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六月四日(水)綿津見の魚鱗の宮
 国立能楽堂の定例公演。
・狂言『悪坊(あくぼう)』茂山逸平(大蔵流)
・復曲能『玉井(たまのい) 貝尽(かいづくし)』宝生和英

六月七日(土)
 昨日今日は日本フィルの定期演奏会のプレトーク担当。ナジもペレーニも素晴らしい。ただ昨日は、引き上げるときにコンマスの譜面台を倒してしまった。
   
   プロの録った写真はやはりすごい(撮影:山口敦)。

六月八日(日)東響コーラス
 サントリーホールで東京交響楽団の定期演奏会。指揮はマリオッティ。充実のソリスト陣、東響コーラスも合わせて見事なロッシーニの《スターバト・マーテル》。マリオッティは来週も川崎で聴けるので楽しみ。
 サントリーホールは日本フィル二回に続けて三日連続。三日間ともいい音楽、そして今日は客席で聴くだけの気楽な時間。
 暗譜で歌うのが伝統の東響コーラスがいつもながらに素晴らしい。本来は独唱四人の無伴奏四重唱のはずの第九曲を、無伴奏合唱に変えて効果をあげたのも、この合唱の力あればこそ。歌い出しをしっかり発声させてから音量をすーっと抑える、マリオッティのコントロールも冴えていた。P席にあげずステージ後方に配置したので、響きの一体感が増した。
 東響コーラスは本年後半も《戦争レクイエム》《マタイ受難曲》、そして第九と、ノット指揮で大活躍するはず。

六月十一日(水)第六天の魔王
 国立能楽堂で、東京能楽囃子科協議会の定式能六月公演。
・舞囃子 観世流『鶴亀』奥川恒治
・舞囃子 金剛流『松風』金剛龍謹
・舞囃子 観世流『花月』新井麻衣子
・狂言 和泉流『茶子味梅』野村萬斎
・能 観世流『第六天』観世喜正

 『茶子味梅』は岩田豊雄(獅子文六)の戯曲《東は東》の原作。文六は文学座に長く関わったのに、戯曲はこれくらいしかないはず。
 『第六天』は演能機会の少ない作品。いま第六天といえば、第六天魔王と名乗った信長の逸話で有名。

六月十二日(木)宗家の杜若
 国立能楽堂で、日経能楽鑑賞会。
・狂言『磁石』野村万蔵(萬と交代)
・能『杜若 増減拍子・日蔭之糸』金剛永謹

六月十三日(金)新宿花園の娘
 午後に川崎で東響をマリオッティ指揮で聴き、夕方は新宿王城ビルにて、布施砂丘彦の作・演出・音楽の『美しき新宿花園の娘』。
 シューベルト&ミュラー《美しき水車小屋の娘》が、現代の新宿ゴールデン街を舞台とする、新しい舞台作品に異化される。業界関係者が何人もいて、布施さんの活動が広く注目されていることを実感。詳しくは「音楽の友」に書くが、当方の感性と記憶を刺激してやまぬ百分。「売笑婦」なんて言葉を久々に思い出した。しかもそれを〈マイン〉の音楽に重ねるとは…。
 そんな作品を、歌舞伎町まっただなかに建つ、かつての名曲喫茶「王城」の脱け殻のビルで体験できること、そのものがとても面白い。しかも「水流」にこだわる作品そのまま、外も大雨。
 地下のサブナードから地上へ出ただけで、土曜夕方の歌舞伎町に渦巻く、すさまじい人間エネルギー(この世のあらゆる人間の欲望が、爆発寸前まで圧縮されているような)に圧倒され、くらくらしながらたどりつく。
 ここが名曲喫茶だった時代は、残念ながら知らない。隣にも、壁一面を緑の蔦がおおいつくしているので有名な「スカラ座」という名曲喫茶の建物が二〇〇二年まであったが、こちらも入ったことはない。
 ちょうど六年前の二〇一九年六月の自分の投稿に、お茶の水の名曲喫茶「ウィーン」だったビルの写真があった。色あいは違うが、大げさな外観は王城ビルと似ている(まあ、歌舞伎町のほうがやっぱりなんともいえず禍々しい感じがするが)。縁の薄い歌舞伎町と違い、お茶の水・秋葉原地域はクラシックのレコード店がいくつも散在していただけに、こちらは学生時代によく行った。このビルは数年後に解体されてしまった。

六月十四日(土)川向こう
 昨日午後に続いて今日もミューザ。都響&沖澤。東海道線は何があるかわからないので早めに着いて、アトレの有隣堂で本を買い、隣の喫茶店でコーヒー。昨夜の「娘」のアフタートークが面白かった、佐々木チワワさんの『歌舞伎町に沼る若者たち 搾取と依存の構造』(PHP新書)。ホストは客と店外で会うときには、男らしく(?)勘定を自分で持つとか、未知の世界で面白い。
 アフタートークでは、歌舞伎町のことをゴールデン街が「川向こう」と呼んでおり、互いに馬鹿にしあっているとか、『美しき新宿花園の娘』の世界に結びつく話が刺激的だった。
 「川向こう」というのは、成瀬巳喜男の映画『流れる』で、柳橋の花柳界が隅田川(大川)の向こうの深川を馬鹿にして言うのが印象的だった言葉。実際に言われていた言葉だろうし、それが新宿の中で生きているというのが愉快。
 歌舞伎町は風俗産業の流行の最前線、アップデートされ続けるのに対し、ゴールデン街は昭和の昔にタイムスリップするような雰囲気を残している。両者を結び、また隔てる、目に見えない「川」。その流れを『新宿花園の娘』はうまく利用していたと、あらためて思う。

六月十七日(火)窪みの記憶
 『美しき新宿花園の娘』(このタイトル、意味としてはより正しいはずの「新宿花園の美しき娘」にはあえてしない、というのも布施さんの仕掛け。美しいのは新宿花園でもある)に触発されて、そういえば昔、歌舞伎町の花道通り(旧蟹川)沿いを歩いたことを日記にしたと思い出し、「可変日記」を検索したら出てきた。十六年前、二〇〇九年五月十四日の項。

・大きな窪み
 大久保駅近くの淀橋教会で、西山まりえのバロック・ハープ独奏会を聴く。スケールの大きな表現力はさすがだが、ハープ独奏ばかりとなると、単調さが避けられなかったのが残念。
 帰路は百人町の古い住宅地を新宿へ。平屋の木造家屋なども多く、新宿からの近さが不思議なほど。大ガード西北には常圓寺の墓地も大きく残っているし、このあたりは昔のままなのだろう。
 職安通りで線路の下をくぐって東側に入り、歌舞伎町へ。あらためて、ここが窪んだ低湿地であることを実感する。この窪みは東へ、区役所裏を経てゴールデン街から花園神社へ至る。つまりはこの低湿地が、新宿最大の歓楽地帯をまるごと呑み込んでいるのだ。低湿地の湿って澱む空気こそ、歓楽街に欠かせぬ魅力なのだろう。
 そして北側の斜面にはラブホテル街が密集し、この地形は、やはり窪地にある渋谷センター街と、坂上の円山町ラブホテル街との関係に似ている。
 現代の感覚では、どうしても駅のある地点を中心に考えがちになるが、この低湿地の窪みこそが、本来の大久保、すなわち大窪なのではないか。
 旧町名で見ると、新宿文化センターのあたりが東大久保一丁目、窪みの底を蛇行する(ということは旧河道だろう)道路に沿う地域が東大久保三丁目、そしてその北側が西大久保一丁目となっているから、この想像は的外れなものではなさそうだ。
 ちなみに大久保駅と新大久保駅があるのは百人町二丁目(現在は一丁目)で、大久保ではない。

 以上。
 日記というのはありがたいものだと思う。この「低湿地」がすなわち旧河道沿いの河原、というわけだ。
 このころはまだフェイスブックをやっておらず(二〇一一年の秋から)、mixiの友達限定の日記に書いてから、可変日記に転載していたのだった。
 二〇〇九年のこの時期は新宿渋谷の旧河道に凝っていて、幡ヶ谷の代々幡斎場付近の旧名「代々木狼谷」に水源をもつ宇田川の川跡が、南の代々木上原駅まで降り、東流して代々木八幡駅、ハクジュホールの脇から代々木公園(NHKホール)下の低地、さらにかつての衛戍監獄(陸軍刑務所、渋谷公会堂)の坂下を抜け、宇田川町に出てセンター街となる、その道筋を歩いてみたりしたことを書いている。
 まだ写真を撮るとか、地図で視覚的に示すとか、そういう知恵が働かなかったのが残念。
 板倉家の藩屋敷跡に東京監獄(市谷刑務所)がつくられ、処刑場跡が道路になって脇に観音像があるとか、荒木町三業地と鮫ヶ橋貧民窟が斜めに向かい合っているとか、そのほかにもけっこう面白いこと(自分でいうな)を書いている。ひさびさに読みかえしてみよう。

六月十八日(水)ミューザの音
 マケラ&パリ管@ミューザ川崎。生命の輝きと喜びに満ちた快演。《オルガンつき》と《幻想》、「怒りの日」の主題で結ばれたフランスの二曲。表と裏みたいな。どちらが「怒りの日」の表でどちらが裏なのかは、考えよう次第。

 偶然だが先週からオーケストラは、東響、都響、パリ管と三連続でミューザ。やはり素晴らしい音響。そして週末はマリオッティ、沖澤、マケラに続いて、いよいよペルトコスキを聴けるのも凄い楽しみ。まあ、NHKホールだけども、贅沢はいうまい(笑)。

六月十九日(木)谷町から千駄ヶ谷へ
 今日は十七時半から国立能楽堂で定例公演を観る予定だったが、数日前に十七時過ぎからアークヒルズでのインタビュー仕事の依頼が入る。その対象がさる俊英指揮者なので、好機を逃したくない。前半の狂言をあきらめればなんとかなりそうなので、喜んでやりますと返答。
 余裕を見て十六時半に着き、溜池山王のドトールで腹ごしらえしていると、近くの席に同業の先輩がPCでお仕事中。「あれ、サントリーのマケラですか?」と声をかけると、「いや、山響」という返事。
「え、山響はたぶん初台ですよ。いつもそうだから」「えー?」となって、先輩を迷走から救い、少しだけ来世に向けて徳を積む(笑)。自分も先週から今週にかけてパズル状態であちこちの会場を走り回っているので、こういうミスはほんとうに他人事ではない。

 その後のインタビューはとても面白かった。あたりまえとはいえ、まあ頭の回転が速く、言葉が洪水のようにたくさん出てくる人。優秀なことで業界でも有名な通訳の方が混乱するのを、初めて見た(笑)。
 ただし掲載は諸事情で先になりそう。サントリーホールにマケラを聴きに行くという俊英氏に失礼して、大急ぎで千駄ヶ谷へ。

 運悪く、当初の予定時刻より能の開演が五分早まっていたため、囃子方や地謡が座につこうとするのと同時に客席へ。すぐ能管が響く。
 急いた心と身体が、能の静かな時間の中に溶けていく心地よさ。
 能は大槻文藏がシテの『六浦』。六浦とは金沢八景あたりの入江のこと。いま京急の線路が走る金沢文庫~金沢八景~六浦間の陸地は、当時は大きな入江になっていた。
 この六浦の称名寺で、京から訪れた僧が境内の楓の木の精と出会う夢幻能。この楓の木を詠んだ、冷泉為相(定家の孫で、鎌倉に長く暮らした)の歌が元ネタになっている。月光の下で舞う楓の精、という幻想の光景を具現化する優美な舞が見事だった。
 称名寺は美しいところだそうで、一度行ってみたいが機会を得ない。その風景を知ってからこの能を観ると、感慨もいっそう深いだろうと思う。

 ところでこの称名寺は、鎌倉の執権北条一族の重鎮、金沢流の菩提寺。その最後の当主で、六波羅探題を長く務めて京都でも活躍したのが、金沢貞顕。この貞顕に父の代から仕えた被官が卜部兼好こと、徒然草の作者兼好法師。
 小川剛生の中公新書『兼好法師』によると、京都人という印象の強い兼好だが北条氏滅亡前には鎌倉や称名寺にも出入りして、京とたびたび往復していたらしい。謎だらけの兼好の来歴が、称名寺に残されていた金沢文庫の、経文の紙背文書から明らかになったという経緯が、実に面白い。
 鎌倉時代の京と六浦。そのはるかな距離と空間の広がりが、能『六浦』と兼好を結んでいるようで、そのイメージがとても愉しい。晩年の定家は冷泉為相の嫡男為秀を和歌の師と仰いでいたそうだから、人脈的にもつながりがある。
 能の魅力の一つは、こういう時空の広がりを背後に感じられること。六本木の谷町から千駄ヶ谷へとあたふた走る現実の、皮膜の向こうにある夢幻。
 長期休館中のよこすか芸術劇場が来年再開したら、公演に行くついでに称名寺も見に行きたいもの。

六月二十一日(土)百二歳の日
 ペルトコスキ指揮NHK交響楽団をNHKホールで。これまた凄い才能。二〇〇〇年生まれでまだ二十五歳。詳しくは日経新聞に書く。当日券発売なしという人気にも驚いた。
 十九日にインタビューしたとき、自分は四十年前にNHKホールでバーンスタイン&イスラエル・フィルのマーラーの九番を聴いたと言ったら、俄然目を輝かせて、イスラエル・フィルの楽員から、「日本での演奏が最高だったとバーンスタインが言っていた」と聞かされたというペルトコスキ。
 二十五歳のその人が、四十年前にバーンスタインが立っていた場所で、始まりの第一番を指揮する。その背中を見る、歳月の妙。
 四十年後にここでかれが第九番を指揮するところを見てみたいが、そのとき自分は百二歳。ちょっと無理(笑)。

 夜は青薔薇のCMGで「イスラエル・チェンバー・プロジェクト」。紛争下で三人来られなくなったため、葵トリオが全員参加する形になって、これはこれでとても面白い。七人編成の《エロイカ》室内楽版もよかったし、録音でしか聴いたことのなかったカプレの《幻想的な物語》を、一流のメンバーで体験できたのもありがたかった。
 実演だと、この音楽がポーの『赤き死の仮面』(自分は『赤死病の仮面』という即物的な訳よりも、このほうが好き)の流れに忠実に沿っていることがいっそうよくわかる。原作の朗読と組み合わせて、メロドラマ仕立てにしたCDもあった。日本語の実演もいつか体験してみたいところ。

六月二十八日(土)マーラー勝手連
 「モーストリー・クラシック」八月号が発売された。特集は「マーラー 夏の交響曲」。カーチュン・ウォンへのインタビューはじめ、内容も充実。
 自分は遊軍というか別動隊というか搦手というか勝手連というか、特集とは別にマーラーがらみの記事を書いた。
 「コレクターズ・アイテム」では、一九七九年と八〇年の山田一雄指揮新交響楽団によるマーラーの第五番&第六番。初代ヤマカズのディスク初レパートリーとなる《悲劇的》が特に嬉しい三枚組。自分が新宿文化センターで聴いた八一年の第七番も聴きたいし、ぜひ交響曲全集を一般発売してもらいたいところ。
 「音盤時空往来」は没後百五十年のビゼーの歌劇《ジャミレ》を、この作品を愛したマーラーの逸話とともに。自分が偏愛する歌曲《アラブの女主人の告別》の話をマクラにできたのも嬉しかった。
 午後は観世能楽堂で「荒磯GINZA能」。時間の都合で途中から。

・能『班女 笹之伝』松木千俊
・能『大会』関根祥丸

六月三十日(月)弔鐘
 二〇二五年の半分が終わる日、初台で山田和樹指揮バーミンガム市交響楽団。
・ショスタコーヴィチ:祝典序曲
・エルガー:チェロ協奏曲
・ムソルグスキー(ヘンリー・ウッド編曲):組曲《展覧会の絵》

 見事な選曲だった。ショスタコーヴィチが作ったソ連讃歌に始まり、第一次世界大戦の惨禍の下で書かれたエルガーのチェロ協奏曲をへて、《展覧会の絵》の〈キエフ(キーウ)の大門〉へ。
 ウッド編曲は、〈プロムナード〉が終わったとたんにティンパニがベートーヴェンの運命動機を叩くなど、なかなか面白い。〈キエフ(キーウ)の大門〉の始まりには、この幻の門の上にある教会の鐘が鳴り、ミサの始まりを告げるようにオルガンが響く。
 この曲がハルトマンの昇天を壮大に描いたものではないかという想定は昔からあるが、その前の部分のカタコンベの死者たちももちろん含まれるのだろう。さらに、ウクライナでの戦争が始まってからは、さまざまな弔いをこの曲に委ねる人も増えている。ラヴェル版を新日本フィルで指揮した久石譲もそうだった。
 ウッド版の鐘とオルガンは、その可能性を音で拡大する。ショスタコーヴィチ~エルガー~ムソルグスキーwithウッド。諸井三郎の交響曲第三番や三善晃の反戦三部作をあんなに素晴らしく指揮したヤマカズが、その意味を考えていないわけはない。エルガー以外は二日にもう一度聴けるので、あらためて考えてみる。
 それにしても暑い。森永の「メロンソーダフロート」が今年も店頭に並んだということは、もう真夏。暑いのはいやだがこれは嬉しい。


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