、戦後の商業主義を象徴するものはない。
いうまでもなく京都も「空襲されなかった大都市」だが、「帝の都」として設計され、中世の公僧武の共存関係のなかで形成された京都は、「武家の城下町」として建設された他の日本の都市とは違うのが当たり前で、なりたちからして比較しようのないものがある。その点、金沢は江戸や仙台と同じ「武家の都」だから比較しやすい。そしていまなお「お武家様の町」。
この日は八時半発の「かがやき」に乗って十一時過ぎに到着。城下町の通例として駅は町の中心部から遠い。街と地形を知るにはてくてく歩くのがいちばん。まずは南東の近江町市場へ。狭い商店街の花形観光スポットで、インバウンドの方たくさん。アジア系よりもフランス語が耳に入る。あまりに魚臭くて自分はダメ(笑)。本来の目的地に向かうべく、幅広の国道へ出ると古い民家が。こういう建物があちこちに残っている。能登にもたくさんあったのだろうとも思う。
当座の目的地、尾張町二丁目の金沢蓄音器館と斜向かいの泉鏡花記念館へ。金沢蓄音機館は展示室が三階まである。かつて金沢を代表するレコード店として繁華街の香林坊にあった山蓄の、店主のコレクションが元。
エジソンが発明したフォノグラフ第一号のレプリカがある。金属製の円柱や丸棒を組み合わせた、実験機材っぽい感じがいかにも試験機。製品化され、高級感を増したフォノグラフ、米軍が使用した戦場用の蓄音機などなど。
上空を数羽のトンビが旋回していた。こんな市街地でもいるのか、と東京砂漠出身者はびっくり。その後も金沢市街のあちこちでトンビの鳴き声を聞いた。
泉鏡花記念館は生家跡に建っている。生家は一八九二年の大火で焼失し、翌年再建された建物。鏡花は、日本でおそらく最もたくさん作品がオペラ化されている作家だし、従兄弟が能のシテ方宝生流の伝説的名手の松本長だったりと、作品の魅力に加えていろいろ興味深い存在。
泉鏡花記念館を出て、橋場交差点近くにある古い堀へ。堀にかかる橋には「明治二十五年四月架」とある。鏡花は十八歳の明治二十三(千八百九十)年に金沢から東京に出て、翌年神楽坂近くの尾崎紅葉宅に弟子として住み込むが、その後二回だけ帰郷している。最後は明治二十七年父の葬儀のためだった。ということは、貧窮に鬱屈していた当時の鏡花は、この欄干を確実に目にしているし、上に腰掛けてみたりしたかもしれない。と思うと感慨深し。わきに「ホタルが生息しています」とある。夏に水辺を照らすのだろう。トンビといい、こんなに自然豊かなのが日本有数の大藩の城下町。
橋場付近の地形もなんとも魅力的な起伏と雰囲気で、あとで聞けばその北側の浅野川からひがし茶屋街あたりもとても美しいそうなのだが、そのときは気づかずに南西に向かってしまい、金沢城の大手門から場内に入る。江戸城なみに広々とした城内に感嘆しつつ歩く。
東側の石川門から城を出ると、向かいが有名な兼六園だが、人が多そうなので次の機会とし、南西へ進む。金沢能楽美術館なるものがあったので思わず入館。撮影禁止だったが金沢各地の能面のコレクションが面白かった。
香林坊へ出て、犀川大橋を渡る。金沢の町は北東の浅野川と、南西の犀川という二つの川にはさまれている。川向うのにし茶屋街に行く。かつての遊興街。浅野川の対岸にひがし茶屋街、犀川の対岸ににし茶屋街と、城下町の二つの川向こうに遊興街を作らせているのがいかにもお武家の発想。にし茶屋街の端にある元の検番は一九二二年築で、これだけがなぜか洋風建築なのが面白かった。
犀川大橋を再び渡って市内に戻り、香林坊手前の片町(現代の歓楽街はこの近辺)から北西に行くと、藩の重臣、前田土佐守家資料館があった。家祖である前田利政(藩祖利家の次男)所用の黒漆塗黒糸威二枚胴具足。渋い。
ここから北へ行く道は、かつての武家屋敷街。長い塀と堀、何よりも静かで落ち着いた空気。途中にキリスト教系の聖霊病院がいきなりあるあたりも、金沢の町。附属の教会は由緒ありげな建物。金沢の町にはほかにも、明治期以来みたいな古い教会があちこちにあって目についた。これらも、空襲がなかったからこそ現存している。少年時代の鏡花が生家近くの教会の附属学校でアメリカ人女性に学んでいるのも、金沢が港町でもないのにハイカラな一面をもっていたためか。東洋風と西洋風が混じり合う鏡花の原点は、こんなところからか。
聖霊病院の北には足軽資料館。大禄の武士だけでなく、底辺の貧しい足軽の住居も保存されている。
町のあちこちの堀をきれいな水が流れている。大半が暗渠化された東京の人間にとってはとても新鮮。「結納専門店」という業種があることに驚いた。いかにも古い町ならでは。ほかに提灯専門店なども見かけた。
この日は結局、金沢の町を十一キロほど歩いた。
十月十八日(土)金沢旅行(後)
金沢旅行二日目。宿はワシントンR&Bホテルの金沢駅西口店。駅近で安いところを第一条件に探した。清潔で静かでよいホテル。昨日見るかぎり、インバウンドの人は中心部に近い東口のホテルを多く利用しているようだった。
中心部の裏側になる西口は城下町の駅の通例で、さびしく空虚な感じがある。高い建物が少なく、間隔に余裕があって(雪国だからか)空が広いのが金沢の魅力だが、西口も大きなビルが多いわりには空が広い。昨日は日差しがきつかったが今日は少し楽そう。
まずは少し前にテレビで見てその雄大さに驚いた石川県立図書館を目指す。駅前からのバスで三十分かかるというので徒歩は断念。金沢のバスは交通系ICが廃止されていて、タッチ式のクレジットカードで支払う。乗車時に後部ドア、降車時に運転席脇と、二回タッチする必要がある。降りるときだけと思っていたので、乗車前に教わっておいてよかった。近江町市場と兼六園前を通る花道ルートなので途中まで混雑。だがその先の「金沢くらしの博物館」とかその付近の長い土塀とか、図書館に向かう途中にも魅力的な建物がたくさん見えたので、次回はそのあたりも下車して歩いてみたい。
到着した石川県立図書館は期待以上の知の宝庫。本好きの天国みたいな、聞きしに勝るものすげえ空間。本の大聖堂。回遊式の円形の階層型天国。あるいは書痴のための階層型地獄。ここをさまよう夢とか、これからきっと見そう。
各所にさまざまな形のイスがあり(五百席あるとか)、思い思いの場所に座って本を読むことができる。無論、自習用の机付のイスもたくさん。というわけで外周部のとある席につき、東京からもってきた校正の続きをやる。はかどることはかどること。図書館というのは、なぜこんなに集中できるのだろう。
名残は尽きないが時間は有限。一階の入口付近から円い天を仰ぎ、いつかまた登るぞと決意。
石川県立音楽堂は駅のすぐ脇という、至便なロケーション。
金沢は鏡花が能楽師の血を引くことが象徴するように、能楽のさかんな町。別に能楽堂もある。とりわけ「加賀宝生」と呼ばれ、前田家以来の伝統で宝生流が強い。「武家の式楽」、武家文化のものである能楽を大切にするあたりも「お武家様の町」。
萬斎はここでいろいろやっている。六月に行われた能『邯鄲』と狂言『唐人相撲』とシェークスピアの『ハムレット』を混ぜた公演を知り、行きたいと思いつつ日程的に行けなかったのが、今回の動機付けになった。今回は新作能『鷹姫』に、広上淳一指揮のオーケストラ・アンサンブル金沢がコラボするという試み。
早く着いたのでホール内のカフェで昼食。タンノイのオートグラフが置いてあって、CDやLPを持ち込めば再生してくれるという。こういう教養道楽の豊かさに、往時の大藩の余裕がいまも生きている気がする。ホワイエでは公演特製の金粉入りドリップコーヒーが売られていたので購入する。金箔はいうまでもなく金沢伝統の名物。
石川県立音楽堂には駅側のコンサートホール入口以外に、反対側には邦楽ホールのための入口もある。そちら側は白系の洋風とは対照的に、茶系の落ち着いた色合いにしてあるのがいい。さらにその座席は、和服の女性でも帯が邪魔にならないように工夫してあるのだそう。
この二つのホールを結ぶ長い通路の途中に、OEKの育ての親、岩城宏之の遺品が飾られていた。燕尾服のほか、写真の武満徹が一九九〇年に岩城に贈った指揮棒とケースなど。
十一月からはオルガン補修のためコンサートホールが休館、OEKも邦楽ホールで公演する。メルニコフがショスタコーヴィチのピアノ協奏曲二曲をひく回、北村朋幹がブラームスのピアノ協奏曲第二番を弾きぶりする回など、とても面白そうな公演がある。
この日の曲目は『鷹姫』のほか、萬斎によるイェーツの詩の朗読など。舞台は二〇一八年に萬斎が世田谷パブリックシアターで主演・演出したものとほぼ同じだった。『鷹姫』はその後いくつか能舞台で見たが、面白さでは世田谷がいちばんで、萬斎のその後の「能・狂言」につながっていった。今回は空賦麟が萬斎から息子の裕基に代り、鷹姫も片山九郎右衛門から大槻裕一に交代。若い二人の躍動的な舞が効果的。大槻文藏演じる老人を再び見られたのも嬉しい。
地謡に字幕が出るのでわかりやすい。最初と最後に「いづみは永久に涸れ果てて、静かなり、榛(はり)の小林」という詞があるのは、一九四五年に三十五歳でフィリピンで戦死した能楽研究者、小林静雄への追悼の意味だという。戦前に『鷹の井戸』の能への翻案を横道に勧めたのが小林だったそう。
既にできあがっているものに何かを追加するというのはとても難しいわけで、ここでのオーケストラの参加もその困難を避けられなかったとは思う。しかしとにかく試してみる、挑戦してみることは重要。さらに練り上げてほしい。
終演時刻の見込みが甘く、新幹線の発車まで余裕かなくなってしまった。そのため夕飯は車内で、能登牛と能登豚ミックスの弁当を食べた。
十月二十三日(木)
東京国立近代美術館(MOMAT)で開催中の企画展『記録をひらく 記憶をつむぐ』、最終日間近になってようやく見る。七月からやっていたが暑すぎた。
『記録をひらく 記憶をつむぐ』というタイトルからは、どんな内容なのかさっぱりわからない。この韜晦がすべてを貫く企画展。ようするに、MOMAT所蔵の「戦争記録画」を中心として、昭和の十五年戦争の時代に世相を反映して描かれた絵画や雑誌など、視覚的史料を展示するもの。
はっきりとした理由は示されていないけれど、どんなふうに利用されたり抗議されたりするかわからないからということなのか、宣伝も少なく、カタログもつくられていない。とにかく見に行くしかない展覧会。
戦争という、抗いえない大状況、時流の只中を生きた人々の、存在証明。そこから何を感じるか、何を学ぶかは、その人次第。
歴史を自分の都合のいいように改竄する国会議員などが増えてきそうな状況だけに、AIで改竄される前の「史実」の証明となる、「本物」の作品を大切にしないといけない。でないと、歴史が「そこから学ぶべきもの」ではなく、「利用するもの」に堕落してしまう。
十一月二日(日)
昨日は神奈川県立音楽堂で、デセイ&カサールのデュオ・リサイタル。日本でオペラのアリアを歌うのはこのツアーが最後というデセイ、劇的表現と歌唱技術と肉体のギリギリのバランスでの、さすが見事な歌。
ようやく気候が楽になったので、行き帰りとも桜木町駅から紅葉坂を昇降。県立音楽堂や図書館や能楽堂のある掃部山の山上はたしかにいい場所だが、たどりつくまでの国道十六号線付近がなんとも殺風景で不便。往時のようなトラックとダンプだらけで排ガス充満の工業道路という雰囲気はかなり減ったとはいえ、横断歩道の少なさと青信号の短さで歩きにくいのは、車優先の昭和期のまま。
帰りは駅の方へ近づいてから渡ろうと思ったら、メインとなる西口を通りすぎて、旧駅舎に近い新南口の方まで行かないと渡れないという不便さ。せっかくなので、八〇年代によく車で通った旧駅舎のあたりを見ていこうと思ったら、その跡地らしきあたりのビルの中に、一八七二年に日本初の鉄道が開通して、桜木町駅が最初の横浜駅だったときから走っていた機関車の現物が展示されていた。二等客車のレプリカもついている。近くには初代の駅舎(一八七二~一九二三)付近のディオラマも。初代はいま汐留に復元された新橋停車場の駅舎とまったく同じ設計(使い回し)だった。
自分が知っているのは一九二七~八九年に使われた二代目駅舎から。昔の国鉄らしく黒っぽく煤けた、暗い駅だった。神奈川県民ホールのバレエやオペラでのバイト(オペラグラス貸し)を終え、十時頃にオペラグラスを積んだ車でこの駅前を通って十六号線に出るとき、明かりは道の向こうの吉野屋ぐらいだった、なんてことを思い出す。
まだ五時頃だったので、帰路の東海道線からは、雄大な夕焼けが見えた。「でも僕は、夕暮れが好きさ」だったか、三浦淳史さんのすばらしいエッセイがあったなあと、デセイの姿と歌を頭に浮かべながら東京へ。
十一月十一日(火)
二〇二六年四月より東京芸術劇場の音楽部門の芸術監督に就任する、山田和樹の記者懇談会。
「神奈川の秦野なんてド田舎に育ったので、東京芸術劇場の昔のあのエスカレーターを初めて見たときはびっくりして、未来に来たのかと思った」というヤマカズ。そこから、「コンサートホールというのは未来を感じさせる場所であるべきだ」という、素晴らしい話になるあたりがさすが。
その新プロジェクト「交響都市計画」の第一弾は、同年五月十日に演奏される水野修孝作曲の《交響的変容》。
四部構成で約百八十分、百二十分近くかかる第四部では、大オーケストラと六群の大合唱(三百人以上、千人ぐらいが望ましい)を九人の指揮者が指揮するという、かなりクレージーな超大作。
東京芸術劇場に千人出演したのでは採算がとれないので、作曲家の了承を得て総計三百人(オケは読響)に減らすそうだが、それでも凄いスケール。一九九二年に七百人編成で幕張メッセで初演されて以来、三十四年ぶりの全曲再演。
これを最初に、演奏困難と考えられている日本人の大作を取りあげる「ムチャぶり」を続けたいというヤマカズさんのシリーズ「交響都市計画」。かつて日本フィルと交響曲第四番を演奏したとき、「自分が作曲したように思えた」というほどの共感を寄せる水野修孝作品がどんなものになるのか楽しみ。十二時開演で十六時半終演予定というから、心して行かねば。
この日の記者懇談会では、たくさんの記者たちがどんどん質問して和気あいあい。あまり質問が出てこない会見もよくあるので、ヤマカズさんの人柄のよさと好感度の高さを、あらためて感じた。
水野修孝作品は二〇二七年一月に日本オペラ協会が泉鏡花原作の《天守物語》の新制作を園田隆一郎指揮でやるので、こちらも楽しみ(まだ先の話だが)。人見記念講堂というのが懐かしい。
十一月十八日(火)
東京のクラシック界、個人的には今年のなかで最も濃密で豪華な期間がまさに今。十四~二十四日の十一日間に十五公演。今日で前半五日間の六公演が終わったがどれも充実、しかもそれぞれの「らしさ」が濃厚に発揮されているのが素晴らしい。
十四日はNHKホールで、デュトワ指揮N響の生誕百五十年記念のラヴェル・プロ。ダフクロの色彩感と、横溢する生命力。
十五日はオペラシティで、ノット指揮東響による《子供と魔法》ほか。演奏会形式なのでラヴェルのオーケストレーションがよくわかる。舞台版とは違って、透視図を見るような面白さ。
十六日はサントリーホールで、ティーレマン指揮ウィーン・フィルのワルツ・プロ。オーストリア、日本、サントリーホールの旗が翻る。いかにもこのコンビらしいワルツ。
十七日も続けてサントリーで、マケラ指揮コンセルトヘボウの初日。カントロフのブラームスは、オーケストラと絶妙のハーモニーをなす響きと音色のバランスがお見事。
十八日ははしご。まず午後は新国立劇場で大野和士指揮《ヴォツェック》。ビリーズブートキャンプな鼓手長。すべてを兵営内の出来事に収めることにより、その閉塞感がドラマとキャラをより明快にする。演出も演奏もきわめて素晴らしい。《子供と魔法》と同じく一九二五年初演で、今年が百周年。その二作を続けて体験できる幸福。二十一日には同じベルクのヴァイオリン協奏曲も聴ける。
夜はマケラ指揮コンセルトヘボウ第二夜。《ドン・ファン》とマーラーの五番と、まるでヤンソンス時代みたいなプロだが、出てくる音楽はマケラならではのもの。超絶的な管楽器のソロと全体のハーモニー。トップが昨夜とかなり交代しているのに、どちらもすごい。
十一月二十五日(火)
十一日間の「東京勝手に音楽祭」の後半戦、十九~二十四日の六日間九公演の思い出。インタビュー仕事が一つ入ったが、これも個人的には公演を体験するような面白さだったので含める。
十九日昼 ノスタルジック・ショパン
十九日夜 ペトレンコ指揮ベルリン・フィル
二十日夜 ザ・シックスティーン
二十一日 野村萬斎インタビュー
二十二日昼 ペトレンコ指揮ベルリン・フィル
二十二日夜 ノット指揮東京交響楽団
二十三日昼 山田和樹指揮読売日本交響楽団《夕鶴》
二十三日夜 AGIO シューベルトのピアノ五重奏
二十四日昼 びわ湖ホール声楽アンサンブル東京公演
十九日午後はオペラシティで「ノスタルジック・ショパン」。一八四三年製プレイエルを川口成彦が弾き、ガット弦を張ったエンドピンなしのチェロを上村綾乃が弾き、加来徹が歌と語り。四部構成で、加来がショパンの友人フォンタナに扮し、ショパンの生涯を本人や友人の名曲とともにふり返る。各部でチェロ・ソナタが一楽章ずつひかれる。二十世紀の強靱な音が続くなかで、十九世紀のたわむ響きが心地よし。
十九日夜はサントリーホールで、ペトレンコ指揮ベルリン・フィル。河口湖公演と同じパターンで、ステージ横の席。ヤナーチェク、バルトーク、ストラヴィンスキー。唖然とする技術と強烈な表現力、あふれるエネルギー。
家に帰ると強烈なめまいに襲われて、着替えもできず寝てしまう。音疲れか、数日間頭痛が続く。
二十日昼はひたすら休養。夜はオペラシティでザ・シックスティーン。生誕五百年のパレストリーナがメイン。清流のようなポリフォニーに癒される。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」という有名なイエスの言葉をメインとする、生誕九十年のペルトの《皇帝への税金》も印象深し。
二十一日は、某誌のために野村萬斎さんにオンライン・インタビュー。来年三月に行われるオーケストラアンサンブル金沢との《恋は魔術師》全国ツアーについて聞くのがメイン。
個人的には、あえて脱線してきいてみた、昨年六月の能『邯鄲』と狂言『唐人相撲』と『ハムレット』を混ぜた「おもちゃ箱」の話が猛烈に面白かった。ノリノリでしゃべってくれたのに、たぶん記事ではほとんど書けない(笑)。こういうのもインタビュアーの役得。体調がまだすっきりしないので、夜の紀尾井ホール室内管公演は失礼して休養。ムローヴァのベルクのヴァイオリン協奏曲は聴いてみたかったが…。
二十二日十五時からは、ミューザ川崎でペトレンコ指揮ベルリン・フィル。
川崎はしょっちゅう東海道線に何か起る印象があるため、開演五十分前くらいには駅に着くようにしている。今回もアトレでお茶を飲んでから改札の脇を通ったら東海道線遅延のアナウンスが聞こえてきて、「やっぱりか」と胸をなでおろした。ドールやパユなどベテランもそろってのブラームスの交響曲第一番ほか。しっかりした演奏ではあったけれど…。
十七時十分前に終演、ペトレンコは定期と同じということなのか、アンコールをやらないのがわかっていたので、飛び出して東海道線に乗る。直前まで乱れていたダイヤが戻っていたので一安心。十七時三十五分頃六本木一丁目駅に到着。少し余裕ができたので、途中で買ったおにぎりとまんじゅうを食す。夜は十八時からサントリーホールで、ノット指揮東京交響楽団の《セレモニアル》とマーラーの交響曲第九番。終楽章でおなかが鳴ったりすると周囲に大迷惑なので、少し食べられてよかった。
ノット監督最後の定期演奏会なので、ソロ・カーテンコールには楽員もノット・タオルを掲げて登場。感動的な光景。
二十三日は十四時から、みなとみらいホールで山田和樹指揮読売日本交響楽団の《夕鶴》演奏会形式。いい演奏。十六時半頃《夕鶴》終演、夕食後に浜離宮朝日ホールに移動して、宮田大と横溝耕一の室内楽フェスティバル「AGIO」二日目の夜の部を十八時半から聴く。ロッシーニ、ハイドン、シューベルト、若々しいアンサンブルが気持ちよし。
二十四日は早起きして、締切の朝十時までに《夕鶴》の速リポ原稿をなんとか書き上げる。字数オーバーで赤字だが、かまわず書きたいことを書きこんでしまう。なるようになれ。字数がある程度自由なのが、ネット記事のありがたいところ。午後は上野の小ホールで、阪哲朗指揮のびわ湖ホール声楽アンサンブル東京公演。ハイドンの《天地創造》(抜粋)とモーツァルトのレクイエム。エレクトーン伴奏の多彩な響きに感心し、若手オペラ歌手十六人の伸びやかな合唱を堪能する。阪さんの指揮もさすが。
十六時頃終演。「勝手に音楽祭」もついに一段落。体調も戻って寒気が心地よいので、東京国立博物館の前を歩いて、ひさびさに桃林堂へ小鯛焼きを買いに行くところ。お疲れさま。
今回は途中で体調を崩すなど、さすがに振りまわされましたが、こんなのは一年に一回あるかないか。雑誌などの締切が本格的には来ていない、直前の時期だったので通いきれた。これから十日間ぐらいはここまでのツケを払うために、書いたり謝ったり言い訳したり逃げたり、メールの返信をしなかったり電話に出なかったり(ダメ)する生活の始まり。
十二月二日(月)
はや師走。星乃珈琲ではブルマンの提供開始が、冬の到来を告げる。
十二月最初の演奏会はオペラシティで原田慶太楼指揮の東京交響楽団。
・グリーグ:ペール・ギュント第一組曲
・グリーグ:ピアノ協奏曲(小林愛実)
・芥川也寸志:交響曲第一番
前半のグリーグもよかったが、偏愛する芥川の一番が素晴らしかった。原田のこの曲は昨年も高崎で群響を指揮したものを聴いたが(前半がティボー・ガルシア独奏のアランフエスという、最高の組み合わせだった)、より彫琢を深めた、確信に満ちた演奏。生誕百年の芥川イヤーを締めくくるにふさわしい快演。
そして今月は、ノットが音楽監督として東響を指揮する最後の月。東響のプログラムの十二月号にはノット指揮の第九の解説に加えて、ノットとのこれまでをふり返ったり、首席奏者たちが最も記憶に残るノットとの公演を挙げるコーナーがある。ここに自分が八月に日経新聞に書いた小文を転載して、東響のお客さんたちの目にも触れるようにしていただけたのは、ほんとうにありがたいこと。
十二月八日(月)
「音楽の友」誌のために、指揮者の坂入健司郎さんにインタビュー。テーマは芥川也寸志の音楽。《響》をはじめとするその楽曲のこと、手塩にかけた新交響楽団のこと、そして世界初録音となった弦楽四重奏曲についてなど、指揮者ならではの視点での素晴らしいお話をうかがえて、あっというまの一時間。
十二月九日(火)
前橋汀子さんに、年明け一月に名古屋で演奏されるブラームスのヴァイオリン協奏曲についてお話しをうかがう。
気楽に、直感的にお話しされているようでいて、六十年を超す演奏活動や、出会ってきた多くの偉大な人々から得たものなどの経験が積み重なって、洞察と深い叡智の泉となっている。あとで文章にまとめながら、ああ俺は本当にかけがえのない時間を与えてもらったのだなと、心から思う。演奏会そのものを聴けないのは残念だが、二月の浜離宮朝日ホールでのブラームスのヴァイオリン・ソナタ全曲リサイタルを聴いてみるつもり。
十二月十日(水)
八月のNHKEテレ「音楽はかつて“軍需品”だった〜幻の楽譜に描かれた戦争〜」では部分的にしか放映されなかった戦時楽曲は、実際には全曲演奏・収録されていた。全曲が十二月十三日のNHK‐FMの「クラシックの迷宮」で、片山杜秀さんの解説つきで放送される。
山田耕筰の《沖縄絶唱譜》には、作曲者の真摯な思いが(あくまで当時の本州内で一般国民が知り得た情報の範囲内であるにしても)込められていると個人的には感じたので、ぜひ聴いてみたい。他の曲の作曲者・作詞者もさすがの人選。
「全体の気分」に踊らされること、加担すること、協力させられること、我に返ること。受動と能動の境界があやふやになる状況の恐ろしさと虚しさ。
十二月後半のクラシック界はほぼ第九一色となることが多いが、今年は新宿付近で他のものがあって、楽しみ。
まずは十七~二十一日の「音楽劇 三文オペラ 歌舞伎町の絞首台」。プロデュース・音楽監督が湯山玲子、演出は劇団「地点」の三浦基、演奏・編曲はバッファロー・ドーターの大野由美子、聖児セミョーノフと秋吉久美子ほかの出演で、会場はトー横広場に面するSHINJUKU FACE。普段はプロレスを主にやっている五百席の歌舞伎町の会場というのが魅力の一つ。
偶然に並行するのが十一~二十一日の新国立劇場小劇場での、三島由紀夫生誕百周年記念の『わが友ヒットラー』と朗読劇『近代能楽集』。『三文オペラ』と『わが友ヒットラー』が重なるという、なんとも素晴らしい偶然。同じ日に続けて観ることも考えたが、さすがに頭がクラクラしそうなので、ずらして観る。
さらに、これはノット東響の第九とバッティングして行けないのがものすごく悔しいが、二十八日は東京オペラシティのリサイタルホールで、アンサンブル・ノマドがヴィクトル・ウルマンが強制収容所で書き遺した歌劇《アトランティスの皇帝》と弦楽四重奏曲第三番をやる。
ワイマール期と「長いナイフの夜」の二つのベルリンから、テレージエンシュタットとアウシュヴィッツへと向かう、年の瀬の歌舞伎町と初台。
十二月十一日(木)
みなとみらい小ホールで、濱田芳通&アントネッロによる《カルミナ・ブラーナ》(中世ブラヌス写本)。
最高に愉しい一夜。オルフのカンタータの元になった、中世十三世紀の写本にある詩歌に込められたゴリアルドゥス(放浪学生)たちの姿が、音楽とともに生き生きと甦る。見ることも聴くことも珍しい中世楽器の活気にみちたアンサンブルは、その多彩な響きゆえに、アンサンブルというよりオーケストラと呼びたい感じ。
神への、女性たちへの、友人への、酒への、サイコロの目への、聖俗霊肉取り混ぜた、さまざまな愛の歌。そしてその背後の自虐と虚無の影。AIではない、生身あるかぎり変わらぬ人間の、弱さゆえの気高さ。
アントネッロの客はとにかくノリがいい。クラオタにありがちな斜に構えた態度ではなく、素直に楽しみ、反応し、笑い、歌う。
寸劇、大阪夫婦漫才、いかさま外人神父の説教、ロック・コンサートでの舞台と客席のコール・アンド・レスポンスのパロディ(We say! You say! 中世!)などが、きわめて自然にラテン語歌詞の歌につながっていく。最後はまるで《こうもり》の第二幕みたいだった。
みなとみらいの小ホールという空間もとても気持ちよかった。アントネッロの重要な拠点、川口リリア(改修中)の音楽ホールと同規模の五百席くらいで、木質の内装も含めて雰囲気が似ている。リリアで何度も味わった、アントネッロならではの親密な心地よさと、ここでひさびさに再会できた感じ。
NHKのカメラが入っていたので、放映が楽しみ。
十二月十四日(日)
池袋で「東京二期会コンチェルタンテ・シリーズ」の《ファウストの劫罰》。チラシのデザインは読響の定期公演みたいだが、二期会の公演。
面白くて、さまざまに刺激を受ける公演。マルグリートの池田香織、ファウストの山本耕平、メフィストフェレスの友清崇、ブランデルの水島正樹と歌手もそろい、マキシム・パスカル指揮の読売日本交響楽団、二期会合唱団、NHK東京児童合唱団が俊敏雄弁な響きで、作品の特質をとてもよくわからせてくれる。
上田大樹の映像も面白かった。舞台上方のメインスクリーンの他、正面と左右の壁面いっぱいに映像を投影する。インスタやライン風の映像が示すのは、現代日本における身近な悪魔と地獄は、SNSと生成AIのなかということ。
一見すると天使と天国だし、うまくつきあえばそのままでいてくれるけれど、深入りすればするほど近づいてくるのは地獄の門。映像の情報量が過多なのも、まさに地獄の阿鼻叫喚。
オペラをコンサートホールで上演するこのコンチェルタンテ・シリーズでは、早くから映像を書き割りの代りに使っていたが、ここまで積極的な役割を持たせたのは初めてと思う。この作品はオペラでも劇的交響曲でもなく、「劇的物語」という、なんだかよくわからないジャンル名になっているものなのだから、こういうやり方は大いにありだと自分は思った。せっかくパスカルが指揮するのだから、このくらいやってほしい。
この作品は二十世紀の早い段階からオペラ風の舞台上演がされてきたし、以前二期会もやったが、この華麗で多彩なオーケストラをピットに入れてしまうのはもったいない気がするし、シェークスピア風に場面が次々と迅速に変化し、イメージも幻想化・巨大化していくものだから、なまなかな舞台上演ではその速度と大きさに対応しきれないと思う。だから今回の手法は作品と作曲家の想像力にふさわしい。映像の使用もかなり安価で手軽になった。AIという電気お化けは、うまく用いれば素晴らしい使い魔。手間ひまをかけて作られた舞台空間の凄さとかけがえのなさも忘れてはいけないが、このスタイルにはたくさんの可能性がある。パスカルはほんとうに才人。そしてあくまで主役は音楽と演奏であって、けっして映像の伴奏にはならなかった。
それにしても、ベルリオーズはゲーテの原作を好きなように翻案したとあらためて感じ、グノーの歌劇はこの作品なしではありえなかったことも、あらためて思う。
来年のこのシリーズは、シューマンの《ファウストからの情景》。二期会は前にも《サロメ》と《エロディアード》を近接して取りあげたことがあったし、ライン川を挟んでの面白い対比をやってくれる。さらにマーラーの《千人》も都響と日フィルがやるから、ここでの「地獄の合唱」と、原作第二部ラストそのままの「神秘の合唱」二種、三つ巴の対比を楽しめる。
そしてその前に、下旬のパスカル指揮読響の「第九」もとても楽しみ。
夜は二十日に東京文化会館小ホールで行われる、ブラームスの《マゲローネのロマンス》歌劇版について、演出・構成の岩田達宗さん、バリトンの小森輝彦さん、振付・ダンスの山本裕さんのお三方にオンラインでインタビュー。
オンラインで三人に話を聞くのは、均等に話をしてもらえるよう、ものすごく頭を使うのでたいへんなのだが、岩田さんの無茶振りに応えて、通常は歌手と俳優が分担する歌と語りを一人でやってのける小森さん、主役ペーターを踊る山本さん、活気に満ちたお話がみごとに連繋して、楽しいインタビューとなった。生憎行けないが、とても面白そうな公演。
十二月十八日(木)
「音楽劇 三文オペラ 歌舞伎町の絞首台」。楽しい舞台。日本語訳詞でキーボードやドラムスなど電気・電子楽器に編曲した四人編成のバンドだが、楽曲は省略なし。初演前にカットされた〈ルーシーのアリア〉も入れ、ストーリーは改変なしに、きちんとやっている(ここ大事)。サウンドも多彩で面白い。
普段はプロレスのリングがある場所に十字型の桟橋が組まれて、演技も歌もその狭い通路上だけで行う。中心はあるが正面は存在しない全方位型。至近距離で見ている親密な一体感がいい。
それにしても、こんな場所がトー横広場(シネシティ広場、というか八〇年代の早大生にとっては、早慶戦の後に泳ぎに行く池と噴水があった場所)に面したビルの七階にあることが楽しい。外へ一歩出れば、欲望渦巻く東洋一の歓楽街。
こんな至近距離で見るプロレスというのは、どんな感じなのだろう。ちょっと見てみたくなった。それから男子トイレの、増設に増設を重ねた、異様な数の小便器も強烈に印象的だった。
十二月二十一日(日)
今日は新国立劇場小劇場で、劇団CEDARの『我が友ヒットラー』。やはり戯曲は実演で見てこその緊迫感。そして『三文オペラ 歌舞伎町の絞首台』と合わせて、「東京勝手にツィクルス」で観ることができた意味は大きかった。
「赤いベルリン」と、「褐色のベルリン」。前者の無法者メッキー・メッサーと警視総監のタイガー・ブラウン、後者のヒトラーとレーム、どちらも第一次世界大戦の塹壕で強く結ばれた、理屈を超えた戦友同士。その強い絆には、BL的な匂いも漂う。
レームがブラウンのようだったり、ヒトラーがブラウンのようだったり。その相似が揺れ動くのが面白い。さらにクルップとシュトラッサーを交えた四人の男たち(戯曲はこの四人しか台詞がない)は、《ファウストの劫罰》を観たあとだと、その時々で互いにファウストになったりメフィストフェレスになったりと、立場が複雑に入れ代わるように思えて、これも面白い。
こうなると、ますます《アトランティスの皇帝》が観たくなるが、それはまた次の機会に。
帰宅後、三島由紀夫全集第四十一巻を探す。CD七枚組で、三島自身による一九六八年の『我が友ヒットラー』読み合わせ用朗読や、『英霊の声』朗読と《盾の会の歌》のEP盤復刻など。『我が友ヒットラー』のレームは筋骨隆々たる英雄で、突撃隊は明らかに盾の会的だったりするので、その相似を意識しつつ「時代の聲」を聴きかえしてみようと思う。
十二月三十一日(水)
例年大晦日は締切の過ぎた仕事をまだやっていて、慌ただしい上に世間さまに顔向けできない状況なのだが、今年は二十七日に年内の分がすべて終わってしまい、年賀状までその日の内に出せてしまうという、椿事出来。
おかげで年内最後の二公演、ノット&東響の二十八日の第九と三十一日のジルヴェスターは、どこのどんな編集者に会っても謝る必要がなく、心おきなく楽しめる状況に。仕事でもないのでただ聴いていればいい。しかしかえって慣れないので落ち着かない(笑)。
ジルヴェスターはノットのサンダーバード愛にみちた前半と、年の瀬にふさわしい《くるみ割り人形》。ノットが信頼していた東響コーラスとも最後に共演できた(女声だけとはいえ)のが素敵。さらに、北村朋幹がオケ内のチェレスタとピアノを弾いたのは嬉しい驚き。さすがのハッとするような美しい響きだった。左右の第一&第二ヴァイオリンが各十五人のうち十人ずつだけで、あとの計十人がチェロとヴィオラの間の中央にいるという配置も面白かった(最初はヴィオラだけ二十人ぐらいいるのかと思ってびっくりした)。
最後は《花のワルツ》で大団円かと思ったら、あえてそれはやらずに、「涙がこぼれないように」の《上を向いて歩こう》で締め。坂本九が川崎出身という縁らしい。そういえば、今年はそして御巣鷹山からちょうど四十年。
「音楽の友」恒例のコンサートベストテンのために集計した、昨年十二月から今年十一月までに通った公演は、オーケストラ百十一、室内楽&リサイタル六十八、オペラ三十三、ほかに能楽など二十三で、去年より二増えて計二百三十五。
去年は三十日の井上道義引退演奏会で締め、今年はノットの音楽監督最後の指揮で締め。
Time goes on.
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